表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

醒めたら忘れられる夢

 ……アルノルド様! やっと見つけました。まさか、こんなところにいらしたなんて。


 この寒空の下、峻険な崖の上で、一体、何をなさっていらしたの? ……まぁ、良い眺め!


 ……はい。わたくし、ひとりで参りました。お姉様ですか? お姉様を山登りにお連れするなんて、そんなこと、出来ません。だって、お姉様のお御足は、もう……。


 ……どうして、アルノルド様がわたくしに謝るの? 悪いのは暁奴キョウドと裏切り者の外術師ですし、お辛いのはわたくしではなくてお姉様です。


 ……ローベル様ですか? ローベル様は、お姉様に付き添ってくださっております。お姉様をお一人にするなんて、とんでもないことですもの。


 それに……わたくし、ローベル様に嫌われておりますの。ローベル様は、わたくしと二人きりになるなんて、お嫌でしょう。突然、首を絞められたりしたら、困ってしまいます。


 ……あっ! 違うの、勘違いなさらないで! ローベル様は信頼出来る御方です。お姉様の幼馴染でいらして、誰よりもお姉様を敬愛なさっておいでで。西の国(ユランルテア)の王都が陥落した後、行方知れずとなられたお姉様を、ずっと探していらしたのですって。そうして、ここまで辿り着き、お姉様と再会を果たされたのです。そんな御方ですもの、善人に決まっております。


 ……とにかく、わたくしはひとりで参りました。それが何か? 


 え?「こんな危ねぇ場所に、娘っ子一人でのこのこやって来る向こう見ずがいるか」ですって? 


 えっ? そんなこと?


 そんなの、平気です。だって、危なくなったら、アルノルド様をお呼びしますもの。


 んん……えへん。


「危なくなったら、俺を呼べよ。いつでもどこでも駆け付けて、助けてやるから」


 ……何って? アルノルド様の真似です、もちろん。


 ……ええ、覚えています。わたくしは、忘れっぽいアルノルド様とは違うのです。アルノルド様のお言葉は一言一句、胸に収めております。


 ……「俺の言うことを、いちいち鸚鵡返しにするのは、そう言う訳かい」? わたくし、そんなこと、していました……? え? 今も、また? えっ?


 ……きゃっ! おやめください! 髪が乱れます! 結い上げるの、大変なのですよ!


 ……そうです! 悪戦苦闘の結果が、これです!

 どうせ、わたくしは不器用です! ごめんあそばせ!


 ……もう、良いです。そんなことより、アルノルド様。わたくし、とても怒っておりますの。お答え次第では、許して差し上げられないかもしれません。


 ……「なんで?」って……しらばくれないでください! 


 わたくしは、アルノルド様にちゃんとお伝えしました。明朝、お姉様に従い出立します、と。そして、お願い申し上げました。ちゃんとお話しをして、それから、お別れをしたいので、お見送りにいらしてください、と。


 アルノルド様は、「わかった」と仰いました。二回も。「わかった、わかった」って。


 それなのに、出立の刻限になっても、アルノルド様は約束の場所にお見えになりませんでした。


 ……ええ。もう、日が高く昇りましたね。「お姉様に置いて行かれたのか?」ですって? お生憎様。お姉様には、ご無理を申し上げて、お待ち頂いております。


 わたくし、夜明けからずっと、あちらこちら、心当たりを探し回っておりました。でも、アルノルド様は何処にもいらっしゃらなくて……もう、お会いできないかと思いました。


 どうしても、お会いしたかったのです。これが最後になるかもしれないから、最後にちゃんと向き合って、お話ししたかったのです。


 ねぇ、アルノルド様。どうして、お見送りにいらしてくださらなかったの? やっぱり、アルノルド様は、わたくしを……


 ……そんな! この期に及んでしらばくれるなんて……あんまりだわ!


 ……きゃっ! アルノルド様!? 


 もう! アルノルド様ったら! そうやって、抱き上げたら、わたくしの機嫌がけろりと直って、誤魔化せると思っていらっしゃるのなら、大間違いですからね!


