すっぽぬけたミョルニル(三十と一夜の短篇第28回)
「あんたたち、あたしを誰だと思ってるの! あたしはタマコ! タマガワ・タマコよ!」
はい、出ました。ヒステリックなファッション・デザイナー。その声の醜いことガマガエルのごとし。彼女のファッションだって奇抜なだけでこれ着てアカデミー賞受賞会場に行くセレブなんて一人もいないのだけど、ファッション業界の謎の人事システムでこういう人がえらくなったりする。
あたしもね、昔ならこの手の分からず屋に雷の一つでも落として、天誅お見舞い申し上げることもできたんですが、今は駄目ですね。あれ。あれですよ。避雷針。みーんなあれに吸い取られちゃう。昔はそんなものなかったから、狙った頭にものの見事に命中させたもんですが、今は駄目です。どう工夫しても避雷針に寄っちゃう。
これじゃあ、あれですね、人もあたしを怖がらない。かといってもねえ、菅原道真みたいに学問の神さまに鞍替えするわけにもいかないし。学校はドロップアウトしたんで。
いや、まったく手がないわけじゃないんですよ。雷を落とすの逆をすることが一応はできるんです。たとえば、さっきのファッション・デザイナーが全部出し物を終えると、ほら、ファッション・デザイナーってスーパーモデルに両脇かためられて、この服つくったのはあたしでござんすって具合に出ていくじゃないですか。あれ、勇気入りますよね。あたしにはできないなあ。だって、タマコさん。ドラえもんみたいな体してるのが余計に際立つでしょう。十頭身のスーパーモデルに挟まれたりしたら。それこそ昔流行ったFBIにパクられた宇宙人みたいな絵面になっちゃって。ああ、そうだ、話がそれました。雷を落とす以外にあたしができることなんですがね。まあ、電気を切っちゃうことができるんですよ。スイッチなんて触りませんよ。それじゃ普通ですからね。まあ、そこにある電気を全部逃がしちゃうんです。電気のための亡命地が雷雲のなかにありましてね。そこじゃあ、一日、日光浴なんてしながら、ちっこいパラソルのついたパイナップル味のカクテルなんか飲んじゃって。まあ、とにかく、そこに電気を逃がしちゃうんですよ。そうしたら、タマコさん、怒るだろうねえ。全部ブラックアウト。なーんも見えない。どさくさに紛れて巾着切り、ケツまさぐりとやりたい放題。あとで電気屋を呼んでも、なんで電気が切れたのか分からない。そりゃそうですよ。あたしがやったんだから。
でも、この手は使いたくないんですよね。だって、雷神なんですよ、あたし。それが雷を落とせないから、かわりに電気を切ったなんて情けないじゃあないですか。それにモデルのおねえちゃんたちがデザイナーをコケにする瞬間を奪っちゃあかわいそうだ。なわけで、今日も電気は順調に流れるワケで。ハイ。
しかし、アーティストってのは何でも許されるんですねえ。いや、すごい。今、あたしの目の前にいる男はハサミを持っていてですね、モデルのはいてるスカートをジョキジョキ切り始めたんです。どうも土壇場で気に入らないところが見つかったか、いいアイディアが浮かんだかしたようです。普通の場面で男の人が女の人のね、スカートをハサミで切ってごらんなさい。犯罪ですよ、犯罪。でも、それが赦されちゃうんですねえ、ファッション業界おそるべし。そのうち、タネも仕掛けも本当にない人体バラバラショーをやり出しますよ、うん。もちろんハサミジョキジョキ男はデザイナーであり、デザイナーとはアーティストなんだから、彼がスカートを切ることは認めてやらなければいけない、という向きもあるでしょうが、あたしはどうもアーティストってのが分からないんでねえ。だって、芸術作品とはいいますがね、あたしが一発雷落とせば、ただ灰が残るだけです。どんな絵画、彫刻、文学、宮殿、ハサミジョキジョキ。雷一発でミネラル・ウォーターの搾りカスみたいな灰が残るだけです。それでアーティストを敬えって言われても無理ですよ、そんなこと。彼らのやっていることは灰をつくることですからね、そこらで焼きいも焼いてるおっさんでもできることですよ、アーティストなんて。それに比べれば、避雷針を考えたやつの偉いこと。敵ながらあっぱれ。
まあ、もうアーティストなんてやつは忘れます。着もしない服考える人たちにつける雷はありませんや。それにファッション・ショーのカメラのフラッシュの、あのチカチカがあたしの心に刺さります。哀しくなります。そんなことよりも外をぶらつきましょうや。
いや、もう、こうして零落して人間世界をとぼとぼうろつくのは寂しいことじゃありませんか。昔はあたしが一発鳴らせば、人はみなさっとおへそを隠したもんです。冗談じゃない、人間のへそなんか誰が欲しがるかと思うんですけど、でも、ああしたジェスチャーはあたしを恐れているって証拠ですからね。嬉しいですよ。ご期待に応じて、毎日きちんと洗ってる清潔なおへそなら取っていってやらないこともないって気持ちになりますもんね。今日日、出べそは少なくて、みんなへそがひっこんでますから取りにくいだろうけど。
