醒めたら忘れられる夢
……アルノルド様! やっと見つけました。まさか、こんなところにいらしたなんて。
この寒空の下、峻険な崖の上で、一体、何をなさっていらしたの? ……まぁ、良い眺め!
……はい。わたくし、ひとりで参りました。お姉様ですか? お姉様を山登りにお連れするなんて、そんなこと、出来ません。だって、お姉様のお御足は、もう……。
……どうして、アルノルド様がわたくしに謝るの? 悪いのは暁奴と裏切り者の外術師ですし、お辛いのはわたくしではなくてお姉様です。
……ローベル様ですか? ローベル様は、お姉様に付き添ってくださっております。お姉様をお一人にするなんて、とんでもないことですもの。
それに……わたくし、ローベル様に嫌われておりますの。ローベル様は、わたくしと二人きりになるなんて、お嫌でしょう。突然、首を絞められたりしたら、困ってしまいます。
……あっ! 違うの、勘違いなさらないで! ローベル様は信頼出来る御方です。お姉様の幼馴染でいらして、誰よりもお姉様を敬愛なさっておいでで。西の国の王都が陥落した後、行方知れずとなられたお姉様を、ずっと探していらしたのですって。そうして、ここまで辿り着き、お姉様と再会を果たされたのです。そんな御方ですもの、善人に決まっております。
……とにかく、わたくしはひとりで参りました。それが何か?
え?「こんな危ねぇ場所に、娘っ子一人でのこのこやって来る向こう見ずがいるか」ですって?
えっ? そんなこと?
そんなの、平気です。だって、危なくなったら、アルノルド様をお呼びしますもの。
んん……えへん。
「危なくなったら、俺を呼べよ。いつでもどこでも駆け付けて、助けてやるから」
……何って? アルノルド様の真似です、もちろん。
……ええ、覚えています。わたくしは、忘れっぽいアルノルド様とは違うのです。アルノルド様のお言葉は一言一句、胸に収めております。
……「俺の言うことを、いちいち鸚鵡返しにするのは、そう言う訳かい」? わたくし、そんなこと、していました……? え? 今も、また? えっ?
……きゃっ! おやめください! 髪が乱れます! 結い上げるの、大変なのですよ!
……そうです! 悪戦苦闘の結果が、これです!
どうせ、わたくしは不器用です! ごめんあそばせ!
……もう、良いです。そんなことより、アルノルド様。わたくし、とても怒っておりますの。お答え次第では、許して差し上げられないかもしれません。
……「なんで?」って……しらばくれないでください!
わたくしは、アルノルド様にちゃんとお伝えしました。明朝、お姉様に従い出立します、と。そして、お願い申し上げました。ちゃんとお話しをして、それから、お別れをしたいので、お見送りにいらしてください、と。
アルノルド様は、「わかった」と仰いました。二回も。「わかった、わかった」って。
それなのに、出立の刻限になっても、アルノルド様は約束の場所にお見えになりませんでした。
……ええ。もう、日が高く昇りましたね。「お姉様に置いて行かれたのか?」ですって? お生憎様。お姉様には、ご無理を申し上げて、お待ち頂いております。
わたくし、夜明けからずっと、あちらこちら、心当たりを探し回っておりました。でも、アルノルド様は何処にもいらっしゃらなくて……もう、お会いできないかと思いました。
どうしても、お会いしたかったのです。これが最後になるかもしれないから、最後にちゃんと向き合って、お話ししたかったのです。
ねぇ、アルノルド様。どうして、お見送りにいらしてくださらなかったの? やっぱり、アルノルド様は、わたくしを……
……そんな! この期に及んでしらばくれるなんて……あんまりだわ!
……きゃっ! アルノルド様!?
もう! アルノルド様ったら! そうやって、抱き上げたら、わたくしの機嫌がけろりと直って、誤魔化せると思っていらっしゃるのなら、大間違いですからね!
