第6話 白桃の城(謀反の章)
雨が降る中、目の前の人は菅笠を深く被ったままただ目の前にいる二人を見つめていた。
カズたちの心臓の鼓動が早くなる。胸が、痛い……。
「わ、私たちは怪しいものじゃないですよ!? ね、ねえ」
お晴が横目でカズに同意を求めた。
「う、うん! ただ、旅行に来ただけで!」
カズたちは必死で弁明した。
その後、沈黙がカズたちを覆ったがその時間はわずかだったかもしれない。しかし、カズたちにはそれが数倍も長く思えた。
「それはわかっている。君らが持っているものを見たら、流浪人になんて見えないさ」
その人は口を開くと、同時に被っていた菅笠を上げた。
青い瞳に赤茶の前髪がちらりと見える。とても綺麗な人だった。
口調からしても少し低めの声だが、別に怖い雰囲気はない。
「宿で困っているようだな。私に付いて来るといい」
気のよさそうな旅人と出会った。
旅人は既に宿を手配しており、その宿に案内してくれた。
「ここが和室でございます」
そう言って襖を開けると、女将は一礼して下がっていった。カズたちが中に入ると……。
「よく来た。適当に座ってくれ」
和室にはさっき出会った旅人がいた。さっきと違い蓑も菅笠も身に付けていない。
赤茶の髪を後ろで束ね、さっきと違い浴衣姿だ。だが肩幅は狭く、少し胸がある。
「あなたはさっきの……、って、女!?」
お晴は開いた口が塞がらなかった。カズも同じく、目の前にいる人が信じられなかった。
この人、男だと思っていたが……。
「すまない。君たちを脅かすつもりはなかったんだ」
「いや、僕らこそ女の人とは知らずに」
「菅笠をかぶったままで性別は判断できないさ。さあ、反対に座ってくれないか?」
二人は女の旅人の反対側に座った。台の上には海鮮料理や地元の農作物で作られた料理が置かれている。
「うまそー……! これ、いいんですか!?」
カズの口の中には既にたくさんの唾液が分泌されていた。ついでに胃の中にも胃液が……。お晴はその様子をじっと睨んでいた。
「カズ、こんな時は少しくらい押さえたら?」
「あ、はい」
掃除屋のふたりのやり取りを見ながら、旅人は微笑みながらうなずいた。
「君たち、仲いいんだな。遠慮なく食べてくれ」
「ありがとうございます!」
カズの目には感激の涙が浮かんでいた。お晴は横目でカズをじーっと見ている。
食事をしながら自己紹介に移った。旅人は桃花と名乗った。カズたちは自分たちが観光に行くことを伝えた。
「へえ……。旅行にね」
「ええ。宝くじの景品で吉備ノ島宿泊券をもらったんです」
そう言ってお晴は宿泊券を二枚、風呂敷から取り出した。ところが、桃花がそれを目にした瞬間、彼女の表情が変わった。
カズとお晴は一瞬戸惑った。
「吉備ノ島……! 君たち、本当にその島に行くのか?」
「え、まさか危ないんですか?」
お晴はとっさにその宿泊券を風呂敷に戻した。
「すまない。唐突に聞いてしまって……」
桃花は気持ちを落ち着かせた。
「私はその島から来たんだ。助けを求めに……」
助け?桃花のその言葉にカズの箸は止まった。
二人を見て桃花は目を瞑ると、ゆっくりと語り始めた。
桃花――本名、姫島桃花は吉備ノ島の領主の娘だった。吉備ノ島はカズやお晴が知っているように温泉による観光を主産業とする島だ。領主、姫島吉彦は観光業を積極的に支援する政策を打ち出していた。
政策は成功し領民の生活も安定し、みな幸せな生活を送っていた。
一方、領主には男子がおらず、長女である彼女が次期姫島家当主とされていた。桃花には四人家族で下に三つ年下の十八になる妹がいた。彼女は六実といい、瞳の大きいたいそうかわいらしい娘だという。彼女は人目に出ることを許されず、城の部屋の一室で毎日を過ごしていた。
城での生活は多少の不自由はあったかもしれないが、幸せな毎日だった。
しかし、半年前だった。島がとある豪商の目に付いた。
「そいつの名は宇羅。あいつが来てからはすべてが変わった」
宇羅は世界に名の知れた中原南部の豪商で、近頃この国に進出してきた。彼は海外で国や地方の領主に金を貸す領主貸しであった。宇羅は島の財政を再生させ、観光で成功させると言い寄ってきた。
もともと観光を主要な収入源としていた吉備ノ島はその誘いに乗ってしまった。
宇羅は吉彦に重用された。
「宇羅の観光政策は皮肉にも成功してしまった。しかし、宇羅は自分の一族を優遇して領民たちに富を還元させなかったんだ」
島は火山島なのであまり農作物は取れない。そのため、領民の収入のほとんどは温泉の観光による収入だった。多くの領民が仕事を奪われてしまった。
桃花の言うように、領主たちの収入は見かけ上安定していたが、それはほとんど宇羅の一族の懐に入っていった。そのため、実質的に島の収入は激減していた。
領民は食うのにも困る生活を強いられ、領主たちや役人の生活も苦しくなっていった。領民の中には餓死者が続出し、さらに島から逃げ出す者も現われた。
