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一話

『出会って、意気投合して。笑いあって、されど同じ釜の飯を食う暇も、夢を語り合う暇もなく、血飛沫あげて死んでいく。……何という事はねえ。見慣れた光景だ。見慣れた、不幸(、、)だ』


 血腥い戦争に身を投じていた英雄はかく語る。

 人骨を踏みしめながら血だまりに足を沈め、一切の感情が削げ落ちた亡者を思わせる表情で、空虚に彼は言葉を口にした。


『力がない事は不幸で、ある事は幸福である。故に、力を持つものは己の責務を須く果たすべきである。……これはお偉いヤツが言っていた言葉なんだがな、全く、ひでえ暴論だよな』


 荒涼たる原野。

 彼方此方に生まれていた腥羶な血道だけが、彩としてそこにあった。

 暗雲に閉ざされた天の下、その紅蓮だけが色鮮やかに視界に映っていた。


『…………』


 返事はなかった。

 今にも死にそうなくらい蒼白な顔を浮かべる男は、言葉の主である彼に声ひとつとて返さない。

 ……いや、この場合、返せないが正解なのだろう。身体を濡らす夥しいまでの鮮血の量。


 彼は敗者であった。

 挑み、戦い、負けたのだ。

 しかし、意地なのだろう。倒れ込む事はなくジッと立ち尽くしていた。


『力があるやつは例外なく戦えって? ……馬鹿言うなよ。俺らにだって人並みの感情や、倫理観はある。叶うならば、人だって殺したくねえ。〝ど〟が付くほどの悪人ならまだ分かるがな、実際に殺す相手はてめぇや、俺のような〝英雄〟だ。……本当に、嫌になる』


 やはり返事はない。

 けれど彼は構わず言葉を続ける。


『きっと原因は俺らなのさ。この戦争が終わらない理由は、きっと俺らのせいだ。……上の連中はな、間違いなく戦争に取り憑かれてやがる』


 盤面だけを見る貴族連中。

 彼らが実際に剣を振り、人を斬り殺し、斬り殺され。そんな命のやり取りを続ける己らと同じ感性を持っているはずがないのだと男は知っていた。〝英雄〟と呼ばれていた男は、知っていた。


 しかし、それを訴えても何一つとして聞き入れはして貰えない。

 反骨心があると判断され、より過酷な場所に送り出されるだけだ。それに反抗すれば、近しい人間が見せしめに殺される。

 ……本当にロクでもねえ世界だ。


 彼はそう言葉を付け足した。


『俺らのせいで、終わらない。俺らが。〝英雄〟がいやがるから。上の連中にとって都合の良すぎる駒である俺らが全員死なないから、終わらない。……ただ、お陰で欲ってもんは、上限知らずにあるって事を骨の髄まで知ることが出来たよ』


 叶うならば、醜いその欲望はあまり知りたくはなかったがなと愚痴を零す。


『……こんな事なら、俺は強く在りたくはなかった。ほんっと、勘弁して欲しいもんだ。この因果から解放される為には俺自身が死ぬしかねえんだからよ。適度に振るって適度に人生ってもんを謳歌して。そんなものは〝英雄〟なんて名前で呼ばれたあの瞬間から禁じられていたのさ』


 残ったのは〝英雄〟という称号だけ。

 他は何も、残っていやしない。

 人を斬り殺し続けた名誉だけが、手元に残った。戦友の死に様だけが記憶に残った。そして好きだった筈の剣が、少しだけ嫌いになった。

 そして日が経つにつれ、俺を〝英雄〟へと押し上げた剣が、心底大嫌いになった。




* * * *





「……く、ぁぁっ、……っ、だぁー」


 学舎の中。

 机に突っ伏し、ぐっすりと睡眠を取っていた俺は射し込む斜陽にあてられながらガランとした教室の中でひとり、欠伸をしつつ伸びをする。


 あまり良くない夢でも見ていたのか、少しだけ心の奥がもやもやした。脳裏には薄らと、思わず反吐が出てしまいそうな映像がこびり付いていたような気がしたが、気にしない事にした。


