「底辺のコンビニ店員」と嘲笑った女が百万部作家だと知った御曹司が復縁を迫ってきますが、もう遅いです
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「君みたいな底辺の女と関わった俺が馬鬿だった」
午前二時三十七分。蛍光灯が静かに唸るコンビニのレジカウンター越しに、氷室蓮也はそう言い放った。
「新しい彼女ができたんだ。社長令嬢でね、美玲っていうんだ。だからもう店に来ても話しかけるな。……分かるだろ? 格が違うんだよ、格が」
(ああ、やっぱりそうなんだ)
私——雪村結衣は、レジに置かれた缶コーヒーのバーコードを静かにスキャンした。ピッ、という電子音が妙に大きく響く。
半年間、毎晩のようにこの時間に来店しては「君だけが癒しだ」「俺には君が必要なんだ」と甘い言葉を囁いていた男。最初は戸惑った。次第に、少しだけ心が揺れた。でも、どこかでずっと分かっていた気がする。
彼が見ていたのは「私」じゃない。
「コンビニ店員という底辺を見下ろす自分」に酔っていただけだ。
「百五十円になります」
「聞いてるのか?」
蓮也の整った眉が苛立たしげに歪む。ブランドのコートに包まれた長身、雑誌から抜け出してきたような端正な顔立ち。確かに、深夜のコンビニには不似合いな男だった。
「はい、承知いたしました」
私は薄い笑みを浮かべて頭を下げた。これが私の盾。何を言われても、この言葉で自分を守ってきた。
「……それだけか? 泣いたりしないのか?」
(泣く? なぜ?)
「お客様のお幸せを、心よりお祈り申し上げます」
蓮也は一瞬、面食らったような顔をした。きっと、すがりつかれると思っていたのだろう。泣いて「捨てないで」と懇願されると。
残念だけど、そんなドラマチックな展開は用意していない。
「……ふん、やっぱり何も感じないんだな。だから底辺なんだよ」
缶コーヒーをひったくるように取ると、蓮也は振り返りもせずに自動ドアへ向かった。冷たい夜気が一瞬だけ店内に流れ込み、そしてドアが閉まる。
静寂が戻る。
私は深く、深く息を吐いた。
(終わった)
銀縁の眼鏡を外し、目頭を押さえる。涙は出ない。悲しくないわけじゃない。ただ、心のどこかが「やっぱりね」と冷静に呟いている。
レジ横の小さな時計が、午前二時四十分を指していた。
夜はまだ長い。私の長い夜は、まだ続く。
でも、知らなかったでしょう? 蓮也さん。
あなたが「底辺」と嘲笑った私の中に、百万人が待ち望む言葉が眠っていることを。
◇◇◇
それから三日後。
『コンビニ店員にストーカーされて迷惑してた。やっと彼女も諦めたみたいで安心。底辺の女はこれだから困る』
休憩室の古びたスマートフォンに表示されたSNSの投稿を、私は無表情で見つめていた。
氷室蓮也のアカウント。数万人のフォロワーがいる。そして、その投稿に「いいね」を押しているのは——白石美玲。彼の新しい恋人だという社長令嬢だ。
『れんくん可哀想〜! コンビニ店員ってマジ? 恥ずかしくないのかな笑』
美玲のコメントには、さらに追随するリプライが連なっている。
『御曹司を狙うとか身の程知らずすぎ』
『底辺は底辺らしくしてろよ』
『顔も見てみたいわ、どんなブスなんだろ』
(ストーカー、か)
話しかけてきたのは、いつもそっちだったのに。
私はスマートフォンをそっと裏返し、休憩室の天井を見上げた。黄ばんだ蛍光灯が、相変わらず静かに唸っている。
三年前、私は都内の大学で文学を学んでいた。将来は作家になりたいと思っていた。でも父の会社が倒産し、実家には莫大な借金が残った。学費を払えなくなって中退し、それでも夜を徹して働き続けて、ようやく借金を完済したのが去年のこと。
夢なんて、とっくに諦めたと思っていた。
でも——書くことだけは、やめられなかった。
深夜二時から三時、客足が途絶える時間。レジの隅で、私はずっと物語を書いていた。疲れ果てて来店するサラリーマン、泣きながらアイスを買う女子高生、何も買わずに雑誌を立ち読みして帰る老人。
彼らの「深夜」を、私は言葉に紡いだ。
誰にも見せるつもりはなかった。ただ、書かずにはいられなかっただけ。
それを匿名でWeb小説サイトに投稿し始めたのは、一年前のこと。ペンネームは「雪乃」。
