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第30話 封印されし想い(成就)

 小椋湖を渡っている途中で夜は明けた。


 筏はカズ、お晴、そしてひさめの三人を乗せて対岸を目指していた。その先にある華の都を守るために。

 雲行きは怪しくなっていた。〈伊勢の森〉の時のような土砂降りの雨は降っていない。だが、風は次第に強くなってきていた。小椋湖には波が立ち、筏を揺らした。


 カズは深刻な面持ちでその様子を眺めていた。


「カズ、怖い顔してるけど落ち着いた方がいいよ」


 お晴が隣でささやく。


「落ち着いてるよ。でもこの感じ、伝説で見た雰囲気に似ていて……」

「それってまさか珠梓が処刑された後の厄災のこと?」


 カズは頷いた。その通りで、あの珠梓の伝説だ。珠梓の怨念による厄災がまた起ころうとしているのだろうか。


「でも、伝説の話でしょう?ただ単に偶然が重なっただけじゃないの?」

「だといいけど。すごく嫌な予感がする」


 その時だった。

 ひさめが声を上げた。


「対岸が見えてきたぞ!でも、なんか様子がおかしくないか?」


 カズとお晴は目を凝らして対岸を眺めた。

 大勢の人が都に向かって歩いている。何をしているのか初めはわからなかったが、対岸に近づくにつれそれは明らかになってきた。

 “大勢の人”はみすぼらしい着物を着ているところから察すると、近の集落に住む村人のようだ。

 一体何があったんだろう。


 カズたちは近くに会った桟橋に筏を接岸させると、すぐに村人たちのもとに向かった。


「すみません!」


 カズは近くを歩いていた村人を呼び止めた。振り向いたのは幼い子供を背負った若い夫婦だった。


「みなさん一体どうされたんですか?」

「私たちの村がやられたんだ。見たこともない、蛇の化け物に」


 蛇の化け物? まさか、珠梓か!

 夫婦はこう話していた。

 雷鳴が鳴り響き大雨が降りだすと同時に東の方から巨大な蛇の怪物が現れ、村を破壊しつくしたという。


「集落のほとんどの人がその化け物に食い殺された。私たちは命からがら逃げてきた」


 村人たちの逃げる先は華の都だという。若い夫婦を見送った後、カズたちは湖を眺めた。


「珠梓、今どこにいるんだろう」


 カズは呟くと、都の方を見る。あっちはどうやら晴れているようだ。


「まだ珠梓は都にはいないかもしれないな」

「いるにしても、いないにしても都に行くことには変わりないぜ」


 ひさめがカズの前に立った。


「そうだね。お晴さん、ひさめさん、都に急ごう」



 都へは東の峠を越えて入ることにした。淀野川からよりもこっちの方が早く都に辿り着けるからだ。

 峠の頂上に辿り着いた。峠からは都が一望できる。見るかぎり、都に何ら変わったところはなかった。

 だが、いつもならごった返している都なのに人っ子一人見えなかった。


「珠梓は来ていないみたいだけど、何があったんだろう」


 カズは目を凝らして都を見渡していた。


「あら、アナタたちこんな場所で何してるノ?」


 すぐ近くから妙に高い男の声がした。カズたちが振り向くと、厚化粧で振袖を着た人物が立っていた。

 それは華の都、上京で骨董商を営む男、喜久七。


「き、喜久七さん。あなたこそこんなところで一体何を……」


 カズは驚いていた。


「都近隣の住民に家の中に避難するように伝えまわっていたのヨ」


 避難って……?


