7.
旦那様と私は良くも悪くも街の中でとても目立っていた。領地で旦那様のことを知らない人はいないというくらいに旦那様は有名人でそんな彼と手を繋いで歩いている私自身も見た目が派手な所為か注目を集めていた。
「すごく視線を感じますね。」
「すまない。私と一緒に居るからだろう。」
彼がそう言って繋いでいた手をさっと離した。
抵抗するまもなく離されて私は手を宙で彷徨わせる。そんなつもりで言った訳では無いのに旦那様に気を使わせてしまって私何やってるんだろう。
「旦那様、お腹すきませんか?」
「いや、私は別に…」
「あ!あそこに美味しそうなレストランが有りますよ!行きましょう。」
旦那様の言葉を聞かずに私は旦那様の手を再び握ってレストランへずんずんと進んで行く。どうにかして旦那様を元気づけたくて思いついたのが美味しいご飯を食べることだったのだ。
入口の扉を引くとカランカランという鐘の音と共に扉が開いた。それと同時に先に居たお客さんの視線が私たちに注がれる。私は気にせずにずんずんと空いている席に腰掛けた。
皆がちらちらとこちらを伺っている。
中には旦那様に気づいてなにやらコソコソと話をしている人までいた。旦那様は居心地悪そうにしながらも私の前の席へと腰掛ける。
「アリアドネ…。」
「旦那様何にしますか?私はこのランチメニューが気になるのですけれど。」
「……ああ…確かにそれは美味しそうだな。」
私は無理矢理旦那様に話を振ると旦那様は辺りを気にしながらも私の話に相槌を打ってくれた。自分でも空回っていることはわかっている。けれど私は旦那様と一緒にいたい。旦那様と手を繋いでいたい。人の視線なんて関係ないのに…。
ガタッ!!!
突然大きな音がしてお店に居た人達の視線が全て音のした方に向かう。
3人組の男の人たちが椅子から思い切り立ち上がって私と旦那様を睨みつけてくる。何か嫌な雰囲気だった。
「女将さんお勘定!」
3人組の中で一番大柄な男が凄く大きな声で女将さんを呼ぶ。女将さんが慌てて男達の所に向かうけれど男達は私達、いや、旦那様から視線を外すことはない。旦那様は視線に気づいているのだろうがあえて視線を逸らして男達と目を合わせない様にしていた。
「化け物と一緒に飯なんて食えるかよ!!気分悪いぜ。」
「そうだそうだ!そのうち俺たちがあいつの餌になるんじゃないか!」
男達はあえて店中に響く声でそんな風に旦那様の悪口を叫んだ。私はそれが許せなくて椅子から立ち上がろうとテーブルに着いていた手に力を込めた。けれど、ひやりとした手がそれをそっと阻止する。視線を向ければ旦那様がゆっくりと私に向かって首を横に振るのが分かった。私はぐっと唇を噛み締めると旦那様に従って体から力を抜いて椅子に座り直した。男達はまだ旦那様のことについて騒ぎ立てていて人々の非難の視線は何故かあの男達よりも旦那様に向かっていた。
旦那様はゆっくりと立ち上がると女将さんに謝罪をしてから1人で店から出ていく。
男達はそんな旦那様を見てにやにやと嫌な笑みを浮かべていた。
旦那様が出ていったことで男達は騒ぐのをやめてまた食事を取り始める。
私は1人その場に取り残されてご飯を食べる気も無くなりただ唖然とこの状況を受け入れることしか出来ない。
どのくらいそうしていたのか悔しくて悲しくてやるせなくて私がずっと座ったまま動けないでいると女将さんが私に近づいてきてポンッと私の肩を叩いた。
「あんた伯爵の知り合いかい?」
「…え…私は…」
「怖かっただろう。可哀想にあんな目に遭って…伯爵はそりゃあお金は持っているし地位も高いけどあんたは顔も整っているんだし関わる相手は選んだ方がいいよ。」
「っ…なにを…」
「あんな化け物みたいな見た目して怖いったらありゃしない。最近、夫人を迎えたそうだけど伯爵の嫁になるなんて私なら死んでもごめんさね。あんたも伯爵に弱みを握られてるのか知らないけど辛かったら早いとこ逃げた方がいいよ。」
女将さんは本当に私を心配するようにそう告げる。
女将さんの話を聞いていた周りのお客さんもそれに同意するように頷いていた。
私にはそれがとてつもなく気持ち悪く感じられた。
なにそれ…?
旦那様が何をしたの?
怒ろうとした私を諭した悲しげな瞳が脳裏に焼き付いている。彼はきっと反撃しようと思えば出来た。地位も権力も実力も旦那様は持っている。けれどそれを彼は選択しなかった。自分が悪者になることで事を最小限に抑えたのだ。
容姿が醜いというだけでどうしてこんなにも彼は非難されるの?
