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第33話 これから、それから(中編)

 その日の夜。カズはなかなか寝付けなかった。ひさめに言われたあの言葉が頭の中でこだましていた。


――おまえもお晴に好意を持っている


「好意、か……」


 思わず独り言が放たれた。「好意」という言葉で表現していいのだろうか。

 彼女はただの「仕事仲間」ではない。何かがカズとお晴を結び付けている。

 何なんだろうか……。


 そしてカズは別れの日のことを思い浮かべた。もうお晴と共に過ごす時間はその日を過ぎればないのだろうか。二度と、逢えないのだろうか……。

 ふと立ち上がり、カズは外を見た。

 満月が見える。

 今日は十五夜だ。


 弥生も半月が過ぎた。

 間もなく別れの時……もう目前に迫っている。


 カズはなんだかやるせない感情に襲われ、悲しくなった。お晴の気持ちがよく分かった気がした。


「お晴さんに全部話した方がいいよな」


 また独り言が出た。とりあえず、明日中にお晴に伝えよう。自分の今の気持ちを。自分のこれまでに持ったお晴に対する想いを。

 自分から言わないと、お晴は元気にならないし自分のためにもならない。それでお晴が元気になるかはわからない。

 でも言うしかないのだ。



 翌日。カズはいつも通り弥吉の食堂でお晴と落ち合った。


「おはよう、カズ」

「おはよう、お晴さん」


 お晴は相変わらず元気がないみたいだが、今度はカズが緊張していた。

 それもそうだ。

 いつお晴に言うか決めかねていたのだ。


「カズ、あなた元気な意味ないみたいだけど……。何かあったの?」

「え、べ、別に」

「そう……」


 お晴に逆に心配をかけた。仕事に行くときもお晴は顔を俯けていた。彼女はさらに元気を失っていたようだ。

 とはいえ、お晴はお客さんの前では笑顔を絶やさなかった。これまで何度もその姿を見ているが、いかにお晴が表情の切り換えがうまいかがわかった。

 ただそれが人前では気丈に振舞うという彼女の性格に繋がっていた。


 仕事は一日あった。仕事中もカズはいつお晴に気持ちを伝えるか考えており、注意が散漫になっていた。

 ちょっとしたやらかしがいつもより多く、しばしばお晴に注意されていた。

 仕事先の民家で休憩を取っている時だった。


「あなた今日は結構うっかりが多いみたいだよ。どうしたの?」


 お晴が深刻な顔でカズを覗いた。

 だがカズは何も言わなかった。お晴に心配をかけていることは承知だった。

 でも伝える機会が見つからない。


 ふとカズはある事を思いついた。時間ならあるじゃないか。


「ねえ、お晴さん。ちょっと相談なんだけど」

「相談? 私にできることなら何でも言って?」


 カズは一呼吸置くと、決意を決めたような眼でお晴を見つめた。


「今日の夜、子の刻に弥吉さんの食堂前に来てくれない?」

「深夜じゃない。幾らなんでも外に出られないよ」


 だがカズは両手を合わせ、お晴に頭を下げた。


「頼むから! その時じゃないとできないことなんだ!」

「何もそこまでしなくても.......」


 お晴はずっと考えていた。

 そして目を開けた。


「わかった。今日の子の刻だね」


 その言葉を聞いてカズは少し安堵した。言いたかった事が言える、絶好の機会を手に入れられたからだ。


***


 深夜。子の刻を過ぎる前にカズは長屋を出た。

 長屋の入口戸は鍵で閉められていたので、自室の窓を開けて外に出ることにした。


 外の下京は非常に物静かだ。人は一人歩いていないし、灯篭の炎と満月に近い月明かりだけが頼りだ。


 そして弥吉の食堂前。もう弥吉は眠っているだろう。まだ子の刻になっていないのでお晴は来ていない。

 少し物陰に隠れて待つことにした。


 だがカズを眠気が襲った。重い瞼を下げないように必死で目に力を送る。

 しかし、それでも眠気に勝つことはできなかった。



 少し時間が経った。何か、カズは柔らかいものに包まれている感覚を覚えた。

 ふと目を開ける。


「お晴さん!?」

「やっと起きたね。弥吉さんの食堂の物陰で倒れていたのよ」


