第21話 大蛇と勾玉(前編)
雪がちらつき始める師走。流行する感冒でお晴が動けなくなり、カズはひとりで戌亥神社に掃除の仕事に向かう。そんな時、神社にたたずむ一人の男がいた。
季節は師走。カズは人通りの少ない下京を、寒さをこらえながら歩いていた。人通りが少ないのはそのせいかもしれない。
だが、もう一つ理由があった。
さっきカズはお晴の長屋に行っていた。彼女は冬の風物詩にもなっている感冒に罹ってしまったのだ。
そのため彼女は仕事ができず、今は寝込んでいた。
お晴は今日の仕事はやらなくていいと言っていたが、カズは仕事を引き受けると告げた。彼女からもらった依頼書を片手に持っている。
そう、街行く人が少ないのは流行性の感冒のせいだった。
この流行性感冒は世界的に流行していて国内でも凄まじい猛威を振るっていた。華の都では住民の四分の一が感染し、今日の仕事は休みにする人が多かった。お晴の話では喜平も千鶴も、ひさめまでもが罹ってしまったという。
この件に関し、お上は無用な外出を避け、感染者は安静にするように指示した。療所は患者で一杯になりまともに機能しているところはなかったからだ。幸い、毒性が強くないのが救いだった。
今日の依頼は久しぶりに戌亥神社からだった。雪が積もる鎮守の森を抜ける。
境内には春樹と男が一人向かい合っていた。
その男は一礼すると、その場を離れた。物憂げな表情のその男は神社を後にした。
すぐに春樹のもとに挨拶に行く。
「春樹さん、久しぶりです」
春樹は少し考え込んだ表情だった。カズの声は耳をすり抜けてしまった。
「春樹さん!!」
「あ、ごめん」
春樹の耳元に大声で叫ぶと、ようやく春樹は気付いてくれた。
カズはため息をつく。
「今日はお晴ちゃん休みなのかい?」
「ええ。流行病にやられて、昨日から」
少し話し込んだ。感冒は洛外でも猛威を振るっており、春樹によれば家族や友人の病気の治癒祈願でここを訪れる人も多いという。
「で、さっきの人も病気の治癒祈願で?」
「……」
春樹は渋っていた。あまり話したくないようだ。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。あんまり、ほかの人に話してほしくないんだけど」
春樹はさっき話し込んでいた男について話してくれた。
さっきの若い男は滝沢浅邦。近くの宿場町でそば屋を営む青年だという。
彼がこの神社に来た理由は人捜しのことだった。一週間前から彼の幼馴染が行方不明になっていて、彼女が見つかるように祈願してほしいと頼まれたという。
「カズ君は土岐村路子さんって人知ってるかい」
「ええ。名前だけなら」
「浅邦の幼馴染が彼女なんだけど」
路子はこの国の歴史研究者として有名で、彼女によって判明した史実も多い。
また、彼女の名はこの国の支配者層にも知られ、彼らに歴史を教えたりもしていた。
普段は都周辺の学び舎や寺子屋で歴史の師匠をしていた。
カズも彼女の名前は知っていた。華の都の学び舎や、村の寺子屋に掃除に行ったときに彼女の名前をよく見かける。
しかし彼女の稼ぎは良くなく、浅那のそば屋を手伝いながら生計を立てていた。あくまで彼女は庶民であり、位の高い人に歴史を教えても稼げるお金は限られていた。
寺子屋への出張や史料集めで外出するときは、いつも書き置きを残していたという。今回も例に溺れずそうだった。
だから、浅邦も初めは気にしてなかったらしい。
でも、一週間経っても帰ってこない。心配して近くの自身番に捜査の依頼をしたのだが、役人が感冒で全滅していて手の打ち様がなかった。
仕方なく街の人と手分けして捜したが、彼女は見つからなかった。
「それは気の毒に……」
カズは手をこすりながら雪がちらつく空を見上げた。空は暗い雲に覆われている。口から白い息が出る。
「じゃあ、掃除頼むよ。今日は結構大変だから」
掃除はかなり時間がかかった。大量の落ち葉に祠内部の掃除。屋根裏の落ち葉を掃くのは大変だった。祠の裏には雪が大量に積もっていた。これを見るだけでも嫌になる。
全ての仕事が終わるころには、もう周囲は真っ暗になっていた。
お晴がいない状況でやると骨が折れる。一人で掃除屋をしたことは幾度とあったが、今日のは特別に疲れた。
春樹から報酬を受け取る。
「春樹さん、その浅邦さんのそば屋さんはどこですか? できれば手助けをしたいんですけど……」
「君といいお晴ちゃんといい、本当に人助けが好きなんだね」
「お晴さんと仕事をしているうちにうつっちゃいました」