「あー、よく寝たよく寝た。……そいや、明日から夏休みだったっけ」


 窓越しに広がる景色を確認し、既に下校時刻がとうの昔に過ぎ去ってしまっている事を把握しながら軽く頭を掻いた。


 とはいえ、四六時中寝てばかりの俺にとって明日が出席日だろうが、夏休みだろうがあまり変わりは無い。

 ともあれ、あまり遅くなると親父に怒られるしここはとっとと——。なんて思いながら席を立つと丁度一人の少女と目があった。


 亜麻色の髪を後ろで束ねた華奢な少女。

 彼女はどうしてか、外に続くドアのすぐ側で佇んでいた。そして俺を射抜く瞳のには呆れの感情がたっぷりと込められていた。


「相変わらずね、イグナーツ」

「……ヨハナも相変わらず律儀なこって」


 彼女の名前はヨハナ・フェデリカ。

 フェデリカ侯爵家のご令嬢であり、俺、イグナーツ・アイザックの学友。

 そんでもって、騎士団長を務める俺の親父の教え子でもある。剣を教えるにあたって俺の面倒をと彼女は頼まれたらしくこうして毎日顔を突き合わせているわけである。


「うるさい。……さっさと帰るわよ」

「へー、へー」


 ヨハナは毎日居眠りをしている俺と比べるまでもなく優等生であり、生徒会なんぞに加入している為、こうして夕方までその活動に勤しんでいるのだ。


 そして帰ったら帰ったで俺の親父から剣の指導を受け、ようやく帰宅。そんな生活を続けてよく身体が保つなあと脱帽の毎日である。

 荷物を纏め、教室の外へ出ると少しばかりお互いに距離を開けて横並びに俺の自宅へと向かう。

 慣れ親しんだ光景であった。


「そういや、親父から聞いたぜ? なんでも騎士団のなんかにお前、参加するらしいじゃん」


 食事中に親父から聞いた筈だったのだが、いかんせん興味がない話題だったもんで記憶が途切れ途切れであった。

 しかし、ヨハナにとって俺のソレは日常茶飯事と割り切ってるのか、特に指摘する事もなくええと首肯。


「筋も良いって聞くし、こりゃ親父の次の騎士団長にヨハナって事もありえるかもなあ」


 親父は60までは現役でやるなどとほざいている為、それが現実になれば、時間にしてあと二十年程度の猶予がある。初の女騎士団長の誕生も近いかもなーと言ってやると気を良くしたのか、微かにヨハナの頬が緩んでいた。

 だが、それも一瞬。


「……イグナーツは、目指さないの?」


 どこか影の差した面持ちでヨハナが言う。


「目指すって、俺が騎士団長を?」

「ええ」

「んなまさか。剣はそこまで嫌いじゃねえけど、俺自身、親父みてえな才能はねえからなあ。あんま高みを目指しすぎてっと心が折れるし、もし目指すとしても……そうだなあ、そこそこ強い騎士程度?」

「……それは低すぎるわよ」

「いやいやいや、才能のあるお前にゃ分からねえかも知らねえけど、凡人的にはこれでも頑張ってる方なんだよ」


 〝出来損ない〟の、イグナーツ。


 それが世間からの認識。

 学校でも轟いているそのあだ名を知らないヨハナではないだろうに、どうしてかたまにこうして俺を焚きつけようとする。

 その理由はきっと、どうせ親父の独り言が原因だ。叶うならば、己の跡を継いで欲しいなどと親父は本気で俺に対してそう願っているから。


 しかし残念だが、俺にその気はないし、それを成せるだけの才はない。


「いやぁ、ほんっと困ったもんだ。親父が偉大な騎士団長だろうと、俺までもそうなれるなんて保障はどこにもねえのによ。全く、偉大な父を持つと変に期待が集まっちまう。たまったもんじゃねえよな、ほんと」


 当代最強なんて謳われる親父の存在というマイナス方向に働く色眼鏡のせいで、剣を扱う授業の実技は決まって最低。

 教師共は俺に恨みでも持ってんのかと疑うレベルである。……いや、よく授業中に寝ている俺にはあの連中、根強い恨みを持っていたかもしれない。前言撤回だ。


「……余計なお世話かもしれないけど、フリッツさんは貴方に、」

「分かりきってる事を何度も言わせんじゃねーよ。俺にヨハナや親父みてえな才能はねえ。それはお前だって分かってんだろうが」


 言葉を被せる事で続く筈であったヨハナの発言を強引にシャットアウト。お前は子供かと罵られようともこればかりは勘弁願いたかった。


 ヨハナは俺の親父、フリッツ・アイザックに日々稽古をして貰っているせいで恩義を感じてやがるのだ。

 だから、親父の気持ちを汲んでか、こうして俺に剣を鍛えろだなんだと言ってくるのだがはっきり言って余計なお世話である。

 これ以上何か言われたくはなかったので俺は少しだけ歩調を早め、並び歩いていたヨハナから距離を取った。


「……はぁ」


 大きな深い深いため息が聞こえてきたがそれがどうしたという話である。

 剣は嫌いじゃなかった。それは事実だ。

 寧ろ、どちらかと言えば好きのカテゴリに入るくらいである。

 ただ、それはあくまでずっと昔(、、、、)の話だ。



 剣を鍛えて親父のような騎士団長を目指す?


 それは、あり得ない。

 それだけは何があろうとあり得なかった。

 何より、俺は強く在りたい(、、、、、、)とだけは死んでも思わない人種だ。たとえ天変地異に見舞われようと、それだけはあり得ない。


 かつて〝英雄〟と呼ばれ、幾度となく絶望を味わい続けた俺だからこそ、それだけは————。


「ヨハナぁ。お前には分からねえだろうが、」


 殊更に言葉を区切る。

 随分とヨハナとは距離が空いてしまっている為、彼女の耳には届かないと知った上で、


「俺は不幸になりたくねえんだ」


 そう宣った。


 強者であろうとする気はない。

 しかし、それであるならば全てにおいて適度な成績を残し、平和に過ごしていけば良いではないかと思うだろうが、反骨心からなのか両極端に傾いてしまっていた。


 だが、この状況も存外心地の良いもので俺はこうして現状に身を委ねている。


「あの時の繰り返しだけは、もう御免だ。……あれをもう一度だなんて、それこそ耐えられねえ」


 気が遠くなるほど、昔。

 剣に憧れ、強者足らんと日々邁進し続けていた時期が己にもあった。


 剣が全てであった。剣こそが、己そのものであった。そう、思っていた時があった。そして、それが全部、絶望にしか繋がらないと知って。

 どこまでも散々に打ちのめされて。


 ……だからこそ、こうして、


「だから、わりぃなあ。ヨハナや親父の頼みは聞けねえよ」


 へらへらと笑うのだ。

 その姿は、正しく〝出来損ない〟。


 騎士団長として誰もの為に剣を握り、剣を振るう親父とは天と地の差。

 でも、それが俺らしいと思った。

 俺は、俺だからこそ、これでいいのだ。

 これでなければいけないのだ。



 今日も俺は、空虚に笑った。

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