 ……アルノルド様は、いつもそう。このわたくしを、まるで、ただの小さな女の子のようにあしらって。


 ……違います! わたくしは、おチビさんでも、おしゃまさんでもありません! 嫌だわ、まったく、もう! このやりとりは、もうたくさん! 何度申し上げたらわかってくださるの! あっ、アルノルド様! 頭を撫でてくださっても、誤魔化されませんよ! ……いえ、そうじゃなくて! 髪が乱れるから、おやめください! ぐしゃぐしゃなさらないでってば! もう!


 ……いいえ、アルノルド様。わたくしは、ただのアナではありません。


 また、そうして、知らんぷりをなさるの? あのね、アルノルド様。わたくしを何も知らない「おチビさん」と侮っておられるのなら、それは大きな見込み違いでしてよ。


 ……いいえ、アルノルド様。わたくしはアルノルド様と「腹を割って話そう」と申し上げているのです。


 とりあえず、おろしてくださる? ……ええ、ありがとうございます。


 ねぇ、アルノルド様。アルノルド様は最初から、わたくしに嘘をついていらっしゃりましたね。


 んん……えへん。


「目が覚めたか、良かった。具合はどうだ、病むか? ……ここは俺の隠れ家だ。お前達に酷いことをする連中は、皆、やっつけた。お前もお前の姉さんも、もう安全だ。……俺は……名乗る程の者じゃねぇ。ただの、ケチな泥棒……北からの流れ者だ。戦火に乗じて火事場泥棒に精を出してる真っ最中、たまたま、王城の地下牢に囚われた、お前達姉妹を見つけ出してな。その有様が、どうにもこうにも胸糞悪ぃんで、つい、口より先に手が出ちまったのさ。悪漢どもをこてんぱんに熨して、すっきりしたら、すたこらさっさと逃げるつもりだったんだが……手ぶらで帰るのも、何と言うか……その、癪だからよ。お前達を連れ帰ったってわけだ。こうなったからには、このまま死なれちゃ、目覚めが悪ぃ。だから、伝手を頼って、お前達に治療を受けさせた。……と、まぁ、そう言うこった。姉さんの方は、峠を越したから、心配すんな。お前さんも、こうして意識が戻ったんだ。今はまだ、辛いだろうが、これから良くなる。元気になる迄、俺が面倒をみてやるから、安心して養生しな。……一度、首を突っ込んじまったからには、途中で投げ出したりしねぇよ。金のことは気にしなくて良い。元々、俺の金じゃねぇしな。……あん? 俺の名前?……だから、名乗る程の者じゃねぇって言っただろうが。……こら、無理して喋んな。……ああ、もう! わかった、わかったよ!……アルノルドだ。ほら、これで満足か? ……へっ? アルノルド様、だぁ? おいおい、俺は、様なんて柄じゃ……あー……いい。いいよ、それで。好きにすりゃあ良い。これで気が済んだな? よし。じゃあ、もう、寝ろ。……あん? お前の名前? ……はいはい。お休み、アナ」


 ……ふふふ。先程、申し上げましたでしょう? アルノルド様のお言葉は、一言一句、胸に収めておりますの。熱に浮かされていても、苦しみ悶えていても、わたくしは、アルノルド様のお言葉を忘れたりしません。


 たまたま居合わせた、行き当たりばったりの火事場泥棒なんて、真っ赤な嘘。暁奴キョウドの兵が守りを固める地下牢に、真正面から単身で切り込んで、制圧するなんて、余人には真似の出来ない芸当です。


 ……そうそう。最北の国(ジルヴァシュネ)にはその威名を西域にまで轟かせる、凄腕の剣士がいらっしゃるそうですね。最北の国(ジルヴァシュネ)史上最高の義賊として名高い、狷介孤高のアルノルド……アルノルド様、貴方のことでしょう。


 いけませんわ、アルノルド様。今は世を忍ぶ仮のお姿なのでしょう? それなのに、本名を名乗られるなんて。はっきり申し上げますと、迂闊です。わたくしを、世間知らずの小娘と侮りましたか?


 アルノルド様のお目当ての「お宝」は、金銀財宝などではなくて「火竜の刻印」なのですよね?