 そう言われたので辺りを見るとそこは弥吉の食堂の裏路地だった。つまり、カズがお晴を待っていた場所だった。

 それよりも驚いたのはカズの今の状態だった。右耳と右の頬にかすかにお晴の温もりを感じていた。


「まさかお晴さんさっきまで僕を……」

「そう。膝枕してたの」


 そうお晴が言った後、いきなり彼女の顔が赤くなった。


「あ、あなたが風邪ひくと思ってやっただけだよ?」


 何て言葉を返したらいいか、カズは考え込んだ。

 とりあえずこう返した。


「お晴さん、ありがとう」


 その後二人を沈黙が覆った。だがその沈黙もそう長くは無かった。


「カズ……伝えたい話って何なの?」


 お晴から訊いてきた。

 彼女をここに呼びつけたのはカズだ。

 彼は一つ深呼吸すると、相棒を前に話し始めた。


「今の僕の気持ちを伝えたくてね。いつまでも隠してるわけにもいかないから」


 その言葉をお晴はどう受け取っただろうか。

 お晴は何も言わず、顔を俯けていた。


「僕はお晴さんと別れるのが辛いよ」


 え、とでもいうようにお晴は顔を上げた。


「お晴さんにいろいろお世話になったし、君の過去を聞いてただの仕事仲間じゃないって思うようになった」

「それってどういう意味?」


 言葉に表すことはできないかもしれない。

 しかしやるだけ話すのだ。


「君の支えになるって前に言ったよね。その時からお晴さんとは見えない何かで繋がってるって思うようになった」


 カズは一呼吸置いた。


「それは何かはわからない。だけど、きっと大事なものだと思う」


 お晴は真剣にその話を聞いていた。でもカズが話していくうちに、お晴の表情が次第にほぐされていくのがよく分かった。


「でも帰らないといけないのも事実。できれば帰る前に僕らを繋いでいる物を知りたいんだ」


 そう言い切った時、お晴の表情が変わった。彼女は清々しい表情でカズを見つめていた。


「カズ。あなたが感じていることは私も感じているよ」

「お晴さんも?」


 お晴は一つ頷いた。


「あなたに言い出すのが怖くて、今まで言えなかったんだけどね。私たちは他の何よりも大事な絆で結ばれてると思うの」

「絆?」


 ええ、と言うとお晴は微笑んだ。


「お母さんに教えてもらった『信頼』と言う絆ね」


 お晴の言葉にカズは昨年の神無月にお晴が育ての親、椿原ひなを亡くしたときにカズに教えてくれたことを思い出していた。


「それが明確な答えかはわからないけどね。でも、これから少しずつ本当の答えに向かって行けばいいと思うの」


 お晴は星空を眺めていた。


「これから、見つけていく……」


 カズが呟くとお晴は振り向いた。


「あなたが帰ってしまってももう二度と会えないわけじゃない。別に死んでしまうわけじゃないから」


 その言葉にカズは自分の心が晴れた気がした。


「そうだよね。命ある限り、逢えるんだからね」

「そう! だから私たちが落ち込むことなんてなかったのよ」

「じゃあなんで僕ら落ち込んだの」


 その発言にお晴は言葉を失った。


「そこはツッコまないでよ。それをこれから探していきましょうって言ったのにぃ」


 お晴は顔を膨らませた。

 カズは思わず笑った。


「な、何がおかしいのよ。バカにしてるの?」

「やっぱりいつものお晴さんだなって。顔を膨らませるところ!」


 だがいつものお晴はある意味で手ごわかった。

 お晴は両手を腰に当てた。


「あなたもいつものあなただけどね。そんな『やる時はやって』かっこつけるところ」


 こりゃ一本取られた。カズは思わず頭を掻いた。


「とりあえず今日はもう帰ろう。夜もだいぶ更けてきたから」

「そうだね。明日も仕事あるから」


 そして別れ際、カズは右手をお晴に差し出した。


「どうしたの?」

「いや、これからもよろしくねって。僕が実家に帰っても、永遠の別れじゃないんだから」


 そうカズが言うとお晴は笑った。


「さすが、『やる時はやる』兄さん。もちろん、こっちからもよろしくね」


 お晴も彼女の右手を差し出した。二人は互いの手をぎゅっと握りあった。

 それは他の何よりも強い関係で結ばれている、その証なのかもしれない。



