奪われた記憶
おお、アルノルド殿。やっと戻ったか。入念に別れを惜しんだらしい。まるで、愛し合う恋人達のようだね。
……ありえない? 果たして、そうだろうか? あの娘は、貴公によく懐いていただろう。貴公も、満更でもなさそうに見えたぞ。臥せる娘に付き切りで世話を焼いていたし、快復後も何くれとなく世話を焼いていた。このまま、ずっとこうしていたい、と。貴公はそう考えたのではないかね?
……いや? 含意など無いさ。ただ、当初の予定より、随分と待たされたのでな。四方山話で暇をつぶす癖がついてしまったようだ。
いやはや、しかし……ありえないと断言するとは。あの娘も憐れなものだ。貴公が気を持たせるものだから、すっかり舞い上がってしまって。あの様子では、行く先々で、貴公と夫婦になる約束を交わしたと、吹聴して回るだろうな。
……おっと、口が滑ってしまった。これでは、私が盗み聞きしていたことを、自白したようなものだ。尤も、貴公は「私の目と耳」となる鼠達が、貴公に張り付いていることに、気付いていたようだが。
……何の話をしている、か。貴公、あの娘をわざと逃してやっただろう。その話をしているのだよ。
……そのように、どこまでもしらばくれる。息をするように嘘を吐き、それを悟らせず、巧みな弁舌で煙に巻く。流石は、神出鬼没の大盗人。人の耳目を欺くのはお手の物、という訳だ。
まったく、参った、参った。この私が、まんまとしてやられるとは。これでも、疑り深く、用心深い性分であると自負してるのだがね。貴公のその、朴訥な風采と義賊の肩書に、すっかり騙されてしまったよ。ざまあない。
悲しいなぁ、アルノルド殿。貴公が殿下に忠誠を誓う同志であれば、我々は友人になり得たであろうに。
おっと、不用意に動いてくれるなよ。貴公が如何に外道を極めし魔剣士であれど、隷属の烙印を押された身で最北の国王属魔術師団に包囲されては、勝ち目はないと心得よ。
……あくまでしらを切る、か。あまり王属魔術師団を侮ってくれるな。闇の魔術を封じれば魔剣士など、翼の折れた鳥も同然。剣の道に倦み、闇の魔術に手を染める、不心得者の剣士に遅れをとる我等ではないぞ。
……わかるさ。魔剣士とは、闇の魔術を行使する、堕落した剣士。闇の魔術とは、他者を斬り捨てその生命を糧とし、術者の影を依代として発動する外術。
貴公の影は今、ここにはない。何故なら、あの娘一行を護衛しているからだ。木陰に入って出てこないのは、自身の影がないことを隠す為だ。
……当て推量でものを言っていると思われるのは、心外だな。確信が無ければ、殿下の覚えがめでたいアルノルド殿と敵対する訳がなかろう。
海岸沿いの抜け道に配備していた手勢が一人残らず、忽然と姿を消した。一端の魔術師が徒党を組んでおきながら、応戦することも増援を要請することも叶わず、全滅したのだ。
これは、尋常ならざる手合いの襲撃を受けたに違いない。たとえば、そうさな。外道を極めし魔剣士の影傀儡に襲撃され、影に引き摺り込まれた、とかねぇ。
……何故、か。それは私の台詞だ。貴公は何故、殿下を裏切った?
……質問に質問で返すのは、非礼だな。良かろう。貴公の質問にお答えしようではないか。
命からがら逃げ延びた鼠が、私に知らせてくれたのだよ。貴公は私の鼠を鏖にしたと思い込んでいただろう。残念だったねぇ。
否、どの道、同じことか。鼠が全滅したならば、私は鼠が戻らないことを不審に思い、探りを入れるべくこの拠点を訪ねる。遅かれ早かれ、貴公の裏切りは露見していた。
……濡れ衣? それはないな。事実、鼠の知らせを受け、この「隠れ家」に踏み込んだ時には、中はもぬけの殻だった。
嗚呼、何ということだ、アルノルド殿。あの娘が西の国の新女王と共に旅立つと知りながら、むざむざ逃がしてしまうとは。私の驚愕と失望は、千言万語を費やしても表現し得ぬ。
さては、あの娘に情をかけたか?
……愚かな。あの娘が何者か、忘れた訳ではあるまいに。
あの娘は、徒人ではない。南の秘境の生き残り、最悪の外術師によって作り上げられた火竜の刻印の器。西の国の第一刻印と東の地の第二刻印、そして南の秘境に伝わる「魔法の釜の投影」の秘術を一身に受け容れた「火竜の依代」なのだよ。
火竜の依代を野放しにしておけば、碌なことにならぬぞ。あれが他国の手に渡れば、世界は大変な災厄を免れぬ。
貴公とて、事の重大さは理解していよう。だからこそ、暁奴の魔の手が最北の国の第三刻印に伸びるより先に、最北の国王領の禁足地に盗みに入ったのだろう。
貴公は第三刻印を盗み出し、闇の魔術を以て隠匿した。神をも恐れぬ所業よな。なれど、それは私利私欲の為にあらず、であろう?
