第31話 封印されし想い(約束)
珠梓が倒れた時、ひさめは背後に誰かの影を感じた。見覚えのある女の影。
ひさめの足はすでに走り出していた。
上京の東の門の前で、ひさめは影に追いついた。
「姉貴。あんただな」
影は止まった。
夕焼けに照らされて、影が徐々に明るくなっていく。その正体はひさめの姉、かざめだった。
「あんたが喜平と千鶴をいざなったんだな」
「別に貴女たちに協力した訳じゃないけど。私は甘い忍びじゃないから」
そう言うことはひさめは分かっていた。姉の事はよく知っているから。
「一つ聞かせてくれ。なぜおれたちに手を貸したんだ。姉貴は緋肋を殺した珠梓を憎んでるだろ?」
かざめは初めは何も言わなかったが、少しして口を開いた。
「私の力じゃ無理だったから、じゃダメかしら?」
もっともらしい答えだった。
かざめの実力はひさめと拮抗している。
そんな彼女でも珠梓に歯が立たなかったのだから、そうするしかなかったのだろう。
だがひさめは更に質問を続けた。
「ただそれだけの理由か?」
ひさめの言葉にかざめは顔を上げた。
「守りたいものがあったんだろ?」
かざめの後ろには意地でも守りたい仲間がいた。彼女が死んでしまえば彼らは路頭に迷うだろう。
だから協力した。ひさめはそう考えていた。
「ふん。貴女らしい甘い考えじゃない」
「まあな。おれ多分この国で一番甘い忍びだと思うぜ」
そしてかざめは振り向いた。
「じゃあこっちから訊くけど、なぜ貴女は此処に来たの? 捕まえる気だったの?」
「それは違うな」
へえ、という風にかざめは空を見上げた。
「約束してほしいんだ。無関係な人を殺めないって」
かざめはまた振り向いた。数歩進むと、そこで立ち止まった。
「それは私の主人の意向によるわね。まあ考えといてあげる」
かざめはまた歩き始めた。
「同胞が待っているわ。さようなら。私の妹」
そう言ってかざめは東の森に消えて行った。ひさめはかざめが消え去るまでその姿を眺めていた。
「じゃあな。姉貴」
※※※
珠梓が発した遠吠え。
西域はもちろん、遠く東域、北域にも響いたという。
その吠えは今から珠梓を心から愛した夫、定兼に向けた返事だったのかもしれない。
珠梓の遺体はその後、一度戌亥神社に預けられた。
春樹と六実が都に戻ってきたのは珠梓が息を引き取った直後だった。彼らも珠梓や都の状況を見て唖然としていたが、六実は珠梓の遺体を引き取ると言った。
「彼女の恨みを作った、私たちにも責任があります」
六実は遺体を引き取る際、そう言っていた。
しかし、六実の呪力が回復していなかったので、春樹は六実が回復するまでは戌井神社で預かると話していた。
間もなく、珠梓の遺体は吉備ノ島に移送された。
島の民は大蛇に驚愕し、恐れおののいたがもう動くことは無いと知らされると安心していた。
六実は姉の桃花に、珠梓と定兼を祭った神社を作ってほしいと請うた。
桃花は快く承諾してくれた。
彼女も過去の王族の血を引いている。珠梓に詫びる義務はあった、と桃花は後日カズへ贈った書状で語っていた。
如月中旬。事件から一か月経った日の事。
カズはお晴と喜平、そして千鶴と共に都に復興にいそしんでいた。
お晴のけがはだいぶ回復した。掃除屋の仕事はできなかった(都の復興で仕事どころではない)が、カズがつきっきりで看病したのだ。
一方、ひさめと春樹は所用があって同行できなかった。
カズは自分が住む長屋の立て直しの休憩中、空を見ていた。
空は快晴。冬の晴れは本当に清々しい。
隣に喜平がやってきた。
「お前何黄昏てんだよ」
喜平が肩を叩いたのに、カズは驚いて飛び上がった。
「いや、お晴さんけがはほとんど治ったけどまだ動きにくそうだし……」
「掃除屋の姉ちゃんは千鶴が面倒見てるから安心しろ」
そうだったな。
だが、同時にカズの頭にある疑問が浮かんだ。
事件の時は喜平に訊くことができなかったが、今なら……。
「なあ喜平。お前、路子さんに同行してたんだろ?」
「ああ」
喜平と千鶴が歴史家の路子と共に、吉里に向かっていたことは彼らからすでに聞いていた。
喜平と千鶴は何らかの形でカズたちに協力したかったという。そして、路子は自分のせいで大事件に発展したと思い、それを悔やんでいた。
彼らの思いが一致したのだ。
そして、彼らは過去の王朝があった吉里に向かった。
「でも、なんで僕らが上京にいるってわかったんだ? 都は碌に入れないはずなのに」
「黒い髪の忍びが現れたんだ。もちろん忍びの姉ちゃんじゃねえけど」
黒い髪の忍び?