……アルノルド様は、いつもそう。このわたくしを、まるで、ただの小さな女の子のようにあしらって。
……違います! わたくしは、おチビさんでも、おしゃまさんでもありません! 嫌だわ、まったく、もう! このやりとりは、もうたくさん! 何度申し上げたらわかってくださるの! あっ、アルノルド様! 頭を撫でてくださっても、誤魔化されませんよ! ……いえ、そうじゃなくて! 髪が乱れるから、おやめください! ぐしゃぐしゃなさらないでってば! もう!
……いいえ、アルノルド様。わたくしは、ただのアナではありません。
また、そうして、知らんぷりをなさるの? あのね、アルノルド様。わたくしを何も知らない「おチビさん」と侮っておられるのなら、それは大きな見込み違いでしてよ。
……いいえ、アルノルド様。わたくしはアルノルド様と「腹を割って話そう」と申し上げているのです。
とりあえず、おろしてくださる? ……ええ、ありがとうございます。
ねぇ、アルノルド様。アルノルド様は最初から、わたくしに嘘をついていらっしゃりましたね。
んん……えへん。
「目が覚めたか、良かった。具合はどうだ、病むか? ……ここは俺の隠れ家だ。お前達に酷いことをする連中は、皆、やっつけた。お前もお前の姉さんも、もう安全だ。……俺は……名乗る程の者じゃねぇ。ただの、ケチな泥棒……北からの流れ者だ。戦火に乗じて火事場泥棒に精を出してる真っ最中、たまたま、王城の地下牢に囚われた、お前達姉妹を見つけ出してな。その有様が、どうにもこうにも胸糞悪ぃんで、つい、口より先に手が出ちまったのさ。悪漢どもをこてんぱんに熨して、すっきりしたら、すたこらさっさと逃げるつもりだったんだが……手ぶらで帰るのも、何と言うか……その、癪だからよ。お前達を連れ帰ったってわけだ。こうなったからには、このまま死なれちゃ、目覚めが悪ぃ。だから、伝手を頼って、お前達に治療を受けさせた。……と、まぁ、そう言うこった。姉さんの方は、峠を越したから、心配すんな。お前さんも、こうして意識が戻ったんだ。今はまだ、辛いだろうが、これから良くなる。元気になる迄、俺が面倒をみてやるから、安心して養生しな。……一度、首を突っ込んじまったからには、途中で投げ出したりしねぇよ。金のことは気にしなくて良い。元々、俺の金じゃねぇしな。……あん? 俺の名前?……だから、名乗る程の者じゃねぇって言っただろうが。……こら、無理して喋んな。……ああ、もう! わかった、わかったよ!……アルノルドだ。ほら、これで満足か? ……へっ? アルノルド様、だぁ? おいおい、俺は、様なんて柄じゃ……あー……いい。いいよ、それで。好きにすりゃあ良い。これで気が済んだな? よし。じゃあ、もう、寝ろ。……あん? お前の名前? ……はいはい。お休み、アナ」
……ふふふ。先程、申し上げましたでしょう? アルノルド様のお言葉は、一言一句、胸に収めておりますの。熱に浮かされていても、苦しみ悶えていても、わたくしは、アルノルド様のお言葉を忘れたりしません。
たまたま居合わせた、行き当たりばったりの火事場泥棒なんて、真っ赤な嘘。暁奴の兵が守りを固める地下牢に、真正面から単身で切り込んで、制圧するなんて、余人には真似の出来ない芸当です。
……そうそう。最北の国にはその威名を西域にまで轟かせる、凄腕の剣士がいらっしゃるそうですね。最北の国史上最高の義賊として名高い、狷介孤高のアルノルド……アルノルド様、貴方のことでしょう。
いけませんわ、アルノルド様。今は世を忍ぶ仮のお姿なのでしょう? それなのに、本名を名乗られるなんて。はっきり申し上げますと、迂闊です。わたくしを、世間知らずの小娘と侮りましたか?
アルノルド様のお目当ての「お宝」は、金銀財宝などではなくて「火竜の刻印」なのですよね?
