5.セアリオス=シンプソンの独白
暗めの回になります。
シンプソン辺境伯爵が他の子に恋している描写が出てきますので苦手な方は飛ばされてください。
私が当主を務めるシンプソン辺境伯爵家には古くから伝わる忌々しい呪いがかけられている。それは数百年に1度トカゲの姿をしたトカゲ人間が産まれるというもので私はその数百年に1度の呪いによって産まれた呪われた赤子だった。母は産まれたばかりの私を見て精神を狂わせそのまま亡くなってしまった。父は私に愛こそ注いではくれなかったが親としての義務だけはしっかりと果たしてくれた。唯一私に優しかったのがお爺様だった。お爺様のお父上、私のひいお爺様に当たる方も私と同じトカゲ人間として生を受けたそうだ。だからなのかお爺様は何時も私にひいお爺様の話を聞かせてくれた。
私が10歳の時お爺様は帰らぬ人となりそれからはシンプソン辺境伯爵家の跡取りとして父からの厳しい教えに従う毎日が続いた。
私が15の時、ユーフォヴァーグ伯爵家の次女であるマリア=ユーフォヴァーグとの婚約が決まった。
父が勝手に決めた婚約に私は逆らうことは出来なかったししようとは思わなかった。
私の容姿は社交界では有名で、いくら権力のある家の息子でも私と懇意になろうとする令嬢は居なかった。だから、この婚約も甘んじて受け入れた。跡継ぎさえ残せばそれでいいとただそう思っていた。
マリアはとても臆病で引っ込み思案な女性だった。
初めて彼女と顔を合わせた日のことを良く覚えている。
その頃から私は出来るだけ周りを怖がらせないために服から出ていた長いしっぽを切り落とし勝手に伸びてくる尻尾の付け根だけに時間停止の魔法をかけ伸びるのを止めて居た。そして出来るだけ皮膚を隠すためにピシッとした襟首まで隠れる団服を着用しお爺様から頂いた仮面を常につけて歩いていた。
そんな私を見た彼女はただ一言、大変なんですね…と言った。
「どうしてそう思う?」
「貴方はその呪いに縛られて何もかもを奪われてしまっているから。」
そういった彼女は自分の事のように辛そうな顔をしていた。
マリアは私といる時常に悲しそうな申し訳なさそうな笑みを浮かべながら決して私に触れようとはせず付かず離れずの距離を保っていた。
それでも私は心根が優しく真面目で可愛らしい彼女のことを好きになった。彼女はよく花の図鑑を私にみせては花言葉を教えてくれた。彼女の好きだった花を今でも覚えている。小さな紫色の彼女に良く似たヴィオレットの花は花言葉が【小さな幸せ】なのだとやはり悲しそうに微笑みながら彼女が教えてくれた。
17になったら私達は結婚するのだと父に教えられた日、シンプソン辺境伯爵家の一室に泊まっていた彼女が嗚咽を抑えながら涙を流している姿を見たことがある。私にはなんの涙なのか分からなかった。
彼女はユーフォヴァーグ家の次女として生を受け、優秀だった姉と比べられてあまり愛を注いで貰えなかったそうだ。この婚約も親同士が勝手に決めたことで彼女の意思では無く彼女は家に縛りつけられて生きていた。
私と彼女はよく似ていたと思う。
私は容姿に、彼女は家に。
お互いが何かに縛られて生きてきたからお互いの気持ちが手に取るようにわかった。
私は彼女となら政略結婚であってもきっと人並みに幸せな家庭を築いて行けるのではないかと思っていた。きっと彼女も私のことを少しでも好きになってくれるのだと。それが間違いだと気づいたのは彼女が帰らぬ人となってからだった。
元々病弱だったマリアは持病が悪化して16歳になる頃には寝たきりの生活をすることが増えていた。
苦しむ彼女の傍らで私はただ彼女が良くなることを願うことしか出来なかった。どんどん悪くなる症状は彼女の身体を確実に蝕み遂に起き上がることも難しくなった頃、彼女が人払いをしてくれと動かすのもやっとの口で言った。
私は急いで人払いをして彼女の手を握りしめた。
「セアリオス様…私、貴方の良き、、婚約者で…居られたでしょうか…。」
「何を言うんだ!!君は最高の婚約者だ!そしてこれからは私の妻になる。そんなことを言わないでくれ。」
「…ごめんなさい。」
彼女は深いブラウンの瞳に涙を浮かべながら私からそっと手を離した。
「何を謝ることがあるんだ。」
彼女はやはり悲しそう笑みを浮かべている。何時だって彼女は悲しそうだった。彼女が心の底から笑った所を私見た事がなかった。それは彼女の縛られ続けてきた人生の所為なのだと思っていたけれどそれは違ったのだと私は薄々気づいていてそれを見ないふりをしていた。
「私…貴方を、、愛することができませんでした。」
絶望が私の心を支配した。
どうして神は私にこんな試練を与えるのだろう。好きになってくれると思っていた。長い年月彼女と過ごせばきっと私自身を見てくれると思っていた。
けれどそれはただの奢りだったのだ。
こんな容姿をした者を誰が好きになるというのだろう?
