はじまり
夜が明ける少し前のこの時間。
荒涼とした大地が広がるこの場所に、ひっそりと佇む小規模な森。
全体的に背が低く緑もない、枝が剥き出しになっている木々。
小規模とは言え、寂し過ぎるその森に、頭一つ抜けた何かがあった。
遠くからだと影にしか見えないそれは、不自然に森のシルエットを変えていた。
その影から500mほど離れた獣道に、
頭から足の先まである、麻製のローブを被る3人の人影。
所々破れた箇所を修繕した跡があるのを見ると、裕福そうな印象はまず受けない。
しかし、その立ち居振る舞いからは貧しさとは逆に、一種の優美さが伺える。
不思議な影。
3つの影の真ん中には、ローブ越しにでも分かるほどの逞しい体つきが目に入る。
男だろうか。
その者の一歩後ろを、うつむき気味に歩く2人は従者だろうか。
何かに突き動かされる様に、導かれるようにある一点を目指しているように見える。
そもそも獣道だ。
勾配は無いに等しいが歩き易い筈もない。
時折、邪魔する様に突き出した木の枝や、足を絡め取ろうとする根っこ。
しかし、3つの影は暗がりの中、舗装された道を歩くかのようにスムーズに、
歩を進める。
そして。
古い作りだが荘厳な雰囲気を纏う建物にたどり着いた。
先ほど見えていた影は、人の手によって作られたものだった。
中からは、複数の人の気配がしていた。
中央の男は振り返らず、
「ここまでだ」
と短く言い、2人を待たせ歩き出す。
建物の入り口には50段ほどの階段があった。
横幅は100mほどあるだろうか。
その無駄に広い階段の中央を、男は踏みしめるようにゆっくりと、
しかし強い意志をたぎらせながら登って行く。
階段を登り切ると、人一人がやっと通れるかどうかの細い道。
東の空が明るくなり始めたというのに、この通路にはまだ始まったばかりの夜があった。
「ふぅ…」
一度呼吸を整え、夜に向かって歩き出す。
通路の入り口に差し掛かろうとした時、中から出てくる人影が。
1人の老婆だった。
「お待ちしておりました」
見た目よりも凛とした声で老婆が言う。
そしてそのまま反転し、男を先導して中へ。
男は黙ったまま、老婆の後に続いて歩き出す。
建物の入り口に入った瞬間、男の視界は黒く染まった。
どこまでも暗い、闇。
何も見えなくなりながらも、老婆の気配を頼りに歩を進めていると、
「あと少しでございます、陛下」
と、老婆がポツリとこぼした。
あと少し、という言葉の意味。
それはこの通路が?
それとも…?
思考を巡らせ、陛下と呼ばれた男は、
「あぁ…」
と、ただ短く返すだけに留めた。
しばらく歩くと、夜が明けていくようにゆっくりと、光が迫ってきた。
やがてその光は、真夏の太陽のように、神の祝福のように、男の全身を焦がした。
少しの間、目が眩み、立ちすくむ男の眼前には広い空間が広がっていた。
そこは清潔感があり、老朽化が目立っていた外観からは想像も出来ないほど、神聖な空間だった。
まさに神殿そのものだった。
男からは70m程だろうか。
そこには台座があり、仰向けの人物が1人。
その台座と人物とを、とり囲むように複数の人達。
ここからでは途切れ途切れにしか聞こえないが、何やら台座の人物に話しかけている。
内容は分からない。
しかし、その仕草に熱が篭っている様に伺える。
「あ……こし………っ…」
そして、数秒後。
台座を取り囲んでいた人達の熱気が、どっと膨れ上がる。
挙がる歓喜の声と、それに負けじと響く産声。
1人の老婆が赤子を抱きかかえ、聖堂の天井に向け、掲げた。
男とは反対側の小さな窓から上がる太陽に照らされて、
それは生命の神秘を描いた絵画の様にさえ思えた。
男はローブのフードを取り、直立のまま右手で右顔面を覆う仕草。
この国においてそれは、高貴なる者への礼法であった。