第四話 森に住むぼっち
狩人のマリィ。
本当はトーザ村のマリィと名乗るのが正しいのだが、彼女はずっと村の外に住んでいるからか、あの村のと名乗るのは気が引ける。
だから、彼女は狩人のマリィ。
父親から習った弓と、受け継いだ狩りの知識で、なんとか独りになっても暮らせている。
狩った獲物を村まで持って行き、必要なものと交換して貰う。毎日ではないけれど、それが彼女の仕事だ。
ただそれも、近頃はなんだか上手くいかない。
獲物は獲れても交換してもらえなかったり、随分と損をすることになったり……彼女が村長の息子を蹴っ飛ばしてから、村の人がみんな、そんな風になってしまった。
やっぱり、ちょっと我慢すればよかったのだろうか…そうしていたら、前と変わらなかったのだろうか。
そう考える事もあるのだが、それでも彼女は嫌だったのだ。
無遠慮に髪や身体に触られるのが、なんだか酷く嫌だったのだ。
あの時、考え事をしながら歩いていたら急に髪を引っ張られて吃驚して、そしたら今度は後ろから羽交い絞めにされて、にやにや笑う村長の息子が乱暴に胸を掴んできて、それが凄く嫌で──だから、とにかく思いっきり蹴っ飛ばして逃げた。
そうしたら、次の日からはみんなが嫌な顔をするようになってしまって、今に至る。
多分、この大きくなった胸が悪いんだ…弓を引くにも邪魔だし、服はきつくなるし、村に行くとみんなが見ている気がする。きっと、これが変なんだ。
ひとりでどんどん落ち込んでいく。
彼女はもうずっとひとり暮らしで、そうじゃないんだと指摘してくれるような友人もいないから、蹴っ飛ばして以来こんな調子のままだ。
そのせいで狩りも失敗しがちになり、より一層落ち込んで、という負のスパイラル。
いくらなんでもこのままでは駄目だ、そろそろご飯が無くなって、そしたらお腹が空いたままになって、それはきっと凄く困るのだ。だから、今日こそは頑張らないと。
マリィは気合を入れなおし、ゆっくり深呼吸すると、息を潜めて耳を澄まして、獲物を求めて静かに素早く森を彷徨う。
そうしたら、大きな鹿を見つけた。ああ…よかった、今日はついてる。
呼吸は最小限に、気配を消して、近付く音は風の中に紛れ込ませて、必中の距離まで忍び寄る。
集中して、仕留めようという殺意も隠して、必殺の時を待って──
「…ッ!」
何処からか、何かが聞こえた、その瞬間。その何かに獲物が反応して頭を上げた、その一瞬。
彼女が放った矢は見事に鹿の首に突き立ち、脊髄を砕き、のみならずその向こう側の樹に鹿を縫い止める。異常な威力であった。
「やった! お肉!」
その威力を特に気にするそぶりもなく、それどころか樹に食い込んだ矢を容易く引き抜くと、彼女は大きな獲物を軽々と担ぎ上げた。
まずはどこかで血抜きをしよう、ついでに少し休憩かなぁと、周辺の地形を思い浮かべ、そういえばさっき聞こえたのは人の声じゃ無かったかなと思い付く。
村人はこんな森の奥まで来ないから、もっと別の誰か。他にも狩人はいるはずだけど、その人たちの狩り場からも離れている。この辺りは、他の狩人は嫌がる場所なのだ。何故だったかは忘れたけど。
聞こえた声を思い出す。
女の人の声だったかもしれない。道に迷った旅人か……ひょっとすると冒険者とかいう人だろうか。
見た事は無いけど、そういう仕事があると聞く。どんな人たちなんだろうか。
よそから来た冒険者で、そして女の人なら、村の人と話すよりももっとちゃんとお話しできるかも。
「うーん…ちょっと、行ってみようかな」
もしも困ってたら、助けてあげられると思うし。そうだ、そうしよう。