 それからカズが実家に帰るまでの日々はごくわずかしかなかった。

 だがわずかな日数でもとても有意義な毎日だった。本当の答えはわからなかったけど、焦って答えを出す必要もない。


 ある日カズとお晴は昼ご飯を食べるためにひさめのお茶屋を訪れていた。


「ひさめさーん! いつものお願い!」


 お晴の元気な声が響いた。


「ちょっと待ってくれよ!」


 ひさめはカズとお晴が好物の料理を熱いお茶と共に持ってきた。

 料理とお茶を二人の床机に置く。


「最近はやけにおまえら元気じゃないか。何かいいことでもあったのか?」

「まあね」


 そう言ってお晴はカズに顔を向けた。

 カズは一つ頷いた。


「自分たちなりの結論ってやつだね」


 その時だった。


「え、じゃあ二人とも気持ち伝えたん!?」


 後ろから女の子の声。

 振り向くと喜平と千鶴が驚いた表情でカズたちを見ていた。二人は偶然このお茶屋を訪れていたという。


「信じられねえ。お前らが」


 喜平は開いた口が塞がらない。


「明確な答えは出せてないけどね。でも、気持ちを伝えるのはその気になればできることだから」


 カズは笑いながら話していた。


「でも喜平たちのおかげだよ。君たちのおかげで気持ちを伝えようって気に慣れたんだから」

「いやオレらはそこまでのことはしてないぜ? ちょっと手を貸しただけさ」


 喜平はまあな、というように笑った。

 これで二人の関係に一区切り打つことができた。



 そしてさらに数日後。

 すでに桜の花が少しずつではあるが咲き始めていた。都の周囲に広がる森ではウグイスのさえずりが聞こえる。気温は三寒四温を繰り返しながら上昇する。

 本格的な春の訪れを予感させていた。


 掃除屋を営んでいた一人、卯月元一は荷物をまとめていた。一年を過ごした長屋とも今日でお別れだ。長屋の同胞とはいろいろ語り合った。彼らと最後の一夜を語り明かした。


 荷物の準備が済むと、カズは部屋長と同胞に挨拶をして外に出た。

 空は晴れ。

 弥生の春晴れだ。

 今日はみんなが下京の正門で見送ってくれるらしい。カズは正門へ向かった。


 下京の正門。


「カズーッ! 遅いぞ!」


 喜平の声が聞こえた。

 正門では仲間やお世話になった人たちが待っていた。

 お晴やひさめ、喜平に千鶴はもちろん春樹や弥吉、ことみばあちゃんに、雄二も……。

 そして少し離れたところにチンピラの成樹もいた。


「みんな……」


 カズの目に何かが浮かんできた。カズは着物の袖でそれを拭った。


「お世話になった人たちと一緒に見送るのが一番締りがいいじゃない」


 お晴はいつもの明るい声で言った。


「本当の別れじゃないけど、区切りを付けないといけないからね」


 カズはお世話になった人一人ずつに声をかけて都を出ることにした。

 まずは雄二から。


「雄二さん、お体に気を付けて」

「ああ。わかっとるよ。孫に会いに行くその日まで元気でおるつもりじゃ」


 雄二は花火屋を畳んだ後は静かに残りの人生を過ごしていた。このまま天に行くまでの時間を穏やかに過ごしていくという。


 次に弥吉。


「弥吉さん、おいしい料理、ありがとうございました」

「まあな。お前さんとお晴ちゃんには恩を返そうにも返しきれなかったきらいがあった。またいつか美味いの食わせてやるからな」


 またお願いしますと言うようにカズは微笑んだ。


 そして次は喜平と千鶴。


「喜平たちには本当に世話になったよ。いろいろな所で助けてもらったし」

「いろいろな所って、オレらがお前や掃除屋の姉ちゃんと一緒に行動したのはそう多くないだろ」


 まあそうだが、彼らには感謝することがたくさんある。

 そんな中、千鶴が小さめの声で話しだした。


「カズちゃん。お晴ちゃんを悲しませたらあかんで」

「わかってるよ。それぐらい」

「絶対やで。今後お晴ちゃんを悲しませたらうちが許さへんからな」


 千鶴の表情がいきなり怖くなった。


「千鶴、気持ちはわかるが抑えろ」


 喜平が千鶴を制していた。

 カズは笑っていた。


 次に春樹。


「春樹さん、あなたみたいなすごい人と知り合いになれてよかったです。そうでなければ珠梓や〈天険賊〉に太刀打ちできなかったから」