最北の国を敵に回す蛮行も、王属魔法師団式拷問術の秘奥を極めた責め苦に苛まれても口を割らぬ忍耐も、全ては完全なる火竜の顕現を阻止する為だった。
そうと知って、私は大いに感心したものだ。
いやはや、なるほど、噂は真であった。アルノルド殿は真の義賊であらせられる、とね。
そもそも、この状況で第三刻印を盗むなど、狂気の沙汰だ。暁奴のみならず、最北の国をも敵に回すことになる。狡くて賢いアルノルド殿が、覚悟も信念もなく、斯様な愚行を犯す訳は無かった。
ところが……ところが、だ。どうやら、私は貴公を買い被っていたようだ。
貴公が、暁奴からあの娘を奪取する大役を買って出たのは、貴公の改心の証だとばかり思っていた。殿下に説き伏せられ、改心したのだと。しかし、そうではなかったのだね。
貴公は最初から、殿下を出し抜くつもりであったのだな?
いやはやどうも、まさかと思いきや、そのまさかであったとは。
残念だよ。実に残念だ。貴公が忠良であったなら、貴公を捕らえる為に犠牲になった部下達も浮かばれただろうに。所詮は、晒し首になって然るべき賊であったか。
……この、恩知らずの、恥知らずめが。
さて、と。名残惜しいが、楽しいお喋りはこれまでだ。隷属の烙印を発動させる時が来た。
殿下は濫用してはならぬと仰せられたので、これまでは控えていたのだが、こうなっては仕方あるまい。
……くくっ、そんな目で見ないでくれ給え。私とて、出来ることなら、発動したくなかった。隷属の烙印に心身を苛まれるのは辛い。そのことは、最北の国の魔法使であれば、誰もが知っている。最北の国では、魔法使は生まれて間もなく、隷属の烙印を押されるものなのだよ。
外つ国生まれの流浪人である貴公は、知らなかったようだがねぇ。
隷属の烙印の発動は、押された者の心身を激しく蝕む。如何に屈強な心身の持ち主であっても、多用されれば耐えきれず、木偶に成り果ててしまう。
殿下に献上するべく、貴公には随分と手間を掛けた。正直に言うと、壊すには惜しいのだ。
しかし、正気の貴公が聞き分けてくれるとは思えぬのでなぁ。
さて、どうしたものか。あまり無茶はしたくない。貴公には、第三刻印の在り処を吐いて貰わねばならぬからな。縦しんば壊れてしまっても、記憶を暴く術はあるが……貴公とはまんざら知らない仲ではない。貴公の尊厳を粉々にするのは、いささか気が引ける。
依代の娘の居処は、此方で探り当てるしかあるまい。貴公はあれに行く先を言わせなかったからな。こうなることを、予期していたのだろう? ……つくづく、抜け目のない男だよ。
それで、貴公をどうするか、だが……良いことを思いついた。
貴公、生まれ変わり給えよ。王女殿下の忠実なる下僕に生まれ変われ。二度と、殿下を謀ることのないように。
なに、そう難しくはないさ。それが、私の専門だからね。
隷属の烙印を重ねて発動し、貴公が無防備になったところで、その頭の中を弄らせて貰う。
そうだな。生い立ちや経歴はそのままに。弄りすぎると廃人になりかねないのでね。王墓に盗みに入る動機と、盗みに入る迄の経緯は、暴いた後に消してしまおう。貴公は金銀財宝目当てで王城に盗みに入り、捕らえられた。そこで王女殿下に拝謁し、欲深い盗人にすら慈しみの御心をお寄せくださる殿下に心酔、改心した。と、そう言う筋書きにしようか。
ついでに、その籠もるような南部の訛りを抜いておくよ。聞き取りにくくてかなわぬ。
生まれ変わった貴公は、魔剣士の最高峰であるその力を、殿下の御為にふるうのだ。
そう、そうあるべきだ。そうあるべきだったのだ。王女殿下の御慈悲を賜ったのだから、その瞬間から、貴公は殿下の御為に生きるべきだった。
……なぁ、おい、アルノルド殿。何故、大人しく殿下に降り、従っていられなかった?
殿下は大変にご聡明な御方だ。慈悲深く、信心深く、お美しく、まさに「月の女神の愛娘」であらせられる。我等のような、世の理より外れ、竜の穢れと忌み嫌われる魔法使を丁重に扱ってくださる、類稀なる人格者だ。
殿下こそ、火竜の依代を所有するのに最も相応しい御方なのだ。殿下ならば、火竜の権能を正しく行使なさり、最北の国を正しく導かれる。殿下の治世となれば、魔法使が奴隷に貶められ、虐げられることもなくなる。
……いかにも。火竜の依代が殿下の支配下にあれば、|殿下は法に許され、民に望まれ、最北の国に君臨されるだろう。
最北の国の法は女子の王位継承権を認めぬ。しかし、火竜の権能が殿下の御力となれば、話は変わるこだ。三人の兄君達など、殿下の足元にも及ばぬ暗愚であるのだから、殿下に王位を譲り渡して然るべきであろう。
最北の国の民は善悪皆、殿下を敬愛するべきだ。
……何? 今、何と言った?
