ミヒャエル・エンデが好きなんだなぁって実感したんです。
ちょっとずつちょっとずつ、進捗が進んでいます。
このままで大丈夫かなあ。
うまくいくかなあ。
心配になるのは、きっと私だけじゃなく、発起人の人たちだって、本の完成を待ち望んでいる人たちだって同じことです。
なんとなくクラファンの活動報告を読んでいたら、『モモ』に出てくるベッポじいさんの言葉が引用されていました。
その言葉は、私がベッポじいさんを大好きになったきっかけの言葉でもあります。
初めてモモを読んだときも、とても大切な言葉だから忘れちゃいけないと、子供ながらに言葉から伝わる思いの強さのようなものを感じた記憶があります。
その言葉を目にして、小さかった頃、まるで自分がモモとして、ベッポじいさんにその言葉を直接言われたかのような感覚になりました。
それくらい大切な言葉でした。
今改めてもう一度、ベッポじいさんに諭されたような気がしました。
あせって一度に全部やろうとするな、と。
大切な言葉だったのに忘れてしまっていたんです。
責任や数字、成果に追われる毎日で、すっかり時間どろぼうに囲まれてしまっていた私を、ベッポじいさんが突然現れて助けてくれました。
ベッポじいさんは、私の大切なおじいちゃんの一人です。
今読んでる本を読み終わったら、次はモモを再読するぞ! と思った次第です。
ファンタジーは現実から逃避するためのものではない。
物語というのは、現実を変える力を持つものだ。
エンデはそんな言葉を残しているそうです。
私はまだエンデ作品では『モモ』しか読了していません。『はてしない物語』は途中で挫折しました。一応映画の『ネバーエンディングストーリー』は観ました。
原作の方がバスチアンの心の成長がしっかりと分かる描写になっているようです。
うちの子が読破に挑戦している最中なので、読み終わったら今度は私が読む番になると思います。
自己成長をテーマにした物語は、大人になってから読んでも、得るものがたくさんあります。
もしかしたら今の方が、小学生の頃よりも楽しんで読めるかもしれません。
後世まで語り継がれる物語というのは、現実を生きる私たちに力を与えてくれるものです。
生きるために必要な知恵。
生きるために必要な術。
弱さと向き合うための強さ。
周囲にいる人たちからは得られなくても、本は与えてくれます。
恩着せがましいこともなく、ただそこにあって、ページを開いた誰かに、静かに物語を提供するだけです。
それでもその物語の中には、生きるために必要なことが書かれているから、名作と呼ばれる物語は世代を超えて語り継がれていく。
その本には、その本に救われた、多くの人たちの心がたくさん詰まっている。
多くの人に愛されている本には、心の重みがあります。
そんな作品を書いたエンデの言葉を凝縮した絵詩集が、誰かを救うこともあるかもしれない。
そう思わずにはいられないんです。
だから見守ります。
一歩、また一歩と、ゆっくりとゴールに向かっていくのを。