第三話 ぼくの宗教に入れよ、なんとかしてあげるぜ?
宗教とか言い出すと途端に胡散臭くなる不思議
「布教とはまた…なんというか、胡散臭い…」
今までになく渋い顔をする。
これは例えるなら、知り合った女の子に「お願いがあるの、貴方だけが頼りなの…」とかなんとか言われてほいほい出向いた先の喫茶店で、有難い宗教の勧誘を受けたようなものであろうか。
「まぁ、御本尊自らの御用命っていうのは予想外ですけども…」
こちらをまっすぐに見て、にっこり微笑む女神さま。
断られるなんて微塵も考えていない彼女に、それはちょっと…とは非常に言いにくい。というか言えない。言えないし、お願いは聞いてあげたいし叶えてあげたい。
とはいえ、道行く人にアナタワーメガミヲーシンジマスカーとか、女神を信じればこんなご利益が!とか、女神を信じないと地獄行く!とか、そんなことを一生繰り返せるような強靭な精神は持ち合わせていない。心が、いや魂が折れる。赤子の手を捻るよりも楽々折れてしまいそうだ。
他にも問題はある。
布教というからには宗教があるのだろう。女神さま教が。……女神さま教?
「そう言えばですね、今更ですが、凄く今更ですけど、女神さま?」
「はい?」
「いや、女神さまはそりゃ女神さまだって言うんですからそうなんでしょうけど、それは疑いませんけど、その……お名前はなんと?」
「……あっ」
「まさか、やべー名乗ってなかった!とか思って」
「無いです。違います。ようやく自らの無知に気付いたかこの無知蒙昧な人間よ…という意味のあっです」
「神様言語の圧縮率には目を瞠るばかりですな!」
「おほん! えへん! それではよくお聞きなさい人間」
女神、ユーリ。
それがお前の前に在る神の名です。崇め、敬いなさい。
そう名乗るも、手にはほうじ茶が湯気を立てる湯呑と齧りかけの煎餅。
「はあ、ユーリ様ですか」
「そうです。その名を魂に刻み、伏して拝むのです」
「ローアングルから拝むのが許可された! 夢が広がりますね!」
「ろーあん?」
「では後ほど、思う存分拝ませていただきますよ、ええ。そりゃもうじっくり」
「なにか、認識に齟齬があるような気がします」
「気のせいでは? それで、ユーリ様は何の女神さまなんです?」
「えっ」
「えっ」
「ちょー有能で若くて可愛い女神さまですけど?」
「それは聞きました。それは知ってます。そうじゃなくて、こう、何か司ってたりするでしょう普通。風の女神とか水の女神とか、なんかそういうのですよ」
「それは大先輩方のお役目ですよ! 私みたいな成り立てに任される訳が」
「成り立てなんですか」
「あっ……そ、そうですよ? 成り立てですが何か?」
「つまり下っ端女神と」
「失敬ですよ貴方! 失敬! 不敬です!」
「じゃあ、布教して欲しいっていうユーリ教もそう大きくはなさそうですね」
「ユーリ教? もうあるんですか?」
「…もう、あるんですか…だと…」
女神になるというのがどういう手順を踏むのかは知らないが、現世でそれに相応しい功績をあげてこその神の座だろう。それならば、その功績を讃えて女神を奉る集団が形成されているのではないだろうか。
そう考えていたが、その女神自身がそれを否定する。
そして、自慢じゃないですけど、と前置きして、
「現世にいたころから私はちょー有能だったのです。凄かったんです。あまりに凄すぎて、若さ溢れる可愛い盛りに解脱しちゃってそのまま女神さまになっちゃうくらい凄かったんです。凄いぞわたし!」
えへん、と自慢タラタラの御様子。
「だから信者とかそういうのなくて、それでお願いしちゃおうかなって、丁度いいから元・体の方もお願いしちゃえば一石二鳥ですし」
「なんだぼっちか」
「なんですと!?」
「ぼっちの女神さま」
「ぼっ!?」
「ぼっちを司る女神さまか…信仰したら孤立しそうだなあ」
「ちがっ、違いますから! そんな邪神じゃないですから!」
「違うんですか?」
「当たり前です! ちょっと、その、生き急いだっていうか」
「いいんだ、もういいんだよユーリ。いまはぼくがいるじゃないか」
「可哀想な子を見る目とかやめてください女神さまですよ偉いんですよ!」
「まぁ、軽くいじめるのはいいとして、そうなると難しいですね」
べしべしとテーブルを叩きつつ神罰食らわしますよ!と唸る女神さまを、怒っても可愛いなぁと観察しながら悩む。
自力で勝手に神になったというなら、それはつまり、誰にも知られてない神様なんじゃないだろうか。
「新興宗教興せってことになるじゃないですか。どうやっていいやらさっぱりですよ、そんなの」
「そこはほら、異世界の進んだ知識を活用していく方向で」
「ねーよそんな知識」
