想いの芽
ザワザワと何やら騒がしい空気を感じ、目を覚ました。
窓の外はまだ暗く、街行く人の姿はない。
どうやらこの気配、院の中からのようだ。
真冬と比べるとそうでもないが、朝はまだまだ冷える。
ロスは適当に上着を羽織り、まだ覚醒しきっていないまま部屋を出る。
頭をポリポリ掻きながら、廊下の角を2回曲がり中庭の吹き抜け部分へ。
中庭で冷やされた空気がロスの顔を容赦なく叩く。
「うぅ〜、さぶっ」
ブルっと体を震わせながら、ロスは柵から身を乗り出し上を見上げる。
ロスの部屋は2階にある。
年齢も院の中では比較的高く、だからなのか個室である。
子供達は2人で一部屋を使い、ロスの部屋の上、つまり3階に部屋がある。
朝から子供達が騒いでるのかと思っていたのだが、
「あれ?静かだな」
3階からは声は聞こえない。
むしろ起きている気配すらない。
冷たい風に半ば無理矢理に覚醒させられ始めたロスは、意識を集中してみる。
「……」
やはり、誰も起きていない様だ。
それよりも、
「1階?」
どうやら3階の気配を探っていたロスの意識は、1階からの気配に反応したらしい。
吹き抜けの脇を通り、吹き付ける風に縮こまりながら階段へ。
1階に降り立つと、意識しなくても気配の発生源がわかった。
「食堂か…」
そう呟きながら、中庭の横をかすめながら食堂に向かう。
扉の10m位手前から、何やら話し声が。
「…………」
(くぐもっていてよく分からないな)
そう心の中で言いながらも、誰がいるのかは大体分かってしまった。
ガチャッっと、特に静かに開けることをせず、むしろわざとらしいくらい勢いよく扉をあけると…
「「「!!!」」」
ロスに集中する、3人の視線。
驚愕。
怯え。
怒り?
見事にバラけた反応をみせる、子供たち。
(えっと…確か…)
「何してるんだぃ?カーラ、ロジェ、フリジッド?」
「ブ・リ・ジ・ッ・ト!!」
「あぁ…ブリジット…」
(しまった…)
ただでさえ、支持率が低いロスの致命的なミス。
こういう事の積み重ねで、マルセルに後れを取っているのは明らかである。
しかし、どうしてもブリジット少年の名前だけは間違えてしまう。
こうして間違えるのは、一体何回目だろうか。
もはや諦めて[フリジッド]になってくれないかと思っているロスに、
「ロス兄こそ、こんな時間にどうしたんです?」
丁寧なのか砕けているのかよく分からないな言い方で、ロジェ少年が尋ねる。
「あぁ、少し騒がしかったから何かと思ってさ」
とりあえず、改名の件は頭の片隅に追いやり、せっかくなので助け船に乗ることにした。
「えっ!そんなに騒がしかったですか?」
少し怯えながら切り返してきたのは、結い上げた赤髪が印象的なカーラ。
ロスがわざと勢いよく扉を開けたためにビクビクしているわけではない。
この子はいつもそうなのだ。
「丸聞こえってわけじゃないけど、なんとなくザワついてたからさ。何してたんだ?」
「朝ごはん作ってたんだよ…でもうまくいかなくてさ…」
少々、いやかなり不機嫌そうにブリジット少年。
「朝ごはん?給仕の人たちはどうしたの?」
子供たちが朝ごはんを作る事なんてあったか?
ロスは顔をしかめつつ、記憶の中を探る。
自分がこの院に来てもうすぐ10年近くになるだろう。
しかし、作った覚えもないし、見たこともなかった。
(なんかの罰か何かか?いや、それなら俺が1番やっているハズ…。
罰で何かをやらされるなら、サモア院長の部屋の掃除。
中庭の掃除。院の外回りの掃除……。
俺って、掃除ばっかりやらされてるな…)
いざ自分の過去を漁ってみると、なんとも惨めな気分になってきた。
カーラ、ロジェ、ブリジットの3人は、
(この人、全然分かってないな…)
という目をしていたのだが、当のロスは惨めな記憶がフラッシュバックしていて、それに気付くことはなかった。
呆れた顔を正し、ロジェ少年が言う。
「僕たち3人は祝儀の管理者に選ばれたんですよ」
その声に我に返ってロスは、
「管理者?祝儀の?」
答えを貰っても、わからなかった。
「祝儀の主役の2人の、要するに世話役だ」
後ろからの声に振り返ると、
「あ、マル兄!」
「あ、マルセル」
いち早く反応したのはブリジット少年。続いてロス。
マルセルは、珍しく上着を着ていた。
それが本当に珍しくて、ロスは思わず、
「マルセルが上着着てるなんて、今日は嵐が来るな…」
なんて場違いな事を言ってしまう。
「はぁ?祝儀の期間中は当たり前だろ?」
「??」
悲しいことに、もうロスには何も理解できない。
頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでは消えを繰り返している。