 第一刻印を手に入れる為に、暁奴キョウドに侵略された西の国(ユランルテア)を訪れたのでしょう?


 暁奴キョウドは、大陸各地で侵略戦争を繰り返し、第二刻印を手中にしました。暁奴キョウドが残る第一刻印を手に入れれば、「火竜の刻印」こ三分の二が暁奴キョウドの手に落ちます。刻印が二つ合わせれば、それらは不完全であれど「火竜の依代」として機能するようになるのです。


 そうなれば、暁奴は大陸に覇を唱えるでしょう。そして、それだけでは終わりません。暁奴は海を越え、この空の下にある全てを支配しようとするでしょう。


 暁奴キョウドの野望を食い止めること。それが、北の勇士であらせられる、アルノルド様の真の目的なのですね?


 ……アルノルド様だけ、秘密を暴かれるのは不公平ですよね。だから、わたくしの秘密も教えて差し上げます。


 ふふ、不公平ですよ。だって、わたくし、ずるをしましたもの。


 アルノルド様の正体を突き止めたのは、お姉様なのです。今、申し上げたことは全て、お姉様から教えて頂いたことです。


 あーあ、言っちゃった。アルノルド様には黙っていなさいって、お姉様は仰ったのに。また、お姉様の言い付けに背いてしまったわ。わたくしって、本当に愚かな、悪い子だわ。


 ……はい。また、です。


 本当は、今日、アルノルド様には何も告げず、旅立つ筈でした。わたくしはお姉様の言い付けに背いて、アルノルド様にお別れを告げ、お見送りをお願いしたのです。


 約束の時間、約束の場所で、こっそりお会いすれば、お姉様にはばれないかと思って。


 ……えっ? あの時、あの場所に、お姉様とローベル様がいらしたのですか?


 ……そうですか。そうですよね。お姉様は、聡明な御方です。わたくし如きの浅知恵で、お姉様を欺こうなんて、烏滸がましいことです。


 わたくしは……無知で、無力で、無能で……どうしようもない。  


 ……ふふ。最初からそうやって、優しく撫でてくださったら、髪が乱れなくて済んだのに。


 でもね、アルノルド様。そんな、愚かなわたくしにも、自慢出来ることがあるのです。


 アルノルド様の正体が「ケチな泥棒」ではないと知っても、わたくし、ちっとも驚かなかったの。


 ……どうしてって? ふふ、驚かないわ。だって、アルノルド様はお強くて、お優しくて、素晴らしい御方だって、わたくし、存じ上げておりますもの。アルノルド様の正体が、神話の英雄でも、伝説の勇者でも、わたくしはちっとも驚かないわ。


 そうそう。わたくしの正体を、教えて差し上げますね。申し上げるまでもなく、アルノルド様はご存知でしょうと、お姉様は仰ったけれど。それでも、わたくしの口からお伝えしたいから。


 わたくしは、ただのアナではありません。わたくしは西の国(ユランルテア)の第二王女、アナスタシア・ルテア。女王陛下のご寵愛を賜りながら、暁奴キョウドに誑かされ、女王陛下に弓引いた簒奪者の一人娘です。


 それだけではありません。


 わたくしは、火竜の第一刻印を拝領し生まれた、火竜の巫子なのです。ですから、一人で険しい山道を行くことは、わたくしにとって、恐れるに足りないことでした。獣は皆、わたくしの為に道を開けますし、足を滑らせて滑落したとしても、たちまち傷は癒えますもの。


 ……この前の傷ですか? あれは、外傷ではありません。刻印の移植に伴う肉体の損傷です。


 ……焦らないでくださいまし。すっかりお話ししますから。


 まずは……そうですね。一から順に、お話ししましょう。


 火竜の刻印は、現代に残る、神代の遺物のひとつです。本来は、竜の墓場にて古竜の亡骸と共に永遠の微睡みにあるものです。第一刻印もまた、他の刻印同様、竜の墓場にあり、墓守りによって秘匿されておりました。


 ところが、十余年前。流浪の外術師が西の国(ユランルテア)の女王を唆し、第一刻印を神秘の守りより暴き出したのです。刻印は竜の亡骸から引き剥がされ、外術師と女王の間に生まれた子……わたくしに植え付けられました。


