第12話 侵略的外来令嬢VS魔法の毒リンゴ(05)
ヴォスタフが間抜けな声を上げた時には、彼の体は宙を舞っていた。投げ上げられた彼の視界はぐるんと逆転し、直後にその体は無様に床に落下する。
「……ぐぶぅっ!!」
醜い声を上げてヴォスタフは床に激突し、脳内に疑問符を大量に浮かべた。
何だ? 何が起きたんだ? 俺は、俺のソフィアにキスをしようとしたはずじゃ――
寝台に安置されていた人物に手首を掴まれて投げ上げられたのだと察することもできず、ヴォスタフは床にへばりついたまま混乱する。
そんな彼の顔の近くに、ガンッと重々しい音を立てて、結晶でできた剣の切っ先が突きつけられた。
あと少しで頭を潰されていたその勢いに、ヴォスタフは恐る恐る剣の持ち主を見上げる。そこには、小柄で特筆すべきところのない青年が、全てを焼き尽くすような怒りを宿した目でこちらを見下ろしていた。
「我らがソフィア様を罠にかけるとは良い度胸ですね。お名前を伺っても?」
「は、はあ?」
「貴方の素性によっては、この先の対応を変えなければいけないので。命が惜しければ、速やかに、名乗ってください」
剣を握る手に力を込める青年に、ヴォスタフは慌てて起き上がると、這いずるようにして彼と距離を取る。それと同時に、記憶の片隅から、青年がソフィアのそばに控えていた従者だということを思い出した。
「このっ、従者風情が生意気な……! 俺は大貴族だぞ! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「ですから、名乗ってくださいと先ほどから申し上げておりますが」
床から剣を抜き去り、青年――ゼットは呆れたような声を上げる。それとほぼ同時に、ソフィアとサクマが最上階の部屋へと駆け込んできた。
「待たせてすまない、結晶の騎士と、その男がつれてきた使用人の制圧に手間取ってな」
「ゼット~! わたくしが来たわよ~~!」
ソフィアはゼットに駆け寄ると、力いっぱい彼を抱擁した。
「よしよし、ぎゅーーっ。騎士の残骸の見張りはミニアとシルキーさんがやってくれているわ。ねぇ、ゼットは無事? 怪我はない?」
「ぐぎぎぎ……だ、大丈夫です」
万力にも等しい圧力で抱きしめられ、体中の骨を粉々にされながらも、ゼットはなんとか笑顔を作ってソフィアに答える。ソフィアは愛しい相手を見る目を、彼に向けた。
「無事でよかったわぁ。常時治癒魔法がかかっているゼットがわざと呪いを受けて、結晶の城を維持しながらも、同時に呪いを治癒魔法で相殺するなんて聞いた時は心配で泣いてしまうかと思ったもの」
「はは、これでも貴女の護衛も兼ねていますからね。これぐらいは余裕ですよ」
「もうそんなこと言って、足下がフラフラじゃないの。無理しないでっ、めっ!」
「いやそれはソフィア様が抱きしめたせいで……」
ソフィアの腕の中に抱きしめられたまま、ゼットは苦笑いする。
どこからどう見てもイチャついているようにしか見えないその光景に、ヴォスタフは愕然とした後、大声で喚き始めた。
「な、なんでだソフィア、お前は俺に惚れてるんだろう!? 出会った時、あんなに柔らかな笑みを向けてくれたじゃないか! 俺のことが好きじゃないならどうしてあんな顔をしたんだ! ははっ、こっちは分かってるんだ、どうせシャイだから俺に求婚しに来なかっただけなんだろう? 仕方ないから、俺がこうして王子様として迎えに来てやったぞ! さあ、俺と結婚しろ!」
ベラベラと身勝手な論理を並べ立てるヴォスタフに、ソフィアは困り果てた表情で彼とゼットを見比べる。ゼットは自分にも分からないと言うように肩をすくめた。
ソフィアはしばらく困惑した後、申し訳なさそうにヴォスタフに尋ねた。
「ええと……あなたはどなた? わたくし、あなたのことは存じ上げないのですけれど、どこかでお会いしたことが?」
「……は?」
時間が止まったような沈黙があたりに流れる。
ヴォスタフは顎が外れてしまいそうなほど口をあんぐりと開けて、ゆっくりと彼女の言葉を飲み込む。そして、ソフィアが困り果てた様子で腕の中のゼットを見下ろし、ひそひそと会話しているのを見て、理不尽な彼の怒りは限界に達した。
「はあああぁああ!? ふざけやがって! 俺はヴォスタフ・クリフアーチだぞ! 四大臣の息子なんだぞ! よくも俺の純情をもてあそんだなぁ!? この胸と尻がでかいだけの田舎女がぁああ! 死んで償えええぇぇえええ!」
滅茶苦茶に叫びながら、ヴォスタフは呪具の腕輪から無数の結晶を作りだしソフィアたちに向けて乱射する。鋭い切っ先を持ったそのつぶてたちはソフィアとゼットに雨のように降り注いだ。
