あの日から
木の実を皿に置くまでが祈り。
だから、この状況は必然だろう。
子供達は我先にと食べ物に群がり、あっという間に大皿が空く。
それを見て、追加の料理が運ばれるがそれもすぐにと言った具合で…
結局、ロスがありつけたのは追加が運ばれ始めて4回目の頃。
それも、わざわざ席を立って確保する始末であった。
どうやらロスは子供達に、
「席は優遇するが、料理は別」
程度の人気もとい、敬意しかないらしい。
なぜなら目の前のマルセルは、まるで子供達の中で「神」だと崇められているが如く、
料理が配膳されているのだ。
「この扱いの違い…」
そうこぼしたロスだったが、子供達が無邪気に料理をマルセルに供え、
嬉しそうにマルセルの話を聞いているのを見て、
「まぁいいか」
と思ってしまうのだった。
そして、これをチャンスと見たアンナは、料理を皿いっぱいに盛り付け、
「ロスさまの為に取ってきましたぁ」
と、ポイントを稼ごうと躍起になっているのであった。
そんなアンナの頑張りでそこそこ腹に溜まったロスは、静かに食堂を後にする。
賑やかな食堂を出て、何回か通路を曲がり誰もいない中庭へ出る。
中庭の脇を通り、上階に昇る階段へ。
階段を3階まで昇り、通路の突き当たりの窓から屋根へ。
屋根に出ると、院の1番高い屋根へとジャンプ。
辿り着いたのは、ウィストリアの街並みが一望できるロスお気に入りの場所。
ここで時折、ただぼーっと街並みを眺めている。
南門の方角を見ると、酒場の光が漏れ出ていて家々をほんのり橙色に染めている。
旅人達の夜はまだまだ始まったばかりだろう。
何を話しているのかは分からないが、時折「おぉーー」と歓声の様な声が上がっている。
恐らく、明日の無事を祈って乾杯でもしているのだろう。
街から街へ、村から村へ。
旅人の道中には、危険も伴うと聞く。
大きな街の周辺は、道も整備されており、割と安全ではある。
しかし、いつまでも安全な道が続いているわけではない。
森の中の道を進む事もあるし、砂の海を通る時もあると聞いた事がある。
熊などの凶暴な野生動物との遭遇は、旅人にとっては命がけだろう。
そして、絶対に遭遇したくないのは、イマリオンだろう。
堕星群とは星の加護を全く受けられなくなった生物の総称。
野生動物が魔に堕ち、異形な姿になったもの。
人間もなる事があり、強い憎しみや怨み、妬みなどの負の感情が原因だという。
ロスは遭遇したことはないし、むしろ遭遇したくはない。
ロス達程ではないにしろ、普通の人間や動物も星の加護を受けている。
それは、生命活動の「源」とも言って良いだろう。
それを与えられず、一体何に頼り、存在しているのだろう。
ロスにはそれがとても切なくて、悲しいことに思えた。
誰もいない真っ暗な世界に放り込まれたような、漠然とした不安。
音もなく、色も光も失った世界に、ただ独り。
姿形の無い絶望感にも似たそれが、ロスの胸を這いずり回る。
ふと、見上げた夜空。
そのちょうど真上には薄いもやの中、微かに輝く守護星・アルクトゥールス。
ロスが加護を受けているこの星は、酒場からこぼれた光と同じ橙色。
酒場の光が旅人を包んでいる様にアルクトゥールスも、
もやで拡散されたその淡い光で、ロスを優しく包み込んでいる様に思えた。
世界には、悲しいことが溢れているのだろう。
でも、
「ここは平和だなぁ…」
そう独り言を呟いた。
不意に吹き付けた風に、甘い香りが混じっていた。
風の吹いて来た方を見やると、少し遅れて引っ込む淡い桃色の髪。
(バレバレだって…)
心の中でそう呟き、桃色の髪の持ち主を呼ぶ。
「アンナ、そんなところにいないでおいで」
「は、はいぃ」
少し大変そうに屋根をよじ登ってくるアンナ。
「まだ慣れてない?」
「は、はい…まだですぅ」
「期間は人それぞれだから、とにかく慣れるまで頑張って」
「はい、頑張りますぅ…」
やっとの事で登り切ったアンナは、服の乱れをチェックし、風に煽られる髪を右手で押さつつ、
「今日なったばかりですから、仕方ないと言えばそうなんですけどぉ」
そう言いながら、ロスの元へテクテクと歩み寄り、もちろん隣に座る。
護星脈を扱う人間には3つのランクのようなものが存在する。
最初の頃は矮護星と言い、星の寵愛を受けて産まれた者のことを言う。
次に主護星。
これはある程度鍛錬を重ね、守護星に祈りを捧げる事によって昇華した者の事。
さらにその上が巨護星と言った具合。
主護星は矮護星よりも多くの加護を受ける為、肉体など諸々強化される。
巨護星は主護星よりも更に多くの加護を受ける。
つまり護昇の祝儀とは、矮護星から主護星、主護星から巨護星に昇華した者が現れた時に行う、お祝いの宴の事である。
そして今日の祝儀の主役は、ルペとアンナの2人。
2人は矮護星から主護星に昇華したのだ。
昇華したての数日は転生をした状態であり、赤子の様な状態になっている。
そのために、身体が思うように動かせず、護星脈も上手く使えないのだ。
「いつもなら、もっと簡単なんですけどぉ…」
少し残念そうにアンナはため息混じり。
