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「それで? 誤解はちゃんと解けたの?」

 後日、ウォルト君が我が家に訪れた日のことについてエドウィンに掻い摘んで話をしたところ、彼は息ができないくらいに大笑いをした。

「当たり前でしょう? そもそも、私がウォルト君の手を握っていたのに、『フィオナに手を出すとは何事だ!』って怒り出すなんて、オスカーもどうかしているわ」

 あの時のオスカーの怒り具合と、あの場の混乱具合を思い出すと、今でもウォルト君に対する申し訳なさが込み上げる。


「オスカーも馬鹿だとは思うけど、でもまあそんな状況を目の当たりにしたことを考えれば、怪我人が出なかっただけでもよかったと思うよ」

 エドウィンはそう言うと、何かを思い出すような遠い目をした後で、今度は口角だけを上げて力なく笑った。

「学生時代もさ、『フィオナに男を近づけるな! そしておまえも極力近寄るな!』なんて無茶なことを言っていたよ。口止めされていたけれど、もう時効だよね」

 今更ながら明かされた真実に、私は目を丸くする。

「だからみんな、エドウィンを通して私に話し掛けてたの!?」

 私の非社交的な性格が滲み出ていたせいではなかったのか!


「ちなみに、『騎士団に最も近い学生であるオスカーと、入学初年度から優秀な成績を収め続けるフィオナ』として、セットとして扱われてたのも、オスカーの仕業だよ」

「どういうこと?」

「あいつ、『優秀な彼女がついているおかげで、俺は〝騎士団に最も近い学生〟と言っても過言ではない』って、至るところで触れ回っていたから。その言葉に信憑性を持たせるためにも、あの頃のあいつは鬼のように鍛錬に明け暮れてたな……」

 エドウィンはそう言うと、「もう二度とあんな日々はごめんだ」と付け加えた。おそらく、エドウィンはオスカーの鬼のような鍛錬に付き合わされていた被害者なのだろう。


「なんか……ごめんね?」

 思わずそう謝ってしまったくらいに、エドウィンは疲れ果てた表情をしていた。

「いや。おかげで俺も強くなれたし……うん。悪いことばかりじゃなかったよ」

 エドウィンは自身を納得させるように頷くと、「それにほら」と言いながら、会場の中央へと視線を向けた。

「あの日々があったから、オスカーは〝英雄(ヘルト)〟の称号を手に入れられたんだろうしさ」


 エドウィンにつられて煌びやかな会場の中央に目をやると、正装をしたオスカーがたくさんの人々に囲まれているのが目に入った。

 そんな彼の左胸には、先程の叙勲式で〝英雄(ヘルト)〟の称号と共に授与された勲章が、光を受けて輝いている。


 そう。彼は『ヘルト』のストーリー通り、例の遠征で手柄を立てて、無事に〝英雄(ヘルト)〟の称号を手にしたのだ。

 いまだに、私が妻であるにもかかわらず。


 あの日、ウォルト君が帰った後で「オスカーにとって彼は特別な人物なのでしょう?」と尋ねた私に対して、オスカーは驚愕の表情を浮かべた後で頭を抱えて机に突っ伏した。

「なぜ……そんな話になってるんだ……」

 オスカーは力なくそう呟いて、しばらくその場から動こうとはしなかった。

「あの……オスカー?」

 あまりにも動かないものだから、心配になってそう声を掛けたのだけれど、オスカーはしおしおとした様子で「今は……何も言わないでくれ……」と言うだけだった。


 その時のオスカーがあまりにも衝撃を受けた様子だったので、私はその後その件について触れることはしなかったし、オスカーからも何も言われなかった。

 そして、そうこうしているうちに半年が過ぎ、オスカーは遠征へと旅立ち、そこで目覚ましい活躍を見せ、あれよあれよという間に今日の叙勲式に至ったのである。

 私が、オスカーの妻であるままに。


「ほら、フィオナちゃん、ぼーっとしないで。オスカーが溺愛している奥さんが参加しているってことで、君に話し掛けようと機会を窺う奴等がたくさんいるんだから」

「そんな大袈裟な。私みたいな影の薄い人間、放っておいても大丈夫よ?」

 私がそう言って笑うと、エドウィンはうんざりとした表情を浮かべる。


「学生時代からオスカーが囲いに囲った結果がこれだよ。フィオナちゃんは自分がどれだけ人目を集める存在であるかを自覚した方がいいよ」

 エドウィンは真面目な顔をしてそんなことを言うけれど、人目を集めた経験など無い私は首を傾げるしかない。

「……はあ。とにかく、俺の傍から離れないでね」


 エドウィンとそんな会話をしている時だった。

「フィオナさん!」

 私の名前を呼ぶ声がしたかと思うと、少し離れた位置にいる集団の中から、ウォルト君がこちらに向かって早足で歩いて来るのが目に入った。

 その集団は、おそらくウォルト君と同期入団の騎士達の集まりなのだろう。

 初々しさの残るその集団を、「オスカー達も入団したての頃はあんな感じだったのかな」なんて気持ちで眺めていた私は、その中にとある人物がいることに気がつき、その場に凍りつく。


