10話 35歳おっさん、帝都に向け発つ
「ふう、くった、くった……」
俺は腹をさすりながら、宿の二階の自室へと向かった。
今はちょうど夜食を終えたところだ。
宿の主人や街の人が、お礼をしたいといっぱい食事を持ってくるものだから、もう腹いっぱい。歩く度に腹からタプタプという音が聞こえる。
結局最後は街の人を呼んで、食べきれない分を食べてもらった。宴会のようで楽しくはあったが。
「腹ばっかりは鍛えられないな……レイナ、大丈夫か?」
俺が振り返ると、そこには余裕綽々としたレイナがいた。
「ええ、特にどこも悪くはありませんが……? ああ、今朝の傷ですね!? あれなら、もうこの通りすっかり治りましたよ!」
「そ、そうか」
それも心配なのはたしかだったが、聞いたのは腹の具合だ。
俺が見た限り、レイナは先ほど大皿三枚の肉を食べていた気がするんだが……見た目に寄らず結構食べられるんだな。
そんなことを思いながら、俺は部屋へと付いた。
部屋は大部屋で、ベッドが二つあるタイプだ。
レイナには別の部屋にするといったが、「金がかかるからこっちでいいです」と譲らなかったため、同室となった。
入り口近くには、先程用意した輸送用リビングアーマー、リヴィルがいる。
リヴィルにはバックやポーチ、ベルトや麻袋を持たせる。騎士というよりは、遠征に向かう兵士に近い見た目だ。
俺はベッドに座ると、ふうと息を吐いた。
「明日からの冒険の準備もできた。あとは帝都までいくだけだ」
比較的報酬のいい依頼を受け、お金を貯める。そしてゆくゆくは、家を買って引退。
以前は自分の家なんて無理だと思ったが、今日稼いだ金額を考えれば、一年も働けば買えてしまうだろう。
そんなふうに夢を膨らませていると、俺はレイナの様子がおかしいことに気が付く。
頬を染め、なんだか落ち着きのない様子だ。
「レイナ? どうした?」
「そ、そのアトス様……あの……」
言いづらそうに視線を泳がせるレイナ。まるで、愛しい人を前にしたかのように緊張している。
なにも知らない無垢なおっさんなら、「愛してる」なんていって身を寄せるのかもしれない
だが、俺は分かっている。
「……今からか?」
「はい……お願いできますか?」
「仕方ないな……」
それから十分後。
俺たちは宿の庭で、共に汗を流していた。
「はあっ! はあ!」
「レイナ。もっと上から、ずばっ……いや、切っ先を揺らさずに振るんだ」
「はい!」
とまあ、俺は約束通りレイナとの剣の修行に付き合っている。イッシンのように適当な感じじゃなくて、しっかりとした指導をして。教えるからには、やっぱり分かりやすく教えたい。
それから、とにかく俺に攻撃を当てるように、一時間程レイナは剣を振り続けた。
「よし。今日はこんなものでいいんじゃないか?」
俺がいうと、レイナは少し悔しそうな顔をする。
無理もない。俺に攻撃を一度も当てられなかったのだから。
「レイナ。まだ初日だ。きっとすぐに俺なんて追い抜けるさ」
「いえ……このままでは数十年……いや、一生経ってもアトス様には勝てないでしょう」
たしかに、時間だけでいえばそれぐらいはかかりそうだ。
俺がイッシンから剣を教わったのは十年。それだけ聞けばたいしたこともないように思える。
だが、俺はあの時飲まず食わず、睡眠すら取らず、ただ修行だけに熱中できたのだ。ふつうの人の十年とはだいぶ異なる。
しかも、動きに関してはマスター・ヘブンの修行のおかげによるところも大きい。
それを考えれば、俺との修行にレイナが満足できる日がくるとは思えない。
なんかいい方法があるといいんだけどな……霊力かなにかで。だが、今はいい案が浮かばない。
レイナは首を横に振って、俺に深く頭を下げた。
「ごめんなさい、初日から弱音をはいて。今日は夜まで、ご指導いただきありがとうございます!」
「どういたしまして。それじゃ、今日は風呂に入ってもう寝ようか」
「はい!」
俺たちは各自風呂に入ると、そのまま就寝するのだった。
そして翌日、俺たちは宿を出て鍛冶場へ赴く。
「おお、いい出来じゃないか」
「はい! とても軽くて、使いやすい感じです!」
レイナの防具は、どちらかといえば軽装だ。全身を覆う鎧ではなく、胸当や脛当など、体の急所を守るもの。俺もこういった動きやすいほうが好きではある。
さて、俺のほうも刀を手に入れた。ミスリルの刀ということもあって、鉄よりもだんぜん軽い。しかし、その硬さは鉄の数倍ともいわれている。昨日の鉄の剣みたい折れたりはしないだろう。
「見事な刀だ……ヴェイガンさん、ありがとうございます」
俺は鞘に刀を納めてお辞儀する。レイナも続けて頭を下げた。
鍛冶屋のヴェイガンがいう。
「いえいえ! ミスリルなんて滅多に扱えないですから、久々に楽しく金槌を振るえました! それに、こちらこそ本当にありがとうございます」
「ありがとうございます!」
ヴェイガンの妻、息子のアルトも俺に頭を下げた。
「またこの街にきたら寄ってください。修理はもちろん、なんでもつくりますから!」
「ありがとうございます。是非、そうさせてください」
俺たちはヴェイガンたちに別れを告げ、イソルティを発つのであった。