どうやら、ロスにカッコ悪いところを見せてしまってしょげている様子。
そんなアンナを思ってか、
「アンナは14で主護星に昇華したんだろ?俺なんて16だったよ?そんなに落ち込まなくてもいいさ」
さり気なくフォローを入れるロス。
「で、でもぉ…」
アンナは悔しそうだ。
ロスのそばにいるだけで、無条件に機嫌が良くなる少女にしては珍しい。
少し様子もおかしく、無駄にモジモジしている。
もしや具合が悪いのかと、心配になったロスは、
「大丈夫?具合でも悪い?」
と言ってアンナの顔を覗き込んだ。
急にロスの顔が接近してきたために、アンナの顔は真っ赤に色づく。
恥ずかし過ぎてジタバタしながら立ち上がったアンナは、バランスを崩して足を滑らせた。
「あっ…」
「危ない!!」
咄嗟にアンナの手を掴み、引き寄せるロス。
そのまま胸に抱き寄せる格好となり…
一安心のロスと、彫刻と成り果てたアンナ。
「「………」」
思わず数秒間、強く抱きしめ合う様な感じに…。
(どうしよう、心臓バクバクだよぉ)
内心でも表情でも、一切の余裕のないアンナは、
「あ、あのぉ…」
と、一言だけ搾りだしたが、ロスの言葉に遮られる。
「前にも一回、こんな風になった事あったね」
「あっ……」
(憶えててくれたんだ…)
「憶えてる?」
「も、もちろん憶えてますよぉ」
泣き出しそうになるのを必死に抑えてながら、
「あの時もロスさまが助けてくれたんですぅ。だから私は今も生きているんですものぉ」
そう言いながら、腕の中からロスを見上げる。
その顔は、恋心に身を焦がす少女の顔とは違い、感謝の様なものが込められていた。
アンナは、言葉を発する事が出来なかった時期がある。
目立たなくなってきてはいるが、今でもアンナを苦しめている。
そんなアンナに、周りは冷たかった。
大人たちはアンナをお荷物の様に扱い、遠ざけた。
今でも何が原因で言葉が失われたのかは分からないが、1番困惑したのはアンナ自身である。
しかし、アンナの不安や悲しみを大人たちは和らげようとはしなかったのだ。
困惑した中、向けられる冷たい視線。
当時8歳の少女には、耐え難い苦痛であっただろう。
自分の存在価値を、存在理由を奪われ、暗闇の日々を過ごした。
(他の矮護星の子達はあんなに嬉しそうに両親と笑い合っているのに、どうして私だけ?)
(自分は必要とされていない。)
(自分はいない方がいい。)
(消えてしまおう。)
(もう、楽になりたい。)
(疲れたよ…。)
そして、11歳になったある日、少女は決断した。
死のうと……。
出来るだけ高い建物に登り、くるりと一周静かに街並みを見やる。
「さようなら」
アンナは自分の声にハッとした。
この命の終わりに、言葉が出たのが恨めしい。
でも、もう生きるのが辛いのだ。
ゆっくりと目を閉じ、重力に身を任せようとした瞬間。
「危ない!!」
当時16歳だったロス少年は、先程と同じようにアンナの手を掴み、抱きしめたのだった。
「あの時、ロスさまが私に言った言葉、憶えていますかぁ?」
ロスの腕の中から、アンナが問う。
「もちろん、覚えているさ」
照れながら、ロスは答える。
「あの言葉…もう1度、言ってもらえませんかぁ?」
何やら必死なアンナに負け、ロスは恥ずかしさを抑えながら言う。
「君がどこの誰かは分からないけど、死ぬなんてダメだ。君は君しかいないんだ。代わりなんていないんだよ」
(あぁ、一字一句違わない。やっぱり、私の大好きなロスさまだ)
何かを再認識した様にアンナは頷き、ロスの腕の中から出る。
「あなたが私を助けてくれたんですぅ。あの暗闇の底から引っ張り上げてくれたんですぅ。私に生きる希望と意味をくれたんですぅ。止まった時を再び動かして。あなたがいなかったら、今の私はいません。私が主護星になったら、言おうと決めていた事があります」
小さく、深呼吸。
「あなたを、心から愛しています」
真っ直ぐにロスを見つめるその瞳には、恥ずかしさに慌てふためく様子はなく、ただ、真実を語る。
ロスはその瞳を真っ直ぐに受けとめ、
「君を助けたあの日から、俺は決めたことがあるんだ。あの桃色の髪をした、か弱い少女を見守って行こうと。でももう違うみたいだ」
瞳を閉じた。
そして口を閉じ、沈黙する。
2人の間、30cmも離れていない隙間に、ふわりと風が通り抜ける。
「これからはアンナ、君を守って行こう」
「俺も、心から愛しているよ」
そう言って再び、アンナを強く抱きしめる。
嬉し泣きのアンナは、ロスの胸に顔をうずめて、
「し、しっかり守られますぅ。そして私もロスさまを守りますぅ」
一生離さないかの様に、強く、キツく、背中に腕を回す。
アンナの嬉し泣きが終わる30分くらいの間、ロスはアンナの頭を撫で続けた。
ようやくロスの胸から顔を離したアンナは、涙を拭いながら笑った。
まるで一輪の花が咲いたように。
淑やかに、可憐に。
東の空から月が登り、2人を照らし始めた。
今宵は満月。
ウィストリアの街並みが、光と影の世界を作り上げる。
その1つ、民家の屋根に照らし出された影は、抱きしめながら互いを求め合う。
2人は、キスをした。