第一刻印を手に入れる為に、暁奴に侵略された西の国を訪れたのでしょう?
暁奴は、大陸各地で侵略戦争を繰り返し、第二刻印を手中にしました。暁奴が残る第一刻印を手に入れれば、「火竜の刻印」こ三分の二が暁奴の手に落ちます。刻印が二つ合わせれば、それらは不完全であれど「火竜の依代」として機能するようになるのです。
そうなれば、暁奴は大陸に覇を唱えるでしょう。そして、それだけでは終わりません。暁奴は海を越え、この空の下にある全てを支配しようとするでしょう。
暁奴の野望を食い止めること。それが、北の勇士であらせられる、アルノルド様の真の目的なのですね?
……アルノルド様だけ、秘密を暴かれるのは不公平ですよね。だから、わたくしの秘密も教えて差し上げます。
ふふ、不公平ですよ。だって、わたくし、ずるをしましたもの。
アルノルド様の正体を突き止めたのは、お姉様なのです。今、申し上げたことは全て、お姉様から教えて頂いたことです。
あーあ、言っちゃった。アルノルド様には黙っていなさいって、お姉様は仰ったのに。また、お姉様の言い付けに背いてしまったわ。わたくしって、本当に愚かな、悪い子だわ。
……はい。また、です。
本当は、今日、アルノルド様には何も告げず、旅立つ筈でした。わたくしはお姉様の言い付けに背いて、アルノルド様にお別れを告げ、お見送りをお願いしたのです。
約束の時間、約束の場所で、こっそりお会いすれば、お姉様にはばれないかと思って。
……えっ? あの時、あの場所に、お姉様とローベル様がいらしたのですか?
……そうですか。そうですよね。お姉様は、聡明な御方です。わたくし如きの浅知恵で、お姉様を欺こうなんて、烏滸がましいことです。
わたくしは……無知で、無力で、無能で……どうしようもない。
……ふふ。最初からそうやって、優しく撫でてくださったら、髪が乱れなくて済んだのに。
でもね、アルノルド様。そんな、愚かなわたくしにも、自慢出来ることがあるのです。
アルノルド様の正体が「ケチな泥棒」ではないと知っても、わたくし、ちっとも驚かなかったの。
……どうしてって? ふふ、驚かないわ。だって、アルノルド様はお強くて、お優しくて、素晴らしい御方だって、わたくし、存じ上げておりますもの。アルノルド様の正体が、神話の英雄でも、伝説の勇者でも、わたくしはちっとも驚かないわ。
そうそう。わたくしの正体を、教えて差し上げますね。申し上げるまでもなく、アルノルド様はご存知でしょうと、お姉様は仰ったけれど。それでも、わたくしの口からお伝えしたいから。
わたくしは、ただのアナではありません。わたくしは西の国の第二王女、アナスタシア・ルテア。女王陛下のご寵愛を賜りながら、暁奴に誑かされ、女王陛下に弓引いた簒奪者の一人娘です。
それだけではありません。
わたくしは、火竜の第一刻印を拝領し生まれた、火竜の巫子なのです。ですから、一人で険しい山道を行くことは、わたくしにとって、恐れるに足りないことでした。獣は皆、わたくしの為に道を開けますし、足を滑らせて滑落したとしても、たちまち傷は癒えますもの。
……この前の傷ですか? あれは、外傷ではありません。刻印の移植に伴う肉体の損傷です。
……焦らないでくださいまし。すっかりお話ししますから。
まずは……そうですね。一から順に、お話ししましょう。
火竜の刻印は、現代に残る、神代の遺物のひとつです。本来は、竜の墓場にて古竜の亡骸と共に永遠の微睡みにあるものです。第一刻印もまた、他の刻印同様、竜の墓場にあり、墓守りによって秘匿されておりました。
ところが、十余年前。流浪の外術師が西の国の女王を唆し、第一刻印を神秘の守りより暴き出したのです。刻印は竜の亡骸から引き剥がされ、外術師と女王の間に生まれた子……わたくしに植え付けられました。