「俺はそこまでの力はないよ。君たちが頭を使って難題を切り抜けたからできたことだ」


 実際俺はやられっぱなしだったから、と春樹は笑っていた。

 そんなはずはない。春樹のすごさをカズはしっかりと解っていた。

 彼は優れた呪術師というだけでなく、頭の良さやカズたちをまとめる良き理解者なのだ。


「で、〈炎の呪符〉はどうなったんですか?」

「ああ。あの呪符は〈伊勢の宮〉にあったよ。呪符は誰も使えないように地下に埋め、結界を張っておいた」


 呪符は護身用の道具とはいえ、その力は絶大だ。だからもう二度と使われないようにする必要があったのだ。護身用にはまた別の神具を開発すると言っていた。


 次にひさめとことみばあちゃん。


「ひさめさん、結局料理上手くなれなかったね」

「おれはそれからかよ」


 ひさめに突っ込まれた。

 ひさめはおばあちゃんに料理を教え込まれているらしいが、一向に上達していない。相変わらずそのことでお晴に文句を言われていた。


「ひさめの料理がうまくなったらまた呼ぶよ」

「その時はお願い、おばあちゃん」


 ちょっと、ばあちゃん……。

 とでもいうようにひさめは肩を落とした。おっとこのままじゃいけないな。


「でもひさめさんもすごいよ。大人だし、忍びの腕は言うまでもないし」


 しかしひさめは首を振った。


「おれは軽率なところがあった。おまえたちはそこを支えてくれていたじゃないか」


 そしてひさめは空を見上げた。


「姉貴ともそれなりに決着を付けられた。まあ中途半端だけど」


 もう一度カズに目を向ける。


「おれからも、おまえに礼を言うぜ」


 カズは一つ頷く。


 そして次は……。


「成樹、あんたも来てたのか」

「来てて悪いかよ」


 成樹は唾を地面に吐いた。

 バツが悪いようだ。


「全然。ま、あんたにしては珍しいと思ってさ。僕みたいな獲物がいないくなるから寂しいのか」

「そんなんじゃねえ。お前みたいなダセえやつは一杯いる」


 もう彼に言うことはないので、カズが成樹のもとを離れようとした時だった。


「あの風邪薬、効いたか?」


 成樹が口を開いた。


「うん。すっごく効いたよ。ありがとう」


 それを聞いた成樹は満足そうな表情だった。


 そして最後に。

 カズは仕事の、いやいろいろな意味での相棒の前に立った。


「カズ。元気でね」

「お晴さん、そっちもね」

「うん」


 そう言うとお晴は自分の目をこすった。彼女の茶色い目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「掃除屋の姉ちゃん、泣いてんのか?」

「カズちゃん、まさかお晴ちゃんを泣かすような言葉言うたんとちゃうやろな」


 喜平と千鶴が騒ぎ立てている。


「いや、別に僕はそんな」

「そうよ。私、情に弱いから……」


 あらためてカズはお晴の目を見つめた。


「永遠の別れじゃない。またきっと逢えるよ」

「わかりきってること、言わないでよ……」


 そしてカズは右手の小指をお晴に差し出した。


「約束しよう。何年かしたらきっとここに戻ってくる」

「そ、そうね」


 お晴も小指を差し出した。二人は小指を結んだ。

 そして小指を離す。


 こんな約束ができるのはカズがまたお晴と再会できると信じていたからだった。お晴も同じような気持ちでいる、そんな感じだった。


 そしてカズは下京の正門の前に立った。


「じゃあ、みんな。またいつか!」


 そう言うとカズは正門をくぐった。

 都を後にするために。都で見送ってくれた人々もみんな手を振ったり、また遊びに来てくれみたいなことを叫んだりしていた。

 カズはたびたび振り向いて、手を振っていた。


 もちろんカズが出会った人は下京の人々だけではない。

 喜久七や桃花に六実、弦助や浅邦、路子とまだまだたくさんいる。その人たちにも感謝しなければ。


 弥生下旬。春の香りが辺りを包み込む。そんななかカズは前を見て道を進んで行った。


 そして時は過ぎる……。


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