誰が私のことを見てくれる?
「ごめんなさい…ごめん…なさ…ぃ…。」
マリアは息を引き取るまでずっと謝罪の言葉を呟いていた。彼女の口から謝罪の言葉が漏れる度に私の心は深く深く傷つけられ、縛られた。
彼女が息を引き取り帰らぬ人となっても私は彼女から手を離すことが出来なかった。離してしまえば私達の過ごした日々が意味の無いものになってしまうようで縋っていた光が途絶えてしまう様で怖かった。きっと彼女は私のこういった考えも見抜いていたのだ。
私はマリアが好きだった。
マリアは私のことを好きにはならなかった。
アリアドネ=フランシスの噂を聞いた時、もうこれしかないと思った。昨年父が亡くなり25歳になった私は跡継ぎについて頭を悩まていた。けれど私の元に嫁ぎたい者など居る訳もなくそんな折に耳にした噂でアリアドネ=フランシス公爵令嬢のことを知った。直ぐに私は公爵家へと遣いを出した。公爵家も王太子に婚約破棄された娘の処遇を持て余していたようで直ぐに了承の返事が来た。
アリアドネ=フランシスと初めて顔を合わせた時思ったのはこんなに美しい人間が存在するのか…ということだった。
この国で尊ばれる白銀と赤の髪に燃えるような赤い瞳を持った彼女は私が送ったドレスを身に纏い私の前へと現れた。
その瞬間マリアを思い出した。マリアは彼女とは違い容姿が特別優れているわけではなかったが立ち居振る舞いがとても上品で美しかった。アリアドネ=フランシスとマリアが重なる。止まった思考を慌てて動かし真っ白な頭で彼女を席へと促す。そうすれば彼女は優雅な所作で目の前へと腰掛けた。
アリアドネ=フランシスは噂とは違いとても賢く慈悲深い女性だった。
好みがわからず癇癪を起こされるのを避けたかった私は色々な料理を振舞ったが彼女はその食事のあまりが捨てられてしまわないかを心配した。
噂通りの女性ならばまずそんな心配はしないだろう。
彼女と目が合った時彼女の動揺がありありと見て取れた。別に彼女とどうこうなりたいなどとは思っていないがやはり今回も私は受け入れて貰えないのだろうかと、1度打ちのめされたくせに頑なに諦めきれず期待してしまう自分に嫌気がさす。
動揺しているくせに私とこれから夫婦として共に居たいと口にする彼女にも腹が立った。
だから怖がらせてやろうと思った。この顔を見たらそんなこと言えるわけがないと。私の中の何かが彼女に思い知らせてやれと囁きかけていた。
「この姿を見てもまだそんなことが言えるか?」
お爺様から頂いた仮面をゆっくりと外す。
この仮面を外すと途端に自分が弱くなったように感じて恐ろくなる。
私の顔を見た彼女は先程の強気な態度とは一変してボロボロと涙を流してよく分からない言葉を呟き始めた。
やはり怖かったのだろうか…。
今更になって顔を見せたことを後悔する。
あんなに美しい人が泣く姿はあまり見たくは無いと思ってしまう。
ついにはしゃくり上げてしまった彼女を専属侍女が慌てて支え部屋に帰らせてくれる頼んできた。
あまりにも異常な様子に私も慌てて頷けば彼女は侍女に連れられて食堂を後にした。
絶望だった。
やはり今回もダメなのだと。
その日から私は彼女を避けた。
食事も部屋で取り仕事に明け暮れ彼女が通る筈の場所を避けて歩いた。
