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第1話 侵略的外来令嬢VS勘違いナルシスト(前)

「あらあらまあまあ! なんて可愛らしいのかしら〜!」


 その声は、『慈愛』という単語をそのまま表すような響きをしていた。


 例えば、街角で戯れる仔猫を見て和やかな笑顔を見せる少女のような。あるいは、幼い我が子の成長に微笑ましく目を細める貴婦人のような。


 そんな甘ったるく、慈しみに満ちた声をかけられているのは――人の頭など軽く噛みちぎりそうなほど凶悪な見た目をした、獰猛な四つ足の魔獣であった。


「グゥルルルル……」


 魔獣は涎を垂らしながら、一歩彼女へとにじり寄る。しかし咄嗟に前に出ようとした護衛を軽く手を上げて制し、声の主たる彼女は聖母の微笑みで言い放った。


「ふふっ、矮小で身の程知らずで、本当に可愛いわ〜。今、わたくしがうーんと分からせてさしあげますからね?」


 彼女の名前はソフィア・アームドレディ。


 またの名を、侵略的外来令嬢。


 このリブラフルール王立学園で悪名を轟かせる彼女が、いかにしてこのような状況に至ったのか。


 話は数日前に遡る。







 その朝、リブラフルール王立学園本校舎の一年生の教室で、とある少女が熱弁していた。


「みんなソフィア様を誤解してるのよ! 本当は酷い人なんかじゃないの!」


 ふわふわの栗色の髪とどんぐりのような丸い目を持つその少女は、小動物を連想させるような必死さで身振り手振りを交えて主張する。


 しかし、彼女の言葉を聞いた周囲の女生徒たちは、口元に手を当ててクスクスと笑うばかりだった。


「誤解と言われても、ねぇ?」


「実際に淑女らしからぬ振る舞いを見た方は多いわよ?」


「野蛮な方には近づかないのが一番だわ。ラステルさんもそう思うでしょう?」


「っ……」


 女生徒たちから同調を強制され、その少女、ラステル・クラフトは悔しくて涙が浮かびそうだった。


 悔しい。自分にもっと強さがあれば、こんなところで己を曲げることはなかったのに。敬愛する先輩であるソフィア様の潔白を証明できたかもしれないのに。


 しかし、ラステルはそれ以上、ソフィアの無実を主張するという選択を取れなかった。


 ラステルは平民である。王侯貴族が多く通っているこの学園に入学できたのは、ひとえに彼女の父親が一代で巨額の富を築いた大商人だからだ。


 当然、金を積んで裏口入学をしたのではという噂は後をたたず、ラステルは入学してから少しずつ時間をかけて、その疑惑を拭い去るように努力してきた。


 成績は優秀かつ、周囲の嫉妬を呼ばないようなレベルに調整した。上流階級のマナーを必死で練習し、もしお茶会に呼ばれても恥をかかないように努力した。


 その上で敵を作らないよう、周囲の頼まれごとは絶対に断らず、笑顔でなんでも引き受けるように心がけた。


 そのせいで『平民のシルキー(手伝い妖精)』などという不名誉なあだ名がつけられてしまっているが、それでもラステルは周囲に馴染む努力を怠らなかった。


 だが今ここでさらにソフィアの悪評は嘘だと強く主張してしまえば、今まで築き上げてきた学園内での立場が危うくなってしまう。それだけは、絶対に避けなければならない。


 ラステルは周囲の令嬢たちの視線から逃げるように顔を伏せ、ふがいなさで肩を震わせた。


 私は、臆病者だ。保身に走って尊敬する先輩を庇うこともできない、無力で卑怯で都合が良い『平民のシルキー』。


 こうして肩を並べて学園に通っていても、結局は貴族階級の学友と対等になることなんてできないし、まともに話を取り合ってくれる人すらいないんだ。


 その時、俯いて唇を噛むラステルの肩に、颯爽と手を置く青年がいた。


「大丈夫かい、ラステル嬢? また平民だからといじめられたのかい?」


「フリック様!? ち、違うんです、私はただ雑談していただけで……!」


 声をかけてきたのはフリック・ウィルノイマン。ウィルノイマン子爵家の次男で、見目麗しい外見と立ち振る舞いから、学年の中でも指折りの人気者となっている人物だ。