「雪村さーん、休憩終わりー」
同僚の声に我に返り、私は立ち上がった。
◇◇◇
「いらっしゃいませ」
深夜一時。タクシーの制服を着た男性が、疲れた足取りで入店してきた。佐伯さんだ。三十代前半、夜勤明けに必ず立ち寄る常連客。
「お疲れ様です、佐伯さん。今日も安全運転でしたね」
「……ああ、雪村さん。いつもありがとう」
佐伯さんは少しだけ表情を緩めて、いつものエナジードリンクとおにぎりを手に取った。
「あの、雪村さん。俺、SNS見たんだけど」
「はい?」
「あの御曹司の投稿。ひどいよな、あれ。雪村さんがストーカーだなんて、誰も信じないよ。俺、反論しといたから」
(え?)
思わず目を瞠る。佐伯さんは照れくさそうに頭を掻いた。
「雪村さんがいるから、俺は夜勤明けに頑張れるんだ。『お疲れ様です』って、他のコンビニじゃ言ってくれないからさ。……だから、あんな嘘、許せなくて」
喉の奥が熱くなる。
「あ、ありがとうございます……」
「礼を言うのはこっちだって。じゃあ、また明日」
佐伯さんが店を出ていく。自動ドアが閉まった後も、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
誰かの夜を、少しだけ温められていたのだろうか。
こんな私でも。
◇◇◇
翌日、オーナーの田所さんが血相を変えて店に飛び込んできた。
「雪村さん! 来週からシフト増やせない!?」
「え、でも私、少し休みを——」
「頼む! 君が休み始めてから売上が三割も落ちてるんだ! 常連さんが『雪村さんいないなら来ない』って言うんだよ!」
三割。
私は目を見開いた。そんなに、だっただろうか。
「あと、君が作ったPOPとSNSの投稿、本部から問い合わせが来てる。『誰がやってるのか』って。うちの店舗、今エリアで売上一位なんだよ、君のおかげで」
(私の、おかげ?)
知らなかった。ただ、お客さんが手に取りやすいように配置を変えて、季節の商品が目に入るようにPOPを書いて、深夜のコンビニの小さな幸せを写真に撮ってSNSに投稿していただけ。
「店長にならないか、雪村さん。君がいないと、この店は回らないんだ」
田所さんの言葉が、私の胸に静かに染み込んでいく。
底辺だと、言われた。
価値がないと、嗤われた。
でも、この場所で——私はちゃんと、何かを積み上げていたのかもしれない。
◇◇◇
一週間後。
「雪乃先生、書籍化と映像化のオファーが同時に来ています」
電話の向こうで、落ち着いた低音の声がそう告げた。柊一颯——私の担当編集者だ。
「……本当に、私の作品が?」
『深夜特急ラプソディ』。深夜のコンビニを舞台にした連作短編小説。Webサイトでの総閲覧数は三千万を超え、書籍化が決まれば初版十万部の予定だという。
夢のような話だった。いや、夢だと思って聞いていた。
「正式な契約のために、一度お会いしたいのですが」
「あの、私……身元を明かすのは」
「ええ、分かっています。ただ、僕は——」
一颯さんが少し言葉を切る。
「僕は一度、雪乃先生にお会いしています」
「え?」
「深夜のコンビニで。僕が初めて先生の作品を読んだ夜、眠れなくて近所のコンビニに行ったんです。そこで、一人の店員さんを見ました」
心臓が跳ねる。
「疲れたお客さんの表情を一瞬で読み取って、温かいお茶を薦める店員さん。泣いている女子高生に、さりげなくチョコレートのサンプルを渡す店員さん。……その人の動きを見て、僕は確信したんです。この人が、あの作品を書いている人だって」
息が詰まる。見られていた。ずっと、見られていた。
「でも、詮索はしませんでした。先生が名乗り出るまで待とうと決めていました。だって——」
一颯さんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「先生の作品は、僕の深夜を救ってくれたから。読者として、その恩は忘れていません」
涙が、頬を伝った。
誰かに見られていた。誰かに、ちゃんと届いていた。
「……お会いします」
◇◇◇
待ち合わせは、駅前の静かな喫茶店。私は銀縁の眼鏡を外し、髪を下ろして向かった。コンビニの制服ではなく、数年ぶりに袖を通したシンプルなワンピース。