状況を脱するため、吉彦は宇羅に温泉の利益を配分するよう命じた。
「しかし、宇羅は要求を聞き入れなかった」
宇羅はさらに桃花の父に要求を突きつけたという。宇羅は領主である吉彦の存在を目障りに思っていたようだ。
「その要求は卑劣なものだった」
桃花はうつむいた。
赤茶の髪が揺れた。
「私の妹を嫁に出せと要求してきたのだ」
その言葉を発した途端、桃花は涙を浮かべた。
「妹さんって、三つ年下の人ですよね……。そんな……」
カズは思わず声を失った。
両親はもちろん猛反対していたが、宇羅は逆上し領主とその妻を軟禁してしまった。妹に対する答えを出すまで、城からの外出は許さないという措置だった。
「答えを出す期限は七日間。お上と宇羅は癒着していると聞く。最悪取り潰しだ」
身内も、お上も助けてはくれない。桃花は島の外に一緒に島を救ってくれる人を捜していた。これはある意味の賭けだった。
桃花は立ち上がり、障子の外を見つめていた。障子の向こうの窓ガラスの奥は真っ暗だったが、川を航行する船の光が水面を映していた。
「このままだと、私達も、領民も、島も、妹ももろとも終わりだ。だから……」
桃花は振り向いた。彼女の青い瞳から何かがカズとお晴に伝わってきた。
辺りに一瞬沈黙が流れた。
「頼む、妹を、島を共に救ってくれ! 無謀なのはわかっている。だが、時間が残っていないのだ……」
その言葉はカズとお晴の心に強く響いた。
「桃花さん……」
カズの口から自然と言葉が漏れた。カズの目に桃花の青い瞳が映っている。
伝わってくるものの正体が分かった。
それは意思だった。
だけど、自分たちにできるのか……? あまりにも無謀すぎやしないか? 僕たちみたいなただの掃除屋が、権力を握る悪人に立ち向かえるのか? しかし、無理だとわかっていても桃花にとって絶対に救わなければならない人々なのだ。
勇気を出して、言うしかない。
「わかりました。できる限りのことはします」
そう言ってカズはお晴の方を見た。
彼女も微笑んでいる。
「私たちも力になります」
掃除屋の二人の言葉を聞いて、桃花に一筋の光が差し込んだ。
***
翌日。カズは窓の外をずっと眺めていた。
昨日の夜は力になると声高に言ったが、本当にできるのか……。やっぱり無謀なんじゃないか……。
とんでもないことになってしまったな……。
雨は今日も降り続いていた。堺の街を行く人々も傘をさしている。今は水無月。ちょうど長雨の季節で、この国は初夏過ぎから文月中旬まではいつもこうだ。
カズたちは出発する前に近くの傘屋で安いものを買い、桃花が乗ってきた船で吉備ノ島を目指すことにした。吉備ノ島までは数時間で着く。
だが、桃花はこの悪天候の中どれだけ時間が掛かるかは予測できないと言っていた。風光明媚で穏やかな
三人は桃花の船が止めてある桟橋にやってきた。
「桃花さん……。これで行くんですか?」
カズは開いた口が塞がらなかった。船はただの木で造られた屋根なしの小船だった。
船の中は雨で濡れている……。
「すまない。あまりにも急いでいたものだから」
「気持ちはわかりますが、どうかと思います」
「許してくれ」
桃花は髪をかいていた。まあ、これに乗るしかないだろう……。
しかし、現実は無常だった。昨日から降り続いていた雨は船が桟橋から離れると同時に強まり始めた。横殴りの雨が船を揺らす。彼らは買った傘で風雨をしのいでいた。
特にお晴は大変だった。彼女は必死で船をつかんでいたが、栗色の髪が彼女の顔に直撃している。カズも船の壁をつかんでいた。荷物も飛ばされないように、着物に結び付けた。ふと前を見るが、雨のせいで視界が悪い。
「桃花さん、ここっていつも荒れるの?」
カズがすぐ近くで叫んでいる。普段の数倍の声を上げる。ここでは波や風の轟音によって普通の声じゃかき消されてしまう。
「荒れたときは大体こうだ。絶対船から手を離すなよ。あと少しの辛抱だから」
轟音によって音が消され、視界が悪い。つまり、それは危険を察知できないことを示していた。音もなく、姿もないままそれは近付いていた。
一番初めに気配に気づいたのはカズだった。
少し風が止み、雨が小康状態になると、視界も徐々に良くなってきた。
彼はふと後ろを眺めていた。
「カズ、どうしたの?」
その様子をお晴が訊く。
「誰かにつけられてる気がするんだ」
「え?」
雨が収まってきてからカズは何者かに監視されている。そんな気がしてならなかった。ひょっとしたら暴風雨が吹き荒れていた時も監視されていたのかもしれない……。
「ま、まずい!」
いきなり桃花の叫び声があたりに響いた。
カズとお晴はどうしたと驚かんばかりに桃花にたずねた。
「あれ見るんだ!」
白い霧の向こうから赤い旗が見えてきた。小型軍艦のような中型の船がこちらにやってくるのが見えた。まさか、気配とはこのことだったのか!?
