第29話 封印されし想い(相愛)
〈伊勢の森〉。
樹海の中に少年は仰向けになっていた。
近くの巨木には白い直衣の神主がもたれかかっている。
「春樹さん、大丈夫ですか」
カズは巨木にもたれかかる春樹に声をかけた。
「なんとか。落下時に〈壁数珠〉を使ったのが功を制したよ」
それならよかった。
だが同時に不安も再燃した。
お晴のことだ。
彼女はカズたちが飛び降りたところから樹海に落下したらしいが、周囲にお晴らしき人影はなかった。
「お晴さん、無事だといいんだけど……」
その時、カズと春樹の前に忍びが巨木の上から降りてきた。
黒髪の忍び、夏川ひさめ。彼女の背中には古代王家の血を継ぐ巫女、姫島六実もいた。六実はうつろな目で辺りを眺めていた。
「ひさめさん、六実さんは大丈夫?」
「ああ。意識はあるみてえだ。〈天険賊〉に操られていたみたいだが今はその暗示も解かれている」
ひさめは両手を腰に当てた。
「しっかし、相当力を使ったみたいだな。呪術を使えないおれでもわかるぜ」
そういえば一つ気になることがあった。
夏川かざめだ。彼女はどうしたんだろう。
ひさめに訪ねてみると、彼女はさあな、というように両手を上げた。
「見てないけど社から脱出したんじゃないか? 姉貴は部下思いだからあんなところで死ねないと思ってるだろ」
じゃあもう社はもぬけの殻か。だが珠梓がまだ残っているかもしれない。一方でひさめはカズが姉のことを訊いたので、それが気になっていたようだ。
「でもなんで姉貴が気になったんだ? 幾ら緋肋を信頼していたとはいえ敵なんだぜ?」
「それはわかってたけど、緋肋の亡骸にすがって泣く姿を見たらちょっとかわいそうに思ってさ」
「そうかもしれねえな」
カズはかざめが緋肋を支持し、慕っていたことはひさめから聞かされていた。
だがあのかざめの姿を見て身震いした。
かざめは心から緋肋を愛し、彼のためになろうと必死だったのだ。
「出たんなら別にいいんだ。あんなところで死んでしまったら償いもできないから」
そうは言ってはみせたが、カズの言葉に特に意味はなかった。
「それよりお晴さんだ。第四層から落ちたのならこの辺りにいると思うんだけど」
「そうだな。おれたちでお晴を捜そう」
カズは頷いた。
しかし捜すのは不要だった。
「私は大丈夫」
どこからか明るい声がした。
森の方からだ。
「お晴さん?」
思わずカズから声が出る。
茂みの奥に人影が現れた。次第にその影ははっきりと姿を現した。
青い着物に栗色髪の少女。少女は紅葉柄の鉄扇をあおいでいた。
カズにとって信じられない光景だった。
「お晴さん!」
カズは思わず走り出した。
「本当にお晴さんなんだね!? 生きてるんだよね!?」
「ええ……。なんでもそこまで驚くことないじゃない」
よかった……。
カズは安堵の表情を浮かべた。そして目に少しばかり涙を浮かべると、
「佐茂がお晴さんは落下したって言ってたからさ。相当高かったし、もう死んでたかと」
「あなたも知ってるでしょう?私そんなヤワじゃないから」
お晴は笑っていた。いつもの明るくて優しいお晴だった。
見たところケガはしていないようだ。
「落ちた時に〈壁数珠〉を使ったの?」
「ええ。あと木の上に落ちたみたいで、衝撃は和らげられたようね」
その後お晴はカズたちと再会するまでの出来事を話してくれた。
落下後、彼女はずっとこの近くで隠れていたらしい。また上ってカズたちを追いかけようと思ったが、彼女の周りでうごめく影があったという。
「誰かはわからなかったよ。でも忍びみたいだったからずっと隠れてたの」
多分、その忍びはかざめだろう。
彼女は社を目指していたのだ。そして今度はお晴が質問があるという。
「あなたたちは頂上に行ったんでしょう。珠梓、どうなったの?」
「話すとすっごく長くなるけど、いい?」
お晴は一つ頷いた。
どうやら問題はないようだ。
一呼吸置き、カズはお晴と別れてからの出来事を時間を追って話し始めた。
カズと春樹は最上層で緋肋、そして操られた六実と遭遇した。
緋肋から一度は〈封じの勾玉〉を奪うことに成功したものの、直後の六実の反撃でカズは体ごと社から吹っ飛ばされた。
「で、落ちたところをひさめさんに助けられたんだ」