 アステルは慌てて否定したが、フリックはそっと彼女の目の端に浮かんだ涙を指先で拭うと、触れそうなほど顔を近づけて甘く囁いた。


「嘘はよくないよ。この通り、君は泣いてるじゃないか。さあ、可愛い僕のシルキー、一体誰に酷いことを言われたか教えてごらん?」


 まるでベッドで恋人に語りかけるかのような甘い声色で囁かれ、アステルはぞわぞわと全身が総毛立つのを感じた。


 キザ過ぎる。生理的に受け付けない。


 そんな本心を押し隠し、アステルは慌てて立ち上がってフリックから距離を取った。


「ち、違うんです! 本当に! 失礼しますっ!」


 早口でそう捲し立て、アステルは教室から逃げ出した。


 無駄に広い学園の廊下を、教師に見咎められない程度の速度でアステルは走っていく。


 もういやだ。逃げ出したい。


 尊敬する人に向けられている誤解を解けなかったという出来事がトリガーになって、今まで我慢していた感情が溢れてくる。


 いくら頑張っても周囲に認められない徒労感。貴族たちの園に『平民の立場なのに温情で入れてもらっている』という疎外感。


 人間なら誰しも持っていて当たり前の最低限のプライドすら維持できない環境に、アステルの精神は知らずのうちに疲弊していた。


 気付くとアステルは、学園の奥まった場所にある小さな庭園へとたどり着いていた。彼女は人目から逃れようと庭園へと駆け込み、その隅にうずくまる。


「うぅ……ひっぐ……なんでこう、上手くいかないのかなぁ……」


 不甲斐なさが言葉になって口から漏れ、目からますます涙が溢れそうになる。


 その時――シルクで包み込むような柔らかな声が、アステルの頭上から降ってきた。


「あらあら、こんなところでどうしたのかしら? ママにお話を聞かせてくれない?」


 妄想にしてもあまりに都合のいい人物の声に、アステルは思わず顔を上げる。そこにいたのは――身長190cm超えの麗しき令嬢だった。


「ソ、ソフィア・アームドレディ様……?」


 瞳は蕩けてしまいそうな蜂蜜色。腰ほどまであるウェーブがかかった翡翠色の長髪は、光を受けるごとに不可思議な輝きを放ち、太陽を遮るようにこちらをのぞき込んでいるという姿勢もあいまって、まるで女神が戯れに降臨したかのような神々しさを演出している。


 ソフィア・アームドレディ。この学園の二年生であり、よからぬ噂が囁かれている令嬢であり、アステルにとっては尊敬すべき一個上の先輩だ。


 アステルが呆然と彼女の名を口にすると、ソフィアは柔らかな目元を嬉しそうに細めた。


「あら、わたくしの名前をご存知だったのね。光栄だわ、働き者のシルキーさん?」


 ふわりと微笑む彼女の眼差しに、アステルは感激と同時に罪悪感が噴き出すのを感じた。


「ソフィア様、ご、ごめんなさいっ、私、貴女の名誉を取り戻したくてっ……でもできなくて、無力なのが悔しくてっ……!」


 堰を切ったようにぼろぼろと涙をこぼすアステルに、ソフィアはほんの数秒だけ戸惑った後、そっと彼女の手を取って立ち上がらせ、庭園の片隅にあるベンチへと連れていった。


 アステルをベンチへと腰掛けさせ、ソフィアもその隣に座る。そんな彼女たちを護るように、従者然とした青年が足音もなくベンチの後ろに背を向けて立った。


「順を追って説明してくれるかしら。シルキーさんはどうしてわたくしの名誉を取り戻そうとしてくれたのかしら?」


「それは……」


 寄り添うような声色でそっと促され、アステルはぽつりぽつりと事情を話し始めた。


「ソフィア様、二ヶ月前の入学式の日、私を助けてくれたことを覚えていますか?」


「あら、助けた? わたくしが?」


 きょとんと目を丸くし、思い至る節がない様子のソフィアに苦笑すると、アステルは背を丸めながら続けた。


「あの日、私は入学早々嫌がらせにあっていました。制服のリボンを取られて、教室の窓から投げ捨てられたんです。ソフィア様も知っての通り、この学園のリボンは王国の紋章が入っている重要なもの。過去にリボンを失くしたり故意に破ったりした生徒が、王家への侮辱だとして退学処分になったという話も聞きました。そんなリボンを入学式直後に失くしたらどうなるか……。そんな悪い想像ばかりをしながら、庭中を探し回っていたら……」