わたくしは火竜の巫子と称され、それはそれは丁重に扱われました。西の国を守護する火竜の化身であると祀り上げられ、第一王女であらせられるお姉様をさしおいて、女王の寵愛を受け、民に慕われました。
暁奴の侵略に遭った西の国の人々は、火竜の巫子であるわたくしに救いを求めました。わたくしは、皆の信頼に報いようとしました。ところが、わたくしが火竜となり、暁奴を焼き払うことは叶いませんでした。
誰も知りませんでした。刻印は、一つでは意味を為さないことを。わたくしの父……外術師を除いて、誰も知りませんでした。
わたくしは、竜の化身では無かったのです。わたくしは器、ただの容れ物でした。
火竜の巫子の奇跡を信じた西の国の人々の信頼を、わたくしは裏切ってしまいました。あんなに良くして貰ったのに。あんなに大切にして貰ったのに。あんなに愛して貰ったのに。わたくしには、何も出来ませんでした。
皆、わたくしを恨んだでしょうね。恨みながら、死んでしまったのでしょうね。
目の前が真っ暗になりました。それでも、悲嘆に暮れる暇はありませんでした。
暁奴の侵略者どもは、瞬く間に城下へ侵攻したのです。暁奴は臣民を虐殺しました。辛くも逃れたお母様とお姉様とわたくしは、西の国王族にのみ扉を開く、秘密の部屋に立て籠もりました。
そこは小さな部屋です。秘密の部屋は、いざというとき、王族の尊厳を守るための部屋でした。
そこで、お母様は自裁されました。西の国の女王として、誇り高い最期を遂げられたのです。お姉様もそうあろうとなさりました。わたくしも、そうあるべきでした。
けれど、わたくしはお母様やお姉様のように、潔く死に臨むことが出来ませんでした。
……死ぬのが、怖かったのです。
そして、わたくしは愚かにも、取り返しのつかない過ちを犯してしまいました。
わたくしが死を恐れて泣いていると、前線に出ている筈だった父がやって来て、秘密の部屋の扉を叩いたのです。
「アナ、助けに来たよ。この扉を開けておくれ。一緒に逃げよう」
わたくしは、お姉様の制止を振り切って、扉を開き、父を招き入れました。
すると、父は本性を現し、わたくしとお姉様を捕らえました。
父ははじめから、第一刻印の器であるわたくしを手土産に、匈奴に寝返るつもりだったのです。
そこから先は、まさに地獄でした。
わたくしは外術で服従を強いられ、心身を厳しく縛められました。そうして、第二刻印を移植されました。
父は、わたくしという器の中で、全ての刻印を一つに合わせ、己の意のままになる、完全な火竜の依代を得ようとしたのです。
ところが、父の目論見は外れました。第二刻印はわたくしを拒絶したのです。この身は火竜の息吹に焼かれました。第二刻印がわたくしを殺し、第一刻印がわたくしを蘇生する。生死の境で、わたくしはひたすら、苦痛に苛まれました。
こうなってしまっては、稀代の外術師でも、何も打つ手が無かったようでした。
父はわたくしを祭壇に安置しました。第二刻印がわたくしを受け容れることを願い、待つことにしたのです。所謂、神頼みですね。
父は気が気でなかったと思います。器が無ければ、刻印を合わせることは出来ませんから。わたくしが死ねば、一から器を作り直さねばなりません。
器を作るには、刻印を術者の血を引く胎児に宿す必要があります。この場合の術者とは、かつて、火竜を三つの印に分けて封じた魔術師を指します。第一刻印であれば、西の国の開祖、初代国王のことです。器は、その直系の子孫でなければなりません。
さらに、器を完全な火竜の依代にしたとしても、そのままでは、父にとっては不十分でした。野心家である父は、火竜の依代を己の傀儡にすることを望んだのですから。
ここで必要になるのが、服従の外術です。服従の外術を施すには、対象に術者の血を含ませねばならないのだとか。その血が増せば増すだけ、支配は強まるそうです。
