表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/31

堕星群

異変は直ぐには起きなかったが、確実にウィストリアの街に迫っていた。

みるみる大きくなっていく黒雲はしかし、西門手前の上空で不自然に停滞していた。

意思を持つかのようなそれは、何かを待っているようにも見える。

突然、強風が吹き付けたのだが、それは霧散することなく、留まり続けた。

西門の門番たちは、馬車や人の往来を捌きながら、上空の雲を見ていたが、

「なんだか、変な雲だなぁ」

程度の認識しかなかった。

だから今はそんなことよりも、一気に押し寄せた商人の列をどう捌くか。

それだけを考える事にしたのだった。


昼の祈りを終えたアンナは、少し困っていた。

お腹が空いてきたのだ。

祝儀の期間中は、日が出ている時間帯は食べ物を口にしてはいけない。

覚悟はしていたのだが、いざその時が来るとなかなかの問題である。

朝昼晩と、規則正しい食生活をしてきたアンナには、昼食を抜いた経験がない。

すでに何度鳴ったか分からない腹の虫を恨めしく思いながら、今は耐えるしかないのだ。

しかし、この苦行を乗り越えれば、晴れて一人前の主護星ガリムとして、自由に行動出来るのだ。

それは矮護星ラゴス時代には出来なかった事が、出来るということ。

即ち、城壁の外に飛び出し、新たな世界を切り拓く権利が与えられるのだ。

矮護星ラゴスの時は、1日の大半を院の中で過ごす。

護星脈ピアーの使い方から、読み書き、星関連の知識、歴史なんかも覚えさせられた。

最初は新鮮で楽しくもあった。

しかし直ぐにマンネリ化し、今では護星脈ピアーの実践訓練しか楽しいと感じない。

つまらない日常だった。

授業の中には壁外の事に触れることもあった。

だからだろう。

毎年、矮護星ラゴスの年長組は次第に壁外に憧れるようになっていくそうだ。

アンナもその例に漏れず、2年ほど前からずっと待ち焦がれていたのだ。

それに、

「街の外でロスさまと会えるしぃ」

なんて事も考えている。

お互いに気持ちを確かめ合った仲だ。

アプローチのし易さは、以前の比ではない。

窓の外をポケーっと見ながら、少女は一体何を考えているのだろうか。

少女の勢いは増すばかり。

空腹だったことなどすっかり忘れ、アンナはロスとの距離を縮めるべく、

心ここに在らず、様々なシミュレーションをするのだった。


日が西の空に傾き出した頃だった。

それまで沈黙していた雲は、突如、触手の様にウィストリア上空へと伸びていく。

先端部分は、我先にと獲物に食らいつく生き物の群れのように、一点を目指す。

街の中央広場へ。

中央広場には大きな噴水があり、東西南北から伸びる主要道の交差点である。

どの時間も人で溢れるかえるここは、今日も大勢の人の流れをじっと見つめていた。

そんな噴水のてっぺんに、見慣れない球体が置かれていた。

その球体は、新月の夜よりも暗く、重々しい気配を漂わせている。

街ゆく人は気付かないのか、見えないのか。

誰もそれを指差したり、疑問に思う声は挙がらなかった。

その球体の上空で渦を巻き始めた黒雲に、街の人々も異変を感じ始めた。

しかしそれは、やはり球体にではなく雲に対するもので、

「なんだあの雲?」

「嵐の前兆か?」

などの、ある種、平和な疑問だった。

渦の中心から急降下してくる雲の先端は、大衆の見つめる中、あの球体に触れる。

瞬間。

黒い光が瞬く間に広がり、その後を追うように、爆風の様に激しい風が街中を駆け巡った。


カーラは驚きを隠せずにいた。

一瞬、夜になったかのように暗くなった後、突風が吹き荒れ、民家を幾つかなぎ倒したのだ。

サモア院長のお使いで、何軒かの店を回った帰り道。

最後に寄った店は、カーラの視界内の遠くで半壊している。

明らかに異常な現象に出くわしたカーラは、

先ほどの突風の直撃を受けず無事な民家の軒下に身を寄せた。

ドッと、額から汗が吹き出る、誰が見ても異常な光景。

息を潜めて、もう5分位経っただろうか。

どこからも何も動く気配はない。

街は静まり返っている。

そろそろ民家から離れ、院に戻ろうかと割と大きな道に出た時だった。

カーラの足元に、ポツリポツリと何かが落ちてきた。

「黒い…雨?」

それは次第に無数の雫となり、街を黒く染める雨になった。

そして、黒雨が視界を奪い始めた時。

ドゴォォォォッ!!