「街道沿いの羽見っていう宿場町にある。都からすぐ近くだ」
「ありがとうございます」
春樹にお礼を言ってカズは家路に着いた。
***
翌日。仕事を済ませた午後、カズは宿場町羽見に赴いていた。どんよりとした空に雪が少し舞っている。街道では道行く人はいるものの、いつもより数少なく、まばらだった。
宿場町羽見。
雪は積もっていないが、とても寒い。宿場町ということで旅人や商人は見えた。旅籠屋や料理屋が点在する中に『たきざわ』と旗が立っている店があった。
戸をゆっくりと開ける。中に二十代半ばと思われる青年が店番をしていた。
彼は奥の厨房で腰掛けながら写真を見ていた。
カズ以外に客はいないようだ。
「客か」
誰もいないのに店主の態度は冷ややかだった。
いや、冷ややかというより表情そのものが暗かった。
素直に喜べないのだ。
彼がこの店の店主、浅邦だった。
でもどうする。
直接訊き出すよりは、お客として接する方がいいか。
「僕、旅のもので。お腹が空いたな……。名物とかありますか?」
カズは言葉を選んだ。
「あんた、本当に旅の人間か?」
「え?」
店主は怪訝な表情を浮かべている。
「旅人にしては持ち物が少なすぎる。旅人なはずがない」
カズは必死で言葉を探した。
「いや、ちょっと宿に荷物を……」
もう言う言葉を失くしてしまった。それを察したのか、浅邦は両手で台を強く叩いた。
「冷やかしか! 出て行ってくれ!」
いきなり出た鋭い声にカズは震え上がった。浅邦は鋭い剣幕を立てている。
「すみません!」
その帰り、カズは一人で感慨に更けていた。浅邦は確かに相当落ち込んでいる様子だった。やはり幼馴染が行方不明だから、というのが大きいようだ。
今は一人でいたいのだろうか……。
お晴さんがいればなあ……。少なくとも、今日は何もできそうもない。
翌朝、カズは仕事に行く途中だった。
今日も雪が降っている。カズは店棚のガラスに映る自分の顔を眺めていた。
浅邦のことでいろいろと考え込んでいた。何とかして助けになりたかったが、あの状況じゃ無理そうだった。
でも、こんなところでぼさーっとしていていいのか?
いや、ダメだ。春樹さんに相談しに行こう。
戌亥神社。今日も依頼を終えた後、カズは参拝客として神社にやってきた。
鈴を鳴らし、賽銭箱に小銭を投げた。
お晴さんが早く元気になりますように――。
「カズ君じゃないか。仕事なしで神社に来るとは珍しいな」
ほうきを持った春樹が現れた。
「ちょっとお晴さんが元気になるように」
そうか、という風に春樹はほうきを壁に立てかけた。
「で、浅邦はどうだった?」
いきなり訊かれた。もとからカズは春樹に相談するつもりでいたので、手間が省けた。カズは昨日あったことを話し始めた。
「あれじゃまず無理ですよ」
状況としては最悪だった。そもそもあの不安定な感情なら、話しかけることもできない。もうどうしようもなかった。
「春樹さんならどうしますか? どうやったら浅邦さんの力になると思いますか?」
「どうしますかって……」
春樹は考え込んでいるようだ。
「よし」
春樹は手を叩いた。
「俺も行く。あいつの気持ちはこの前の相談でよくわかったから」
「仕事、大丈夫なんですか?」
春樹は本来ならこの頃から忙しくなり始める。正月関係の仕事が舞い込んでくるのだ。
ところが、春樹はそれを否定した。
「数日は大丈夫だよ。幸いかと言ったら失礼だけど、取引相手はみんな風邪で動けないみたいだから」
カズと春樹は羽見に向かった。
そば屋の前。ガラス越しに二十歳過ぎのそば屋店主がじっと座ったまま頬杖をついていた。昨日と何も変わっていない……。
「浅邦、久しぶり」
浅邦はその声に顔を上げた。
昨日と変わらず、客はいない。
浅邦の表情もちっとも変っていない。
「俺とこいつにおろしそばを頼む」
春樹の声に浅邦は何も言わずに頷いた。
カズと春樹は台を選んだ。浅邦は厨房でおろしそばを作っている。
春樹は彼に親しげに声をかけた。
「やっぱり幼馴染のことだな。だけど、一人で悩むのも良くない」
「神職者にしてはらしくない言い草だな。あんたに祈願を頼んだのに」
その言葉に春樹はむっとしていた。何か心に刺さったのだろうか。しかし、彼の表情はすぐに優しい顔に戻った。
「天命を待つのは自分の手を尽くしてからだ」
「できる限りの手は尽くした。一生懸命捜したし、あんたに天命を託したじゃねえか」
「俺はまだ祈願はやっていない。すべきことが済むまで天は味方してくれないよ」
まだやるべきことがあるんじゃないのか?