「ああ、思い出したわ! 木の枝に引っかかっていたリボンを、わたくしが背伸びして取って差し上げたのよね?」


「は、はい! それで私、すっかり貴女のファンになっちゃって、でも最近になって貴女に悪い噂があるって聞いて許せなくって……」


 思い出してもらえた喜びのままに、アステルは内心の悔しさを吐露する。怒りも混じっているその言葉にソフィアは数秒考えた後、こてんと首を傾げた。


「ねぇ、シルキーさん。悪い噂って何のこと?」


「えっ?」


 本当に不思議そうに問われ、アステルは間抜けな声を上げる。ソフィアは悩むようにうーんと唸りながらさらに首を傾げる。


「わたくしが暴力ばかりの野蛮な令嬢だって噂? 身長が異様に高いから魔物の血が入ってるって噂? それとも……他国の貴族に婚約破棄されて、この学園に追放されてきたって噂かしら?」


「あ、あの、えっと……」


 次々に本人の口から並べられる悪評に、アステルはどう返事をしたらいいかわからずにしどろもどろになる。


 ソフィアはそんなアステルを不思議そうに眺めると、堪えきれなくなったという顔でクスクスと笑い出した。


「ふふ、そう、そんなことを気にしてくださったのね、ごめんなさい。おかしくって」


「ええ……?」


 もしかして揶揄われたのだろうか。でもそれにしても、なぜ彼女は笑っているのだろう。


 アステルが困惑の目を彼女に向けていると、ソフィアはひとしきり笑った後、花が綻ぶような麗しい笑顔で言い放った。


「だって、噂はほとんど真実だもの」


「……へ?」


 何を言われたのか理解できず、アステルは硬直する。


 数秒の沈黙の後、ソフィアはイタズラが成功した母親のようにお茶目に微笑んだ。


「――なんてね? 揶揄っただけよ。ごめんなさいね?」


「な、何ですかもうー……」


 アステルが小さな子どものように拗ねた顔をすると、ソフィアは可笑しそうにさらに笑う。そんな彼女を見ているうちに、アステルはつられて笑顔になっていた。


 すごいな、ソフィア様は。自分に対する心無い悪評が蔓延しているこの学園で、こんなにも自由に堂々と笑っていられるなんて。


 勝手に抱いていたイメージよりもずっと朗らかで親しみやすいソフィアの立ち振る舞いに、アステルは自分を縛っていた見えない鎖がほどけていくような気持ちになった。


 私も、ソフィア様のように強い女性になりたい。この人を目標にして、私は生きていきたい。なんだったら、ソフィア様に一生を捧げたい!


 そんなキラキラとした幼い眼差しを受けたソフィアは困ったように眉を八の字にした後、そっと立ち上がり、アステルの頭を優しく撫でた。


「ねぇ、シルキーさん。あなたが悪い噂に怒ってくれるのは嬉しいわ。でも、無理はしないでね? 可愛い子等が傷つく姿を見るのはとっても悲しいから」


 覗き込むようにそう言われ、アステルは自分の心臓が跳ね上がるのを感じた。柔らかで優しいその眼差しに、自分の内側の凝り固まっていた部分がほどけて霧散し、彼女の胸に飛び込んでしまいたくなるような感覚。


 見るもの全てを安心させる慈母の微笑みを受けて、アステルは心の奥底からふつふつと勇気が湧いてくるのを感じた。


「……はい、その……ありがとうございますっ! でも私、諦めませんから!」


「ふふ、自分の芯があるのね。偉いわね〜」


 春の木漏れ日のような柔らかな声色でそう言いながら、ソフィアは、母親が我が子にするように、いいこいいことアステルの頭をなで回す。


 その直後、授業開始五分前の鐘が鳴り響いた。


「また会いましょうね、シルキーさん。ここ、わたくしのお気に入りの場所なの」


「はい! 絶対にまた来ます!」


 こうしてアステルは憧れの先輩と会話する機会を得たわけだが、この日のやり取りが厄介な事件のきっかけになるとは、その時の彼女は思いもしなかった。

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