五話
「……随分と暗いな」
入り口が岩で塞がれている為、光がない事は当然といえば当然なんだけれども、暗過ぎて真面に前が見えない状況。
俺は小声でそう呟いてから、一度目を瞑る。
そして2、3回深呼吸をしたのち、目を開かせた。
「……ん。少しは見えるようになった」
それは、随分と昔に行っていた俺なりの暗闇の慣れ方であった。
「ただ、」
視界がほんの僅かに明瞭になったものの、未だ視界不良である事に変わりはない。
だが、視界が不自由であるからか、心なし他の五感が敏感になっている気がする。
現に、
「これ、血の臭いだよな」
微かにこの洞窟から感じられる鉄錆の独特の臭いに俺は顔を顰めた。
そしてそのまま、髪をくしゃりと掻き上げ、掻き混ぜる。
面倒事の臭いしかしなかった。
「あのヨハナが遅れを取るとは思わねえけど……急ぐべきなんだろうな。これは」
騎士団長である親父の愛弟子とも言える存在であるヨハナならば、滅多な事がない限り下手を打つ事はないだろう。
……だが、洞窟に身を隠したきり帰ってきていないという点が引っ掛かる。
何もなければ洞窟の入り口のすぐ側にまで戻ってきているものだろう。
なのに、ヨハナは戻ってきていない。
それが意味する事とはつまり。
……予期せぬトラブルに見舞われた。
「ったく、こりゃ完全にベルさん人選ミスしてっぞ」
あの隙間を通れる人間に多く心当たりがなかったとはいえ、俺を真っ先に選んだであろうベルナンドの選択は絶対に間違っている。
せめて、俺に発破をかける前に、もっと剣に覚えのある勇敢なヤツを慎重に選ぶべきであった。
こんな、腰に下げるだけで殆ど使う気のない得物を下げているだけのような俺ではなく。
「本当、厄日かよ。まじでついてねえ」
行くと決めたのは俺の意思。
だけど、こんな事になるとは聞いていない。
事前に事の詳細をしっかり説明して貰えていたならば、間違いなく首を横に振っていた。
……しかし、今更いかに後悔しようとも、後の祭りである。
「……はあ」
大きな溜息を一度。
ここまで来てしまったからにはもう引き返すわけにもいかない。そう己を諫め、その溜息を最後に、闇に覆われて満足に見通す事の出来ない洞の先へと俺は足を進め始めた。
* * * *
「……屍骸の様子からして、斬られてまだあんまり時間は経ってない、か」
奥へ奥へと歩み進めていくうち、何度か真っ二つに斬られた魔物の屍骸と俺は出くわしていた。
そしてその全てが、一撃で絶命に至らしめている。相当な実力者の仕業。
恐らくは、ヨハナがやったのだろう。
ただ、不可解な点があった。
「つか、なんでヨハナのやつ奥に進んでんだよ」
入り口付近で助けを待っていれば良いだけの話だろうに、何故か奥へ奥へと進んで行くほど彼女のいた痕跡が次々と見つかってしまう。
身を隠す為に奥へ進んだ。にしてはあまりに奥過ぎる。それに全てが一撃だ。
逃げていたのであれば注意は入り口付近にある筈。なのに、屍骸に刻まれた剣線には迷いが一切ない。まるでそれは、何らかの目的の為、望んで奥へ進もうとしていたかのように。
「……ただまあ、あの性格だしな。十中八九、面倒事に首突っ込んでんだろうな」
一度でも気になってしまった事は調べ上げなければ気が済まないあの性格だ。
きっと、洞窟の奥に何か見つけでもしたのだろう。そしてそれを追う為に。
すぐに思いつく可能性としては、そんなところだろうか。
「きっちりし過ぎた性格ってのも、考えもんだ」
本人を目の前にそう言えば、間違いなく俺のようにだらしない性格よりずっとマシだなんだと怒りの言葉がやって来ていた事だろう。
今まで幾度となく怒られ、呆れられ続けてきた経験が、それをいち早く自覚させてくれる。
ヨハナが側にいなくて良かったと。