「護昇の祝儀の3日間、院にいる全員は指定の服装に着替え、慎みをもって生活する。基本だろ?」
なんだか聞いたことがあるような、無いような。
「ん〜〜…」
ロスの頭は高速回転を始めたのだが、記憶していないことは思い出す事など出来ないわけで…
「そんなの知らない」
そう結果を弾き出したのである。
「「「「はぁ〜」」」」
完全に呆れ返ってしまった4人。
仕方なく、
「ロジェ、説明してやってくれ…」
「はい…」
マルセルの指示の元、ロジェ少年が口を開き始めた。
「簡潔に言うとですね。護昇の祝儀の3日間は全員が正装、つまりは院の指定の服です。他には護星脈は極力使用しない事。主役に関しては、朝昼晩1日3回祈りを捧げること。初日の夕げ以降は管理者の作った物以外は口にしてはいけない。昼間の時間には食事をしてはならない。中庭使用時は1人でなければいけない。こんなところです」
拍手をするマルセル、カーラ、ブリジットの3人と素直に感心してしまっているロス。
「ロス、これじゃどっちが年上かわからねぇぞ…」
「いやでもこの話、初めて聞く気がする」
「じゃあロス兄はどうやって主護星になったんだよ!」
「いや…普通に…」
かなり戸惑いながらのロス。
「今、ロジェが説明したのが普通のハズなんですけど…」
こちらも戸惑いながらカーラ。
「まっ、これは決まりであって、昇華するために必要な手順じゃないからな」
「「「「!!!!」」」」
マルセルの言葉に驚く4人。
「え、じゃあなんでこんなことするの?」
今まで非難の眼に晒されていたロスである、少し納得いかない様子だ。
「僕たちのやってることは、無駄なんですか?」
「「そんなぁ」」
ロジェはマルセルに詰め寄り、後の2人はガックリと肩を落とす。
「ん〜…半分は言い伝えみたいなもんらしいぞ?もう半分は…」
「「「「もう半分は…?」」」」
興味津々に4人はマルセルを見据える。
(おいおいロス…)
内心で呆れながら、マルセルは俺の考えだと前置きし、
「俺たち【春の群勢】は、星と強く繋がっている。他にも院にいる仲間たちや、このウィストリアの街の人々。全ての人との繋がりの上に成り立っている訳だ。だから、相手を想う気持ちや労りの心。誰かのために協力するっていう事を大切にして欲しいって意味が込められているんだと思う」
「「「………」」」
ロジェ少年が急に、
「なるほど!つまりは僕たちを星に見たてて、加護を思いやりの心と置き換えて、擬似的な星と【春の群勢】との関係を、地上で再現しているわけですね!」
何やら難しい事を言い始め、感動し始めるロジェ少年。
「まぁ、そうなるな!」
笑ながら放置するマルセル。
わけも分からぬ他の3人にマルセルは、
「要するにだ。大切な人のために、決まりごとを一緒になって守ろう!そんな感じだ!カーラ、ブリジット。お前たち、ルペとアンナは好きか?」
マルセルの問いに2人は、
「「うん!!」」
と元気に答える。
「その2人が、決まり事を守ろうとしている。って事はお前たちもそれを守らなきゃいけない。それが相手を想うって事になるんじゃねぇか?好きな人の為に何かしてやる、意味なんて関係ないんだ。わかったか?」
分かり易く置き換えられた言葉に理解を示した2人は、
感動に浸っているロジェを引っ張りながら食堂の調理スペースへと消えていく。
先ほどの失敗を活かして、3人で意見を出し合い、少しでもマトモな朝ごはんを作ろうと必死だ。
全ては、大切な仲間のために。
要するに相手を想う気持ちなのだ!
熱意の炎を燃やしながら、作業は進む。
ロスとマルセルは長いテーブルに向かって規則正しく並べられていた椅子を引っ張り出して、キッチンの入り口で腰掛け、3人を見守る。
食事を作るのは管理者でなければならないが、知識を与える分にはいいだろうと思ってのことだった。
しかし。
(これなら何とか、夜明け前に出来そうだな)
自分たちが必要ないことのように思えた2人は、イスを戻し食堂を後にする。
まだ起床には早い時間なので、ロスもマルセルももう一度寝ることにした。
「相手を想う気持ちか…」
自室のベッドに入り、目を閉じる少しの間、ロスは考えていた。
アンナを想う気持ちは、昨夜から変化を表している。
それはやはり恋愛感情なのか?それはわからない。
ただ、以前と同じ〈大切〉ではないと思う。
まだ子供だと思っていた少女の顔は、もう立派に〈女性〉だった。
アンナの急激な変化に、ロスの心も変化を求めているのだろうか。
上手く表現出来ないまま、瞼が重くなってきた。
あの出来事を思い出す。
アンナの笑顔と体温、そして唇の柔らかさ。
夢の中でもアンナに会いたい。
まどろむ意識の中、
「「「出来たー!!」」」
っと、遠くから小さい歓声を聞いた気がした。