それが春樹の考えだった。
浅邦の口からは何も出てこなかった。ただ、目の前で煮立っているそばを眺めていた。
そばが出来上がり、浅邦は大根おろしと天ぷらを乗せると、二人分持って運んできた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。神主ならわかるんだろ?」
春樹はあらかじめ置かれていた熱いお茶を一口飲んだ。
「俺たちで捜そう。それならいいだろ?」
その言葉に浅邦は納得したようだった。まだきっと捜していなかった場所があるはずだ。
お代を払った後、二人はもう一度路子を捜すために外に出た。場所は街道筋の小道。周りに田畑が広がっている。
「この辺りに路子の所持品が散乱してたんだ」
しかし既にそれらは町の人が回収して路子の家に戻していた。どうやら何者かにさらわれたのは間違いないらしい。
だがそれ以上の証拠をここから得ることは不可能だった。木の下で三人が休んでいる時だった。
浅邦は半ば絶望したようだった。
どうすればいいんだろう。カズは曇天を眺めていた。
とりあえず、路子が失踪した時の様子を訊いてみることにした。
「あの……、浅邦さん。路子さんがいなくなった日はどうだったんですか?」
浅邦は曇天を見上げると、カズに顔を向けた。
「いつになく焦ってたんだ」
焦っていた?
路子は普段は沈着冷静で聡明だったが、今回はそうではなかったという。数日前から路子の様子がおかしかった。なぜか焦りを浮かべた様子で、浅邦にも顔を合わせようとしなかったらしい。
それで、路子は失踪前日こんなことを話していたという。
――もしも勾玉があったら、どんなことができるかしら
勾玉……?
「それってどういう意味ですか?」
「俺もその時初めて耳にしたからわからないよ」
浅邦は立ち上がった。
「なら、路子の家に行ってみるか」
浅邦はカズたちに路子の家を案内してくれた。彼女は自分の研究の内容を幼馴染に見せるようなことはしなかった。行く途中で話していたのだが、彼女の部屋に入れてもらえたこともないという。
路子捜しのときも家の中を捜索していなかった。勝手に入ると色々とまずいと思ったからだ。
路子の家に辿り着いた。二階建てだが、路子は一人暮らしだった。誰もいないので家の中は荒れていた。路子の部屋に失礼だけど入った。部屋中をあさって路子がさらわれた痕跡を探した。
しばらくして史料が見つかり始めた。何枚も何枚も出てくる。カズにとっては寺子屋で学ばないような歴史の話がたくさん出てきた。
その中で、比較的最近使われたとみられる資料が何枚か現れた。カズは手に取って見てみる。
『大蛇〈珠梓〉』
珠梓? 聞いたことがない言葉だ。
とにかく中を開いて見てみる。
文章は昔の文字の羅列だった。全然読めない。
カズは別の場所で史料を探していた春樹を呼んだ。
「春樹さん、この文字読めます?」
「どれどれ……?」
春樹はその内容を吟味していた。そして――。
「どうやらこの国を治めている前の王朝みたいだ」
「前の王朝って?」
「ちょっと話は長いよ」
カズはその歴史を学んだ覚えはなかった。
春樹によればこの国の王朝は文明始まって以来からあるわけではなかった。古代の王朝を滅ぼして新たに創設されたものだった。
そして、これは〈珠梓〉という大蛇の伝説が書かれた書物だという。
それはこんなものだった。
***
珠梓は雲海の峠に住む大蛇。彼女は美しい娘に化け、男を誘惑し、喰っていたという。
だが、ある日珠梓が誘惑した貴族青年、山下定兼が、彼女が妖術を使えると知っていながら彼女をめとった。珠梓は青年と共に都に赴いた。都での生活の中で彼女は戸惑いながらも次第に心を開いていった。
ところが、ある日突然青年の邸宅に盗賊団が押し入った。珠梓は夫を守るために大蛇に化けて盗賊団の一味を全て平らげてしまった。
夫は醜く変わり果てた妻の真の姿を目の当たりにするが、態度を変えることはなく彼女を慰めたという。
しかし、大蛇が都にいたという事実はたちまち都中、国中に知れ渡った。珠梓は捕らえられ、夫も珠梓かくまった罪として捕まってしまった。
夫の無罪を珠梓は請い願った。しかし、人々が大蛇の願いなど聞き入れるはずがなかった。
結局刑は執り行われ、二人は同時刻に処刑された。釜茹での中で珠梓は呪詛の言葉を吐いた。