 喜久七によるとお上の庁舎に謎の忍びが現れたという。その忍びは大蛇が都に襲来することを伝えた。

 お上の役人は初めは信じていなかった。しかし、突如都を訪れる農民が急増したのを受けて殿上人や奉行所に調査を指示した。


「その結果、伊勢周辺で大変なことになってるってわかったのネ」

「だから避難を呼びかけていたんですね」


 喜久七は頷いた。

 住民は今それぞれの家の中に身を潜めているという。

 一方、四方の都に入るための門は奉行所の役人が警備に当たっていた。都に避難してくる村人には近くの村に避難するように指示しているという。


 でも一体その忍びって……。


「姉貴だな」


 ひさめが腕を組んでいた。


「多分、姉貴が事の大きさを伝えるために仕向けたんだ」

「なんでそれがわかるの?」

「これは姉貴をよく知っているおれの推測だけど」


 かざめ本人も珠梓を止めるために動き出していた。

 かざめが慕っていた緋肋はもうこの世にいない。もう自分や仲間の忍びを助けるには自分が動くしかない。

 そう考えていたのだろう、とひさめは言っていた。


「ま、姉貴ならやりそうなことだ。しかしお上に手を出すとはよく考えたな」


 しかし、肝心の都に入ることができるかどうかが問題だった。

 都は今厳戒態勢。見張りの役人はそう易々と入れてくれないだろう。


「強行突破する?それとも、忍びみたいに入る?」


 ひさめは首を振った。


「確かに忍びみたいに入れば怪しまれずに済むかもしれないけど、何度も同じことをすればすぐにバレる」


 カズとひさめの話に喜久七が割って入った。


「そうそう。さっきから気になってたんだけど、アナタたちは何していたノ? 大蛇がどうとかって話みたいだけど」

「僕たちも大蛇を追いかけているんですよ。その大蛇が都を目指してるみたいなんで」


 カズの言葉に喜久七は少し考える素振りを見せた。


「アナタタチ、これから都に行くのネ?」

「ええ」


 そういえば喜久七なら何とか都に入るための口添えとかできないだろうか。

 鯱像を奪った空き巣を捕まえる時も喜久七に協力してもらった。

 訊いてみることにした。


「喜久七さん、申し訳ないんですけど僕たち都の中に入りたいんです。門番の人に伝えてくださいませんか?」


 喜久七は考え込む様を見せた。


「わかったワ。今からワタシ愛用のハトちゃんに手紙を持たせるから」

「ありがとうございます!」


 ここから一番近い門が東側の門だ。その後喜久七は書状をしたため、ハトに乗せて送ってくれた。


「アナタたちが東の門に着く頃にはハトちゃんが手紙を届けてくれてるはずヨ」

「喜久七さん、お気を付けて」


 カズたちは喜久七に軽く会釈すると急いで都に向かった。



 華の都。東の門。

 下京の東側に続く門には門番が立っていた。カズたちの姿を見ると道を開けてくれた。どうやら喜久七が飛ばした伝書バトが言伝を渡してくれたようだ。


 一方、都の中は峠から見たように誰一人と手外に出ていなかった。

 木枯らしが吹き抜け、枯れ葉が舞っている。住民たちは皆家の中で身を寄せ合っているのだ。


「まだ珠梓が襲ってきてないのが幸いね」


 お晴はあたりを見渡している。


「うん」


 カズは一つ頷いて見せたが、いつまでこの状態が続くのか予想できない。

 珠梓はもうすぐそこまで来ているのだ。

 しかし、今はどう珠梓を止めるか考えをまとめていなかった。


「これからどうするかはひさめさんのお茶屋で決めようよ。いいよね」

「了解。ここから一番近いのはおれんち茶屋だからな」


 というわけでカズたちはひさめのおばあちゃんが経営するお茶屋に行った。

 もちろんお茶屋も閉められていた。

 ひさめはお茶屋の鍵を開けて中に入った。


「ばあちゃん、元気か」


 お茶屋の中の居住部屋にはひさめの祖母がお茶をすすって休んでいた。


「ああ、ひさめか。カズちゃんにお晴ちゃんも」


 おばあちゃんは元気そうだ。


「お前さんら伊勢に行ってたんだって?弥吉さんから聞いたよ」


 弥吉さん何時の間に伝えてたんだ……。やっぱり弥吉さんの伝達力はすさまじいものがある。というか町人の情報伝達力はすごいのだが。


「ばあちゃん、街の外に誰もいなかったけどやっぱり都に近づいてる大蛇のせいか?」


 あらためてひさめは尋ねた。

 喜久七から訊いたり、カズたち自身も推察したりしたことなので分かり切っていたがあえて訊いた。

 あえて訊いたのはおばあちゃんの様子を窺うためだった。


