紅黒い真実
今回は過去話最終編です。
これでやっと転生できるかな?
俺の目の前では、幼い自分が冷たくなった母の体を縋るように掴んでいた。
光を失った目でブツブツと母の名前を呼び続けるその光景はあまりにも惨たらしい。
歳幾許かもいかない少年がその手を血に染めており、あろうことかその血は母親のものである。
母親を呼び続ける声は震えず、その両目から涙が零れ落ちることもない。
まるで、歯車が外れてしまった機械じかけの人形の様に同じ言葉を力無く繰り返し続けている。
俺は、そんな姿の自分を見ていられなかった。
今でも記憶の中に鮮明に残っており、一度たりとも忘れたことがない呪われた記憶。
ギリギリのバランスの元で成り立っていた、家族という繋がりを打ち壊した悪夢のような出来事。
それが今、最悪の形で目の前に広がっている。
気が付けば俺の息は大きく乱れ、額には脂汗が浮かんでいた。
目の前がグルグルと回り、立っていられないような錯覚すら覚える。
震えていた足の力が抜け、強い圧力がかかったようにガクンと膝をつく。
鼓動が早くなり、内臓が口から出せそうなぐらいの吐き気が襲う。
このままでは自分を保てない…!
そう思った俺は自分の手を握りしめて、それを顔に放った。
ゴスッ
鈍い音が鳴り、殴ったところがズキズキと痛む。
痣ができそうなぐらい強く殴ったつもりだったが、不思議と血が出てくることはなかった。
漸く落ち着きを取り戻した俺はまだ痛む頬を拭い、幼い自分に近づいて行った。
俺は今だに休むことなく言い続けている少年の背後に立ち、後ろから包み込むように優しく抱きしめた。
飛び散った血や父母の死体には触れられなかったのに、この少年にだけは触れることが出来た。
リビングが寒いためか、冷えてしまった小さな体は微動だにしないまま抱きしめられていた。
すると、少年は母の名を呼ぶことをやめ、自分を責めるように言葉を並べ始める。
「僕が…僕がいけなかったんだ…。僕がお父さんを止められてたらお母さん は死ななかったかもしれないのに…。」
「ッ!!」
そこで、改めて自分がどれほど深く絶望していたのかを知った。
あの時の自分はこの少年の立場にいて、全く同じ言葉を放っていたのだろう…。
自分を慰めてくれる人も、褒めたり心配したりしてくれる人もいない。
でも、皮肉なことにそれと同時に母親を傷つける人もいなくなった。
しかし、それは自分が恨みや怒りを抱くことができる人すら失ったことになる。
この時の俺は正しく生きる意味を全てなくしたのだ。
喜びも、悲しみも、楽しみも、怒りも…全てが失われた。
---それはつまり…
こちらの異変に気付いたのか抱きしめていた少年は一旦押し黙ったかと思うと、ぼそりと呟き始めた。
「僕が…僕がお母さんを守っていたら…。お父さんから守っていたら、今頃 お母さんは…。」
「それは…違うんだ…。」
「お父さんがお母さんを叩いている事を、僕が知らない振りしてなかったら …。」
「違う…俺は…。」
「自分の事が大切で…お母さんを助ける勇気がでなくて…。だから、お母さ んのお手伝いをすることで罪滅ぼしをしようとして。」
「ッ…そ、れは…。」
「でも、それは結局ただの自己満足で。傷ついていくお母さんの姿から目を 逸らしたかっただけで。」
「!? 俺はそんなつもりじゃ…。」
「どんなにお母さんの負担を減らそうが、元凶であるあいつを止めないと
お母さんが壊れていくことは止められないってことも分かってたのに。
肝心な時には怖くて、恐ろしくて、ベッドの中で震えているだけしかなく て。」
「違う…違う…違う…。」
「いくら都合のいい理由を並べようが、結局それはお父さんに逆らえない
自分を正当化するための言い訳で。壊れていくお母さんを健気に支える悲 劇の主人公を演じていたくて。」
「そんな筈はっ…。」
「挙げ句の果てには母に負担をかけないようになんて言って、傷ついた母を 見ないようにするために、一人で何でも出来るようになろうとして。
そうして、最後に選んだのは可哀想な母ではなく、可愛い自分だった。」
「違うっ!!俺は母さんの事を大切にしていたし、自分の事を可愛いなんて 思ってない!俺はただ母「違わないよ。そう、何もね。」………え?」