そんな感想を抱く中、不意にざり、と砂を踏んだような足音が何処からともなく響いた。
「っ、…………」
すぐさま、慌てて肩越しに振り返る。
しかし、薄らと見える視界には何も映ってはいない。気のせいであると思いたいが、此処は洞窟の中。……気のせいと割り切り、先の音を思考の彼方に追いやる行為は愚鈍のやる事である。
「……どっかになんかいやがるな」
無意識のうちに右の手が腰に下げる剣に伸びる。使う気はなかったが、そうでもしなければ普段より強く脈動する心音が落ち着いてくれなかった。
右、左と視線を動かすも、やはりそれらしき何かは見当たらない。
かといって不用意に動くにも、相手が俺の行動を待っている可能性も捨てきれない。
「……足音からして、でけえ魔物の可能性はないと思うが————」
だが、小さな魔物でも彼らの膂力は人間のそれを優に超えている。慢心を抱くべきではない。
そしてどちらが先に動くか。
その根比べが始まる事十数秒。
ついに耐えきれなくなったのか。
「ぐぎぎっ」と気色悪い鳴き声があがった。
腹の底から出したかのような特徴的な鳴き声。
その正体は、
「————〝小鬼〟」
煤けた緑肌の小鬼。
特徴は赤色に輝く瞳。
ならばと、一瞬の間で頭の中を整理し、俺は声がした場所に視線を向ける。
次いで、赤く光る場所を認識。
その数は、
「っ、て、おい。三体もいんのかよッ!!」
赤く光る点が六つ。
計、三体。
だが、まあ。
「……ったく。あんまり戦うのは好きじゃねえんだけど」
しかし、俺の視界に映り込んでいる〝小鬼〟は間違いなく俺の姿を捉えている。
逃げるにせよ、夜目は間違いなく魔物である〝小鬼〟の方が利くだろう。
……逃げられるとは思えない。
だったら、俺が取れる行動は一つ。
「やるしかねえなら仕方がない」
本来であれば生命力が魔物の中でも特に強い〝小鬼〟等は剣で頭部を斬り落とすなりしなければ死んではくれない。
だから必然、倒すとなれば「斬り捨てる」という行為を選び取るほかなかった。
故に、不承不承ながらも、剣を振り抜く。
あくまで撫でるように、「ぐぎぎっ」と唸り、飛びかかって来ていた敵目掛けて真一文字に————一閃。
たったそれだけの行為で、眼前に赤い飛沫が三方向から勢いよく噴き上がった。
程なく、役目を終えた剣を鞘に収める。
そして数秒ほど立ち尽くし、新たに生まれた死骸に一瞥すらせず、再び俺は歩を進め始めた。
「……あーあ。やっぱ向いてねえわ、俺」
手に残る斬ったという感触に嫌悪を覚え、剣というものにすら若干の拒否感を抱いている始末。
剣士としては絶望的なまでに向いてねえと、ここまでくると一周回って笑えてしまう。
〝小鬼〟とはいえ、魔物を殺したのはもう何年振りだろうか。
……そんな事を思いながら改めて、己が剣士に向いていないという事実を再認識。
「だけど、まぁ……それとこれとは話は別か」
剣は好きだった。
でも、今は好きじゃない。
剣士になろうとは思わないし、真似事をする気もなかった。言わずもがな、騎士なんてものは論外だ。
でも、
「助けられるか、られないかはさておき。知り合いを見捨てちゃ人として終わりか」
だから、これで良かった。
元々、俺はヨハナにベルナンドから預かった〝転移石〟を渡しにきただけ。
先程は偶々剣を振るう羽目になってしまったが、俺は洞窟に剣を振るいにやってきたわけではない。
ただの、荷物運びのようなものだ。
それに、あのヨハナのことだ。
常日頃より騎士団である親父に散々扱かれている彼女であれば、どうせケロっとした表情でなんで俺がいるのだなんだと言ってくるのだろう。
きっと、そうに違いない。
そんな呑気な事を考えながら更に奥へと歩み進める俺が、瀕死の重傷を負ったヨハナと出会うのは、それから間もなくの出来事であった。