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三話

 ……俺が前世の記憶を思い出したのは、今から10年前。6歳の頃の出来事であった。


 ある日突然酷い頭痛に見舞われ、三日ほど寝込んだ挙句、己の前世の記憶を全て思い出した。

 俺がかつて〝英雄〟などと呼ばれていた人間であった事。そして、どうしようもなく後悔していた事。何もかも、全て。


 何も知らなかった頃の俺はただ純粋に父に憧れを抱いていた。心底誇らしかった。

 俺も将来、騎士団長になるのだという直向きな熱を胸に抱いていた。だけど、記憶を思い出した俺は、その純粋さと愚かさに心底吐き気を催した。


 知らなかったとはいえ、己がまた同じ後悔の道を辿ろうとしていたのだ。その果てには、何もないと言うのに。

 絶望。悔恨。諦観。

 そんな、感情を抱く未来しか待ち受けてないというのに。


 故に俺は、10年前のあの日に全てを投げ出した。


 耳を塞ぎ、俺に向けられていた周りの意見は例外なく全てを容赦なく切り捨てた。

 ……二度とあんな想いだけはしたくなかった。何より、またあの道を辿ると思うと、数日前まで好んで握り締めていた筈の剣すらも手が震えてまともに握れなくなっていた。


 ……今でこそ、その症状はマシになっているけれど、好き好んで振るうつもりだけはなかった。

 たとえ、どんな事情があろうとも、それだけはもう未来永劫変わらない。俺はそう決めていた。


 だから俺は、親父やヨハナが帰って来ていないと言われようと、己に出来る事は何もないと。

 そう、再度(、、)言おうとして。


「てめぇ、それ本気で言ってんのか。てめえの親父さんや、ヨハナの嬢ちゃんが危ねえかもしれねえって言ってんだぞ。なのに、俺に出来る事は何もねえ、だァ? ……舐めてんじゃねえぞ、イグナーツッ!!!」

「……っ」


 思い切り胸ぐらを掴まれ、そしてそのまま容赦なく壁に打ち付けられた。


 家に押し掛け、現在進行形で俺に向かって怒鳴り散らす彼の名はベルナンド。

 二週間前の演習に同行しなかった騎士団所属の騎士の1人であり、幼少の頃の俺の面倒を見てくれていた人でもあった。


 そして、彼は予定を大幅に超えても尚、まだ帰ってこない親父やヨハナの事を俺に伝えに来てくれていた。


 曰く、トラブルに巻き込まれたのだとか。

 そして、親父達の命が危ないかもしれない、とも。


「助けに行きてえって気概の一つも言葉として出てこねえって、てめえそれでもフリッツ・アイザックの息子かよッ!? えぇッ!? 腑抜けるのは勝手だが、クズにまで成り下がってんじゃねえよッ!!!」

「……仮に俺が行きたいと言っても、俺にヨハナみたいな才能はない。足手纏いになるだけなのは議論するまでもない事実だろ、ベルさん」


 10年前と変わらぬ愛称で呼ぶ。

 まだ俺が前世の記憶を思い出す以前、いつか親父のような騎士になりたいと口にする俺の世話を一番熱心に見てくれていた人物こそが、このベルナンドであった。


 彼が優しい人物である事は他でもない俺が知っている。だから、こうして壁に打ち付けられようとも、怒る気にはなれなかった。何より、彼は間違った事を言ってはいない。


「あぁ、そうだな。今のイグナーツは足手纏いだ。だが、てめえの幼馴染みと親父が巻き込まれた。もし、イグナーツが助けに向かいたいとオレに懇願するようであったならば、オレは迷わずてめぇを連れ出してやるつもりだった」


 だというのに、なんだこのザマは。と、言わんばかりに猛禽類もかくやというベルナンドの炯眼が、俺へ焦点を引き結んで動かない。


「てめえの言葉は正論だ。何も間違っちゃいない。だがよ、近しい人間の安否が分からねえ状態だってのに、なんでてめえはそんなにも冷静でいられるよ。親父のように、誰かを守れる騎士になりてえ。そう言ってた頃のてめえは何処に行ったよッ!? あぁ!?」