俺が幼い自分に言われた事に声を荒げていると、俺の後ろから声が聞こえてきた。
ゆっくりと後ろを振り返る俺。
そこには、幼い姿の自分がこちらを睨んで立っていた。
彼の目は、まるで親の仇を見るような憎悪をこめた視線だった。
この世のすべてを呪っているかのようなその目は恐ろしく感じるとともに、何故か親近感がわいた。
彼は俺を睨みながら口を開く。
「キミは母親を捨てたんだ。他ならぬ自分のためにね。」
「それは違う、俺は確かに母さんを大切に思っていた。」
「へえ…大切にしていた、ねぇ…。」
「…何が言いたい?」
「いや、キミがそう自分に言い聞かせていると思うと、滑稽な茶番を見せら れているように思えてね。」
俺は目の前にいるあいつが言っている意味がわからなかった。
滑稽な茶番?それこそ、茶番を演じているのはお前らだろうに。
俺がそう考えていると、あいつは俺が何を考えている分かっているように笑い始める。
その声はどういうわけか、俺の心をざわつかせた。
「ククク…ハハハッ。そうかそうか、茶番を演じているのは僕達、か。」
「ああ、そうだ。悪いが茶番に付き合ってる暇はない。」
「…そう、だったら一つだけ聞きたい事があるんだ。」
「聞きたい事だと?」
「その通り。その聞きたい事っていうのはさ…
キミは自分の母親が父親を殺す瞬間を見てどうだった?」
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「…え?」
俺はあいつの言っている事が理解できなかった。
母さんがあの男を殺した瞬間だと?
そんなもの、分かるはずがない。
だって俺は…
「寝室にいたから…かい?」
「!? お前、何で俺の考えている事が!?」
「分かるよ、それぐらい。でも、キミは本当に寝室にいたのかい?」
「あ、当たり前だろう。こんなに遅い時間、子供の俺は寝ているはずだ。」
「この日キミは本当に眠れていたと思うかい?」
どこか誘導するかのようにあいつは質問を投げかけてくる。
そして、俺はある事に気付いた。
鮮明に覚えているはずのあの日の記憶の一部が、俺は霧がかかっているように思いだせない。
その霧はあいつの質問に答えるたびに少しずつ晴れていく。
「眠っていた、と思う。」
「キミはこの後起きて来て、この光景を見るのに?」
「あれは偶然だ。」
「偶然であんなにタイミング良く起きたのかい?」
「ああ、そうだ。きっと偶々だ。」
「それにしては、眠くなさそうだね。寝癖も付いていないようだけれど?」
「多分寝相が良かったんだよ。」
「そう…じゃあ、さ。
なんでキミはこの光景をこんなに細かく覚えているんだい?」
あいつは止めの一撃のようにその言葉を放つ。
俺はその言葉に答える事が出来なかった。
答えられるほどのものが何も思いつかなかったからだ。
「察しのいいキミならもうわかっているんだろう?ここは、昔のキミの記憶 に基づいて作られた世界。キミが生きていたときに感じたものや見たもの 、聞いた事などで構成されている。」
「それって…つまり…!」
「その通り、この世界でキミが見たことないものが反映されることはあり得 ない。さあ、そろそろあの日の事を思い出したんじゃないのかい?」
瞬間、頭の中にかかっていた霧が晴れる。
霧がかかっていた事により忘れていた事は全て思い出した。
しかし、それは霧が晴れた後に待っている、雲ひとつない晴れ渡った青空の様に美しいものではなかった。
あの日、自分は誰かが玄関を開ける音で目が覚めた。
普段なら起きれないはずだが、その日は何故か目が冴えていたため、簡単に起きる事が出来た。
忍び足でリビングに近づいていくと、父の怒鳴り声が聞こえてきた。
怒鳴り声に怯えてしまった自分は扉の中に入る事は出来ずに、扉の隙間から中を覗き込む事しかできなかった。
扉の中では、父が母に手を上げ、母が必死に父に縋りついていた。
その光景を見た自分は恐ろしさのあまり、その場から動けない。
すると、母が突き飛ばされ、近くに小物入れからナイフを取り出した。
そして、母が手に持ったナイフを父に向かって突き出した。
両目から一筋の涙を流して…。