断続的な破壊音が響き、床や壁がえぐれ、土煙が舞い上がる。攻撃は数十秒続き、唐突にぱたりと止まった。
「ソフィア嬢、ゼット……!」
咄嗟に防護壁を張ったおかげで無傷だったサクマは、あまりの出来事に絶望を滲ませた声を上げる。
ソフィアたちは避けるそぶりすら見せていなかった。あれだけの攻撃を受ければ、二人は文字通り穴だらけの蜂の巣になっているだろう。
「はぁ、はぁ……。俺に逆らったのが悪いんだ、クソどもが……」
魔力を使い果たしたヴォスタフは、ぜえぜえと息を荒げながら言い訳の言葉を繰り返す。
その時、室内だというのにぶわりと風が吹き、巻き上がった煙で見えづらくなっていた視界が一気に晴れた。
「……今、わたくしのゼットを狙いましたわね?」
ゼットを庇うように抱きかかえながら、ソフィアはしっかりと床を踏みしめて立っていた。攻撃を受けたはずの皮膚には傷一つ無く、それと引き換えのようにほんのりと鱗めいた光が宿っている。
彼女の目ははっきりと見開かれ、ヴォスタフの姿をしっかりと捉えている。だというのに、それ以外の表情からは感情が抜け落ち、普段のころころと表情が変わる人懐っこいソフィアの面影はどこにもない。
生ぬるい風が再びぶわりと吹く。彼女を中心に渦巻いているのはただの風ではない。彼女から漏れ出る高濃度の魔力が風の形になって吹き荒れているのだ。
そのあまりの膨大な魔力にあてられて、サクマは気絶しそうになるのを必死で堪えていた。ソフィアは振り向かないまま、そんな彼に声をかける。
「サクマ先生、ゼットを」
「っ……あ、ああ」
ふらつきながらサクマは歩み寄り、ソフィアからゼットを受け取る。ゼットは鼻から血を流してぐったりと気絶していた。
サクマは生きた心地がしないまま彼の容態を確認し、ソフィアへと報告した。
「大丈夫だ。呪いを受けた状態で、それと対になる呪具を使われて、治癒魔法のオーバーヒートを起こしただけだ。じきに目を覚ます」
「……そう。では下がりなさい」
サクマはゼットを抱え上げて慌ててソフィアから距離を取る。ソフィアは、二人が十分に距離を取るのを待ってから、ヴォスタフのほうへとゆっくりと歩き始めた。
一歩、ソフィアが歩くごとに魔力がうねり、陽炎のように空気が揺らめく。
一歩、踏みしめた床が耐えられずにひび割れ、城全体が悲鳴にも似た音を立てる。
一歩、一歩、一歩。
彼女の顔には、常に浮かべられている慈愛の色はどこにもない。優しさも、憎しみも、怒りですらその顔からは抜け落ちている。
琥珀色の目を見開き、しっかりと標的を見据えた巨大な聖母は、矮小で身の程知らずな男との距離を詰めていく。
ヴォスタフは腕だけで後ずさり、声を裏返らせながら、泣きわめいた。
「な、なんだ、なんなんだお前はぁ! こんな怪物なんて聞いてない! ば、ばけっ、化け物めぇ! こっちはただ婚約破棄された傷物の田舎娘をもらってやろうとしただけなのにぃ!」
ぴたり、と。ヴォスタフの目の前でソフィアは歩みを止める。遙か頭上から見下ろされる形になったヴォスタフは、爛々と光る彼女の瞳に、本能的に『畏怖』を覚えた。
恐怖ではない。魅了でもない。
ただ、圧倒的上位存在を目の当たりにした時、理屈を考える暇も無く抱く感情。
無条件にひれ伏し、許しを請うこともできず、人ではなく人外の道理に従うしかないという事実の自覚。
至近距離で見つめられて初めて、それに気付いたヴォスタフは、悲鳴を上げることすらできずに口を半分だけ開いて、注がれる上位者の視線を一身に受けていた。
ソフィアは瞬き一つしないまましばらく彼を見下ろした後、口だけを動かして声を発した。
「わたくし、婚約破棄なんてされていませんわ」
「……へ?」
「ここであなたを食べてしまってもいいのだけれど、わたくしは今、この学園の生徒ですもの。ヒトの道理で対応します」
ソフィアは一方的にそう告げると、腰をかがめて、ヴォスタフの耳元に顔を近づけた。そして、ほんのりと『人らしい』感情が籠もった声で、ソフィアはそっと囁く。
「――わたくしの婚約者は、ブレイブ王国の王太子ですわ」
「……は?」
ヴォスタフは今告げられた言葉の意味を、必死で飲み込もうとする。
王太子? 王太子の婚約者?
つまり、自分は隣国の王太子妃を貶めて?
口を開けたまま硬直するヴォスタフからソフィアは一歩遠ざかり、麗しい母のような、汚れを知らぬ乙女のような、それら全てを内包する笑顔をふわっと浮かべた。
「名前も知らない方。……身の程が、お分かりになって?」
その全てを安心させるような慈愛の微笑みに、それまで叩きつけられてきたプレッシャーから急に解放されたヴォスタフは、情けなく失禁しながらなんとか答えた。
「は、はひ、すみませんでしたぁ……」




