天使が降りて来る日
遠い遠い空の上。天使たちの国がありました。暖かい光と澄み切った水が流れる、とっても美しい国でした。野山には可愛い花がいくつも咲き、小鳥や蝶々が飛んでいました。小川には魚たちも泳いでいます。この国には季節というものがありません。いつも暖かな春のような日差しに包まれています。だから、天使たちは服というものを着ません。空腹もなく食べる必要もありません。男女の性別もないので争うということも知りません。夜もないので眠る必要もありません。本当に穏やかな国だったのです。
そんな美しい国で天使たちは、仲良く楽しく暮らしていました。天使たちは、時々集まって話しをしています。そんなある日のことです。天使の国の女神様がやってきました。天使たちは次々に女神様に質問しました。
「私たちはこれからどこへ行くの?」
「人間の国ですよ、」
「人間の国っていいところなの?」
「さぁ、どうかしら?」
「人間の国へ行ってどうなるの?」
「幸せになるのですよ。」
「幸せ?」
「えぇ、幸せになるために人間として生まれるのですよ。」
「いつ生まれるの?」
「あなたたちの帽子が赤く輝いたら、もうすぐですよ。」
女神様が帰った後も天使たちはしばらくの間話しました。
「人間の国って、どんなところなんだろう?」
「そもそも人間って何だい?」
「男と女に分かれているらしいよ。」
「幸せってなんだろう?」
「ワイワイ‥」
「ガヤガヤ‥」
話を聞いていた小さな天使が少し不安になりました。そこで小さな天使はもう一度女神様のところへ行きました。
「この先、どうなるんですか?」
「先が見えないから心配なのですね?」
「はい‥」
「人間の国には、この天使の国にはあるべきものがないんですよ。」
「あるべきものがない?」
「あなたは生きるのにいつも満たされている。けれど、人間は生きていれば空腹になります。満たされるためには食べなければいけません。」
「食べるのかぁ‥」
「冬になれば寒いから服を着たり暖まらなければいけません。」
「冬は寒いんだね‥」
「反対に夏になれば暑いから涼しくしなければいけません。」
「寒くて、暑いのかぁ‥」
「夜があるから、暗くなれば眠らなければいけません。」
「眠るんだね。」
「病気や自然災害があったり、戦争をしている国もあります。」
「病気、災害、戦争‥そんなところで幸せになんてなれません!」
「大丈夫ですよ。」
「どうしてですか?」
「一人じゃないから‥」
「ええっ?」
「天使の国にはないものがあるからですよ。」
「それは、何ですか?」
「家族‥」
「家族?」
「お腹をすかせたら、ご飯を食べさせてくれて、寒ければ暖かい服を着させてくれるのが、家族というものなの。ママとパパなど家族というものに愛されながら生きてゆけるのですよ。」
「どんな時も?」
「そうです。どんな時でも、困った時には必ず貴方を守り、助けてくれるのが家族なのですよ。」
「ママとパパと家族かぁ‥」
小さい天使は少しだけ安心して仲間のところに戻りました。
やがて、一人二人と、帽子が赤く輝き始めて、天使たちは地上に降りていきました。ある天使などは急に帽子が赤く輝いて大急ぎでおりてゆくこともありました。
小さい天使が地上におりる予定の日は二月十六日だけど、これも急に早くなったりするかもしれないし、もっと遅いかも‥ 天使はまだ会ったことのない「ママとパパや家族」の顔を思い浮かべました。よく分からないけれど、それだけで天使はなんとなく嬉しい気持ちになるのでした。
(そのころ‥地上では‥)
もうすぐ出産する女の人が大きな病院の部屋で一人静かに音楽を聴きながらベッドで座っていました。大きくなったお腹では赤ちゃんが何度も動きました。時にはお腹を蹴ってくることもあります。でもその女の人は赤ちゃんがそうやって動くたびに嬉しそうに微笑んでお腹をさするのでした。
その部屋に鞄を抱えた男の人が入ってきました。大急ぎで来たようで、汗びっしょりでした。
「どうしたの? そんなに急いで‥」
「まだかぁ‥ 大丈夫かぁ? 心配だなぁ‥」
「大丈夫よ。‥まるで貴方が産むみたいね。」