 ……彼女だ。


 急に暴れ出す心臓には気がつかないふりをして、もう一度じっと見つめてみたけれど間違いない。

 その集団の中にいるのは、『ヘルト』においては重要人物の一人である〝五歳くらい年下の、若々しく健康的で、明るく可愛らしい〟その人だ。


 彼女との突然の邂逅に唖然とする私に向かって、ウォルト君が「どうかされましたか?」と心配そうに声を掛けてくれる。

「ねえ、あの子……。どうしてオスカーのバディは、あの子じゃないの?」

 呆然としたまま発した私のその言葉を聞いて、ウォルト君が僅かに目を見張る。

「ご存知だったんですか?」

「え?」

 私が聞き返すと、ウォルト君は「えーっと……」と言い淀んだ後、言葉を選びながら説明をしてくれた。


「最初はそうだったんですよ。優秀な子なんですが、その……パーソナルスペースが狭い子で。オスカーさんが何度『距離を保つように』と注意しても、なかなか改善されなくて」

 「本人に他意はないみたいなんですけど」と続けるウォルト君に、彼女がオスカーのバディだった期間を尋ねると、オスカーがげっそりとした様子で帰宅していた時期と被ることがわかった。


「あまりにも改善の見込みがないので、騎士団所属の事務官が叱ったらしいんです。『妻がいる男性にとる態度ではない。その行動で他者が不快に思う可能性を考えなさい』と」

「そうだったの……」

「結局はその後、彼女からの申し出によって、僕と彼女でバディの交換がなされたんです。彼女自身は向上心もあるし、実力も申し分ないんですけどね」

「今まで知らなかったわ」

 私が素直にそう口にすると、ウォルト君は「まあそうでしょうね」と返事をした。


「事務官も二人きりの時に叱ったようですし、その出来事を知る人間はほとんどいないと思いますよ」

 なんでもないことのようにそう言うウォルト君に、今度は別の疑問が湧き上がる。

「じゃあ、どうしてウォルト君は知っているの?」

 私がそう尋ねると、ウォルト君はにかっと笑って口を開く。

「その事務官は僕の姉なんです。フィオナさん達と同級生なので、ご存知かもしれません。レベッカという名なのですが……」


 レベッカさん!


 オスカーと出会うきっかけとなったと言っても過言ではないレベッカさんが、騎士団で事務官として働いているなんて知らなかった。『ヘルト』においても、そんな描写はなかったと思う。

 懐かしい人物の名前が飛び出たことに驚く私に向かって、ウォルト君は話を続ける。


「姉は、強さと賢さを併せ持つフィオナさんに憧れているんですよ。『結婚しても働き続ける』と言い張っているのも、フィオナさんの影響です。まあ、絶対に認めないと思いますけれど」

 そう言って悪戯っぽくウォルト君の様子を見て、私は目の奥が熱くなるのを感じる。


 いくら事務官であるとはいえ、騎士団に所属する職員には〝清廉潔白〟であることが求められる。きっと、暴力行為によって退学を余儀なくされた『ヘルト』のレベッカさんでは、就くことができなかったはず。

 それを思うと彼女は、ほんの些細な改変をきっかけに、元々決められていた人生とは別のより良い人生を、自力で掴み取ったと言えるのだろう。


「……そうなのね。『ぜひまたお会いしたい』と、伝えておいてもらえるかしら?」

 私のその言葉は、少し掠れてしまっていた。

 けれどもウォルト君はそれを指摘することなく、元気よく「もちろんです!」と答えたのだった。


 ◇◇◇


「はあ……疲れた……」

 私とオスカーが帰宅したのは、まもなく日付が変わろうという時間だった。

 先程まで王宮で開かれていた祝賀パーティーにおいて、主役の一人であるオスカーの周囲には絶えず人が集まっていた。疲れるのも当然だ。


「お疲れさま。でも、二次会には参加しなくてよかったの?」

 エドウィンは、祝賀パーティー終了後に、仲間内だけで集まって二次会をする予定だと言っていた。

 同年代の騎士とその家族が参加するという二次会は、エドウィン曰く「オスカーとフィオナちゃんが来れば盛り上がること間違いなし」だそう。

 しかしその話を聞いたオスカーは、これでもかと顔を歪めて「行く訳ないだろう」と言い放っていた。主役の一人であるオスカーが、本当に断ってしまってよかったのだろうか?