――我が恨みここに生まる。末代までこの世呪わん
その呪詛の言葉は人々を苦しめた。天災、疫病は毎年続き国内の治安も崩壊していった。珠梓の怨霊が厄災をもたらしたのだ。
状況を憂えた時の国王は勾玉を作り出し、珠梓の怨霊を封じ込めた。さらにその勾玉を雲海の地中深くに封印した。
***
春樹は読み終えると史料を置いた。カズはつま先から寒気を感じた。
「恐ろしい呪いの話ですね……」
ああ、と春樹は天井を眺める。
「まあ、あくまで昔話。俺も聞いたことはあるけど本当にあったかはわからないよ」
カズはもう一度その書物を眺めた。まさか、路子はこれが理由でさらわれたのだろうか。
その時、浅那は確信めいたように口を開いた。
「神主さん、その、勾玉があるって場所はどこですか?」
「場所? この史料に雲海って書いてあるけど、多分今の北の海沿岸の雲海じゃないか?」
「行きましょうよ。雲海に」
***
準備に手間取った。どんな場合でも木刀は忘れない。遠出するならなおさらだ。
雲海への旅は行くと決めたその日のうちに始まった。五日ほどかかるが、途中の宿場町で寝泊まりを挟みながら進んでいく。
都を出て、西の峠を越える。この山岳地帯から雪が多くなる。雲海は北の海に面し、雪の量は同じ北の海沿岸の西野津よりも多い。
そして、北の海の沿岸の地域は師走から本格的に雪が降り始め、時折吹雪いて旅人の行く手を阻む。
カズたちとて例外ではなく、雪が強くて思うように進めない。
だが、カズの隣にいる浅邦はそんなことに動じていなかった。彼の表情から路子を助けたいという気持ちが強く伝わってくる。彼は自ら進んで雲海に行こうと言っていた。
それとは対照的なのかはわからないが、春樹はいつもと様子がおかしかった。なぜか、西の空を眺めてボーっとしているのだ。
前は吹雪いて真っ白で何も見えないのに。
「春樹さん!」
わざと耳元で声を立てる。春樹は我に返ったようだ。
「あ、ご、ごめん」
「さっきからどうしたんですか?西の方ばっか見て」
また〈神職者の勘〉が働いたのだろうか。軽く頷き春樹はまた北の空を眺めた。
「変な気を感じるんだよ。これまでに感じたことのない気をね」
それは雲海に近づけば近づくほどに強くなっていくという。
「負の気だ……。何かに封じ込められているみたいだけど……」
五日後。予定通り雲海に着いた。
雲海に着いたときは幸い雪は降っておらず、北の海に沈む夕日を見ることができた。雲海は歴史の町で、古代王朝の痕跡とみられる遺跡がそこらじゅうにある。しかし、それらは雪にうずまり見ることができない。
浅邦によれば路子は過去に何度かここを訪れたことがあるという。雲海を治める領主に発掘の依頼を頼まれたことがあったらしい。
明日からここで訊き込みに当たることにした。その夜、カズは温泉上がりに売店で水を買った。自分の部屋で水を飲んでいた時だった。
ふと外でぼんやりと赤く輝く光が動いていくのが見える。
目を凝らしてみると、人の影も見える。
火の用心だろうか……。
だが、かけ声が一切聞こえない。外は暗いが、松明を持っているので足跡がはっきりと見える。
足跡や松明からして、一人だ。
カズはその後を追うため、客間から飛び出した。途中、風呂上がりの春樹と出くわした。
「ちょっと、こんな時間に何してるんだ?」
「いや、それどころじゃないんです!」
カズは春樹など眼中に無く、玄関から外に飛び出した。
雪の夜道を一人で走る。しかし、草鞋を履いているから雪道でもはまらないが思うように進めない。
しかも夜になると雪が降り始め、次第に吹雪いてきた。
足跡を頼りに雪道を進む。次第に吹雪に紛れて
松明は民家の陰に隠れた。カズはその隠れた場所を確認すると、走る速度を速めた。民家の陰に隠れて、そっとそこを覗き込む。
松明を中心に何人かの陰が見える。三人、四人はいるようだ。
何してるんだと思い、カズは目を凝らして彼らを眺める。
風雪の音のせいで会話は何も聞こえない。もっと近づいてみるか。
カズはその男たちに気を取られていた。そのせいか、カズは後ろから迫りくる音に気づけなかった。
ガンッ!
後頭部に頭をかち割られそうな強い衝撃が走る。頭が強く揺さぶられる。
な、何だ!? 意識が急に遠くなる。
冷たい雪の上にカズは倒れ込んだ。
©ヒロ法師・いろは日誌2018