「だって、本当に無事に生まれてくるまで何も手につかないよ。」
「大丈夫だってば。それよりさぁ?」
「何だい?」
「知りたくない? 男の子か女の子か‥」
「そりゃ、知りたいよ。‥分かったの?」
「うん。女の子らしいわ!」
「そうか! 女の子かぁ! ようし、明日さっそくデパートに行かなきゃ!」
「デパートで何をするの?」
「服や肌着をみんなピンクにするんだ。それから靴も!」
「肌着なんかはすぐにいるけど、靴までもう買うの?」
「早いかい?」
「私がお義母さんととりあえずどっちでもいいように白と黄色で揃えてあるから、生まれた後で一緒に買いに行きましょうよ。」
「それもそうだね。」
男の人はホッとしたようにベッドのそばまで来て女の人のお腹をなでました。
「お~い、早く出ておいで、僕たちのベィビー!」
「予定日はまだ先よ?」
「待っていられないんだよ。」
「気持ちは分かるけど‥」
「無事に生まれてくれたらいいか。」
「うん!」
それから、男の人は女の人にキスをしてから部屋を出ていきました。女の人は本当に幸せそうな顔をしてからベッドで横になり少しウトウトと眠りました。その日女の人は不思議な夢を見ました。暖かい日差しに包まれたとっても美しいところでした。春の花々が咲き、小川にはきれいな水がゆったりと流れていました。まるでこの世のものとは思えないような楽園が広がった世界‥そんな不思議な夢でした。でも、目覚めた時には忘れてしまっていました。とっても幸せな余韻だけだ残っていたのです。それだけで、女の人は幸せな気分になるのでした。もちろん、初めての出産だったので、不安もいっぱいありましたが、生まれてくる赤ちゃんのことを思うと「頑張らなきゃ」と思いました。
それから女の人はスマートフォンという携帯電話でつながっている全国の友だちからも励まされていることを思い出しました。「幸せ」って目に見えないけど、手で掴むこともできないけれど、きっとこういうことなんだろうなと思いました。
(天使の国では‥)
予定の日になってもまだ小さな天使の帽子は赤く光りませんでした。でも、天使は不安になったりはしません。やがて出会うママとパパのことを思いました。「女神様のような人だったらいいな」と思いました。‥次の日、天使が小川の魚たちと遊んでいると、誰かに呼ばれたような気持ちになりました。
「誰?」
「あっ、貴方の帽子、赤くなり始めているわ。」
いよいよだな、と天使は思いました。天使は思い切って地上へ飛び降りました。‥もう、自由に空を飛べる翼もないけれど‥
(地上では‥)
女の人は、また夢を見ていました。暖かい日差しに包まれた美しい国で一人の天使が帽子を赤く光らせながら、地上へ降りる準備をしていました。天使は他の天使たちに見守られながら、雲の上から飛び降りました。やがて流れ星が一つ流れて‥
女の人は目が覚めました。軽い痛みを感じたので看護師さんに伝えると「いよいよね。今夜は長いかな?」と笑ってくれました。優しい看護師さんの笑顔に支えられて女の人も「いよいよだわ」と思いました。夜になってジンツウという痛みを感じ間隔が短くなってくるようになってきて、いよいよ生まれようとしています。女の人はブンベンシツという産むための特別な部屋に入りました。長い人は十時間以上も苦しむのに、女の人はわずか三時間ほどで可愛い女の赤ちゃんを産みました。
「よくやったね。元気な女の子ですよ!」
「お疲れ様でした。今は二月十八日午前二時四分です。」
「おめでとう!」
みんなが女の人に声をかけました。天使はビックリして大きな声で泣き、それから「あぁ、これがママなんだ」と思って安心して、今までのことはすっかり忘れて眠りについてしまいました。
とっても静かに夜は深まっていきました。パパになった男の人は窓越しに生まれたばかりの赤ちゃんの寝顔をいつまでもいつまでも笑顔で見ていました。
ママはベッドで眠りながらうっすらと目をうるませながら、赤ちゃんに話しかけるように言いました。
「生まれてくれて、ありがとう。私をママにしてくれて‥本当にありがとう!」
(了)