……正気か? 神聖なる王女殿下を暁奴の野蛮人と同列に語るなど、狂気の沙汰であろう。
殿下は火竜の権能によって、最北の国のみならず大陸全土に泰平の世を齎そうとなさっておいでなのだ。それを、欲に取り憑かれた暁奴どもと同じ穴の狢などと……不敬極まりない。
その舌を引き抜いて、二度と世迷い言を吐けぬようにしてくれる!
……ぐぅッ!?
……剣の影、その斬撃、か。そうか。貴公ならば、自身の影を切り離していようと、そのくらいの芸当はやってのけるか。流石は、悪名高き魔剣士だ。またしても、してやられたな。
殿下のこととなると、すぐに頭に血が上る。私の悪い癖だ。この右目は、勉強代と思うことにしよう。
お陰様で、頭が冷えたよ。負け犬の遠吠えに耳を貸す必要はなかったな。殿下の深い御心については、貴様如き下郎の知るところではないのだから。
それにしても、貴公は愚かな真似をした。
どうせ、依代の娘は長くは生きられぬ。刻印は身命を蝕む。それを二つも身に宿すのだ。先は長くない。大人になれるかどうかも怪しいぞ。
そもそも、刻印に蝕まれる苦痛に、深窓の姫君が耐え切れるとは思えぬ。直に壊れるだろう。
さらに言えば、あれは刻印の依代として、我国や暁奴から追われる身となった。貴公の影が護衛していても、逃げ延びるのは至難の業であろうよ。
あれを我国が手に入れたなら、刻印を引き剥がされ、あれは死に至る。
あれが暁奴の手に渡れば、暁奴に与する外術師によって自我を消し去られ、傀儡とされるだろう。
どの道、あの娘は救われぬ。
愚か者め。つまらぬ情にほだされ、殿下の御慈悲を粗末にしおって。然るべき報いを受けるが良い。
さらばだ、アルノルド殿。殿下の忠実なる下僕として、生まれ変わるが良い。
……そう言えば、自己紹介がまだだったね。私の名は、ジェレマイア・カーチス。次に目覚めた時には、我等は友人だ。親しみを込めて、ジェレミーの愛称で呼んでくれ給えよ。
……これで良い。少々、梃子摺ったものの、概ね、計画通りだ。
ここからは、二手に別れるぞ。お前達は依代の娘の行方を追え。お前達はここに残れ。私がこの男に魔術を施す間、邪魔が入らぬよう守りを固めろ。事が終わり次第、王城に戻る。
……傷か? 構うな、大事ない。そんなことより、一刻も早く、この男を生まれ変わらせねばならぬ。隷属の烙印を重ねて発動したとは言え、油断ならぬ男だ。
……傷の手当て? お前、私を侮るのか? この私が、治癒魔法も使えぬ三流だとでも?
……違う。お前が、私の身を案じてくれていることは、よくわかっている。気が立っているようだ……すまぬな。
とにかく、大事無い。案ずるな。
……なに? 殿下がお怒りなる、だと?
まさか。殿下はお優しい御方だ。この傷をご覧になれば、御心を痛めてしまわれるやもしれぬが、お怒りになることはあるまい。殿下はご幼少からお優しく、お怒りになられた御姿を拝見したことはない。あんなにもお優しい御方の、何をそんなに恐れる?
それに、私は戦闘はからきしで、その方面ではまるで役に立たぬ。右目があろうとなかろうと、使い勝手は変わらぬだろうよ。
……? ま、まぁ……お前がそうまで言うのなら……治癒師の治療を受けよう。ただし、一仕事終えてからだ。
この男を小屋の中へ連れて行け。早速、始めるぞ。
……それにしても、この男……何か、ひっかかる。
闇の魔術師が、己の影のみならず、物の影まで操るなど、見たことも聞いたこともない。
闇の魔術の根源は南の秘境に伝わる秘術だ。闇の魔術とは、その外術より派生した、謂わば似非物なのだ。
闇の魔術は強力だが、制約が多く、使い勝手が悪いものだ。私の行使する「支配」のようにな。
さては……暁奴に与する外術師がそうであるように、この男もまた、南の秘境の生き残りなのでは……?
この男が、南の秘境の生き残りであれば、「魔法の釜の投影」を扱えるやもしれぬぞ。
……あの男の気性を鑑みて、考えてみろ。あの男に、肉親を依代にする度胸はない。
とどのつまり、この男自身が、依代となった可能性が高いということだ。
……そうだとしたら……ますます、この男を手放す訳にはゆかぬなぁ。
これ程の魔剣士は、そうそういない。これを殿下の忠実なる下僕に仕立て上げられれば、殿下もさぞお喜びになるだろう。しかのみならず、南の秘境の生き残りで、第二刻印を宿しているとなれば、殿下のお喜びもひとしおに違いない。
さらに、あの男の記憶を暴けば、南の秘境の秘術が手に入る。そうなれば、あの男を器として刻印を集め、殿下に忠実な火竜の化身を得られるでないか。
くくっ……さぁ、お楽しみの時間だ。