「ああ。ばあちゃんも気が気でないけど弥吉さんも鯉のぼりのおっちゃんも不安がってたよ」


 その後も話は続いたが、やはり皆体を寄せ合って事が過ぎるのを待っているようだ。

 さっき「事が過ぎる」といったが肝心の珠梓はまだ都に現れていない。都の人々は目に見えない恐怖に怯えているのだ。


「このままだと寿命が縮むよ。お前さんたちどうにかしておくれ」


 おばあちゃんたち都の人のためにも、珠梓を止めないと。


「そうそう、喜平ちゃんとちーちゃんが都を出てったよ。数日間戻れないって」

「なんで?」


 おばあちゃんは肩をすくめた。


「あの子たち何も伝えずに出て行ったからね。ばあちゃんわからなかったよ」


 カズたちは居間で台を囲んで作戦会議を開いた。どうやって珠梓に夫の気持ちを伝えるかだ。


 カズは話を切り出した。


「どこで珠梓に定兼のことを伝えるかだな。都の高い所で伝えたいんだけど」

「都で高い所といったら下京なら火の見櫓、上京ならお上の宮殿なり庁舎よね……」


 お晴は腕を組んで天井を見上げていた。


「でもこんな時に上京は入れるわけないし……」


 お晴は通行許可証を持っていて、それがあれば上京に入ることができる。だが、都中が厳戒態勢の中で、〈天竜の門〉の番人がカズたちのような町人を入れてくれるはずがなかった。


「一番いいのは火の見櫓かもね。もう珠梓は都近くまで来てるかもしれない」


 櫓であればひさめのお茶屋の裏手にある。だからそこで珠梓が来たらすぐに呼びかけられる

 そしてカズは心に決めていた。珠梓に呼びかけるのは自分だと。

 

 その時は、突然やって来た。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 突如床が小刻みに揺れ始めた。


「地震!?」


 カズが立ち上がる。しかしひさめはすぐにカズを制した。


「おれが見てくる。カズ、おまえはお晴とここにいろ」

「うん」


 今は落ち着いて事に対応するべきだ。ひさめはお茶屋を出て行った。


「まさか、来たのかな」


 お晴が小声でカズに話しかける。


「かもね。こっちもすぐに出られるようにしようよ」


 カズとお晴は決戦の準備に取り掛かった。


 程なくしてひさめが戻ってきた。ひさめは険しい顔をしている。


「奴が現れた。下京の正門前にいる」

「街はどうなっているの?」


 ひさめによると外はお上直属の兵である奉公衆が固めているという。しかし、珠梓の力のことを考えるとそう長くは持たないとみていた。


「すでに戦いは始まっている。今ならすぐに櫓に行ける。行こうぜ」



 カズたちは外に出た。

 ひさめの言ったように既に奉公衆や警備兵が珠梓に戦いを挑んでいた。どさくさしている時の方が実は行動しやすい。

 ひさめはそう言っていた。

 実際その通りで、奉公衆の警備兵もカズたちの動きは眼中になかったようだ。

 そのおかげですぐに火の見櫓に到達できた。


 櫓の前でカズはお晴とひさめに呼びかけた。


「二人とも、ここで見張っててくれない?僕は上に登って珠梓に呼びかけるよ」


 お晴とひさめは了解してくれた。


「カズ、無理しないでね。ダメだったら私たちで何とかするから、あなたは上京に向かって」


 カズはそれを確認すると櫓の梯子を上り始めた。

 火の見櫓の頂上。

 ここから下京一体を見渡せる。


 下京の桜通り方面には巨大な大蛇が暴れまわっていた。

 大きな尻尾で兵士という兵士をなぎ払い、一部の兵士は建物ごと口の中に放り込んでいた。


 一方で街はひどい有様になっていた。カズは思わず息を呑んだ。

 下京のあちこちの家屋が踏みつぶされていた。南西の南蛮商人街も、南東の長屋街も……。


 長屋街!? あそこはカズの長屋がある。

 そして、長屋街の奥の方(ここでは下京の南の入り口)には弥吉の食堂がある……。

 都は今お上が住民たちに家の中でじっとしているように命じていた。

 その隣には下京一のチンピラ、入江成樹の長屋もある……。奴は秋以降もしばしば嫌がらせをしてきていたが……。


 カズは我を失い、呆然と立ち尽くしていた。思わず膝を落としてしまった。


 そんな……。


 強大な力の前にカズは為す術がない。

 そんな衝動に駆られた。そのせいで自分が何をすればいいかもわからなくなった……。


 弥吉さん……、成樹……。


 カズは後ろから上ってくる足音に気付かなかった。

 そして。


 ガンッ!