「私より高い所から落ちてよくケガをしてないね。〈壁数珠〉を使ったの?」
カズは首を振った。
運よく木の上に引っ掛かり、そのまま気を失っていたと返しておいた。その後カズとひさめは社の頂上まで登った。
だがその時二人の目に映ったのはとんでもない光景だった。
「佐茂が緋肋を殺したんだ。お晴さんの言うとおり、あいつは緋肋を利用しただけなんだ」
お晴は何も言おうとしなかった。
カズは続けた。
「そして佐茂は六実さんを使って〈封じの勾玉〉を解放した」
お晴は腕を組んで考え込む様子を見せた。
「じゃあさっきの光は解放した時のものだったのね」
強い発光をお晴も見ていたという。
辺り一面が真っ白に光り、樹海のケモノというケモノが一斉に騒ぎ出したという。
カラスは飛び上がり、狼やイノシシはあたりを駆けまわった。
珠梓の姿はまさに大蛇そのものであった。その姿にカズやひさめたちは動くことすらできなかった。
解放直後、かざめが緋肋を救出しに来たが既に遅かった。佐茂は珠梓にかざめを仕留めるように命じた。
「だけど珠梓は佐茂の意に反して佐茂を殺し、丸呑みした」
その言葉にお晴は息を呑んだ。
珠梓は理性というものを持ち合わせていなかった。
危険を察知したカズたちはお晴が突き落とされた第四層から脱出した。
「そしてここまでに至ると。かなり飛ばし飛ばしの説明だけど、こんな感じだった」
「てことはもう佐茂は死んだのね……」
お晴の力ない一言にカズは頷く。彼女は顔を俯けていたが、すぐ上げた。
「でも、珠梓はまだ止まっていない」
そしてカズの方に顔を向ける。
「私も珠梓を倒すまで一緒に戦うよ。いいよね」
もちろんだ。カズは大きく頷いた。
その時だった。
突如森から鳥獣がざわめく音が響いた。
森の上にカラスが舞い上がり、森の奥でイノシシや猿が慌てふためくように動き回っている。
「な、なんだ!?」
カズは異変に驚きを隠せなかった。
「多分珠梓が動き出したのよ。珠梓が現れた時も森のケモノが暴れていたから」
お晴がそう言った。
じゃあ珠梓は社から出るのか。
「おい、二人とも」
カズたちの前にひさめがやって来た。
「おまえら一旦森に隠れろ。珠梓が社を出た」
「珠梓を見てきたの?」
カズが尋ねてみるとひさめは頷いた。
カズとお晴はひさめに言われたように茂みに隠れた。春樹と六実は二人で手分けして運んだ。
春樹はだいぶ歩けるようになったが、六実の意識はまだ戻っていなかった。
カズたちは茂みに隠れたが、一方のひさめは珠梓を監視すると言ってみんなのもとを一度離れた。
しばらくして鳥獣のざわめきが止んだ。
カズは茂みから少し顔を出した。周囲は静まり返っている。さっきまでのざわめきが嘘のようだった。
「珠梓、どこかに行ったのかな」
後ろからお晴の小声が聞こえた。
「さあね。嫌な予感はするけど」
嫌な予感はしていた。まだ近くに珠梓がいるかもしれない。
ひさめが様子を見に行ってくれているからじきにわかることだが、それでも怖かった。
「もう出ていいぞ」
ひさめの声がした。
見上げるとひさめが立っている。
カズたちに指示した時のような、深刻な表情は消えていた。
カズたちは茂みから出た。
「ひさめさん、珠梓はこの近くから離れたの?」
「ああ。北西の方に向かって動き出した」
北西か。
カズは反射的に腕を組んだ。
〈伊勢の宮〉から北西といえば華の都……。
「まさか、珠梓は都を目指したの?」
しかしひさめは首を振った。
「まだわからねえな。そもそもあの怪物に意思なんかあるのか?」
「確かに意思は感じられなかった。本能に身を任せて動いてたよね」
あの勾玉には珠梓本体が眠っていた。
「カズ君、ひさめちゃん」
声に振り向くと春樹が枝の切れ端を杖代わりに歩いてきた。
「仮に意思があるとしての話だけど、珠梓には夫がいたはずだ」
「夫って確か、伝説に出てくる山下定兼って人ですよね」
春樹は頷いた。
定兼は珠梓の夫で大蛇であった彼女の心を許し、妻とした人物だ。
伝説では彼は珠梓が大蛇であることが都中に知れ渡り、珠梓をかくまったとして彼女と共に処刑された。
「定兼の事を思い出させれば珠梓を止められるかもしれない」