 わたくしは火竜の巫子と称され、それはそれは丁重に扱われました。西の国(ユランルテア)を守護する火竜の化身であると祀り上げられ、第一王女であらせられるお姉様をさしおいて、女王の寵愛を受け、民に慕われました。


 暁奴キョウドの侵略に遭った西の国(ユランルテア)の人々は、火竜の巫子であるわたくしに救いを求めました。わたくしは、皆の信頼に報いようとしました。ところが、わたくしが火竜となり、暁奴キョウドを焼き払うことは叶いませんでした。


 誰も知りませんでした。刻印は、一つでは意味を為さないことを。わたくしの父……外術師を除いて、誰も知りませんでした。


 わたくしは、竜の化身では無かったのです。わたくしは器、ただの容れ物でした。


 火竜の巫子の奇跡を信じた西の国(ユランルテア)の人々の信頼を、わたくしは裏切ってしまいました。あんなに良くして貰ったのに。あんなに大切にして貰ったのに。あんなに愛して貰ったのに。わたくしには、何も出来ませんでした。


 皆、わたくしを恨んだでしょうね。恨みながら、死んでしまったのでしょうね。


 目の前が真っ暗になりました。それでも、悲嘆に暮れる暇はありませんでした。


 暁奴キョウドの侵略者どもは、瞬く間に城下へ侵攻したのです。暁奴キョウドは臣民を虐殺しました。辛くも逃れたお母様とお姉様とわたくしは、西の国(ユランルテア)王族にのみ扉を開く、秘密の部屋に立て籠もりました。


 そこは小さな部屋です。秘密の部屋は、いざというとき、王族の尊厳を守るための部屋でした。


 そこで、お母様は自裁されました。西の国(ユランルテア)の女王として、誇り高い最期を遂げられたのです。お姉様もそうあろうとなさりました。わたくしも、そうあるべきでした。


 けれど、わたくしはお母様やお姉様のように、潔く死に臨むことが出来ませんでした。


 ……死ぬのが、怖かったのです。


 そして、わたくしは愚かにも、取り返しのつかない過ちを犯してしまいました。


 わたくしが死を恐れて泣いていると、前線に出ている筈だった父がやって来て、秘密の部屋の扉を叩いたのです。


「アナ、助けに来たよ。この扉を開けておくれ。一緒に逃げよう」


 わたくしは、お姉様の制止を振り切って、扉を開き、父を招き入れました。


 すると、父は本性を現し、わたくしとお姉様を捕らえました。


 父ははじめから、第一刻印の器であるわたくしを手土産に、匈奴に寝返るつもりだったのです。


 そこから先は、まさに地獄でした。


 わたくしは外術で服従を強いられ、心身を厳しく縛められました。そうして、第二刻印を移植されました。


 父は、わたくしという器の中で、全ての刻印を一つに合わせ、己の意のままになる、完全な火竜の依代を得ようとしたのです。


 ところが、父の目論見は外れました。第二刻印はわたくしを拒絶したのです。この身は火竜の息吹に焼かれました。第二刻印がわたくしを殺し、第一刻印がわたくしを蘇生する。生死の境で、わたくしはひたすら、苦痛に苛まれました。


 こうなってしまっては、稀代の外術師でも、何も打つ手が無かったようでした。


 父はわたくしを祭壇に安置しました。第二刻印がわたくしを受け容れることを願い、待つことにしたのです。所謂、神頼みですね。


 父は気が気でなかったと思います。器が無ければ、刻印を合わせることは出来ませんから。わたくしが死ねば、一から器を作り直さねばなりません。


 器を作るには、刻印を術者の血を引く胎児に宿す必要があります。この場合の術者とは、かつて、火竜を三つの印に分けて封じた魔術師を指します。第一刻印であれば、西の国(ユランルテア)の開祖、初代国王のことです。器は、その直系の子孫でなければなりません。