やがてその船は三人の前に姿を現した。赤い旗には桃の家紋、いかにもイカツイ風貌で鎧をまとい、剣を持った兵士たち……。
「桃花姫様、そんなところにおられたのですか?」
野太い声が響いた。軍艦の甲板先に右腰に太刀を携え、そして大きな鎧兜を身にまとった赤髪の大男が現われた。口ひげと顎ひげが連なり、目つきもきつく、いかにも鬼という顔立ちだった。
桃花姫は歯を食いしばった。
「暴虐者、宇羅……!」
「城の者や領民らはたいそう心配しております。早くこの軍艦にお乗り移りください」
桃花は声を荒げた。
「誰がお前の要求に乗るか! 宇羅! お前が島の民を、そして父上や母上を……」
思わず桃花は涙を流した。拳を握る。
宇羅と呼ばれた大男は大げさに笑った。
「妹を……、六実を……」
「六実様のことですか。彼女が我に嫁げば島の未来も安泰だということにお気づきでない」
宇羅は大声で笑い始めた。桃花は腰に下げていた刀の鞘を抜いた。六尺はある大きな刀。
刀の刃先が鋭く光る。
「刃向かう気ですか。元より我は貴殿に期待などしておりませぬが」
宇羅の視線はカズとお晴に向けられた。
カズは一瞬怯んだ。
小船よりも大きな軍艦から上から目線で見られているのだ。目はつり上がり、顔の形相を含めて、まるで鬼が睨み付けているようだ。
「ほう、お仲間ですか。どこで雇い入れたかは存じませんが、そんな勢力で我が軍に立ち向かうと思っておられるのですか?」
桃花は何も言わなかった。ただ、刀をかまえ、その先は一直線に宇羅の喉に突き付けるように向けられていた。
「戦うことになるかもしれない。武器、あったら構えてくれ」
桃花のささやき声がする。
カズとお晴は静かに頷いた。カズは腰の木刀を抜き、お晴は小袖の帯に差し込んでいた扇子を取り出した。
「やる気ですか」
宇羅はその様子を見て大声で叫んだ。
「貴殿は今日より謀反者。領主吉彦様の名の下に、桃花姫、貴殿の御首頂戴いたす!」
慟哭が辺りに鳴り響き、軍艦に待機していた鎧姿の兵士が次々にカズたちの船に乗り移ってきた。敵の総数はざっと見て十人ほど。姫一人捕まえるためにこんな少数精鋭なのだろう。
桃花の前に兵士が一人飛び掛ってきた。彼女はすぐに真刀を兵士の方に掛け合わせ、鍔迫り合いに持ち込み、敵を海に突き落とした。他の兵士も次々に桃花に飛び掛ってきた。だが桃花は素早く右足を踏み込むと、男たちをまとめて斬り払った。
カズたちも兵士の相手をしていた。カズは木刀で刀を払いながら相手の顔面を突きで攻撃する。お晴は軽やかに刀を鉄扇で払いのけ、手足を切り上げた。
兵士が次々にやられ、海に落ちていく。それを見ても宇羅の表情は何一つ変わらなかった。ずっと不敵に笑っている。
それもそのはずだ。カズたちにとって敵の数が多く、相手をするのも大変だ。しかも、そのせいで船は大きく揺れている。さらに、さっきまで小康状態だった雨が強まり始めた。
譲許はさらに悪化する。
「まずいよ! このままだと転覆してしまう!」
カズは必死で船の壁を掴んでいた。
「で、でもどうすんのよ! 手を抜いたらやられちゃうよ」
その時だった。
「もうよい。軍艦に戻れ」
宇羅が呼びかけると、戦っていた兵士は引き上げ始めた。桃花は刀を鞘に戻さなかった。
彼女の赤茶の髪は風に揺れた。
「何もしないのですか。我が部下を戻した理由、姫にわかりますか」
「それぐらいわかっている」
「それでは、もう会えないかもしれませぬが」
そう告げると宇羅は船を進めるよう命令を下した。軍艦が次第にその場を離れていく。それを狙ったかのように暴風雨が吹き荒れ始めた。船の底には海水が入り始めた。船体も揺れる。
「と、桃花さん……」
お晴の声がする。弱々しい声だ。
桃花は曇天の空を眺めていた。
「辿り着けるかどうかは、天に任せるしか無くなったようだな」
本当にそうかもしれない。
カズは曇天と暴風で荒れ狂う空を見ていた。
大きな波に揺らされて、船は高く突き上げられる。カズは足裏の感覚をなくす。カズの目の前に、ものすごい速さで海面が迫っていた。
暴風雨が吹き荒れる中、カズたちが乗った船はひっくり返り荒れ狂う波間を漂っていた。
(つづく)
乗っ取られた吉備ノ島。荒波に巻き込まれたカズたち。
彼らの運命や、いかに……!
©ヒロ法師・いろは日誌2018