ただ怖かった。
これから妻になる彼女に嫌われることも、マリアの時のように愛せないと言われることも。全てが…受け入れられないことが怖くて仕方なかった。
こんなことなら一生独り身で居れば良かったとすら思った。
アリアドネを避け始めてから数日経った頃彼女が訓練場で団員達と仲睦まじそうに話をしている様子が目に入った。駄目だと分かっていても、その楽しそうな空間に私も混ざりたいと思ってしまったのだ。
マリアが1度も見せたことの無い楽しそうな笑顔をうかべるアリアドネに心惹かれる自分が居ることに私は気づいていた。
「なにをしている?」
別に気配を消したつもりもなかったが、彼女は団員達と何故か手を振りあって遊んでいて私が近づいたことに気づいていない様だった。
声をかけると彼女は私の存在に気が付き悲鳴をあげた。その悲鳴があまりにもリアルで私の心臓は鉛で打たれたようにズキリと痛んだ。
やはり私は馬鹿だ。
普通の人の中に私の様な化け物が混ざるなんて無理なのだ。楽しんでいるところに水を刺してしまい申し訳ない気持ちになる。
急いで立ち去ろうとすればアリアドネが私の袖を掴んで呼び止めてきた。
上目遣いで見つめられてドキドキと心臓が高鳴る。
彼女は何か言いたそうにしているものの何を言おうか思案しているようで、困らせてしまったと申し訳なくなった。
やはり早くこの場を離れようと思い口を開けば彼女が予想もしなかった言葉を口にする。
「ちがっ!あの!今夜シンプソン辺境伯爵様のお部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか!」
今回ばかりは自分の耳を疑った。
そんな都合のいいことなんてあるわけも無いしまだ私たちは結婚していない。
何故彼女はこんなことを言うのだろうか。食堂の時もそうだが、彼女は私の容姿を気持ち悪いとは思わないのだろうか?
正直、彼女の態度には困惑していた。
流石に断りを入れれば彼女は所なしか寂しそうな顔をして私を見てきた。そんな顔をされて私はどうしたらいいんだ。
耐えきれなくなって私は訓練場から逃げるように去った。
その日からアリアドネは私のことが好きなのだという噂を沢山耳にした。けれど私はそれを信じることは出来ないでいた。もちろん彼女の言葉も信じられなかった。
マリア…。
マリアのあの悲しそうな笑顔が脳裏をよぎる度に私は自分を叱咤した。期待するな、裏切られるだけだ。
それでもアリアドネは私と接点を持とうとしてくるのだ。
慕っていると真っ直ぐにあの燃えるようなルビーの瞳で言われ私は折れるしか無かった。
避けないで欲しいと懇願されてわかったと頷くしか無かった。
食事を一緒にと言われて舞い上がった。
私は馬鹿だ。
また同じことを繰り返している。
勝手に期待してきっとまた裏切られてしまう。
それでもあの美しい妻に私は惹かれてしまっている。
この気持ちがどんどん大きくなればなるほど終わりが来た時の絶望も大きくなるのだろう。
それでも私と食事を出来ると満面の笑みを浮かべたアリアドネを信じてみたかった。
マリア……君はこんな私を許してくれるだろうか…。
君を苦しめた私を君は………。