 さらに、器を完全な火竜の依代にしたとしても、そのままでは、父にとっては不十分でした。野心家である父は、火竜の依代を己の傀儡にすることを望んだのですから。


 ここで必要になるのが、服従の外術です。服従の外術を施すには、対象に術者の血を含ませねばならないのだとか。その血が増せば増すだけ、支配は強まるそうです。


 つまり、対象が術者の兄弟、姉妹、親子であれば、無条件で服従させることが出来るのです。


 つまり、父にとって、わたくしは理想の器なのです。手間暇をかけて作り上げた理想の器。それが壊れてしまうことは、父にとって、大変な損失に違いありません。


 父は焦り、わたくしの延命に努めながら、予備の、新しい器を用意しようと企みました。


 それで、父は……お姉様に目をつけたのです。


 わたくしが地獄に堕ちても構いません。自業自得ですもの。わたくしは裏切り者の娘です、見下げ果てた愚か者です。地獄の業火に焼かれても、それは当然の報いです。


 けれど、お姉様はそうではありません。


 お姉様は清く正しく美しい御方です。お姉様は西の国(ユランルテア)の宝であらせられます。


 お姉様には何の落ち度もありません。火竜の巫子姫と崇められ、付け上がっていたわたくしが、己の無力を突き付けられ、鼻っ柱を圧し折られたとき。途方に暮れ、泣きじゃくるばかりのわたくしに手を差し伸べてくださったのは……手を引いてくださったのは、お姉様でした。


 死にたくないと泣き喚くわたくしを、抱きしめてくださりました。父の裏切りに、呆然自失するわたくしを背に庇ってくださりました。


 お姉様は心からのお優しい御方です。そして、気高い御方です。憎き国讐に囚われ、辱めを受けても、西の国(ユランルテア)女王として、誇り高くあらせられました。真の王者でいらっしゃるのです。


 そんなお姉様を、父は……あの裏切り者は……あんな、あんな……!


 お姉様は、わたくしのせいで、あんな、酷い目に合われてしまわれたのに……目を覚ましたわたくしのお見舞にいらしてくださりました。「アナ、目が覚めて良かったわ」と、わたくしの焼け爛れた手を握ってくださりました。


 あの時、わたくしは誓ったのです。わたくしはこの御方の御為に生きて、この御方の御為に死のう、と。


 わたくしは、神を信じません。神が天におわすなら、父を生かしておく筈がありません。それに、もし神がいらしたとしても、お姉様に降り掛かる数多の苦難を、これは乗り越えられる試練であると仰るのなら、そんな神は、滅びてしまえば良いのです。


 わたくしは、敬虔な信徒が神を信仰するように、お姉様をお慕いしております。


 お姉様の御為に生きて、死ぬ。それが、わたくしの罪滅ぼしであり、恩返しでもあります。そうであると、信じています。


 ですから、アルノルド様とは、ここでお別れしなければなりません。


 ねぇ、アルノルド様。アルノルド様は、お姉様がわたくしを連れて旅立つ算段をなさっていることを、ご存知だったのではありませんか? 


 わたくし達が、アルノルド様に何も告げず、こっそりと旅立ったら……アルノルド様はお仲間と合流なさって、わたくしを捕らえるおつもりだったのではありませんか?


 いいえ。刻印を手に入れるのが目的なのでしたら、わたくしを生け捕りにする必要はございませんね。わたくしを殺して、亡骸を持ち帰るおつもりでしたか?


 ……わたくしは、ここに来て、まず、こんなところで何をなさっていらしたの、と、アルノルド様に伺いましたよね。本当は、察しがついています。


 ここからなら、集落周辺を一望できます。わたくし達がどの道を通ろうと、見逃さずに済みます。


 もし、お姉様の仰る通り、アルノルド様が第一刻印と第二刻印を宿すわたくしを、お姉様から奪おうとなさるなら……アルノルド様でも、容赦はしません。


 ……はい。仰る通りです。わたくしは、こうする為に、アルノルド様と二人きりでお会いしたかったのです。


 アルノルド様の真意を確かめる為に。

 必要とあらば、アルノルド様と戦う為に。


 第二刻印に受け容れられた今、わたくしは不完全ながらも、火竜の依代です。お姉様の御為に戦います。きっと、戦えます。


 ……嘘ではありません。本当です。本当に、わたくしは第一刻印と第二刻印を宿していて……むぐっ!?