「ア…アァァ…アアァァァアアア!!!」
「その様子だと、思い出したみたいだね。わかったかい?母親はキミが見て いる前で心を押し殺し、人殺しをしたんだよ。それも、最愛の夫を殺して ね。」
「アァ…アアァ…。」
もう、あいつの言葉なんて耳に入ってこなかった。
自分が思い出した光景が余りに酷くて、それを忘れていた自分が余りにも腹立たしくて、何より虚しかった。
そうして嫌でも気づく、本当に壊れたモノは他でもない自分であったという事に。
呆然と膝をついて下を向いている俺を見たあいつはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、俺の目の前に立って、俺を見下ろした。
その手にはいつの間にか一振りの剣が握られており、それを俺の首に押し当てる。
その目に映すものはなく、淡々とした口調で告げた。
「…そろそろ終わりにしようか。この忌まわしい記憶も、壊れた家族の未練 も、キミという呪いも…全部がこれで終わる。怖がらなくてもいい、痛み はないし、一瞬だ。」
「…。」
声を発する事さえできない俺に向かってあいつは剣を振りかぶる。
俺はそれを避けようとは微塵も思わなかった。
これですべてが終わるのなら…それが幸せなのかもしれない、そう思いさえしていた。
そうして、あいつが俺の首に剣を振り落とそうした時
ジャラララララララララ!!!
白色と黒色が混じった鎖が何処からともなく飛んできた。
その鎖はあいつの全身を覆うように絡みついていく。
あいつが急な出来事に驚いていると、すぐに何かに気がついたのか悔しそうに顔をしかめる。
「くっ…時間切れか…!後もう少しだったのに…!」
そう言っている間にもどんどんとあいつの体に鎖は絡みついていく。
そして、鎖で全身が覆われる直前、あいつは俺の方を向いてこう言った。
「今回はここまでにしておいてあげるよ…。だから、次に会う時までは死な ないでね?」
その言葉の意味を理解する前に鎖の飛んできた方向から強い光が放たれた。
余りの眩しさに腕で顔を覆うと、俺は一本の真っ白な鎖によって腕を掴まれ、そのまま光の中へと引きずりこまれていった。
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眩い光の中、俺は鎖に引かれ続けていた。
俺は温かい光の中でふと、自分が助けた少女について思い返していた。
あの少女はどうなったんだろう…今も母親と共に笑えているのだろうか。
そう思い、あの少女と母親の笑顔を思い出す。
すると、また自分の心に黒い何かが出てくる。
これはいったい何なのだろうか、自分の心に起きている異変について考えてみる。
そうしている間にも、どんどんと引っ張られていく俺。
鎖の引く方向へ進んで行くたびに光は強まっていった。
光がどんどんと強くなっていく中、俺はまだ異変が何なのか分からないでいた。
確かに、微笑ましいと感じていたことはあった。
でも、それはこの気持ちの様に黒いものではない様な気がした。
そうして異変について考えていると、急に先程見た自分の記憶が浮かんできた。
自ら命を絶ってしまった母の事を思うと、今でも胸がえぐれるように痛む。
手伝いをしたりすると、あの優しい笑顔で褒めてくれた母に甘えていた時の自分は…
(…ん?この感覚は…。)
母の事を思った瞬間先程からの異変と繋がるモノを感じた。
あの少女に幼き日の自分を重ねていた俺はあの家族にいったい何を見出そうとしたんだろう。
あの母親に何をして欲しかったんだろう。
あの少女は俺がして欲しかった事をやってもらえるのだろうか。
そう考えた時、ついにこの異変の正体がわかった。
(ああ、そうか…
俺はきっとあの少女の事が羨ましかったんだ。)
俺が自分の心にあったモノに気付いたのと同時に、強まった光が自分を包み込み始めた。
温かな光に包まれていく俺は、この感覚をどこかで感じたことがあったような気がした。
そう、この光はまるで…
(母さん…もう一度会いたいよ…。)
光が止んだ時、そこにはもう誰もいなかった。
ようやく…ようやく転生できました!
本当ここまで長かった…。
次回、主人公の転生先の世界はどんなところでしょうか?