表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

4

 学校卒業後、『ヘルト』で描かれていた通り、オスカーは王宮騎士団に配属されることとなった。

 入団後一年間は〝準騎士〟という、試用期間のような身分ではあるものの、騎士であることに変わりはない。


 国民の憧れの的である騎士という職業になるためには、この国では最難関と言われる試験の一つである騎士団入団試験に合格する必要がある。

『騎士団に入団できるのはごく一部の選ばれた者だけであり、主人公であるオスカーも、ぎりぎり滑り込むことに成功した』

 確か漫画内では、そんな説明がなされていたくらいに、騎士になるには狭き門を潜り抜ける必要があるのだ。


 しかしこの世界において、オスカーは〝かつてない好成績で騎士団入団を果たした〟と聞いている。

「フィオナのおかげだよ」

 オスカーはそんなふうに言ってくれていたし、確かにペーパーテストの勉強には私も付き合った。

 けれども、さすがにそこまで自惚れられない。騎士団入団試験において重視されるのは、なんと言っても実技なのだから。

 この結果はひとえに、オスカー本人の努力によるものなのだ。


 とはいえ、おそらく『ヘルト』のオスカーも、力を抜いていた訳ではないと思う。

 そう考えると、どうしてオスカーの入団試験の成績が『ヘルト』で描かれていたよりも良いのかについては、正直よくわからない。

 でもまあ、彼がどんな成績で入団したかについては、物語のストーリーに大きく影響を与える要素でもなさそうなので、気にする必要はないのだろう。


 けれどももう一つ、原作とは異なっている箇所がある。

 原作ではオスカー達の結婚式は学校卒業後すぐに開かれていたにもかかわらず、いまだに私とオスカーは恋人同士のままだという点だ。

 学校を卒業してまもなく半年が経とうとしているけれども、今のところ結婚に関する具体的な話は出ていない。


 こちらについては、理由がはっきりしている。

 当事者の一人である私が、オスカーとの結婚を避けているから。


 原作でのオスカーの結婚が早かったことからもわかるように、この世界では学校卒業後すぐに結婚する人間も少なくない。いまだに「男は仕事、女は家庭」という価値観が根強くあることが、関係していると思われる。

 特に騎士に関しては、その傾向が強いらしい。家庭のことに手が回らないほどの激務であること、それゆえに高い給与を貰っていることを考えると、そうなるのもある程度は理解できる。

 他の職業に比べて〝死〟に近い職業であることから、「やりたいことは先延ばしにせずすぐにする」という考えの人間が多いことも、結婚が早くなる理由ではあろう。


 だから、幼い頃から騎士を目指してきたオスカーの口から、在学中に「結婚」という言葉が出てきたことに、疑問はなかった。

「フィオナは……あー…………、けっけっ結婚とか、そういうの……その…………どう考えてるのかな……って」

 初めて結婚に関する話題が出た時、オスカーは普段の溌剌とした様子からは考えられないくらいに視線を彷徨わせながら、そう問い掛けてきた。今思い出しても微笑ましい。


 彼が私との結婚を本気で考えているからこその、挙動不審具合であったのだろうけれど、当時の私は『ヘルト』のストーリーに抗った。

「今はまだ考えられないかな。文官の職務も忙しいって聞くし、この世界の人達が考える〝普通の結婚生活〟をおくるのは難しそうだもの」

 そう答えてすぐに、「『この世界の人達が』という言い回しはまずかったかな」と思いはしたものの、オスカーは何か考え込むような素振りをしており、私の失言には気づいてはいないようだった。


 きっぱりと否定した私の言葉に、オスカーも何か思うところがあったのだろう。結局その後、私達の結婚に関する話題が出ることはなかった。

 この世界の神様がどこまでのズレを許容するのかはわからないけれど、とりあえずオスカーの結婚に関して、〝卒業後すぐに〟という点については、物語における重要ポイントではないのだろう。


