9.セアリオス=シンプソンは断ち切る
セアリオス視点です。
視察の日から彼女とどう接したらいいのか分からなくなってしまった私は彼女と顔を合わせるとどうしたらいいのか軽くパニックに陥り結果冷たい言葉ばかり口から出てしまうという日々が続いていた。そんな折、一通の手紙が私の元に届く。
内容はユーフォヴァーグ家からの金の催促で、私が妻を娶ったので金を渡すのを辞めにしたいと伝えたことへの返事でもあった。既にこちらに向かって居るという内容が記されたそれを読んだ時思わず頭が痛くなった。彼等は闇金融に相当な額の借金をしているようで私からのお金が途絶えることを回避したいのだろうということはわかっている。そもそもマリアが亡くなった時にそれを建前に金を渡すよう迫られた時強く出られなかった私が悪いのだと分かってはいる。彼等がマリアの死を利用して私から金を取っていることを理解しながらも長い間それを辞められなかったのは私自身がマリアの死に深く責任を感じているからだった。
だが…
「もう、辞めにしなければいけないな…。」
手紙を書類が積まれた机の上に投げやる。
それを私付き補佐であり王国騎士団副団長のクラリオスが目で追う。
「アリア嬢には話しておいた方がいいんじゃないっすか?」
「分かってはいるのだが…。」
「話せないと?臆病者だな。」
「!…うるさいぞ。」
クラリオスの言葉に腹が立ったが図星なので言い返すことも出来ず唸る。
私だってアリアドネには話しておかなければならないと分かっているのだ。だが、私の過去を知った彼女がもしもあの美しいルビーの瞳に嫌悪の色を滲ませたら、と想像するとそれだけで心臓に鉛でも刺さった様に苦しくなる。
結局私はクラリオスの言う通り臆病者なのだ。いつの間にかアリアドネに嫌われてしまうことを何よりも恐れている。
「…アリアドネには部屋に居てもらう。」
「へいへい。」
私の判断にクラリオスはもう何も言っては来なかったが呆れたようにわざとらしい大きなため息が耳に届いた。もしもここ時アリアドネに話しておく選択をしていたなら…私はこの選択で深く後悔する日が来ることをまだ知るよしもなかった。
晩餐の時間、アリアドネに明日は部屋に居る様に言うと案の定怪訝そうな顔をされる。
「なにか有るのですか?」
「…客人が来るからその対応をしなければならないんだ。」
ましな嘘も浮かばず正直に答えれば彼女はさらに不思議そうに眉をひそめて首を傾げた。その反応は当たり前だろう。夫人が客人の前に出ないなど余程の理由がない限り失礼に値する。
「私には会わせられない方ということですか。」
悲しそうな彼女の顔に動揺した。
そんな顔をさせたかった訳では無いのに…。
もういっそうのこと話してしまえばいいのではないか。そんな考えが頭に浮かんでは消えてを繰り返す。けれどやはり恐怖心が勝ち話すことは出来なかった。
「そうだ。」
私の口から出た言葉は思ったよりも低く冷たいものだった。
私の言葉に瞳を揺らして彼女は唇を噛んだ。
泣いてしまうのではないかと焦るが彼女は泣くことはせずただ分かったと了承の返事を返した。
私はそれに答えることは出来なかった。
次の日、朝早くに客人が来たという報告を聞き応接間へと向かった。久しぶりに見るユーフォヴァーグ夫妻は少しやつれているように見えた。
私がソファーに腰掛ける前に夫人が立ち上がり金切り声を上げる。
「なんの話しをしに来たか分かっているわよね!!早く金を出しなさい!!」
「その話ならもう金は渡せないと伝えたはずだ。」
私は受け答えをしながらソファーに腰掛ける。そんな私の態度にも腹が立ったのか夫人が目の前に置かれていた茶器を床へと思い切り薙ぎ払った。ガシャンっ!!!という鈍く響く音が鳴り茶器が粉々に割れて破片が飛び散る。
慌てて周りにいた使用人が来ようとするが私は手を挙げてそれを制止した。今こられたら彼等に被害が及ぶかもしれない。
「もうお金を渡せないってどういうことなのよ!!!今までの恩を忘れたとは言わせないわよ!それにマリアはお前の所為で死んだというのにその償いをもうしないなんて許されないわ!!」
なんの躊躇もなくマリアの名前を出してきたことに私は怒りを覚えた。そもそもこの家族は全員でマリアのことを蔑ろにしていじめていた。マリアが私に嫁ぐことになったのも今思えばマリアへのイジメの一貫だったのだろう。だというのにマリアが亡くなったことを幸いに彼女の名前を使って彼等は私から多額の金を請求してきた。小さな土地なら買えてしまう位の額の金を8年もの間私は律儀にも彼等に渡していた。だというのにマリアの供養をするでもなくその金を使って豪遊三昧するユーフォヴァーグ家。