つまり、対象が術者の兄弟、姉妹、親子であれば、無条件で服従させることが出来るのです。
つまり、父にとって、わたくしは理想の器なのです。手間暇をかけて作り上げた理想の器。それが壊れてしまうことは、父にとって、大変な損失に違いありません。
父は焦り、わたくしの延命に努めながら、予備の、新しい器を用意しようと企みました。
それで、父は……お姉様に目をつけたのです。
わたくしが地獄に堕ちても構いません。自業自得ですもの。わたくしは裏切り者の娘です、見下げ果てた愚か者です。地獄の業火に焼かれても、それは当然の報いです。
けれど、お姉様はそうではありません。
お姉様は清く正しく美しい御方です。お姉様は西の国の宝であらせられます。
お姉様には何の落ち度もありません。火竜の巫子姫と崇められ、付け上がっていたわたくしが、己の無力を突き付けられ、鼻っ柱を圧し折られたとき。途方に暮れ、泣きじゃくるばかりのわたくしに手を差し伸べてくださったのは……手を引いてくださったのは、お姉様でした。
死にたくないと泣き喚くわたくしを、抱きしめてくださりました。父の裏切りに、呆然自失するわたくしを背に庇ってくださりました。
お姉様は心からのお優しい御方です。そして、気高い御方です。憎き国讐に囚われ、辱めを受けても、西の国女王として、誇り高くあらせられました。真の王者でいらっしゃるのです。
そんなお姉様を、父は……あの裏切り者は……あんな、あんな……!
お姉様は、わたくしのせいで、あんな、酷い目に合われてしまわれたのに……目を覚ましたわたくしのお見舞にいらしてくださりました。「アナ、目が覚めて良かったわ」と、わたくしの焼け爛れた手を握ってくださりました。
あの時、わたくしは誓ったのです。わたくしはこの御方の御為に生きて、この御方の御為に死のう、と。
わたくしは、神を信じません。神が天におわすなら、父を生かしておく筈がありません。それに、もし神がいらしたとしても、お姉様に降り掛かる数多の苦難を、これは乗り越えられる試練であると仰るのなら、そんな神は、滅びてしまえば良いのです。
わたくしは、敬虔な信徒が神を信仰するように、お姉様をお慕いしております。
お姉様の御為に生きて、死ぬ。それが、わたくしの罪滅ぼしであり、恩返しでもあります。そうであると、信じています。
ですから、アルノルド様とは、ここでお別れしなければなりません。
ねぇ、アルノルド様。アルノルド様は、お姉様がわたくしを連れて旅立つ算段をなさっていることを、ご存知だったのではありませんか?
わたくし達が、アルノルド様に何も告げず、こっそりと旅立ったら……アルノルド様はお仲間と合流なさって、わたくしを捕らえるおつもりだったのではありませんか?
いいえ。刻印を手に入れるのが目的なのでしたら、わたくしを生け捕りにする必要はございませんね。わたくしを殺して、亡骸を持ち帰るおつもりでしたか?
……わたくしは、ここに来て、まず、こんなところで何をなさっていらしたの、と、アルノルド様に伺いましたよね。本当は、察しがついています。
ここからなら、集落周辺を一望できます。わたくし達がどの道を通ろうと、見逃さずに済みます。
もし、お姉様の仰る通り、アルノルド様が第一刻印と第二刻印を宿すわたくしを、お姉様から奪おうとなさるなら……アルノルド様でも、容赦はしません。
……はい。仰る通りです。わたくしは、こうする為に、アルノルド様と二人きりでお会いしたかったのです。
アルノルド様の真意を確かめる為に。
必要とあらば、アルノルド様と戦う為に。
第二刻印に受け容れられた今、わたくしは不完全ながらも、火竜の依代です。お姉様の御為に戦います。きっと、戦えます。
……嘘ではありません。本当です。本当に、わたくしは第一刻印と第二刻印を宿していて……むぐっ!?