 ……むぅ……むぐ……むむ……ぷはっ!


 ちょっと! アルノルド様! いきなり、何をなさるのですか!? 「うるさい口を塞いだだけ」、ですって? その仰り様はあんまりです! 冗談ではありません、わたくしは大真面目です! 


 ……「そんなの出鱈目だ。俺は信じない」って……どうして……!?


 ……まさか、アルノルド様……全て、ご承知の上で……見逃してくださるの? わたくしとお姉様を、自由にしてくださるの? でも、それでは、アルノルド様は祖国を裏切ることになるのでは……?


 ……わたくしの勘違い? アルノルド様は、義賊でも何でもない、ただのケチな泥棒……?


 ……「だから、黒雁だか黒雲だか知らねぇが、そんなものは、どうだって良い」って……。


 どうして、そんな、心にもないことを仰るの? まさか、アルノルド様ともあろう御方が、お姉様を騙し討ちなさるおつもりなの?


 ……「だから、そんなんじゃねぇんだって」って、だったら! 一体、どういうおつもりなのです!? 


 ……はぁ? 「このまま、二人で逃げちまわおうぜ。何処か遠くで、一緒に面白おかしく暮らすってのも、悪くねぇだろう」ですって?


 アルノルド様。わたくしは、申し上げました。わたくしは、絶対にお姉様を裏切らない、と。


 ……「だろうな」って。おわかりなら、どうして……


 ……アルノルド様には、わたくしを殺せない、と。そう、仰るのですか?


 わたくしを憐れんでいらっしゃるのですか? たったそれだけのことで、祖国を裏切るのですか?


 ……わたくしが祖国の脅威となり得る災いの種だと知りながら、情にほだされて判断を誤る、なんて。正直に申し上げて、幻滅致しました。


 わたくし、裏切り者は大嫌いです。売国奴は皆、すじりもじり死ねば良いと思います。


 ……でも、アルノルド様。あなたは特別です。


 わたくし、アルノルド様が好きです。殺さねばならない小娘に情を移してしまう、愚かで優しいアルノルド様が、大好きです。


 いつまでも、このままずっと、大好きです。


 あの地獄から、お姉様を救い出してくださったこと。

 苦しみ悶える私に付き添ってくださったこと。

 腐り爛れた私の体に薬を塗って、包帯を巻いてくださったこと。

 寝たきりの私を抱き上げて、お外へ連れ出してくださったこと。

 泣いてばかりの私を笑わせてくださったこと。

 刻印に蝕まれた醜い私を、きれいだと褒めてくださったこと。


 心から感謝します。このご恩は、一生、忘れません。


 報恩は……「はなから期待してねぇよ」ですか。ふふふ、アルノルド様らしい。


 ねぇ、アルノルド様。わたくし、アルノルド様のそのお顔を拝見すると、胸が高鳴るの。わたくしを見つめてくださる、その優しい微笑みが、大好きなの。


 それでは、アルノルド様。そろそろ、お別れです。


 ……「あんまり無茶すんなよ」ですか。ふふふ、約束は出来ませんけれど、善処します。お姉様の御為に生きるからには、つまらない理由で死ぬわけには参りませんもの。


 ……ねぇ、アルノルド様。それとは別に、わたくしと、約束を交わしてくださりませんか?


 わたくしは火竜の化身となって、西の国(ユランルテア)に仇なす者をみなごろしにします。父に……あの裏切り者に、死よりも恐ろしい報いを受けさせます。


 そうして、お姉様が女王に即位されて、国が復興したら。お姉様が、奪われた全てを取り戻されたら。


 私と夫婦になってください。  


 そうしたら、わたくし、アルノルド様のお願いを何でも一つ、叶えて差し上げます。


 ……ええ、そうです。なんでも、です。お姉様のお命やお立場を脅かすものでなければ、なんでも。


 約束して頂けるのなら、わたくしは……その時まで、何が何でも生き延びようと……そう、思えるかもしれません。


 ……ふふふ、約束ですよ。絶対に、守ってくださいね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