カーラの直ぐ後ろで、何かが弾けた。

反射的に護星脈ピアーで前方に飛び去り、カーラは音から離れた。

反転して、先ほどまで自分がいた場所を見やる。

そこには、体に夜を纏ったかのような獣の姿があった。

獣は、カーラの知っている限り、犬に似ていた。

しかし、犬と言っていいのかわからなかった。

何故なら、顔がないのだ。

ないと言うより、顔のあるべき場所に、顔の代わりにポッカリと穴が空いたようである。

カーラが知っている犬とはかけ離れた存在。

最初は条件反射、次第に得体の知れない恐怖に強張り始める四肢。

絞り出すように、言葉を発した。

堕星群イマリオン……?」

ふと、カーラの頭の中に砂嵐混じりの映像が流れる。

不鮮明で何かは分からないそれは、いつかサモア院長が言っていた言葉で掻き消された。

堕星群イマリオン、それは邪の化身だと。

決して、我らと共存出来ない存在だと。

口に出した途端、疑問は確信に変わっていった。

(こんな生き物見たことない、きっとそうだ)

逃げなければ。

カーラの頭は恐怖に支配され、それしか考えることができなかった。

堕星群イマリオンの犬は、ピクリとも動かない。

だが、じっとカーラを見据えているように思える。

カーラには、どうやって逃げたらいいのか判断がつかなかった。

(走って逃げるのか?

背を向けて?いや、それは無謀すぎる。

護星脈ピアーを使って怯ませるか?

それは堕星群イマリオンを刺激するだけなのでは?

そもそも、自分の護星脈ピアーでどうこう出来るようには思えない…)

実際には、護星脈ピアーで風を操り、空を舞う事は出来る。

かなりの確率で、安全にこの場所から離脱できるハズだ。

しかし。

戦闘経験もない、最近やっと12歳になったばかりの少女。

ひしひしと感じている危機感と、「これは訓練ではない。命がかかっている」

という意識から、まともな判断が出来ないでいる。

そうこうしているうちに、今まで動かなかった堕星群イマリオンの犬が、

一歩一歩と歩みを進める。

それに、カーラは体をビクつかせたのだが、具体的な行動には移せないでいた。

一歩、また一歩。

もう目の前に迫っている。飛びかかられたら、届く距離だ。

恐怖に戦きながらも、顔がない以外に発見があった。

前足の爪はナイフの様に鋭利で危険な輝きを放っている。

(あ、あれで襲われたら私は間違いなく…。)

さらに、黒い体の表面には微かに光る紅い管。

ドクンドクンと一定のリズムで脈打っている、血管。

堕星群イマリオンも「生きている」のだろうか。

さらに一歩、堕星群イマリオンの犬が近づく。

ジャラリと、石畳に当たる爪の音。

その音を聞いて、カーラがさっき見た砂嵐の映像が鮮明に脳内で再生される。

視てしまった。

自分が血まみれで倒れる姿を。

世界が死んでしまったかの様に周囲は静かで、自分の鼓動の音だけが聞こえる。

ドクンドクンドクン。

どんどん早くなっていく鼓動は、自分の危険を報せる警報なのだろう。

(私、死んじゃうだ…)

そう考えた瞬間。

氾濫した川の様に、決壊したダムの様に。

とめどなく流れる涙が視界を濁す。

堕星群イマリオンの犬が飛びかかった瞬間。

カーラの意識は暗闇の中に落ちていった…。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