それにしても人間ってのはめちゃくちゃな倫理観の持ち主ですねえ。だって、こんなに電気の恩恵を受けながら、しがない雷神さまのために新しい神社の一つもつくっちゃくれないんですから。せめて、避雷針の根元に小さな祠みたいなものでもつくってくれれば、こっちも体面を守れるんですけど、あいにく神さまが言うことをきける耳を人間はもってないと来てる。まれにきこえる連中もいるようで、預言者とか巫女と呼ばれているけど、きちんと伝えらえるのはごく少数でたいていはらりってるんですなぁ。窓口の人間がらりってるようじゃ、いつまで経ってもあたしにゃ神社がつくってもらえないわけで。で、賽銭が入らないもんだから、こっちは交通に電車使ってます。情けなくて他の神さまに顔向けできないですよ。雷神が電車に乗るんて。
電車で人気があるのはパンタグラフ男であって、雷神じゃないんですよぉ。おや、パンタグラフ男をご存知ない? なに、大したものじゃないです。パンタグラフのかわりに電車の屋根に立ち、自分の体を通して電気を送る連中のことです。パンタグラフ男は必ず禿げていて、その禿げたところを電線と接触させて電気を送るそうで。まあ、危険な仕事ですが、富もいらない名誉もいらない、ただスリルが欲しいっていう命知らずには向いているようです。あたし? 冗談じゃありませんよ。そんなアホなことできますか。ちゃんと乗車賃払ってるんですから、普通に乗りますよ。何が悲しくて屋根に乗って、ブルドッグみたいな顔しなきゃいけないんですか。
あーあ、天罰が打ちたいなあ。非の打ちどころのない雷を一発。天罰覿面のやつを一発。日本中の神主と巫女と坊主どもが雷神さまお怒りを御鎮めくださいとあれこれ、舞ったり、読んだり、踊ったりせねばならなくなるような一発。世界の終わりが来る前に、なんとかなればいいんですが。そのとき、あたしは巨大蛇の化け物と相討ちになるそうです。ひどい話。いやですよ、蛇なんて。どうせぬらぬらしてるんでしょ? いやですよぉ。あたしはさらさらしたものとかふわふわしたものが好きなんですから。
あ、携帯鳴ってる。ええ。ガラケーですが何か? お金ないんですもん。しょうがないじゃないですか。――はい、もしもし。はいはい、あたしですよ――え、オヤジ? フム。ロキが? へー。ハイハイ。分かりましたよ。ちゃんといきますとも。じゃあの。ぶち。
え? 何があったかって? いや、オーディンのオヤジから電話で、あ、オヤジっていっても本当の親じゃないんですがね、そのオヤジがいうには、あたしの古い友達で、ロキってやつがいるんですが、そいつが逃げたって。いや、こいつがしょーもないイタズラばかりするから座敷牢に押し込んでおいたんですが、他の不良仲間と一緒に集団脱走しくさったそうです。オヤジがカンカンで。あたしに捕まえる手伝いをしろっていうんですよぁ。嫌だなあ。
でも、しょうがない。じゃ、よっこらしょ。あたしは行くとしますかね。ミョルニルはどこにやったかな? え? あたしのトンカチです。ミョルニル。なに、ミミズみたいだって? にょろにょろじゃないんですよ、嫌ですねぇ。古ノルド語では「粉砕するもの」という意味があるんですよぉ。かっこいいでしょう? え? 妄想たぎらせた中学生みたいなこと言うなって? でも、こっちが元祖ですから、そんなこと言われてもねぇ。困りますよぉ。アハハ。
じゃあ、さよならです。すいませんね。こんな雷神のグチに付き合ってもらっちゃって。本当に済まないと思いますよ。だって、残り時間が少ないのに。
え? 残り時間が少ないってどういう意味だって? いやだなあ。知ってるんでしょ? 今の電話、世界の終わりが始まったって電話だったんですよ。ロキが軛から逃れ、巨大蛇が海を進む。ラグナロクってやつです。ん、信じてませんね。ほら、スマホでニュースを見てください。あと、見せてください、あたしにも。ほら、ガラケーは動画見れないの。
――ね? ほら、巨大蛇が湾岸地区のコンビナートを食べてる。すごいなあ。あんなに鉄食ってハラ壊さないのかなあ。いやだなあ。あたし、こいつと心中するんですよ? ほんと、嫌だ。ああ、嫌だ。でも、しょうがない。ミョルニルを見つけたらすぐに行くとしましょうか。
おや、大丈夫ですかぁ? なんだか、顔色がよくないですねえ。心配することはないですよぉ、ほら、命あるものいつかは死ぬんですから。だから、あなたもね、ホントに少ない残りの人生、しっかり悔いのないようおくってください。ね。じゃあ、あたしは行きますから。大丈夫、大丈夫。あたしなんて、これから蛇と相討ちですよ。それに比べれば、どんな最期もマシってもんです。
ああ、でも、嫌だなあ。蛇だなんて。
あたし、ほんとうに、ほんとうに嫌ですよぉ。