「……俺は今日という日を、他でもないフィオナと共に過ごしたいんだ」

 けれどもオスカーは私の問いに対してそう返事をすると、「こっちに来てくれないか?」と言って、私を自分が座るソファーへと呼び寄せた。

 オスカーの言葉に促されて彼の足の間に腰掛けると、彼はそのまま私を後ろから抱え込むようにして抱きしめた。


 すっかり慣れ親しんだオスカーの体温と香りが、今もまだすぐ近くにある。そのことを実感した私は、自分の視界が揺らいだのがわかった。

 けれども、まだ泣いてはいけない。私には、やるべきことがあるから。


「ねえ、オスカー?」

 私がそう呼び掛けると、彼は「なんだ?」と返事をした。その声は、出会ってから今日に至るまで変わらず私に向けられてきた、甘く優しい声のまま。

 きっとその声の主は、今この瞬間も私に対して、愛おしいものを見るような視線を送っているのだろう。

「私、これからもあなたの妻でいてもいいのかしら?」

「……どういうこと?」

 オスカーの視線から逃れるように俯きながら発した言葉に対して、彼は怒ることなく穏やかな口調で返事をした。


「私は騎士じゃないから、職務であなたを助けてあげることはできないわ。それに家でも、あなたのことを支えきれているとは言い難いでしょう? だからね、きっと私よりもあなたの妻に相応しい人物は、たくさんいるんだろうなって思うのよ」

 そう言ってへらりと笑いながら振り向くと、眉間に皺を寄せたオスカーと目が合った。


 私の次の言葉を待つようにこちらをじっと見つめる彼の瞳は、初めて出会ったあの日と同じように深く澄んでいる。

 そしてそんな美しい瞳の中には、私が映っている。きっとずっと、彼の瞳には私の姿が映っていたはずだ。

 彼はあの日からずっと、〝フィオナ(主人公の妻)〟ではなく〝フィオナ()〟を見てくれていたのだから。儚くもか弱くもない、この世界に生きるフィオナ()を。


 きっと私が前世を思い出したあの瞬間から、私はフィオナ(主人公の妻)ではなくフィオナ()になったのだと思う。そして、儚くもか弱くもない私に恋に落ちた瞬間から、オスカーはオスカー(主人公)ではなくオスカー()になった。

 最初から強制力なんてものはなかったし、私達はあの時から、『ヘルト』の物語で描かれていたのとは違う、この世界を生きてきたのだろう。

 私が、ありもしない強制力に、そして不確定な彼との別れに怯えて、自分の心が傷つかないように保険を掛け続けてきただけで。


 ようやくそのことに気づけた私は、真っ直ぐにオスカーの瞳を見つめ返す。

 今の私がすべきことは、私と共に過ごしてきたオスカー()にきちんと向き合い、そして自分から〝彼との()()()()〟に手を伸ばすことだと思うから。


「……でもね、それでも私はこれからもあなたと生きていきたいのよ」

 私がそう言ってオスカーの頬に手を添わせると、彼の肩がぴくりと揺れるのがわかった。

 そんな彼に向かって、私は満面の笑みを浮かべる。


「今日まで、本当にありがとう」

 そう言って、彼の顔に自身の顔を近づける。鼻と鼻が触れ合う距離で向き合う私達の瞳には、目の前にいるお互いの姿だけが映っていることだろう。

「あなたに出会えてよかった」

 そのまま彼の唇に自分の唇をゆっくりと重ねると、彼の身体がぶるりと震えた。


「これからもよろしくね」

 私はそう言って、もう一度微笑む。

 儚くもか弱くもない私は、『ヘルト』における〝主人公の妻〟とは別人だし、そんな私を選んだオスカーも〝物語の主人公〟であるオスカーとは別人だ。

 だから私達の関係に、期限など決められていない。この世界は神様の手によって動かされているのではなく、私達が作り上げていくもの。

 ()()()()()()()()()は、これからも続くのだから。


「……もちろんだよ」

 オスカーは震える声でそう言うと、私を正面から力強く抱きしめた。

「フィオナがいなければ、俺は〝英雄(ヘルト)〟の称号を得ることはできなかった。本当に、ありがとう」

「……そんなことはないわ。あなたは自分の力で、その称号を手に入れたのよ」

 「強制力によってお膳立てされたのではなく」という意味を込めてそう言うと、私を抱きしめる彼の力が一層強まるのを感じた。


「いいや、それは違う。学生時代も今も、その時すべきことに全力で取り組むフィオナが隣にいたから、俺も力を尽くしてこれたんだ」

 オスカーはそう言って私の頬をするりと撫でると、何かを思い出したかのように僅かに口角を上げた。

「最初にフィオナに出会ったあの日から、俺は自らの手で道を切り開いていこうとする君の強さが、たまらなく眩しいよ」


 儚くもか弱くもない私を選んだオスカーは、そう言って蕩けるような笑みを浮かべると、私の額に口づけ、そして耳元にそっと口を寄せた。

「フィオナ、愛してる。今までも今も、そしてこれからも」

 顔のすぐ側で囁かれたその言葉は、あの頃から変わらぬ温度を有している。おそらく彼の言う通り、その熱はこれからも冷めることはないだろう。

 

 出会った頃から変わらず、そんなふうに全力で私を愛してくれるオスカーの腕の中で、私は思うのだ。

 儚くもか弱くもない私の〝オスカー()の妻〟としての生活は、これからもずっと続いていくんだな……と。

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