表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/9

3

 あの日、オスカーの気持ちを聞かされて混乱する私に、彼は返事を求めることはしなかった。

 その代わりと言ってはなんだけれど、オスカーはその日以降、人目を憚らず私に好意を伝えてくるようになった。それこそ、いつであっても、どこにおいても、だ。


「フィオナ、好きだよ」

 朝一番に顔を合わせた時、ランチに誘うために私のクラスを訪れた時、そして一日の別れ際。ことあるごとに愛を囁かれる訳だけれども、私としては一向に慣れない。

 ちなみに、オスカーは毎日私を自宅の前まで見送ってくれるので、彼が私に好意を抱いていることは、私の家族にも伝わってしまっている。


 一度なんか、オスカーが「好きだよ」と言っているその時に、ちょうど母が帰宅したこともある。

 「好きだ」と言われている私以上に照れた表情で「あらあら、まあ!」と嬉しそうにする母に向かって、オスカーは至って真面目に自己紹介をしていた。

 そんなオスカーを、母はたいそう気に入ったようで、自宅では度々オスカーの名前が話に上るようになっている。

 あまりに母がオスカーを気に入っているものだから、最近では父までもが「会ってみたいから一度家に連れて来なさい」なんてことを言い出した。勘弁してほしい。


 そんなオスカーからの「好きだよ」の猛攻は、学校においても止まることはない。

 教室や廊下で出会った時はもちろんのこと、通学路等の学校外ですら、彼は「会えて嬉しい」「今日も可愛い」「好きだよ」なんて言葉を、恥ずかしがる様子も見せずに伝えてくる。

 おかげで、「オスカーがフィオナに積極的にアピールしている」というのは、私達が通う学校の周知の事実となり、存在感の薄かった私は今や〝オスカーの片想いの相手〟として、その名を轟かせている。


 もしもこの世界が少女漫画の世界であれば、私はきっと頻繁に呼び出しをくらっていたのだろう。

 学校の人気者に気に入られた平凡な女の子が、「どんな手を使ったのよ!?」「身の程をわきまえなさい!」などと詰め寄られるシーンは、少女漫画の定番だ。


 けれども実際には、そんなシーンを再現する機会は今のところ訪れていない。

 それどころか、オスカーの恋は学校中から応援されているらしく、温かい目で見守られているような気配すら感じる。

 それゆえ、少し周囲がうるさくはなったものの、私は今まで通り平和に過ごしている。外堀はがんがんと埋め立てられているけれど。


 そんな光景が日常となりつつある中、はじめのうちは私も、オスカーの目を他に向けようと努力した。

 私がいかに彼の好みである〝儚くか弱い女の子〟から外れた存在であるかをアピールしてみたり、同じ学年に在籍している儚くか弱そうな女子生徒を密かにピックアップして、さりげなくオスカーと引き合わせてみたり。

 けれどもそれらはことごとく失敗に終わり、そして私は悟ったのだ。

 この世界には【強制力】というものが働いているに違いない、と。


 きっとこの世界の神様は、なんとしてでも私をオスカーの妻にしたいのだろう。

 オスカーの妻の条件として、〝儚くか弱い〟ことよりも、〝あの日あの場で出会った〟ことを重視しているらしい神様には苦言を呈したいところではあるが、神様が決めたことであるならば、私一人が抗ったところでどうにもなるまい。


 それに、これまでは自分のことで精一杯だったけれど、よくよく考えると〝心を病んで捨てられる妻〟の役割を、他人に押し付けるのもいかがなものか。

 仮に私が運良く〝主人公の妻〟の座を、別の誰かに譲ることに成功したとして、それで将来「同級生の〇〇さん、精神のバランスを崩したせいでオスカーと離縁したらしいよ」なんていう話題を耳にしようものならば、私はその後〇〇さんへの罪悪感に苛まれ続けることになるだろう。


 そう思い至った私は、決心した。

 〝主人公の妻〟としての役割を全うしてやろうじゃないか、と。


 儚くもか弱くもない私にオスカーが恋心を抱いていることから、この世界は強制力によって『ヘルト』のストーリー通りに進むようになっているのだろう。

 けれどもその強制力は、かなり大雑把なものだと考えられる。

 もしも『ヘルト』の物語をそのままなぞることが運命づけられているのであれば、私は儚くか弱い存在であることを強制させられたであろう。

 しかし、そうはなっていない。そう考えると、私の未来には希望がある。


 このままいくと私は、学校卒業後まもなくオスカーと結婚し、そして捨てられることになるはずだ。

 けれどもその時に、私が心を病んでいるとは限らない。『ヘルト』の物語として重要なのは、〝フィオナが心を病むこと〟ではなく、〝オスカーが悪者にならない方法でフィオナと離縁すること〟であろうから。