珠梓にカズたちが束になってかかっても勝ち目はないだろう。
仮に息の根を止められたとしても怨霊は残り続け、何の解決にもならない。
そうであれば夫のことを伝えるしかない。夫はこの世にはいない。恨み続けても、夫は戻ってこないのだ。
カズはみんなの前に立った。
「とにかく、珠梓を追いかけよう。あいつを止めないとこの国が危ない」
春樹は回復し次第六実を連れて追いつくと言っていた。
春樹のことは心配だったが、今は珠梓を止めるのが先だ。春樹にここは任せ、カズとお晴、そしてひさめの三人は珠梓を追いかけることにした。
三人は伊勢の宮の正面に来た。目の前では息を呑むような光景が広がっていた。
密林の木々がなぎ倒されていたのだ。
木々はまるで何者かが歩いたかのように山脈に向かって一直線に倒れていた。
直線の先には珠梓が進んで行く姿が見えた。
歩くたびに木々が轟音を上げてなぎ倒されていく。
「これって珠梓が歩いた痕だよね。凄まじい力……」
カズは言葉を失っていた。
大蛇の力は想像を絶するものだった。その時、カズは誰かに肩を叩かれた。
「カズ、怯んでる場合じゃないよ。相手がどうだろうと追いかけないと」
お晴は覚悟を決めていたようだった。
「そうだね」
カズの声に呼応するかのようにひさめが口を開いた。
「じゃあおれは珠梓を足止めする。先に行ってるぞ」
「わかった。でも無理しないでね。多分、天険賊の比じゃないと思うから」
おう、とひさめは軽く手を挙げて握った。そして飛び上がると密林の中に消えて行った。
カズとお晴は互いに向かい合い頷くと、走り始めた。
珠梓の動きは速かった。
カズたちが動き出したころにはもう山脈の麓に到達していた。
珠梓が木々をなぎ倒したおかげで、障害物がほとんどなくて動きやすかったのが幸いだった。
一方、空は不穏な空気を告げていた。
雲行きが急に怪しくなり、辺り一面を暗くした。風が次第に強くなり、密林に大雨が降り始めた。
まるでそれは伝説に出てきた珠梓の怨念のようだった。カズとお晴はそれでも走った。珠梓を止めるために。
山脈に辿り着く頃には周囲は夜になっていた。
珠梓はそこにはいない。
奴がどこに行くかはわからないが、このまま西に進めば華の都に到達してしまう。
二人は〈鈴の関〉を超えて小椋湖畔を目指していた。
「カズ、何とか先回りできる方法はないかな」
お晴が尋ねる。
「多分だけど小椋湖の船を使えば時間の短縮ができる。それでなんとか」
あと、ひさめもいる。
「そうね。でもひさめさんが心配だね……」
ひさめは緋肋や佐茂以上に凶悪な敵を相手しようとしている。足止め程度とはいえ、かなり危険だ。
だがその嫌な予感は的中していた。
小椋湖の湖畔に辿り着いた時には既に夜中だった。満月も出ている。
湖畔の草原に出た時だった。
湖畔で誰かがうつぶせに倒れている。体中濡れていて、周囲の草も濡れていた。倒れているのは長い黒髪に、忍び装束の女だった。
「ひさめさん!」
声を上げたカズとお晴はすぐにひさめのもとに駆け寄った。ひさめは傷はあまりなかったが、気を失っているようだ。
お晴が懸命に体を揺する。
「ひさめさん、しっかりして! 何があったの!」
ひさめの閉じられた瞼が動いた。そして目が開く。
「お、お晴か……。カズも……」
「よかった」
お晴は安心したようだ。もちろんカズ自身も。
ひさめの安全を確認するとカズはひさめに何があったか訊いた。
「やっぱり珠梓に?」
「ああ、すまねえ」
ひさめは体についていた埃を振り払った。
「あいつ、手当たり次第に荒らしまわってやがる。夫を殺した恨みを晴らすようにな」
その力は強大すぎてひさめの腕を以てしても対抗できなかったという。
「それで珠梓はどこに行ったの?」
「湖沿いに進んだよ。あいつ、佐茂みてえに破壊の限りを尽くすつもりらしい」
カズはひさめに手を貸すと、彼女は立ち上がった。
「間違いなく、あいつは都に突っ込むぜ」
「じゃあ、船に乗って対岸に急ごう」
ひさめは頷いた。
カズたちが〈伊勢の宮〉に行くときに使った筏が湖に泊まっていた。
三人は筏に乗り込むと、都を目指して対岸に向かった。
残された時間はあとわずか。頼む! 間に合ってくれ!
©️ひろ法師・いろは日誌2018