どうして…どうしてなの…
許せない…。
旦那様のことを知らないくせに悪く言うこの人たちも旦那様に悲しい顔をさせてしまった原因を作った自分にも…そして、こんな風に言われることを仕方ないと最初から諦めている旦那様にも私は腹が立った。
だから…我慢なんて…そんな意味の無いことなんて…私はしないわ。
「黙りなさい。」
私の声が思いのほか大きくレストラン内へ響いた。
こんなこと旦那様に知られたら嫌われてしまうかもしれない。やっぱり我儘で傍若無人な公爵令嬢だったのだと思われるかもしれない。それでも私は自分の感情に蓋をすることは出来ないわ。
「お前たちは誰の許しを得て私の夫でありこのイグニス領を収めておられるセアリオス=シンプソン辺境伯爵様の誹謗中傷をしているのかしら。」
「お、お嬢ちゃん?」
「誰が私の許可なしに喋っていいと言ったのかしら?私はアリアドネ=シンプソン。セアリオス=シンプソン辺境伯爵様の妻でありこの領地で2番目に偉い存在なのよ。そんな私の目の前でお前達は堂々と何度も私の愛する旦那様のことを中傷したわね?それが何を意味するかわざわざ教えなくとも理解できるだけの頭は持ち合わせているかしら?」
「ひ、ひいい…。」
普段私は権力を振りかざすことはしないようにしていた。それは自分にとってあまりにもデメリットが大きいからに他ならない。
けれど、大事なものを守るためなら私は迷わず自分の持つ全ての権力を行使して戦うわ。
それで例えどんな結果になろうとも後悔なんてしないから。それに私の大事な宝物をこの人達は残酷にも私の目の前で傷つけたのよ。決して許しはしないわ。
「そこの男達。こちらに来なさい。」
「お、俺たちはただっ!!!」
「いいから来るのよ!!」
私のあまりの剣幕に男達が急いで近くによってくる。正直顔を見るのでさえ不愉快だけれど我慢するしかない。
「名前はなんというのかしら。」
ほほ笑みを浮かべて尋ねれば彼等は諦めたのか素直に名前を名乗る。それをしっかりとメモに取ると私は小説の中のアリアドネ=フランシスを真似て極上の悪役令嬢スマイルで一言こう口にする。
「覚悟しておきなさい。」
それはこのレストランの中にいた人々を震え上がらせるには充分な効力を持っていた。
私は周りを1度だけさっと睨みつけてからレストランを後にする。私がレストランを出た後も数分間誰一人としてその場から動くことが出来なかったことを私は知るよしもない。
私は旦那様を探して街を歩く。
いつも何処か哀愁漂う大きな背中があの時はとても小さく感じられて心配になった。
私は馬鹿だった。私だってあの客達と同じだ。
自分のことばかりで彼の気持ちも話もちゃんと聞いていなかった。自分自身が相手に知って欲しいと思うように旦那様だって自分のことを知って欲しいと思っていたかもしれないのに…私ばかりが気持ちを押し付けて相手のことを考えてあげれていないなんて彼のことを見た目でしか判断していなかったのは私も同じだわ。
「旦那様…。」
涙が出そうになるのを何とか耐えながら私は彼を探し回った。朝、彼が私に手を差し出してくれた噴水のある広場に辿り着くと見覚えのあるシルエットが椅子に腰かけて項垂れているのが目に付いた。
「…見つけた。」
息を整えながらそっと近づいていくと気配を感じたのか旦那様が視線を上げる。
軽く目を見開いたあと彼は力なく掠れた声ですまないと言った。
「っ…。」
その言葉にまた泣きそうになる。
泣きたいのはきっと旦那様の方なのに、私が泣いてしまったら誰よりも優しい彼は私に気を使って自分の気持ちを隠してしまう。
「旦那様…謝るのは私の方ですわ。」
「アリアドネは何も悪くない。私のことを元気づけようとレストランに連れて行ってくれたのだろう?」
「…それでも、配慮が足りませんでしたわ。自分のことばかりで旦那様のことを蔑ろにしてしまいました…。私は妻失格ですわね…。」
そっと旦那様の目の前に膝を着く。汚れてしまうことなんて気にはならなかった。
微かに震えている旦那様の手を自分の手でそっと包み込む。仮面越しの旦那様の瞳が悲しげに揺れているのを私はしっかりと目に焼き付けた。
「旦那様、旦那様は化け物なんかじゃありません。旦那様は賢くて強くて誰よりも心根の優しいお方です。私はちゃんと分かっていますから。」
「…私は…化け物だ…。醜いトカゲ人間だ。」
「そんなことありません。私は旦那様のお顔が大好きです。切れ長の美しい瞳もキラキラ輝く鱗も愛らしい大きなお口も、全て大好きですわ。」
「嘘を付かなくていい。私は醜くておぞましい…こんな私を誰が見てくれると言うんだ!誰が私を好きになってくれるんだ…私は…ただ…」
旦那様の瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
握りしめた手がさっきよりもずっと震えている。
私は旦那様の手に重ねた自身の手にいっそう力を込めた。
旦那様は戸惑い思案するように何度も口を開閉させたあと意を決した様に言葉を発した。
「私はただ誰かに、1度でいいから……愛されたいだけなんだ。」
旦那様の苦しげな言葉に私はただ彼の手を握りしめることしか出来なかった。
誤字脱字多くて申し訳ありません。
アリアドネの悪役令嬢モードを上手くかけなくて悔しいです(泣)