「…………」


 10年前は、そんな事を平気な面して言ってたっけ。ベルナンドの言葉を耳にしたせいでそんな事を無理矢理に思い出させられながら俺はいつも通り、へらへらと笑う。


「……よしてくれよ。ベルさん。あんたらと俺は、違うんだ。俺には力もなければこの通り、根性もない。……怖いんだよ、俺は」


 誰かが死ぬ事は、勿論怖い。

 でも、それ以上に、また同じ道を辿ってしまうかもしれない。

 その可能性が生まれてしまう事が、何よりも怖かった。


 剣を振るう。

 たったそれだけの言葉を聞くだけで、どうしても過去の己の姿がちらつく。


「……あぁ、そうかよ」


 そして、ベルナンドは乱暴に掴んでいた俺の胸ぐらから手を離す。ベルナンドの瞳の奥に湛えられた感情は、失望か。


「だったらてめえにはもう期待はしねえ」


 それだけ言い残し、ベルナンドは苛立った様子で俺の目の前から去って行った。


 その大きな背中を眺めながら俺は、



 ……あんたに、俺の何がわかる。



 叶うならば、そう言い返してやりたかった。でも、その言葉は口を衝いて出て来てはくれなかった。



『もし、次の生があるのならば、もう二度と、こんな過ちは犯さない』


 強くなろうとしたのが間違いだった。


 強くなりたい。

 誰かを守りたい。


 かつてそう願った俺の心は綺麗なものであった筈だ。どこまでも称賛されるべきものであった筈だ。……けれど、その想いのせいで、俺にとっての地獄は始まった。


「助けてえよ。出来る事なら、力になってやりてえよ。……それこそ、親父の期待にだって応えてやりたい」


 声に宿るのは、諦念と、無力感と、絶望と。


「でも、ダメなんだよ。そうは思えても、頭が拒否をする。身体も拒否をする。……結局、俺自身も最後は拒んじまう」


 誰かを守れる力が欲しかった。

 けれども、愚直に鍛え上げた己の剣は、ある時、ただの戦争の道具に成り果てた。

 ……誰かを守る筈だった剣は、誰かを殺す為の剣になっていた。


「……過るんだよ。何かを成そうとする度、過去の自分の姿が脳裏を過ぎる。まるで、それが間違っていると指摘されているかのように」


 かつての俺の行動は、全てが間違いであった。

 他でもない俺自身がそう断じている。


 だから、過去の己に背を向ける行為こそが正しいと考えてきた。

 だけど、



 ————腑抜けるのは勝手だが、クズにまで成り下がってんじゃねえよッ!!!



 不意に、先程のベルナンドとのやり取りが、思い起こされる。


 不幸になりたくない。


 それは本音だ。

 そこに、迷いの感情は微塵とて入り込んではいない。なのに、その信念は、誰かを見捨て、保身に走ってまで貫くべき事なのかと。

 そんな言葉が何処からともなく聞こえてくる。


「……うるさい」


 強引にその声を遮る。

 でも、俺の願望に反してその声が止む事は無い。そして、心臓が脈動する音さえも聞こえてくる。


「……そもそも、こんな〝出来損ない〟が行ってどうするよ。何も出来ずに終わるのがオチだ。それに、他の騎士達もいる。親父や、ヨハナは弱くねえ。俺が向かう理由なんて何処にもないだろうが」


 早口でまくし立てる。

 己を落ち着かせる為にと、考えつく限りの理由を必死に立て並べてみるが、それでもやはり落ち着いてはくれない。

 聞こえてくる心音は、大きくなる一方。


「俺はこうやって生きるって決めたんだよ。あんな想いは二度としたくない。あんな後悔だけは、二度。だから————」


 そして、発言の途中。


『————助けてくれて、ありがとう』


 想起される、感謝の言葉。

 それは、過去の俺に向けられたものであった。

 〝英雄〟として生きていた頃、誰かを助けた折に向けられた言葉。


「……だか、ら」


 不意に思い起こされたその発言を前にして。

 ……どうしてか、言い訳の言葉はうまく口から出てきてくれなくなっていた。


「……く、そが。また、繰り返せってか。俺に、あれをまた……ッ」


 天秤が揺れる。

 腕が、震える。

 頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱される。


 何もしなければ、勿論何も起こりやしない。だから俺は何もしない事を選び続けていた。これまでも、そしてこれから先も、それは不変と思っていた。


 そんな俺の決意が、これまでになく揺れ動く。


 ……良いじゃないか。

 たとえこれが取り返しのつかない事になろうとも。もしかすると、俺ならば助けられたかもしれない命があったとしても、俺自身が平穏に生きられるのならば。

 あの時の繰り返しにならないで済むのなら、安い代償だ。そうだろ?


 何処からともなく聞こえてくる声。

 覚えのある幻聴()に、俺は首肯する。


「……ああ、そうだ。その通りだ」


 認める。肯んずる。


 それで良いじゃないか。

 それで良いだろうが。


 そう心の底から思っている筈なのに。


「なのになんで、こんなにも腹が立つ……ッ」


 己の感情が、よく分からなかった。

 それで良いと思い、結論は出ている筈なのに、何故か納得がいかない。何故か、無性に己に腹が立つ。何処かにこの衝動をぶつけて八つ当たりでもしなければ気が済まなかった。


 同時、思う。


 今ならば、出て行ったベルナンドに追い付けるだろう、と。

 あの発言を覆すならば、今しかなかった。


「……馬鹿だろ。馬鹿すぎる。ほっときゃ良いだけの話だ。騎士団だって精鋭揃い。それは俺が一番知ってる」


 心配する必要なんて何処にもない。

 そう、言い聞かせても、今までこんな事は一度としてなかった。加えて、必死の形相で俺の下に駆け寄ってきたベルナンドの顔が脳裏にこびりついて離れてくれない。

 それらのせいで、落ち着かない。

 無性に、胸騒ぎがした。


「……く、そが……ッ!!!」


 ガンッ。

 と、大きな音を立てながら俺は右の手で背を向けた状態のまま、乱暴に壁を殴りつける。

 程なく俺は、己の下を去っていったベルナンドの背中を追わんと、彼を追いかけるべく駆け出した。

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