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コーヒーは名もなきヒーローのために

作者: 周平

ちなみに、筆者はコーヒーの苦さに未だ耐えられません。

雑多とした人の通る道を小さな雨雫がポツポツと濡らす。

傘をさすかためらうほどの優しい雨だが真冬の夜の雨はつめたい。

少しだけ歩くピッチを早める人影が交差する。

カフェの一角から窓越しにその様子を疲れた目でみる中年の男がタバコを吹かす。

「降り出したか。」

くたびれた外套を手繰り寄せて男が小さくこぼす。

「早く帰んなきゃな。」

限界まで吸い続けたタバコのカスを灰皿に押し付ける。

書き上げた原稿を黒光りするカバンにどさっと入れる。

最後にと、コーヒーを一息に飲む。

口の中に苦さが広がった。


会計を済ませて外に出るがまだ小雨だ。

カフェの軒先で、走るか歩くかどうでもいいことを考える。

明かりをおとした街は少し人が減って寂しい。

冷気がそっと肌を撫でると、男はポケットに手を入れる。

男は小雨が嫌いだった。

「あの日もこんな夜だったな。」



高度経済成長の活気の中で、ひたすら仕事に打ち込み夜明けから夜中まで駆け回った20代後半。

自分の可能性を信じ、努力して勝ち取った政治部新聞記者の仕事。

誇りを胸に夢に邁進し、毎日が輝いていた。

そして何よりも、愛し支えてくれた妻がいた。

両親に半ば強引に開かれたお見合いだったが、出会ってものの五分で恋に落ちた。

笑うときにショートカットの髪を小さく揺らす姿はまさしく花だった。

まっすぐで健気で太陽のように明るい性格はいつだって男を照らしてくれた。

本当に幸せで充実感に溢れていた。


だが、人の生はどうにも悲しい。

結婚して3年と少しが経った頃、妻が喀血した。

当時治療法が既に確立されていた結核だが、妻の病巣はこぶし大の大きさだった。

お医者様の少し悲しげな表情が諦めを暗示しているように思われて、男はぐっと唇を噛み締めた。

絶対に治る、いや直すんだと意気込んだものの、療養生活はあっけなく終わりを迎える。

たった3ヶ月間の闘病だった。


葬式を終えて倦怠感に包まれた日、男は夜道を一人歩いて帰った。

冬の冷たい小雨が男を濡らす。

雨粒がじわりじわりと男の中に染み込んでいくようだった。


男は電気もつけず自宅のソファーに倒れ込んでいた。

糸の切れた操り人形のようだなと自分を揶揄する。

ふっと、妻との日々が、明るかった思い出が頭をよぎる。

毎朝、妻が早起きして作ってくれた苦いコーヒーを思い出す。

「もう、飲めないのか。」

突然、訳のわからない笑いが込み上げてきた。

「っく、っふふ、ははッ」

もう夜中なのだから近所迷惑だと的外れなことを思う。

けれども、乾いた笑いは次第に大きくなっていく。

ああ、抑えられないと思う頃には男は黒い渦に飲まれていた。


その日から、人が変わったようだった。

あれほど熱心に取り組んだ仕事は、ほとほと愛想を尽かし辞めた。

友人が心配して自宅を訪ねてくるが、何も感じなかった。

どうしてこうなったのか男にはわからなかった。

特段、わかりたいとも思わなかった。

唯一の慰めは妻が残した遺品の数々だ。

部屋にはそれらが散乱していた。

男のお気に入りは白のワンピース。

生前、妻が好んで着ていた。清廉な白が妻によく映えた。

思いきり鼻に押し付けて目をつむれば、妻を感じられる気がする。

幾度も慰みにしたワンピースはところどころほつれているが、男に気にした様子はない。


妻が亡くなってからちょうど3年が経った日、男は死んだように倒れているままだった。

若く覇気に溢れた頃の顔とは打って変わり、充血した目と伸び放題の無精髭は生気を感じさせない。

最近ではもう妻の面影もはっきりとは思い出せなくなっていた。

珍しくチャイムが鳴ると、郵便物が届いた。

かつてはたくさんの人から激励をもらったが、次第になくなっていった。

濁った目でぎょろっと送り主を見ると心臓がどくんと跳ねた。

妻の名前だった。

「えっ」

掠れた声が出る。

目を乱暴に擦りなんどもなんども確認する。

胸の鼓動は速くなり、手は汗で濡れた。

震えた手で開封する。

中には、膨らんだA4のノートが入っていた。

男の執筆した新聞記事のスクラップ帳だった。

角を綺麗に切り抜いたスクラップに妻がどれほど彼の記事を大切に扱っていたのかが偲ばれる。

最後のページには妻の少し癖のある丸っこい字体で寄せ書きがあった。


’私のヒーローに捧ぐ、私の宝物’


男は泣いていた。

喉を鳴らして泣いていた。

ノートには大粒の涙が溢れる。

頭を駆け抜けるのは妻との邂逅から別れ。

妻との何気ない会話の一つ一つがダイヤモンドのように輝く。

男の記事を手放しで褒め、自分のことのように喜んでいた妻の姿に涙が止まらない。

黒い渦は涙に洗い流されているようだった。

「ヒーローが、泣いちゃ、ダメだよな」

嗚咽混じりに言葉を噛みしめる。


そうだ、俺はもう一度ヒーローになろうと‥‥


「あれ!課長じゃないですか!」

後輩が水たまりを器用に避けて走り寄る。

「店の前で突っ立て何してるんですか。」

「ああ、ちょっと考え事をな。」

「悩みですか!?だったら一緒にこれから一杯いかがですか?」

悩みではないのだが、訂正するほどでもなかった。

「いや、明日から仕事だぞ」

「たまにはいいじゃないですか!」

なんとも強引な後輩だが、悪い気はしない。

「じゃあ、この前できた居酒屋に行くか」

「いいですね!そうだ、文章ってどうやったらあんなに上手くかけるんですが?秘訣って奴を教えてくださいよ!」

「それは自分で掴むものだろう、だいたい‥」



いつのまにか、冷たい小雨は止んでいた。

カフェで飲んだコーヒーの苦さはやっぱりまだ口に残る。

でも、いや、だからこそか、コーヒーはヒーローのためにあると思う。



拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございます。

筆者もどうやったら上手く文章がかけるか知りたい後輩です。


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