ミヒャエル・エンデの絶版本が出てから20年経っているそうです。
20年。
ちょっと前までの成人年数ですね。
クラファンの活動報告に初版の翻訳者から応援メッセージが来ていたのを読みました。
復刻版の翻訳は、初版の翻訳者が再度担当してくれることになっています。
最初に翻訳者が『影の縫製機』を訳して20年。その思いが綴られていました。
本題の前にちょっと余談をします。
森博嗣のスカイ・クロラという作品シリーズがあります。
私が森博嗣にハマったきっかけの作品です。その作品が世に出てからも20年になります。
とても好きな作品なのですが、謎が深すぎて何回読んでも理解が追いつかなかったんです。
何度もスカイ・クロラという森の中へと挑むのですが、叙述の嵐に翻弄され、なにも分からないうちに森の外へと放り出されてしまうんです。
その深い樹海は、どんなに入念な準備を整えても、必死で作りこんだ地図を片手に挑んでも、真相にはたどり着かせてくれない、神秘に満ちたところでした。
人生で一番再読回数が多い作品かもしれません。
その作品を最近読み返したら、読めたんです。
わかったんです。この物語がどういう物語なのかが。
なんの苦も無く。ただありのままに。ただ素直に。すんなりと理解できたんです。
ようやくその森の本当の姿を見ることができました。
もうその作品は、私にとっては樹海ではなく、庭になりました。
美しいものを美しいまま感じることができる場所。
よどんだ空気から解放され、深呼吸できる場所。
もう迷わずそこへたどり着くことができます。
そこに足を踏み入れるまで、私は20年かかりました。
人の20年。
その年月で人が吸収する、経験、感情、知識。
言葉ではうまく表現することは難しいですが、自己の内面の成長を確かに感じた瞬間でした。
話を元に戻します。
20年前に翻訳した時は、原文の韻や意味に重きを置きすぎていたかもしれない。
20年の歳月を経て、答えが出せたと思う。
そんなことを翻訳者は語っていました。
その言葉の深さが、自分の体験と重なり、ますます復刻への期待が高まりました。
翻訳はとても奥が深い作業です。
その人の感性というフィルターを通すと、同じ言葉を訳していても別物へと変わってしまう。
そこが面白さでもあるのですが。
翻訳者が20年の歳月を経て見つけた答えが何なのか、初版と読み比べてみたいです。
そして復刻版にはドイツ語の原文も掲載してくれる予定になっています。
実際に自分が翻訳したら、どんな詩になるのか。
それも今から楽しみなんです。