その言葉を聞いてカズはふとある女の姿を思い浮かべた。
夏川かざめ……。
かざめは珠梓の事件中しばしばカズたちの前に現れたが、緋肋が殺されてからは何かとカズたちに手を貸していた。
かざめの事件中の行動についてひさめがこの前話してくれた。結論から言うと、かざめは自分の仲間を守るために協力したらしい。
ひさめは姉貴らしい行動だと笑っていた。
「本当に人の心ってわからないものだな、喜平」
「お前何言ってんだ。当たり前だろ。お前って人の気持ちを考えるのは下手なんだな」
とりあえずかざめはしばらく現れない。彼女は決して無差別に人を殺めるような忍びじゃない。
ひさめはそう言っていた。
「カズ、そこで何してんの」
鈴の音のような明るい声。振り向くとそこにはカズの相棒、清明晴が立っていた。
お晴は千鶴に肩を支えられていた。
「お晴さん、大丈夫なの?」
お晴の代わりに千鶴が答えた。
「お晴ちゃん、カズちゃんと話がしたいって聞かへんのよ。だから付き会うたって」
「ちーちゃん……」
カズは頷いた。
千鶴は喜平の手を掴んだ。
「さ、うちらはここから離れよか。邪魔んならんように退散するで」
「おい、いきなりやめろ」
千鶴に引っ張られる喜平に向かってカズは一言かけた。
「喜平、ありがとうな! お前があそこで巻物をくれなかったら、今頃僕らはおしまいだったよ!」
「おう!」
喜平と千鶴は長屋の方に姿を消した。
場にはカズとお晴だけが残された。
「で、話ってなんなの?」
「いや、あなたを見習いたいなってね」
見習いたい?
「僕ってなんかすごいことしたっけ?」
「あなたのおかげでこの国も、珠梓も救われたのよ。あれだけのことができる勇気はどこから来るのかなってね」
勇気……。
ただ、カズは無心になって珠梓に叫んでいただけだ。
決意を決めたら一気に進む。そうしただけだ。
「ま、答えられなくてもいいよ。あなたとは長い付き合いだし、少し考えれば分かると思うから」
お晴は言葉を言いきったが、まだ何か言葉が残っているようだった。ここは自分から話を切り出すべきだろう。
「お晴さん」
「なあに?」
「その……」
カズは言葉を選んでいた。
あの時、カズが珠梓に攻撃されかけた時、庇ってくれたのがお晴だった。
お晴はそのせいで傷ついてしまった。
「庇ってくれたときはありがとう。でも、僕を庇った代わりにひどいケガをさせちゃったね……」
「なにも謝ることないじゃない。ただ支えただけよ」
謝ることないって……。
「でも、お晴さんがケガをしたのは僕の責任だ。その分は僕が支えるから……」
カズは顔を赤らめた。
そして、その先が言えなかった。
お晴も同じく赤くなっていた。
彼女はさっきから言葉にしたいことがあるのに、言い出せないでいる自分に腹を立てているようだった。
***
一方、長屋の陰に隠れて喜平と千鶴はカズたちの様子を見ていた。
「なあ千鶴。掃除屋の姉ちゃんが……」
喜平は千鶴に話しかけようと千鶴の顔を見ると、彼は一瞬ビビった。
彼女は鬼の形相でカズとお晴を睨んでいたのだ。
「なんでさっさと気持ちを言わんのや……! グズグズするなんてカズちゃんとお晴ちゃんやないやろ……!」
「千鶴、ちょっと落ち着けよ」
千鶴の肩を叩くと、彼女はその形相を喜平に向けた。
「喜平さん、あんたはあの二人をどう引っ付けるんや?今すぐ答えてみい」
「ええ……? いきなりそんな話は無いだろ」
喜平は必死でぶちギレ寸前の千鶴を抑えていた。
千鶴は影でカズとお晴の関係を応援していた。
応援する理由はこの二人の相互の信頼が厚く、千鶴は深く感心したからだ。
多分、お晴の面倒を見るときにそんな類の話をしていたのだろう。
***
カズとお晴はお互い何も言えずにいた。
「お晴さん、その……」
言葉を必死で選んでいるとき、カズはふと顔を上げた。
長屋の陰で千鶴が恐ろしい顔で睨みつけていた。その隣で喜平が必死で千鶴の腕を引っ張っている。
な、なんだよ! なんか、僕マズイことでもしてるの!?
「お晴さん、ここを離れよう。身の危険を感じた」
「身の危険!?」
カズはお晴の手を取ると、すぐにその場から退散した。下京の正門がある南の方へ向かって桜通りを駆け抜けて行った。
下京の正門。カズとお晴は息を切らして門にもたれかかっていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう……」
お晴は顔を上げた。
「一体何なの? 身の危険って」
明らかに喜平と千鶴の様子がおかしかった。
「千鶴ちゃん、この世のものとは思えない怖い顔してたから……」
そうなの、というとお晴は座り込んだ。
ケガが完治していないのに無理をさせてしまった。
「ねえ、僕って千鶴ちゃんに何か悪いことした?」
「そういう意味じゃないと思うよ……」
意味がわからない。カズは額から出る汗を手で拭った。
「じゃあ、どういう意味なの?」
カズが再び訪ねる。
お晴は口を閉ざしたままだった。だが、しばらくして口を開いた。
「私が持っているカズへの気持ち……かな」
「気持ち?」
ふとお晴の顔を見ると彼女の顔は赤く染まっていた。
「そ、その……」
お晴は言葉を詰まらせている。
カズはなぜか心臓の鼓動が早くなるのを感じた。その時間は一瞬だったがカズたちにとって何時間にも思えた。
硬直を打ち破ったのはお晴だった。
「く、詳しくはまた今度話すね……」
そう言ってお晴は黙り込んでしまった。
そうだよね……。
今は、お晴は安静にした方がいいだろう。
カズはお晴を送り届けると手伝いに戻っていった。もちろん、喜平と千鶴を避けながら、だが。
(『封印されし想い』一件落着)