 とはいえ、〝オスカーとの結婚〟自体を避けることは難しいはずだ。私としても、それを受け入れるだけの心づもりはある。

 けれども、彼との結婚生活を短縮できるのであれば、それに越したことはない。だって、彼と一緒にいる時間が増えるほど、私は彼を好きになってしまうから。


「彼とお別れする時には、笑顔で『ありがとう』って言うって決めてるんだもの」

 私はそう呟いて、ベッドの上で毛布に包まる。

 そのまま両手で自分の身体を抱きしめてみたけれど、心の中に浮かんだやりきれない気持ちが、消えることはなかった。


 ◇◇◇


 私が危惧していた通り、働き始めてからの私の生活は、荒れに荒れた。

 職場で「新人」と呼ばれる期間はとっくに終わり、一つ年下の後輩まで入ってきたにも関わらず、いまだに私は仕事と私生活のバランスが上手くとれていない。


 先月から繁忙期に入ったことも相まって、学校卒業を機に借りた一人暮らしの部屋には、洗濯物が山積みになっており、平日には自炊をする余裕もない。

 今週末の休みもまた、平日に溜めに溜めた家事を片付けるだけで終わってしまうのかと思うと、思わず口から溜め息が漏れた。


 そんなふうに、うじうじとした気持ちで取り組んでいたせいだろうか。その日私は、仕事で重大なミスをした。

「この件に関して君にできることはない。疲れているようだから、今日はもう帰りなさい」

 私のミスをカバーするために忙しく動き回る周囲の人々に申し訳なさを感じつつ、「私は何をすれば良いでしょうか」と尋ねに行った私に、上司は真顔でそう言った。


 本来私が担当するはずだったその仕事は、もはや私の力ではどうすることもできない状態になっており、だからこそ上司の言うことはその通りだった。

 精神的にもダメージを受けている私に対して、上司が告げた「帰れ」という言葉も、彼の気遣いからくるものだとわかっている。

 しかしその時の私は、「おまえなど必要ない」と言われたような気持ちになった。


 感情の昂りから涙が出そうになったものの、「ここで泣くのは絶対に違う!」と思った私は、唇をかみしめてその場をなんとかやり過ごす。

 けれども、職場を出た途端に限界を迎えた私は、気がつけば騎士団の演習場へと足を向けていた。


 オスカーが騎士であると言っても、いつも演習場にいる訳ではない。

 だから、オスカーの職務上の予定を把握している訳でもない私が、演習場の前で彼と出会えたことは、本当に運が良かったのだと思う。


「フィオナ……?」

 演習場の前で立ち尽くす私を目にして、オスカーは目を大きく見開くと、「こっちへ」と言いながら私を大きな柱の影へと誘導した。

 私の姿を見るといつもは顔を輝かせるオスカーが、一瞬戸惑った様子を見せた時点で、「あれ?」とは思った。

 自身の大きな身体で私を隠すような姿勢をとりつつ、少し焦った様子で周囲を見回す彼の様子を見て、その違和感が確信に変わる。

 ここに来るべきではなかった、と。


「……急に来てごめんなさい。訓練中なのに、迷惑よね? すぐに帰るから」

 きっと、オスカーにとっては見られたくない光景なのだろう。

 職務時間が過ぎているとはいえ、皆が真剣に鍛錬に励んでいる中恋人と会っている姿を見られることが、どれほど顰蹙を買う行為であるか、少し考えればわかったはずなのに。


「一目見たいと思って来ただけなの。本当に、ごめんなさい」

 私はそう言って、無理矢理口角をあげる。

 けれども、オスカーはそんな私を見て泣きそうな顔をすると、正面から私を抱きしめた。


「そんな顔をしているフィオナを、一人にさせられる訳ないだろ。俺ももう終われるから、少しだけ待ってて」

 彼の今後を思うなら、断った方が良いのだろう。

 けれども、まるで懇願するかのような響きを有するその言葉に、私の口からは「わかった」という返事が漏れる。


 すぐに取り消そうと思ったけれど、私の返事を聞いたオスカーは、そのまま走って演習場へと戻って行った。

 彼はそのまま中にいる騎士を呼び止めると、二言三言会話をし、目の前の騎士に深々と頭を下げる。

 そんなオスカーの様子を見て、私は申し訳ない気持ちになったけれど、急ぎ足でこちらに向かってくるオスカーは満面の笑みを浮かべており、謝るタイミングを逃してしまった。


「お待たせ! さあ、帰ろう」

 そう言うオスカーに手を引かれて辿り着いたのは、彼の寮の部屋。

 久しぶりに足を踏み入れたそこは、相変わらず彼の香りで満たされていて、いつもならば落ち着く空間であるはずだ。

 けれども今日の私は、そうは思えなかった。


「すごい……。きれいに片付けているのね」

「そうか? フィオナが来るとわかっていたら、もう少し頑張ったんだけど」

 オスカーのその言葉に、「二人で帰る先に、私の家を指定されなくてよかった」と思った。

 この部屋が〝普通〟である彼に、今の私の部屋の惨状を見せられる訳がない。


「座って待ってて。すぐに夕飯用意するから」

 彼はそう言うと、夕食の準備に取り掛かった。

 「簡単なものでごめんな」とは言われたけれども、彼の慣れた手つきから、日常的に料理をしていることが見てとれる。

 そもそも帰り道に食材を買いに行くこともなかったのだ。きっと彼は、今日私がこの部屋に訪れなくても、きちんと料理を作って食べる予定だったのだろう。


 騎士として日々忙しくしている彼は、想像以上に()()()()した生活を送っている。拘束時間だけを見れば私も同じくらいに長いけれど、肉体的な疲労度は彼の方が何倍も強いはずなのに。