 何かで頭を強く叩かれた。

 カズの意識が遠くなる。

 意識が遠くなる途中、カズは誰かに強く手を引かれるのを感じ取った。

 だがその手の温もりは暖かく、柔らかかった。


 ***


「カズ! いい加減に起きなさい!!」


 甲高い声が暗闇を切り裂いた。

 声に驚き、目を開ける。その前には鋭い剣幕でカズを睨みつける相棒がいた。

 彼女は腕を組んでいる。


「お、お晴さん……」


 カズは眠気から覚めていないので、かすれ気味の声でそう言った。

 お晴の右手がカズの頬に直撃した。


「『お晴さん』じゃない!何であんなところで立ちすくんだのよ!」

「そ、それは……」

 

 カズはヒリヒリする頬を押さえ、戸惑っていた。

 彼が応えられないのを察したのか、お晴は大きなため息をついた。


「目の前の惨状が理解できなかったんでしょう?あなたにとってあんな光景は初めてのはずだったから」


 お晴はカズの隣に座った。

 次に放たれたお晴の声はさっきまでのものとは違って、とても優しいものだった。


「私も目を疑った。みんなもうダメかもしれない……」


 お晴は顔を上げて、カズを見つめた。


「今は心配しても仕方ない。弥吉さんも下京のみんなも、みんなを守ろうと必死なのよ」


 その時カズは〈伊勢の宮〉でひさめに言われたことを思い出した。


 ――今は心配しても仕方ないだろ


 今は心配しても意味がない。

 目の前にいる強大な敵に立ち向かうしかない。

 お晴は立ち上がった。

 そしてカズに手を貸した。


「あなたの欠点は怖いものが嫌いって以外にもあったみたいね」


 カズは手を引かれて立ち上がった。今なら落ち着いて物事を考えられる気がした。


「物事がうまくいかなくなると我を忘れる、だね」


 お晴は微笑んだ。


「よくわかってるじゃない。あなたはいざというときの勢いはいいんだけど、それがうまくいかないくなると自分を見失うからね」


 そしてお晴はカズの両肩に両手を置いた。


「でも、こんな時こそ落ち着いて」


 --あなたは私を支えてくれてるけど、私だってあなたを支えてるんだから


 ありがとう。心の中でカズは改めて相棒にそう言った。



 お晴にカズの目が醒めるまでのことを訊いた。

 あの時カズの頭を殴ったのはお晴だった。

 その後、腕を強引に引いて櫓から飛び降りた。ケガをせずに済んだのは〈壁数珠〉のおかげだった。


 カズたちがいるのは上京の路地。

 大きな屋敷に挟まれていて、路地にしては広かった。


 ひさめは今上京を走り回って珠梓に呼びかけられそうな場所を捜しているという。

 珠梓は下京を荒らしまわっていた。

 上京に来るのも時間の問題だとお晴は言っていた。


「私たちはひさめさんを追いかけようよ」


 お晴はこっちを振り向いた。

 カズは頷いた。もう心に決めたのだ。



 ひさめは案外すぐに見つかった。

 だが、そのひさめの様子がおかしかった。

 とりあえず、ひさめに呼びかける場所が見つかったかどうか尋ねた。


「王宮だ。そこが一番目立つし、珠梓に呼びかけるのには最適だ」

「でもどうやって入るの?あそこ警備堅いし、殿上人以外は入れないのよ」


 お晴が訊く。だが、そのお晴の内容がひさめを悩ませていた。


「そこなんだよ。多分、庁舎の裏手から入るしかないだろうな」


 その時だった。


 轟音と共に上京と下京を分け隔てている〈天竜の門〉が崩れ落ちた。

 土煙の中から巨大な大蛇が現れた。


 珠梓だ。


「くそう!来やがったか!」


 ひさめが歯を食いしばっている。


 こうなれば……。

 カズはある事を心に決めていた。


「お晴さんとひさめさんは僕の守備を頼む。僕は珠梓に呼びかける」

「カズ、あなた本気なの!?」


 お晴が声を上げているが、カズは頷いた。


「もう今しか機会はないと思う。だからお願い!」


 お晴は微笑んだ。


「思い切りのいいところはあなたの一番の良さよ。わかった」


 お晴がひさめにそれでいいか訊く。

 ひさめも了解したみたいだ。


 これで準備は出来た。カズたちは前を向く。巨大な怪物、珠梓はカズたちのすぐ目の前まで迫っていた。


 カズは気持ちを落ち着けた。

 気持ちを落ち着ける。今の自分に一番必要なことだ。

 〈伊勢の宮〉で相手の隙を窺った時みたいに気持ちを静める。


 そして。


「珠梓!聞いてくれ!」


 カズは都中に響く大声で珠梓に呼びかけた。珠梓はその言葉に反応したのか、動きを止めた。


「どれだけあんたが暴れようと、夫は戻ってこないんだ!成仏すればあんたも夫と会える」


 だから……!