「雪乃先生——いえ、雪村さん」
立ち上がった一颯さんは、知的な眼鏡の奥で穏やかに微笑んでいた。
「初めまして、ではないですね。何度もコーヒーを買いに行きました」
「あ……あの時の方だったんですか」
月に二、三度来店する、静かな常連客。いつもブラックコーヒーとシンプルなサンドイッチ。本を読みながら、時々窓の外を見つめていた人。
「ずっと、作品を読んでいました。あなたの言葉は、誰かの深夜を照らす光だ」
一颯さんはテーブルに一冊のファイルを置いた。中には、私がWeb上に投稿した作品がすべてプリントアウトされ、付箋がびっしりと貼られている。
「ここの描写、何度読んでも泣きそうになります。こっちの台詞は編集部全員で議論しました。『深夜のコンビニで、私は世界を見つけた』——この一文を帯に使いたいと思っています」
私は言葉が出なかった。
蓮也は、私をコンビニ店員としてしか見なかった。
でもこの人は——私の中に眠る言葉を、ずっと見つめていてくれた。
「雪村さん。僕はあなたの才能を、正当に評価したい。コンビニ店員だから、なんて理由で下に見る人間を、僕は許せない」
一颯さんの切れ長の目が、真っ直ぐに私を見つめる。
「あなたは——特別な人です」
◇◇◇
一方、その頃。
「れんくん、あたしもう無理。あなたより条件のいい人が見つかったから」
氷室蓮也は、高級レストランの個室で呆然と座り込んでいた。
白石美玲は、グラスワインを傾けながら冷たく笑う。
「あなたの会社、最近評判悪いんでしょ? SNSで炎上してるって聞いたわ。あのコンビニ店員の件、意外と批判されてるみたいね」
「待て、美玲。俺たちは——」
「『待て』? あなた何様? あたしはもっと上の男と付き合うの。じゃあね」
ヒールの音がカツカツと遠ざかっていく。
蓮也はスマートフォンを取り出し、自分の投稿を確認した。
『この人のコンビニ、行ってたけど店員さんすごく良い人だったよ。嘘ついてるのはどっち?』
『常連だけど雪村さんがストーカーとか絶対嘘。逆だろ』
『御曹司って威張ってるけど自分の会社の評判落としてて草』
批判的なコメントが、日に日に増えている。
「ふざけるな……たかがコンビニ店員のくせに……!」
蓮也は知らない。
あの「たかがコンビニ店員」の小説が、今まさに日本中を動かそうとしていることを。
そして、その映像化権を自分の会社が狙っていることを——。
◇◇◇
三ヶ月後。出版記念パーティー会場にて。
『深夜特急ラプソディ』は発売一週間で五十万部を突破し、社会現象となっていた。
「雪乃先生、本日はおめでとうございます」
「素晴らしい作品でした。映像化、楽しみにしています」
華やかな会場で、私は次々と挨拶を受けていた。肩まで伸びた黒髪を初めて美容院で整え、シンプルな紺のドレスに身を包んで。銀縁の眼鏡は変わらないけれど、コンビニの制服はもう着ていない。
「結衣さん、大丈夫ですか」
隣に立つ一颯さんが、小声で囁く。
「はい。少し緊張していますけど」
「何かあったら、すぐに言ってください。僕がついていますから」
その言葉に、心が温かくなる。
この三ヶ月、一颯さんはずっと私を支えてくれた。取材対応のアドバイス、スケジュール調整、そして何より——私の言葉を、私自身よりも信じてくれた。
「あなたの作品は、必ず届きます。信じてください」
何度、その言葉に救われただろう。
「雪乃先生! 少しお話を——」
その時、会場の入り口が騒がしくなった。
「お客様、ここは関係者以外——」
「俺は関係者だ! 彼女とは昔付き合っていたんだ!」
心臓が跳ねる。
人垣を割って現れたのは、三ヶ月前に私を「底辺」と嘲笑った男——氷室蓮也だった。
「結衣……!」
蓮也は以前とは別人のようだった。高級ブランドのスーツは皺だらけで、整っていた髪は乱れ、目の下には深い隈がある。
「なあ結衣、話を聞いてくれ」
「……氷室さん」
私は静かに名前を呼んだ。会場が水を打ったように静まり返る。
「やり直さないか。俺が間違っていた。君がこんなすごい人だなんて知らなかったんだ。美玲なんか最初から好きじゃなかった。本当に好きだったのは君だけだ」
(知らなかった?)