 そんなことを思い知らされ、視界がじわりと滲むのを感じる。


「……オスカーはすごいね」

 オスカーが包丁から手を離すのを見計らって、彼の背中にぺとりとくっつくと、彼の身体が大袈裟なくらいに大きく揺れた。

 けれども、それに構っていられる余裕すらない私は、そのまま話を続ける。


「それに比べて私は駄目ね。家のこともできていないのに、仕事も上手くいかないんだもの」

 私がそう言うと、オスカーはくるりと身体をこちらに向けて、「……何かあった?」と柔らかな声で問い掛ける。

 こちらを向く前に、今まで使っていた包丁とまな板を調理台の奥に押しやる彼の行動から、きちんと話を聞こうという姿勢が感じられて、心の柔らかい部分を撫でられたかのような心地がした。


「大きなミスをしてしまったの。もうすぐ三年目になるのに、いつまでも役に立たない自分が嫌になる」

 口からするりと零れ落ちたその言葉が引き金になったのか、途端に瞳からぽろぽろと涙が溢れ出す。

 そんな私の背中を、オスカーは何も言わずにさすり続けた。


「……なあ、結婚しないか?」

 ようやく落ち着いた私に向けてオスカーが発したのは、そんな言葉だった。

「……文官の仕事が向いてないから、辞めろってこと?」

 心がささくれ立っている私は、こういう形で強制力が発揮されるのかと、一気に心が冷たくなるのを感じた。

 「あなたに捨てられた後、私は自分の力で生きていかないといけないのに?」という言葉すら、危うく言い掛けそうになるくらいに。


 けれどもオスカーはそんな私に対して、呆れたように笑いながら「そんな訳ないだろ」と答えた。

「学生の頃、フィオナと結婚の話をしただろ? その時にフィオナが言っていたこと、俺なりに真剣に考えたんだ」

 ……覚えていてくれたのか。

「私が言っていたこと、その通りになってるでしょう? 自分一人分のことすらきちんとできていないのに、結婚して上手くいくはずがないわ」

 そう言って自嘲気味に笑う私に、オスカーは少し怒ったような表情を見せる。


「どうして、フィオナが一人で背負おうとしてるんだ?」

「え?」

「フィオナが忙しい時は俺がやればいいだろ?」

 驚いて顔をあげると、オスカーとぱちりと目が合った。

「フィオナが安心して結婚できるように、毎日家事だってやってきたし、食事も作れるようになった。フィオナだけに、負担を掛けずに済むはずだ」

「でも、忙しいオスカーにそんなこと……」

「それはお互いさまじゃないか」

 彼はそう言って微笑むと、私の両手を自身の両手で包み込んだまま、その場に跪いた。


「支えてほしいから、結婚するんじゃない。俺はフィオナと支え合って生きていきたいから、結婚したいんだ」

 そう言う彼の瞳は真剣そのもので、止まったはずの涙がまた込み上げる。

 それは、喜びの中にほんの僅かの申し訳なさが混ざった感情からのものだった。


 〝フィオナと結婚する〟という『ヘルト』のストーリーに沿わせるために、多忙であるにもかかわらず、オスカーには随分と無理をさせてしまっているのだろう。私とオスカーの結婚に関しては、物語の強制力の影響が全くないとは言えないはずだから。

 けれどもオスカーが私との未来を真剣に考え、そして実際に行動してくれたことは、彼の意思によるものだ。私はそれが、とても嬉しい。


 私は、オスカーが好きだ。物語の主人公であるオスカーではなく、一人の人間として、オスカーが好き。

 この気持ちは、強制的に作り出されたものではない。


 彼と出会って約五年。彼の素敵なところをたくさん見てきたし、その度に彼に対する想いが大きくなるのを感じている。

 だから、結婚生活が長くなればなるほど、別れは辛くなるだろう。

 それがわかっているにもかかわらず、今の私は、できるだけ長くオスカーと共に生きたいと思ってしまっている。


 ……その時がくれば、きちんとお別れするから。

 そう自分に言い訳をして、私は原作から二年遅れで、オスカーと夫婦になることを決めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