七話
————〝合成獣〟。
それは、王国内において禁忌と認識されている存在であり、それを生み出す事は言わずもがな、禁じられている。
理由は単純明快で、〝合成獣〟製作には、ある素材が必要であるから。
人に害をなす魔物だけを素材として使って造れるのであれば、恐らく禁忌とまでは呼ばれていなかった事だろう。
ただ、〝合成獣〟を造る為には魔物の屍骸等に加え、何より〝人〟が欠かせなかった。
それも、幼い子供が。
故に、人倫にもとる行為として禁忌と認識されている。
きっと、ヨハナが引き下がろうとしない理由は、それがあるからだ。
彼女は人一倍正義感が強い。
だからこそ、騎士団を目指しているとも俺は聞き及んでいた。
そんなヨハナのことだ。
〝魔境の森〟で隠れて〝合成獣〟製作を進めていた人物がいると知ってしまった。
……引き下がりたくないと言う気持ちは分からないでもなかった。
しかし、俺はベルナンドからヨハナの事は頼むと言われてここへやって来た。
ゆえに、
「でも、だめだ。だから何なんだよ。俺はお前を連れて帰る。これは揺らがない」
何より、この洞窟がもし、ヨハナの想像の通りであるとして。
彼女はつい先ほど、「逃してもらった」と言っていた。ヨハナが逃げる羽目になった理由をつくった魔物とやらがこの先にもいないとは限らない。いや、十中八九、いるだろう。
俺がその立場ならまず間違いなく、そう配置しているだろうから。
とすれば、このまま進んでしまえば待っているのは死のみだ。
「……じゃあなに? 今ならまだ間に合うかもしれない命があるかもしれないのに、イグナーツは見捨てろって言うの……? ……私が洞窟に逃げ込んでたせいで間違いなく、あの人間に警戒心を抱かせてしまった。その責任は、私がちゃんと取らなくちゃいけない」
ヨハナの身格好は、騎士団のソレだ。
この洞窟を拠点としていたであろう人間は、間違いなくこの洞窟の存在が騎士団の人間にバレたと認識している事だろう。
もし仮に、〝合成獣〟を製作する材料として人間を確保していた場合。
……まず間違いなく、押し寄せてくるであろう騎士団に対抗するため、更なる〝合成獣〟を生み出そうと試みる筈だ。
……それを止めるのは今しかないと。
きっと、だからヨハナは奥へ奥へと進んでいたのだろう。実に、彼女らしい理由であった。
そして、その直向きさが俺にはどうしようもなく眩しく映り込んだ。
もう、気が遠くなる程昔の話。
誰かを助けたい。誰かを救いたい。
そんな想いや熱を抱き、剣を振るっていた時期がこんな俺にも確かにあったから。
だから彼女の言葉は、俺には眩し過ぎた。
直視する事に堪えられなくて、思わず視線を逸らしてしまう。
「……言葉は立派なもんだが、じゃあどうしてお前はそこで座り込んでたんだよ。身体の傷が、痛むからじゃねえのかよ」
少し休憩をして。
痛む足の事を考慮したが故に、俺と出会う羽目になってしまったのだろう。
そんな状態の中で、万全の時でさえ逃げざるを得なかった相手がいるかもしれない場所に向かうなど、正気の沙汰ではない。
もしもの可能性を信じ、死にに向かうなど、バカのやる事だ。
だから、ほら。肩を貸してやるから一旦戻るぞと言わんばかりに俺はヨハナの前で屈むも、
「……イグナーツ。お願い」
最後の抵抗をされる。
それは、懇願であった。
怪我をしているのは承知の上。
仮に自分のせいで最悪の事態に見舞われる事になったとしても、最低限、できる限りの事はさせてくれと、瞳で訴えかけられる。
「…………」
悩むまでもない。
答えは既に決まってる。
それは認められないと。
言葉を繰り返してやればいいだけの話。
なのに、口をついて肝心の言葉が出てこない。
誰かの為に向こう見ずな行為を敢行しようとするその姿が、無性にかつての自分と重なってしまう。あんな生だけはもう二度と送って堪るものか。そう願い、無理矢理に彼方へ追いやっていた筈のセピア色の記憶がどうしてか、浮かび上がる。
『————僕の剣ってやつは、誰かを殺す為に振るってるものじゃない。誰かを守る為に、振るってるものさ。〝英雄〟の剣ってものは、そういうものだよ』
不意に思い起こされる記憶。
それは、かつての生にて、俺が〝英雄〟を目指すキッカケをくれた男の言葉であった。
絶体絶命の危機にありながら、彼は見ず知らずの俺を助ける為だけに命を懸けた。
恩人を悪くは言いたくないが、彼は正真正銘の大馬鹿野郎であったのだ。
……そして。
そんな大馬鹿野郎によく似た大馬鹿が目の前に一人。正義感が強いやつとは前々から思っていたが、ここまでとは思いもしなかった。
でも、不思議とそういう奴らは嫌いじゃない。
「今ここで、ヨハナを放って俺だけ帰れば間違いなくベルさんから大目玉を食う羽目になる。……それだけは勘弁だ。……ただでさえ、ここにくる前に怒られてるってのによ」
胸ぐらを掴まれ、壁に思い切り叩きつけられた記憶が蘇る。
ヨハナからお前だけ先に帰ってろと言われたので戻ってきました。なんて言おうものなら、間違いなく殴られる。
……でも、それでも良かった。
なにせ、俺は〝出来損ない〟。
そのくらいで丁度いい。そんな存在だ。
そう生きると、他でもない俺自身が決めたじゃないか。
……なのに、誰かの為にと愚直に前を進もうとするヨハナの姿を目にするたび、昔の自分と重なってしまう。〝英雄〟なんて大層な名前を付けられていた頃の、自分がなぜか思い起こされる。
きっと、羨ましいのだ。
一度砕けてしまった理想はもう持てやしない。それを分かっているからこそ、俺にはどうしても、ヨハナが羨ましく映ってしまう。
そしてそれ故に、放ってはおけなかったのかもしれない。
かつての自分のような、存在を。
「……なら、俺も行く。それが条件だ」
ヨハナからすれば不可解でしかないであろう条件を突き付ける。
戦力にはならないかもしれないが、それでも無茶をしようとするやつを止めるくらいの事は出来るだろうから。
俺のその言葉に、ヨハナは心底驚いたような表情を浮かべていたけれど、それも刹那。
「それが嫌なら俺はお前を無理矢理にでも連れ帰る。……どうすんだ、ヨハナ」
「……分かった。ありがとう、イグナーツ」
今までの付き合いの中で、一度として見た事がないような屈託のない笑みが向けられる。
……どうしてそんな笑みを見せたのか。
その事については触れず、俺は座り込む彼女にゆっくりと手を差し伸ばした。