 ならば私が目指すべきは、「心身ともに健康な状態で〝主人公の妻〟としての役目を果たし、オスカーが悪者にならない形で離縁し、そしてその後幸福な人生を歩むこと」だ。

 ……なんだか長々しく、欲張りな目標になってしまったけれど、それについては許してほしい。目標は、常識の範囲内で大きい方が良いに決まっている。


 新たにそんな目標を掲げた私は、『ヘルト』の世界に転生していることに気がついて以来、最高潮に気分が高揚していた。

 なんと言っても〝幸福な人生を歩む〟ことが最終目標なのだ。〝オスカーの妻にならない〟という、今までの消極的な目標と比べると、その前向きな目標の素晴らしさがより一層際立っている。

 

「『ヘルト』のストーリーに大きな改変を加えることなく、私自身も幸せになってやる……!」

 一人自室で決意表明のために発したその言葉は、予想以上に生き生きと響いたのだった。


 ◇◇◇


「フィオナがオスカーからの告白を受け入れたらしい」という噂は、瞬く間に学校中に広まった。


「オスカーからの告白、オッケーしたってほんと?」

「ええ、本当よ」

「……オスカーの押しに負けた感じ? 断り切れなかったのなら、俺から言ってあげようか?」

「そんなんじゃないから、大丈夫」

 オスカーからの告白を受け入れた翌日、エドウィンとは朝一番にそんな会話をした。

「フィオナが納得してるなら、俺は喜んでもいいのかな?」

 エドウィンからの質問に首を縦に振ると、彼はぱあっと顔を輝かせて「幼馴染の想いが実ってよかった」と言った。


 当然ながら、その後数日間は学校中がオスカーに関するこのおめでたい話題で持ちきりとなり、当事者である私も注目されることとなった。

 直接私に何かを言いにくる人はいなかったものの、すれ違う生徒達が「ほら! あの子だよ!」「オスカー様よかったね」なんていう会話をしていることには気がついていたし、人気者のオスカーが中庭で胴上げをされている場面を目撃したりもした。


「よかったな、オスカー!」

「幸せになれよ!」

 周囲の男子生徒からそう声を掛けられるオスカーの様子は、まるで結婚式における新郎のようで、「気が早いなあ」と思わず口角が上がってしまった。

 しかし同時に、オスカーがそんなふうに盛大にお祝いされている場面を、そして輪の中心で心底嬉しそうに笑うオスカーを目にして、心が痛んだのも本当のこと。


 なぜなら、私はまだオスカーを恋愛的な意味で好きになりきれていないから。


 オスカーの告白を受け入れるにあたって、私はそんな自分のありのままの気持ちをオスカーに伝えようと決めていた。

「オスカーの好意は嬉しいけれど、同じだけの熱量の好意を返せるかどうかわからない」

 私が彼に告げたその言葉を、「酷い言葉だ」と非難する人間もいるかもしれない。

 しかしそれを包み隠さずきちんと伝えることも含めて、なるべく彼に対して正直でいることが、私なりの誠意だった。

 そんな私の言葉を聞いて、オスカーは「それでも構わない」と言ってくれ、私達の交際はスタートした。


 これが物語の強制力によって結ばれた関係だとしても、私は目の前の彼を精一杯大切にしたいと思っている。この世界で生きていて、そして感情を有するオスカーを、ぞんざいに扱うつもりなどさらさらない。

 そして最後には、「今までありがとう」と、「あなたに出会えてよかった」と言ってお別れがしたい。


 そう考えた私は、その日からますます勉学に励むことにした。

 「オスカーと笑顔で別れるためにも、『彼と付き合ってよかった』と思えるように過ごしたい」と、「騎士としてこれから大きく羽ばたくことになるオスカーの隣で、私も何かに打ち込みたい」と、そう思ったから。


 はじめのうちオスカーは、私が勉強のために膨大な時間を使うことを、理解できないようだった。

 それこそ、騎士を目指すオスカーが、どれほどの時間を鍛錬に費やしているのかを知った時、私が度肝を抜かれたのと同じような感覚だったのだと思う。


「そんなに頑張る必要があるのか?」

 オスカーがそう言ったのは、私が古代史の教科書を開いている時だった。

「この勉強が将来役に立つ人間なんて、ほんの一握りだろうに……」


 確かに、その通りなのだ。それを専門とする学者や教師にならなければ、古代史が私の人生において重要な役目を果たすことはないだろう。

 けれども勉学に励むことは、その時すべきことに全力で取り組むことは、未来の選択肢を増やすことにつながるはずだと、私は考えている。


 そんな私の考えを伝えたところ、オスカーははっとしたような表情を浮かべていた。

「それに私が頑張れば、オスカーに勉強を教えてあげることもできるでしょ?」

 ついでにそう付け加えてみると、彼は恥ずかしそうに俯いて、「フィオナが教えてくれるなら頑張れるかもしれない」と呟くように言ったのだった。


 ◇◇◇


 『ヘルト』における学生編、つまり私達の三年間に渡る学生時代は、あっという間に過ぎ去った。


 私が彼からの告白を受け入れるまでの間、ところ構わず私に「好きだ」と言い続けていたオスカーの行動は、私と交際を始めてからも変わることはなく、私は毎日彼からの好意を浴び続けた。