血を流す大きな鹿を軽々と担いでいる自分が、見知らぬ誰かからどう見えるか。そんなことはちっとも考えずに、彼女は声の聞こえてきた方角へと走り出す。
そう、彼女は善意の人なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
落下する夢を見た。
がくっと身体が揺れて、はっと目を覚ます。長々とため息一つ。
今何時だっけ…と枕元の携帯を手探りで探すが見つからない、そもそも枕も無い。愛用の低反発枕は何処に行ったのか。いや、それよりなにより、布団がやたらと固くて石のようなんですけど。
ごろりと転がって下を見ると、白い石。大理石のようだ。なんだこれは。いや、何処だここ。
手をついて、身体を起こす。細く、白い手。誰の手だ。さらさらと流れ落ちた淡い紫色の綺麗な糸──髪みたいだ。誰の。
「あ~……あれ?」
女の子の声がする。ああ、これはなんだかまずいぞ。変なところで寝入ったのか。
すいませんすぐに出ていきます、と言わなきゃなと相手を探すが、誰もいない。
石造りの建物の中で、屋根があちこち崩れて陽が差している。ますます何処だかわからない。
昨日は何をしてたんだったか、さっぱり思いだせない。
ぐいぐいと目を擦り、ぐーっと背伸びをして深呼吸。段々頭も覚めてきた。
すげー可愛い子に結婚を申し込んでふられる夢を見た気がする。
「変な夢…」
また聞こえたが、なんだ、どこからだ。
周りを見回しても誰もいない。いないが、淡い紫色をした綺麗な糸が沢山、視界の端に見える。自分の頭から伸びてるそれは、もしやカツラだろうか。なんでそんなものを被ってるんだ。
ぞわぞわと、なにか凄く嫌な予感がする。
気付かない方がいいような何かがそこに在る気配。
オーケー、落ち着け。素数を数えて、指差し確認だ。指を。
「…ゆび?」
落ち着け、気のせいだ。声がおかしいのは起き抜けだからだ。
深呼吸しろ。俳句を詠め。俳句はいい。いや、落ち着け。
目を開けろ、ゆっくりだ。そこにはいつもと変わらぬおっさんの姿が──
「──なに、これ」
なんじゃこりゃあ! と叫んだつもりだったが、口に出たのはその四文字。
震える手で、頭の方から伸びる綺麗な糸をひと房引っ張ると、痛い。
そんなバカな話があるか。
こちとらおっさんだぞ。おっさんにこんな綺麗な手を付けてどうする気だ。こんな綺麗な髪を伸ばさせて何になるというんだ。しかも淡い紫だと? もはや懲役ものだろ。
続けて身体を詳しく確認する気にはなれない、勇気がない。どうする、どうする。そうだ、鏡か何かないのか。いや、何の解決にもならない気はするが、とにかく鏡だ。
そこにはおっさんが映るはずだ。淡い紫色の髪の。なんてこった、死にたい。
ふらふらと立ち上がる。地に足が付いている気がしない。体が軽い、こんな気持ちはじめて。
シーツのようなものを体に巻き付けたまま、ふらふらと外へ。
森の中のようで、すぐそばには小さな池があった。丁度いいじゃないか、鏡の代わりになる。十分だ。
深呼吸しろ、覚悟を決めろ、俳句を詠め、いや俳句は違うんだ、そうじゃない。
いち、にの、さんだ。いいか、見るぞ。いち、にの、
「……ああ、そうか」
水面では女神さまが揺れていた。
そして分かった。アホなんだ、あの女神は。
大体分かった。これが名案ってやつだ。あのアマ、やりやがった。
なんてこった、そりゃねーよ、いくらなんでもやりすぎだろ。
「おお…もうなんか、もう、死にたい」
「そ、そんなのダメー!」
凄い力で突き飛ばされる。
何が起きたのか把握する間もなく、池に叩き込まれ、思いっきり水を吸い込んで、あっさり気絶した。
メインヒロインは巨乳であるべき
古事記にもそう書かれている