胸の奥で、何かが冷たく凍っていく。
「俺の会社、君の作品の映像化をやりたいんだ。一緒に——」
「お断りです」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
蓮也が目を見開く。会場のざわめきが大きくなる。
「結衣、頼む。俺は——」
「三ヶ月前、あなたは私に何と言いましたか」
「え?」
「『君みたいな底辺の女と関わった俺が馬鹿だった』。そう言いましたよね」
蓮也の顔が引きつる。周囲の視線が一斉に彼に集中した。
「あ、あれは——」
「さらにSNSで『ストーカーまがいの店員』と中傷しましたね。白石美玲さんと一緒になって、私を笑い者にした」
私はスマートフォンを取り出し、スクリーンショットを表示した。削除されているはずの投稿の、保存画像。
「消しても、インターネットには残るんですよ。ご存知でしたか」
蓮也の顔から血の気が引いていく。
「ま、待ってくれ。俺は、その、勢いで——」
「勢いで人を傷つけて、都合が悪くなったらなかったことにする。それがあなたのやり方ですよね」
私は一歩、前に進み出た。
「私はコンビニ店員だったことを恥じていません」
声が、自然と大きくなる。
「あの場所で私は、疲れ果てた人の深夜を少しだけ温められた。誰にも気づかれなくても、確かに誰かの役に立てていた。それが私の誇りです」
蓮也が何か言おうと口を開く。でも、私はもう彼を見ていなかった。
「あなたは私を見下すことで自分の価値を確認していた。でも、本当に価値がなかったのはどちらでしょうね」
会場が静まり返る。
「お帰りください、氷室さん。あなたとお話しすることは、もう何もありません」
「結衣……!」
蓮也が手を伸ばそうとした瞬間、一颯さんが私の前に立った。
「彼女が断ると言っています。これ以上は警備を呼びますよ」
静かだが、有無を言わせない声。
蓮也は一颯さんを睨みつけ、それから私を見た。かつて「癒し」だと言った相手を、今は憎しみの目で見ている。
「後悔するぞ……! 俺を捨てたこと、絶対に後悔する……!」
捨てた?