「私はユーフォヴァーグ家になんの恩も受け取ってはいない。マリア個人からは多くの恩を受け取った。だから金を払っていたまで。誤解しないでもらいたい。確かにマリアが死んだのは私の所為ですが、この8年私はユーフォヴァーグ家に多額の慰謝料を渡してきました。それは娘を亡くされた貴方方に謝罪の気持ちが有るのなら金を出せと言われたからです。ですがそれはもう終わりです。私には妻が居る。それにマリアを蔑ろにしていた貴方方にこれ以上渡す金など1ゼニーもない。」
夫人は私の言葉に青筋を立ててまた何かを言おうと口を開くがそれをずっと私達の言い合いを黙って聞いていたユーフォヴァーグ伯爵が止める。
夫人は最初は伯爵に抗議していたものの結局は折れてソファーに座り直した。
「君は何か勘違いしているようだが私共はまだシンプソン辺境伯爵家と良好な関係を築きたいと思っているのだよ。だから1つ条件がある。金はもう要らない。だがその代わりシシィを嫁に迎えて欲しいんだ。」
ユーフォヴァーグ伯爵の肥え太り肉に埋もれた瞳がにやにやと醜く歪んでいる。伯爵の提案に頭痛がしてきた私は思わずこめかみを手で押えた。
「…なにを馬鹿なことを。」
そもそも自分たちが条件を出せる立場にいると思っていることが愚かだ。同じ伯爵とはいえ地位は雲泥の差。シンプソン辺境伯爵家に物申すことが出来る者が居るとするならば王族位なものだろう。
それをこの期に及んでユーフォヴァーグ家の長女であるユーフォヴァーグ伯爵令嬢を嫁にだと?自分の夫の父と関係を持ち離縁された女を引き合いに出してくるあたり底が知れる。
「あんなに可愛いシシィを嫁に貰えるのだから感謝して欲しいくらいだわ!」
夫人が口の端を釣りあげてそう言う。
本当に馬鹿らしい。
「その話を受け入れることは出来ない。それに私には既にこの世の誰よりも美しい妻が居るのだ。彼女を悲しませるようなことは出来ない。」
「なっ!?王太子から婚約破棄されるような卑しい女がシシィよりも美しいというの!?!!」
「…妻を侮辱することは許さない。それにユーフォヴァーグ家と今後懇意になる気もない。貴方方と繋がっていても悪くなることはあっても良くなることはないからな。巻き込まれるのはごめんだ。」
「何を言っているのか分からないな。」
私の言葉に白々しい返答をするユーフォヴァーグ伯爵を無視して側に控えていたクラリオスに目配せする。クラリオスは手に持っていた書類を私に渡すとまた下がる。
私はその書類を伯爵夫妻の前に投げやった。
「闇金融との取引に麻薬売買。奴隷の密輸、闇オークションでも1儲けしているようだな。私が何も知らないと思っているのか?」
睨みつければ流石にやばいと思ったのか顔色を変える伯爵夫妻。
書類には目を覆いたくなる程の悪行の数々がところせましと記されている。8年もの間金を渡しながら私は少しずつ彼等について調べあげた。マリアを愛していたからマリアを救うことだけが私が彼女に出会った意味であり使命だと思っていた。だが、結局私はマリアに何もしてはやれなかったが…。
「こ、これは…」
顔を青くする2人に私はあえて仮面を外し口の端を上げて話しかける。
「お前たちが今後我々に関わらないというのならこの件は黙っておいてやろう。だが、それが出来ないと言うのなら私の口がうっかり滑ってしまうこともあるやもしれないな。」
「ひいぃ!!た、頼む、それだけは!!!」
「ならはやく私の前から消えろ。」
私の言葉に夫妻は慌てて転びそうになりつつ応接間から飛び出していく。
私はその後ろ姿を冷めた目で見つめていた。
これでユーフォヴァーグ伯爵家ともマリアとの縁も完全に切れてしまった。
これでよかったのだ。私はついぞ見ることの出来なかったマリアの本当の笑顔を思い浮かべながら天を仰いだ。
私にはもう彼女への未練は何も残っていない。
そう思える様になったのは他でもないアリアドネが私にずっと優しく言葉をかけながら寄り添ってくれているからだ。
いつの間にかアリアドネは私の心に空いた穴を少しずつ埋めてくれていた。だから愛されたいと口にすることが出来たのかもしれない。アリアドネはマリアの様に私から目をそらすことは1度としてなかった。彼女はいつだってあの意志の強い瞳で私を真っ直ぐに見てくれていた。
失いたくない。彼女を私だけの物にしておきたい。
欲深い思いが心を支配する。誰よりも美しい女神のような私の妻を閉じ込めてずっと私だけの物にしておけたなら…そうしなければまだ彼女を完全に信じられない自分は彼女が私から離れていってしまうのではと思わずにはいられないのだ。
「アリアドネ…どうか私のことを愛して欲しい…。」
小さな私のつぶやきを側にいたクラリオスだけが聞いていた。
ちょっと愛が重くなりがちなセアリオス様なのでした。やっと過去の因縁を断ち切ることが出来たセアリオスですがまだまだ問題が山積みです!
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