 カズが次の一言を放とうとした、その時だった。


「カズ!離れろ!」


 ひさめの声が後ろから響いた。

 とっさに振り向こうとする。

 ところがカズは隣から物凄い力で吹っ飛ばされた。彼は数尺ほど離れた所に体を叩きつけられた。

 痛む箇所を抑えながらカズは立ち上がる。だが、カズの目の前はすさまじいことになっていた。


「お、お晴さん……」


 お晴はカズよりももっと離れた所で倒れていた。隣にひさめが寄っている。


「お晴さん!」


 カズは急いで彼女のもとに走る。

 お晴は傷だらけで額から血が流れ、ぐったりしていた。


「ひさめさん。お晴さんはどうしたの」

「大丈夫、急所は外している。こいつ珠梓がお前に攻撃してきたのを庇ったんだ」


 お晴さん……。

 だが、ひさめの一言はカズが心の中で呟く隙を与えなかった。


「カズ、ここは危ない。一旦奥に逃げるぞ」


 ひさめはお晴を背負い、宮殿の方に走りだす。カズも後を追いかける。

 珠梓の目が届かない大きな屋敷の裏にカズたちは隠れた。


 お晴を安静なところに寝かせた。


 お晴の容体を窺いながら、カズは珠梓のことを考えていた。

 なんで襲ってきたんだろう。まさか、通用していなかったのか……。

 カズはひさめに理由を訊いてみた。

 だがひさめは「さあな」というように手のひらを上げた。


「でも、あいつが夫を愛していることは間違いねえ。ちっとばかしの理性はあったようだな」

「じゃあなんで気が変わって襲ってきたの?」


「珠梓はこの国自体を恨んでるの。国を滅ぼすまで死ねないのよ」


 その声はひさめのものではなかった。

 カズとひさめは顔を上げた。二人の目の先には髪の長い、緑の着物の女性が立っていた。


「路子さん、どうしてここに?」

「オレらが頑張ったからだよ」


 路子の後ろから水色髪の青年と、藍色の髪を束ねた少女が現れた。


「喜平に、千鶴ちゃん!?一体どういうことだよ」

「詳しくは後で話す。カズ、これをあの化け物に向かって叫ぶんだ」


 喜平は白い巻物をカズに投げつけた。カズはそれを受け取る。

 巻物を広げるとこう書かれてあった。


 ――わが愛する妻、珠梓。お前を酷い目に遭わせたのは私の責任だ。

 ――恨むなら私を恨め。私を殺せ。そして黄泉の世界でまた平穏に暮らそう。

 妻を愛す夫 定兼


「それは珠梓の夫の日記の一文よ。彼が珠梓を心から愛していた、何よりの証拠」


 路子がそう言ってくれた。


 その時だった。

 カズたちの前にある大きな屋敷が音を立てて崩れ落ちた。

 そしてその先には大きな大蛇が現れた。珠梓のその敵意のこもった目にカズたちの姿が写っていた。

 彼女の狙いはカズたちだ。


 カズは気持ちを切り替えた。もう機会は無い。


 珠梓の目の前に立つ。

 精神を落ち着かせ、珠梓に心の目を合わせた。そしてこれまでにもないほど、思いっ切り気持ちを込めた。

 込めた気持ちを一気に吐き出す。


 ――わが愛する妻、珠梓。お前を酷い目に遭わせたのは私の責任だ。

 ――恨むなら私を恨め。私を殺せ。そして黄泉の世界でまた平穏に暮らそう。


 その言葉に辺りが静まり返った。

 カズは目を閉じていた。心臓の鼓動は徐々に高鳴っていく。

 しばらくして、カズはゆっくりと目を開けた。

 

 珠梓の目にはカズが写っていたが、敵意は感じられなかった。


「珠梓、これがあんたの夫の気持ちだ。あんたのその姿を見て夫が喜ぶと思うか?夫は幸せに眠れると思うか?」


 だから……。


「安らかに夫のもとで眠ってくれ」


 カズの声は落ち着いていた。

 これまでの張りつめた空気は一気に解放された、そんな感じだった。


 珠梓は大きく吠えた。


 そして珠梓の巨体がゆっくりと横に倒れ込んだ。

 土煙が辺りに広がる。

 しかし、カズはずっと珠梓の様子を見ていた。


 土煙が晴れる。珠梓は目を閉じ、安らかに眠っていた。


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