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第4話 侵略的外来令嬢VSお嬢様番付トップランカー(前)

 リブラフルール王立学園の片隅に存在する小さな談話室。


 世にも恐ろしき令嬢が根城にしているという噂のせいで、滅多に人が立ち入らないその部屋の前で、アステルは緊張した面持ちで立ち尽くしていた。


 彼女が腕に下げているのは蓋つきのバスケットだ。その中にはサンドイッチやスコーンといった軽食が詰められ、クロテッドクリームとジャムの瓶も添えられている。


 現在時刻は、授業が早めに終わった昼下がり。遠く離れた運動場や演習場からは、部活動にいそしむ学生たちの声がわずかに反響するように響いている。


 そんな時間にどうしてアステルがこの部屋を訪れたのかというと、つい数日前に何気なくソフィアが口にした一言がきっかけだった。




「ねぇ、シルキーさん。わたくし、あなたのことがもっと知りたいわ。今度、わたくしのサロンに遊びに来ない?」


「えっ、ええっ!? サ、サ、サロン!? 私がですか!?」


「あら……嫌だった? 迷惑だったら断っていただいても……」


「い、嫌なんかじゃありません! 光栄です行きたいです! ほんっとに! 滅茶苦茶に! あー! ソフィア様のサロンに遊びに行くの楽しみだなー!」


「あらあらまあまあ、そんなに喜んでいただけるとわたくしも嬉しいわ~」




 サロンは談話室という密室で行われるお茶会だ。地位のある学生は、個別の談話室を学園から与えられているので、ソフィアのサロンもそのうちの一つなのだろう。


 アステルが、ソフィアにサロンに誘われたことを嬉しく思ったのは本当だ。だがそれ以上に彼女は「恐れ多い」という感情を強く抱いていた。


 あの一件を経て、アステルの中のソフィア像は女神のような神聖で侵さざるべきものになっている。そんな信仰にも近い思いを抱いている相手にサロンに誘われて、喜びよりも恐縮が勝ってしまうのは仕方のないことだろう。


 だが、アステルに断られたと思ったソフィアの顔を見た瞬間、アステルは瞬時にお誘いへのOKを出していた。


 いつもは慈愛と余裕に満ちた彼女の顔が、遊ぶのを断られた子犬のようにしょんぼりと曇っていたのだ。


 女神である彼女にそんな表情をさせるわけにはいかないし、自分の言動がその原因なら即座に意見を変えるべきだ。


 そう判断したアステルは、ソフィアからのサロンの誘いを受けたわけだが――現在進行形で、それを後悔してしまっていた。


「うううー、どうしてこんな身の程に合ってないお誘いを受けちゃったんだろう……。手土産が必要かなって思って持ってはきたけど……軽食は寮母さんに手伝ってもらってなんとか見れる形にはなったし、クリームとジャムは実家から最高級品を取り寄せたから間違いはないはず……でも相手は未来の王妃様だよ? 絶対にがっかりさせてしまう未来しか見えない……」


 ぶつぶつ言いながら、アステルは入口のドアに額をぐりぐりと擦り付ける。


 そうしている間にも時間は無情に過ぎ、ふと懐中時計を見ると約束の時間まで5分となってしまっていた。


「ううー……すぅーはぁー……。よし、ここでこうしていても仕方ない! 勇気を出して、いざ出陣! できるできる私はできる子! えいえいおー!」


 決心したアステルは拳を天に突き上げて吠える。すると、彼女の後方からぱちぱちと単調な拍手が聞こえてきた。


「……やけに勇ましい気合いの入れ方ですね。驚きました」


「ひぇえっ!? ゼットさん、いつからそこに!?」


「あなたがドアに頭突きしているあたりからですね。俺は存じ上げませんが、そうやって緊張をほぐすおまじないでもあるんですか?」


 ゼットは無表情のままそう言ったが、よくよく観察すると、彼の口の端はわずかに持ち上がって笑みの形になっている。


 揶揄われている。そう悟ったアステルは、反射的にゼットに食ってかかった。


「そ、そんなわけないじゃないですかぁ! というか、見ていたなら声をかけてくださいよ! 人が悪いですよ!」


「ははは、悩める乙女に手を差し伸べるような甲斐性は俺にはありませんので」


「大げさなこと言ってごまかさないでください-っ!」


 やいのやいのと騒がしく反撃するアステルの声を、ゼットは意にも介さず聞き流す。その時、廊下の先から甘やかな声とともに、ソフィアが駆け足で二人に近づいてきた。


「まあまあ、来てくれたのねシルキーさん。わたくし嬉しいわ~!」


 ソフィアは猛烈な勢いで突進してくると、出会い頭にアステルを抱擁し、ぎゅっと腕に力を込める。その結果、身長差のせいで彼女の顔はソフィアの豊満な胸に押しつけられる形になった。


「うぶっ、あばばばば……」


 麗しの令嬢の胸に顔を埋めるという、本来ならこの世の人間誰もがうらやむシチュエーションで、アステルは死を覚悟した。


 彼女の柔らかな胸に顔が完全に埋まってしまい、うまく息が出来ない。抵抗しようとしてもあまりにも強い腕力で振りほどけないし、助けを求めようにも一言も発することができない。


