第五話 ネームレスおっさん
突然突き飛ばされ、池に叩き込まれる夢を見た。
「死んだらどうする!」
「ひゃあ!?」
突き飛ばした誰かに怒鳴ったつもりで飛び起きると、誰かの悲鳴が聞こえた気がする。
周りを見回すと、なんとなく見覚えのある部屋だった。ぼろい石造りの建物でもなく、西洋風庭園の中でもなく、フローリングの洋間。
なにやら勇ましい感じのBGMが聞こえるが、これは確かゲームの音楽だったように思う。さては寝落ちしたか。
「お? あ? なんだ夢か。いや、どれが夢だっけ」
「な、なに!? あ、なんでいるんですか!? あ、いやっ! あ、あ、あ! 死んじゃう死んじゃう!」
なにやら興奮してしまうそうな発言に獲物を見つけた猫の速度で振り向くと、大きなモニターの中で巨大なカニが大暴れしており、その前には右へ左へと身体を揺らして何やら悪戦苦闘する銀髪の女性。
身体の動きに合わせてぼんぼんと元気一杯に跳ねるお尻やら、タイトなミニスカートから伸びる眩しい太ももやらに、思わず無言で見入ってしまう。
「あー!もう!死んじゃったじゃないですか!もうちょっとでクリアだったのに!もう!」
ぷんすか怒るその人は、いってらっしゃいと送り出してくれたはずの女神さまであった。
「おや、ぼっち女神のユーリ様じゃないですか。御無沙汰しております」
「神罰!」
べふっと座布団が叩きつけられた。
「これはご丁寧に、どうも。あ、女神さまのにおいが」
「ちょ、やめてください! 嗅ぐなー!」
「いや、失敬。さっきまでそのお尻が乗っていたかと思ったら、つい」
「本当に失敬ですよ貴方! なんだかどんどん態度が酷くなってませんか!?」
「なんでですかね、なにか理由があったような気がするんですが──」
何か、物凄く文句を言ってやりたくて堪らなくなる事があったのだ。
後回しにしていたステータス振り分けを勝手に全く意図しない方向でやらかされたような、なんかそういう、憤懣やるかたない事があったはずで──
「ああ…思いだしたぞこんちくしょう」
「な、なんですか、怖い顔して」
「なんですかじゃないっつーの! なんで! 身体が! あの身体なんだよ! おかしいだろ!」
おっさんin女神ボディ。
「何たる冒涜!天が許してもこのぼくが許さねぇ!」
「えー、名案じゃないですかー」
身体の無い魂と、魂が女神になっちゃって空っぽになった身体と、それぞれの問題を一挙に解決できる、非の打ちどころの全くない名案であったと主張。
「まさに一石二鳥の名案。ふふふ、自分の有能さが怖いですね」
「やかましいわ! そーじゃねーよ! そーじゃないんですよ!」
「もー。なんなんですか、何がそんなに不満なんですか」
「美女でも! 中身がおっさんだったら罰ゲーム! 心の叫びですよ!」
ある日おっさんが目を覚ますと、一目惚れして結婚を申し込んだ相手そっくりになっていた。
「どんな変身だよ! カフカもびっくりだよ!」
「でもでも、あの身体は便利ですよ? なにしろ、神の入った器でしたからね? 貴方の知識で言うと、そうです、チートですチート」
鼻歌交じりでハンターランクトップですよ! などと眉唾情報。
いや、あんたさっき、カニに美味しく頂かれてたじゃないか。
「誰かさんが吃驚させるから操作ミスしたんですーぅ、あれがなければ勝ってたんですーぅ」
「うざいなぁこの女神」
かわいいけど。
「チートとか、神の器とかはまぁ、さて置いてですね…いいんですか、中におっさんなんか入れても? 自分の身体でしょう? いやでしょ、普通」
「んー、もういらないし、別に」
「ドライだなぁ…」
「おっさんは嫌なんですか? でも、他に無いですよ?」
「嫌というか、嬉しくないとい…今、おっさんって言いました?」
「言いましたね、おっさん」
「ちょっと、あの、女神さまがそういう言葉遣いはどうかと」
「…? でも、おっさんって名乗ったでしょう?」
「えっ」
「えっ」
「一体なんの──」
──もっと若い子がやるもんじゃないんですかねぇ…見ての通り、もう随分おっさんですよ──
「まさか」
「生きてるときに名前の付いてた身体は、ペチャンコになって火葬にされて無くなってたところで、あんな風に自分を定義付けちゃったら、それはもう仕方ないかなーって」
「な、なな、なんじゃそりゃああああ!」
そんなバカなと、昔の名前を必死に思い出そうとしてみるが、それだけは塗り潰されたように出てこない。
ならば別の名前を名乗ってやるまでだ、と思えど思えど言葉にならない。
「無理ですよ? 現世で偽名を使うのとは訳が違うんですから。こっちで名前は偽れません」
「そんな…アホな…」
「あ、でも、現世でならユーリって名乗れますよ? 私の使徒として出向いてあの身体に宿る訳ですから、その権限はあります。よかったですね!」
「なんてことだ…おお…神よ…」
「なんですか?」
思わず神に祈ったら目の前にいた。しかも、ほぼ元凶だった。
異世界で可愛い女の子といちゃいちゃニューライフと思ったら、その子の中身がおっさんという悪夢を見せたぼっち邪神の姿がそこにはあった。
「…今何か、物凄く失礼な事を考えてるでしょう?」
「滅相もありませんよこんちくしょうめ! こうなったらあの身体でいやらしいことをいろいろ──」
「もうおっさんの身体ですけどね」
「おっさんの身体! なんて萎える響きであることか! まさに悪夢の産物!」
「まぁ、自慢じゃないですけど、元私の身体は見た目ちょー可愛いので、きっといいお嫁さんになれますよ」
「ひぃぃぃ! 男相手は嫌だぁ! ……はっ! そうか! 相手が女の子なら──ついてないじゃないか! ついてないよ息子さんが! くそぅ!」
「楽しそうでなによりです。さて、私はちょっとハンティングの続きをするので、そろそろ帰ってもらえます?」
「ドライすぎる!」
「ま、困った事があったら私に祈るといいですよ? ちょー有能な女神さまがスパッと解決してあげます」
「それじゃあもういっその事付けてくださいよチ」
「改めていってらっしゃい! えいっ!」
女神は蹴った。縋りついてくるおっさんを無造作に蹴った。
「痛っ! ちょ、待ってまだ話が──あ、黒履いてんですね」
「神罰!」
渾身の力で、現世に向けて蹴り落とした。