ただのおっさんが、そんな大それた知識を持ってる訳ないだろ…と口をへの字に結ぶのに対して、ちっちっち、と人差し指を振って見せる女神さま。
「さっき、ゲームを再現して見せたじゃないですか? あれですあれ」
ちょっとでも知ってれば、そこから因果の糸を辿って遡れるのだ、と。
詳しく細かく知らなくとも、その一端から全貌を引き出せるという。
「おお、それはすごい…ような気がする」
「ふふふ、惜しみなく称賛し敬っていいんですよ?」
「でも、その異世界のあれこれを上手く使えたとして…それは別に女神さまの御利益じゃないと思うんですが」
「えっ」
「そりゃ、ぼくを本の索引みたいに使って異世界の知識を持ってこれるってのは凄いですが、それでまぁ、結果を出せるかも知れないのはあれでしょ、その知識の方でしょ? いいんですかそれで?」
「うっ」
「それに、その、そういう、異世界の進んだ知識で遅れたお前らを吃驚させてやるぜワハハーみたいなね、そういうのは、そりゃあ物語としては大好きですが、自分がやるっていうのはちょっと」
不遜というか、酷く傲慢な気がする。
こちらが快適に過ごすため、自分の生活改善のために活用するというなら、その結果がどう転ぼうともそれは受け取った周囲の判断である。
しかし、新興宗教を興して布教の為に利用し押し広げようというのはどうか。
それに、そもそも進んでいるかどうかも怪しいところだ。
科学に代わるものがあったらどうか? そちらの方が便利だったら? わざわざ面倒で怪しげな知識とやらを受け入れてくれるだろうか?
「やはり、女神のユーリ様というか、現世でユーリという人物がどーんと有名になって、その死後に崇められるってのが順当な流れなんじゃないですかねぇ」
「あ、じゃあそれで」
「軽い! いや、軽く言いますけどね、現世の体は今空っぽなんじゃないんですか? それとも、そっちはそっちで女神さまが動かすんですか? じゃあ、別にぼくはいらないんじゃ…」
「凄い名案があるって言ったじゃないですか。そういう方向なら、その名案で大丈夫です、さすが私です。ほら、讃えて、さぁ」
「すごいなーさすがだなーあこがれちゃうなー」
「いやぁ、それほどでもないですよう!」
「じゃあ、女神さまの脱ぼっち計画は、現世のユーリ様と一緒に頑張っていくって感じで」
「だからぼっちじゃないですってば! 孤高なんです! 訂正しないと神罰ですよ!」
「まぁ、さっきもいいましたけど、ぼくがいますから。協力者としてですけど、その、と、友達とか思ってもらえると嬉しいですね!」
「え、あ、うん、ともだち、ともだちですか、えっと、まぁ、そうですね」
「はい、その、まぁ、嫌じゃなければ、まずはお友達からっていうか」
「い、いいんじゃないですか? いいですよ? どうしてもっていうなら、仕方ないです、仕方ないですね! と、友達になってあげてもいいですよ!」
「そそそそうですか! じゃあ、まずは友達から! ゆくゆくは結婚を!」
「え、無理、お友達でいましょう?」
「ふぁっく!じゃあいいよもう!現世の方のユーリさんに申し込むから!」
「それも無理かなー」
「ちくしょう!わかんねーだろ!わかんねーけど!立場的な障害だけかもしれないだろ!」
「まぁ、希望を持つのは自由ですけど」
「あ、そうだ。あちらのユーリ様にもこの話、ぼくがそういう協力者だっていうのは伝わってるんですか?」
「…? 知らない訳がないでしょう? 今話してましたし」
「んん? 今?」
「ま、大丈夫ですよ。現世に降りれば分かります。じゃあ、さっそく行ってみますか? そうすればすぐ分かりますし」
「随分簡単に言いますが、そんなものなんですか」
「そんなものです、夢から目が覚めるようなものです、パッチリ目を開けるだけですよ」
「はあ…? でも、ぼくは死んでて、もう体が無いんじゃ…」
「女神さまを信じなさい。それじゃあ──」
テーブル越しに身を乗り出して近付かれ、ぐっと距離の縮まった唇とか首筋とか鎖骨とか胸元とか、目を合わせられずに彷徨う視線がそういう所ばかりに引っ張られて動揺するおっさんをよそに、女神さまはそっと額に触れてくる。
「ちょ、あ、あの、これは」
「頑張ってね、いってらっしゃい」
にっこり笑って、ぺちんと一撃。
ふわっという一瞬の浮遊感、そして落ちる、落ちていく。落下する夢、あれだ。
思わず悲鳴を上げるが、恐怖は無かった。
それよりも、
「チート能力とかそういう話はないんですかー!」
女神さまパワーでの知識の補助はともかく、それだけでは生きていける自信が全くない。
そもそもどんなところかも聞いてない。
知らない世界に放り出されたら、すぐに死ぬんじゃないだろうか。
「そんなのはいやだー!」
非力なおっさんの悲鳴だけが落ちていく。
実在する特定の宗教とは一切関係ありません(保険)