 結果的に彼女の胸で溺れるような形になったアステルは、ばたばたと手を動かして必死に窮地をアピールした。


「もがーーーーっ!」


「……ソフィア様、アステル嬢が死にかけています」


「えっ!? まあ、なんてこと! シルキーさん、死なないでぇ……!」


 窒息の危機から解放されたかと思えば、今度はアステルはがっくんがっくんとソフィアに肩を揺さぶられ始めた。


「う、うぐっ、やめてくださっ、もう大丈夫ですからっ、吐いちゃうっ……」


 途切れ途切れにSOSを発するが、ソフィアは涙目のままアステルを揺さぶるばかりだ。結局その後、ソフィアが落ち着いたのは15分は経ってからのことだった。




 談話室の窓際にある椅子に、ソフィアとアステルが腰かけ、ゼットがテーブルセッティングを始める。


 ソフィアは自分のしてしまったことへの罪悪感で、肩を落として縮こまっていた。


「本当にごめんなさい。わたくし、シルキーさんをお呼びするのが楽しみで浮かれちゃってたみたい……。そのせいであなたを危険な目に遭わせてしまうなんて……」


「い、いえいえいえ! 結果的に誰もケガしてないんですから! 大丈夫ですって!」


「……そう言ってくれて嬉しいわ。でも、もし万が一のことがあったらと思うと、ううっ……」


「ソ、ソフィア様、大丈夫です大丈夫! この通り私はぴんぴんしていますから!」


 口元を隠して涙ぐむソフィアを、アステルは大慌てで宥めようとする。


 その時、テーブルセッティングが終わったゼットが、紅茶のカップをソフィアとアステルの前に置いた。


「ソフィア様、温かいものを飲むと落ち着きますよ。せっかくアステル嬢が持参してくださった軽食もありますし、今は楽しみませんか?」


「……ふふ、そうね。ありがとう、ゼット」


 ソフィアは愛おしそうな眼差しで彼に礼を言い、勧められた通りにカップを持ち上げて紅茶に口をつけた。


 アステルもホッとした表情でそれに続き、紅茶を飲み込む。そのままいくらかのやりとりをしているうちに、二人の間に流れていた緊張は和らぎ、部屋に満ちた空気は和やかなものになっていった。


「あら、このサンドイッチ美味しいわ。もしかして手作りかしら?」


「は、はい! ほとんど寮母さんに手伝ってもらったんですが……」


「それでもあなたが愛情を込めてくれたのは本当でしょう? わたくし、とっても嬉しいわ~」


「え、えへへ……」


 素人仕事で不格好な部分もあるサンドイッチを、ソフィアはにこにこと笑いながら口に運ぶ。正面から褒められて、アステルは照れて頬をかいた。


「ところでソフィア様、どうして私なんかを、サロンに誘ってくださったんですか? 私のことを知りたいと仰っていましたが……」


「ああ、それは……」


 ソフィアはすっと立ち上がると、何故か床に落ちていた割れたレンガを拾い上げた。そして、それを見せつけるように持ち上げると、指先にぐっと力を込める。


「シルキーさんはご存じないかもしれないけど、実はわたくし、普通の人よりちょっとだけ力が強いのよ」


 バキャッと派手な音を立てて、レンガは粉々に破壊された。その破片がぱらぱらと地面に落ちていくのを見ながら、アステルは「とてもよく存じ上げております」と言いかけた口を閉ざした。


 なぜならソフィアの後ろで、恐ろしい顔をしたゼットが「余計なことを言うな」とばかりに口元に人差し指を立てていたので。


 ソフィアはしずしずと椅子に座り直すと、落ち込んだ様子で肩を落とした。


「そのせいか、なかなかお友達ができなくて。わたくしを友人と呼んでくださる方は、片手で数えるぐらいしかいないの」


「えっ、ああ、そうなんですね、初耳デスー……」


 依然、睨み付けてくるゼットをちらちらと気にしながら、アステルは当たり障りのない返事をする。そんな無言の攻防もつゆしらず、ソフィアは気恥ずかしそうに頬を染めながら、ためらいがちに言葉を発した。


「だから、ええと……わたくし、シルキーさんと、お、お友達になりたくてっ……」


「えっ?!!?」


 アステルは大声で反応してしまってから、慌てて口を押さえた。そして、険しい目を向けてくるゼットから視線をそらしながら、必死で脳みそを回転させて考え始める。


 ソフィア様とお友達に? 私が? 崇拝してる憧れの先輩と? そんな夢みたいなことがあっていいの? 


 い、いやいやいや、弁えなさい私! 思い上がりも甚だしい! 私はソフィア様にふさわしい人間なの? 違うでしょう? ソフィア様にはきっと、もっと相応しい素晴らしい人が……。


 石のように固まったまま、めまぐるしく変化する思考のドツボにはまるアステルを、ソフィアはおろおろと見守る。


 その時、進退窮まった状況を破壊するように、奇妙な鳴き声のようなものが窓の外から聞こえてきた。


「オーッジョッジョッジョッジョーー……」


「……え?」


 人の声のようにも聞こえるその鳴き声に、アステルは間抜けな顔でそちらを振り返る。ソフィアは、ほのぼのとした声で歌うように言った。


「あらあら、もうお嬢様虫の季節なのね~。初夏だわ~」


「お、お嬢様虫!?」


「正式名称、ニジイロオトメドクムシ。清らかで麗しいお嬢様にしか懐かないと言われる、猛毒の昆虫よ。成虫になるほど美しい色合いの体になって、アクセサリーの材料として高価で取引されるようになるけど、同時に人を襲うようにもなるから気をつけるのよ~?」


「ええ……そんなお嬢様限定ユニコーンみたいな毒虫が……」


 アステルはドン引きして椅子をずらし、鳴き声がしてくる方向から距離を取る。一方、ソフィアはどこか遠くに目をやりながら、感傷的に語り始めた。


「ふふ、この鳴き声を聞いていると思い出すわぁ。儚くも眩しい、あの初夏のことを――」

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