……むぅ……むぐ……むむ……ぷはっ!
ちょっと! アルノルド様! いきなり、何をなさるのですか!? 「うるさい口を塞いだだけ」、ですって? その仰り様はあんまりです! 冗談ではありません、わたくしは大真面目です!
……「そんなの出鱈目だ。俺は信じない」って……どうして……!?
……まさか、アルノルド様……全て、ご承知の上で……見逃してくださるの? わたくしとお姉様を、自由にしてくださるの? でも、それでは、アルノルド様は祖国を裏切ることになるのでは……?
……わたくしの勘違い? アルノルド様は、義賊でも何でもない、ただのケチな泥棒……?
……「だから、黒雁だか黒雲だか知らねぇが、そんなものは、どうだって良い」って……。
どうして、そんな、心にもないことを仰るの? まさか、アルノルド様ともあろう御方が、お姉様を騙し討ちなさるおつもりなの?
……「だから、そんなんじゃねぇんだって」って、だったら! 一体、どういうおつもりなのです!?
……はぁ? 「このまま、二人で逃げちまわおうぜ。何処か遠くで、一緒に面白おかしく暮らすってのも、悪くねぇだろう」ですって?
アルノルド様。わたくしは、申し上げました。わたくしは、絶対にお姉様を裏切らない、と。
……「だろうな」って。おわかりなら、どうして……
……アルノルド様には、わたくしを殺せない、と。そう、仰るのですか?
わたくしを憐れんでいらっしゃるのですか? たったそれだけのことで、祖国を裏切るのですか?
……わたくしが祖国の脅威となり得る災いの種だと知りながら、情にほだされて判断を誤る、なんて。正直に申し上げて、幻滅致しました。
わたくし、裏切り者は大嫌いです。売国奴は皆、すじりもじり死ねば良いと思います。
……でも、アルノルド様。あなたは特別です。
わたくし、アルノルド様が好きです。殺さねばならない小娘に情を移してしまう、愚かで優しいアルノルド様が、大好きです。
いつまでも、このままずっと、大好きです。
あの地獄から、お姉様を救い出してくださったこと。
苦しみ悶える私に付き添ってくださったこと。
腐り爛れた私の体に薬を塗って、包帯を巻いてくださったこと。
寝たきりの私を抱き上げて、お外へ連れ出してくださったこと。
泣いてばかりの私を笑わせてくださったこと。
刻印に蝕まれた醜い私を、きれいだと褒めてくださったこと。
心から感謝します。このご恩は、一生、忘れません。
報恩は……「はなから期待してねぇよ」ですか。ふふふ、アルノルド様らしい。
ねぇ、アルノルド様。わたくし、アルノルド様のそのお顔を拝見すると、胸が高鳴るの。わたくしを見つめてくださる、その優しい微笑みが、大好きなの。
それでは、アルノルド様。そろそろ、お別れです。
……「あんまり無茶すんなよ」ですか。ふふふ、約束は出来ませんけれど、善処します。お姉様の御為に生きるからには、つまらない理由で死ぬわけには参りませんもの。
……ねぇ、アルノルド様。それとは別に、わたくしと、約束を交わしてくださりませんか?
わたくしは火竜の化身となって、西の国に仇なす者を鏖にします。父に……あの裏切り者に、死よりも恐ろしい報いを受けさせます。
そうして、お姉様が女王に即位されて、国が復興したら。お姉様が、奪われた全てを取り戻されたら。
私と夫婦になってください。
そうしたら、わたくし、アルノルド様のお願いを何でも一つ、叶えて差し上げます。
……ええ、そうです。なんでも、です。お姉様のお命やお立場を脅かすものでなければ、なんでも。
約束して頂けるのなら、わたくしは……その時まで、何が何でも生き延びようと……そう、思えるかもしれません。
……ふふふ、約束ですよ。絶対に、守ってくださいね。