私は小さく笑った。
「捨てられたのはあなたですよ、氷室さん。美玲さんにも、そして私にも」
蓮也の顔が、真っ赤に染まった。そして、何も言い返せないまま、警備員に連れられて会場を後にした。
◇◇◇
「大丈夫ですか、結衣さん」
騒ぎが収まった後、一颯さんがグラスの水を差し出してくれた。
「はい。……少し、手が震えていますけど」
「当然です。でも、立派でした」
一颯さんの穏やかな笑顔に、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
「言いたいこと、全部言えましたか」
「……はい。言えました」
ずっと心の奥に澱のように溜まっていたものが、ようやく流れ出ていった気がする。
「結衣さん」
「はい?」
「僕は——」
一颯さんが少し言いよどみ、それから真っ直ぐに私を見た。
「僕は編集者として、あなたの才能を見出せたことを誇りに思います。でもそれ以上に——」
「以上に?」
「あなたという人に出会えたことが、僕の人生で一番の幸運だと思っています」
胸が熱くなる。
「……私も」
言葉が震える。でも、続けなければ。
「私も、あなたに出会えて——良かったです」
一颯さんの目が優しく細められる。
会場の喧騒が、遠く感じた。
◇◇◇
半年後。
『深夜特急ラプソディ』のドラマ化記念ライブ会場は、一万人の観客で埋め尽くされていた。
主題歌を担当したアーティストの歌声が響く中、私はVIP席で静かにステージを見つめていた。隣には一颯さんがいて、時折目が合うと小さく微笑み合う。
三ヶ月前、私たちは正式に交際を始めた。
「君の言葉を、これからもずっと隣で読ませてほしい」
そう言ってくれた夜のことを、今でも鮮明に覚えている。
◇◇◇
同じ会場の観客席——一般エリアの片隅に、一人の男が座っていた。
氷室蓮也。
かつての御曹司は、今は見る影もない。SNSの炎上は止まらず、会社の評判は地に落ちた。父親から「無能」と罵られ、実質的に追放同然の扱いを受けている。
ステージに映し出された原作者——「雪乃」こと雪村結衣のコメント映像。
『この作品は、深夜のコンビニで働いていた頃に生まれました。誰にも気づかれない時間、誰かの夜を少しだけ温められたら——そんな思いで書き続けてきました。読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます』
画面の中で微笑む結衣は、かつてコンビニのレジに立っていた地味な女とは別人のようだった。自信に満ちた表情、真っ直ぐな眼差し。
「……なんで」
蓮也は呟いた。
「なんで、俺じゃなかったんだ……」
隣に座った見知らぬ観客が、ちらりと彼を見た。
「お前、泣いてるのか?」
「……うるさい」
分からない。今でも分からない。
あの「底辺のコンビニ店員」が、なぜこんな場所で輝いているのか。なぜ自分ではなく、あの地味な編集者が彼女の隣にいるのか。
——分からないまま、一生終わるのだろう。
蓮也には、それを理解する力がなかった。
◇◇◇
ライブが終わり、会場を出ると、夜風が頬を撫でた。
「結衣さん」
一颯さんが、そっと手を差し出す。私はその手を取った。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます。……夢みたいです」
「夢じゃないですよ。全部、あなたが掴み取ったものです」
繋いだ手が温かい。
ふと、近くのコンビニの明かりが目に入った。蛍光灯の白い光、自動ドアのガラスに映る人影。
「一颯さん」
「はい?」
「コンビニ、寄っていきませんか」
彼が少し驚いた顔をして、それからふわりと笑った。
「いいですね。何を買いましょうか」
「んー……缶コーヒーと、肉まんと、あとは——」
私は空を見上げた。都会の夜空は星が見えないけれど、代わりにビルの明かりが無数に瞬いている。
「一緒に食べられるもの、選んでください」
「了解です」
コンビニの自動ドアが開く。蛍光灯の光と、温かい店内の空気。
「いらっしゃいませ」
若いアルバイトの店員が、元気な声で迎えてくれた。深夜シフトだろうか、少し眠そうな目をしている。
私はその姿に、かつての自分を重ねた。
(頑張って)
心の中でそう呟いて、私は一颯さんと一緒に商品棚へ向かった。
◇◇◇
深夜のコンビニで、私は世界を見つけた。
誰にも気づかれない場所で、それでも誰かの夜を照らし続けた。
その光は、いつか私自身の道を照らしてくれた。
『深夜特急ラプソディ』の帯に記された言葉。それは、私の人生そのものだ。
蛍光灯の下で出会った言葉たちが、今は百万人の深夜を照らしている。
そして私は——もう、誰にも「底辺」だなんて言わせない。
言わせる必要も、ないのだけれど。
「結衣さん、これとこれ、どっちがいいですか」
「うーん、両方買いましょう」
「贅沢ですね」
「今日くらい、いいじゃないですか」
笑い合いながら、私たちはレジへ向かう。
深夜一時。コンビニの蛍光灯が、二人を優しく照らしていた。
【完】