 オスカーがそんなだから、学校の名物カップルとして扱われて恥ずかしい思いをする場面も多々あったけれど、それもいつしか良き思い出になってくれることだろう。


『騎士団に最も近い学生であるオスカーと、入学初年度から優秀な成績を収め続けるフィオナ』

 いつからかそう並べて称されるようになっていた私達は、お互いの苦手な部分を補い合える理想的なパートナーだと言われていたし、私自身もそう思っている。

 運動が苦手な私に、オスカーは文句も言わずに付き合ってくれたし、勉強が苦手なオスカーに教えるのは、いつも私の役目だった。

 そして私は、そんな関係を心地良くも感じていた。


 そのようにセットとして捉えられることが多かった私達ではあるけれど、実際に一緒にいた時間はそれ程多い訳ではない。

 特に三年生になってからは、オスカーは憧れの騎士になるために、そして私は王宮所属の文官登用試験に合格するために、二人とも目が回るくらいに忙しく過ごしていたのだから。


「『同じくらい辛い思いをしてほしい』とは思わないけど、フィオナが頑張っている姿を見ると、ますます頑張ろうという気持ちになれるな」

 ひたすら一人で机に向かう日々が続く中、孤独に耐えきれず挫けそうになった時に、何度も繰り返し思い出したオスカーのその言葉は、私にとっては宝物だ。


 その頑張りが実を結び、私達を表す呼び名が『かつてない好成績で騎士団入団を果たしたオスカーと、最年少で文官登用試験に合格したフィオナ』に変わったことまでは、物語の強制力ではないと思いたい。

 私とオスカーが夢の実現に向けて精一杯力を尽くしたのは紛れもない事実で、それを「強制力のおかげだ」などと言われては堪らない。

 

 お互いの目指す方向は全く違っていたけれど、それでも私達はお互いを心の支えにしながら、苦しい時間を乗り越えてきた。

 そう思うと、いずれ解消される関係だとしても、私達が共に過ごした時間には十分に意味があったと言えるのだろう。


 無事に卒業式を終えた私は、そんなふうにぼんやりと、この三年間を振り返っていた。

 視線の先にいるオスカーは、同級生の友人はもちろんのこと、式を見に来た先輩や後輩達に幾重にも囲まれている。

 そのせいもあって、私とオスカーの間には大きく距離があるけれど、あれだけの人物がオスカーに声を掛けようと群がっている様子を、私は少し誇らしく思っている。

 オスカーが人気者であるのは、彼が主人公だからではない。彼自身が周囲の人々にどう接していたかを間近で見てきた私は、それを知っている。


「フィオナちゃんは行かないの?」

 ふいに後ろから掛けられた声に振り向くと、そこには少し疲れたような表情を浮かべるエドウィンが立っていた。

 この世界にも〝好きな卒業生からボタンやネクタイを貰う文化〟というものが存在しているらしく、目の前のエドウィンの制服のボタンは、全てきれいになくなっている。

 私のところから見ることはできないけれど、きっとオスカーの制服も同じようになっていることだろう。


「今はやめておくわ。私はこれからもオスカーと会えるけれど、あの中にはそうでない人もたくさんいるだろうから」

「そっか。でもあいつも、フィオナちゃんと卒業を祝いたがってると思うけどね」

「……エドウィンも、すごい人気ね。ボタンが全部なくなっちゃってるじゃない」

「まあね」

 エドウィンはそう言うと、私の制服に視線を走らせる。


「フィオナちゃんの制服は無事みたいだね。安心したよ」

 エドウィンのその言葉に、私は思わず笑ってしまう。

「当たり前じゃない。誰も貰いに来ないわよ」

 オスカーの恋人だという理由で、学校内では有名人だったと自覚しているけれど、だからといって私自身に人気があった訳ではない。

 オスカーと付き合い始めてからも、私の人脈は大して広がることはなく、気安く喋れるような友人は、エドウィンも含めて数名程度にしかなっていない。

 そんな私の非社交的な性格が滲み出ていたのか、エドウィンを介して話を持ち掛けられることも多く、彼には本当にお世話になりっぱなしだった。


 そんなエドウィンは、私の返答を聞いて明らかに顔を顰めた。

「いや、まあ……そうなんだけどさ」

 彼は気まずそうな表情でそう言った後、「多分フィオナちゃんが思ってるのとは違う理由があるんだけどな……」などと呟いている。おそらく独り言だろうから放っておこう。


 そんな時、視界の端でオスカーが私達に気がついたのがわかった。

「フィオナ!」

 私の名前を嬉しそうに呼びながら、自らを取り囲む人混みを掻き分けてこちらに駆け寄るオスカーに、私の方からも歩み寄る。

「探してたんだ! 帰ってしまう前に会えてよかった」

 そんなことを言うオスカーの制服に目をやると、ボタンは一つも欠けることなく残ったままだった。


「ボタン、誰にもあげなかったの?」

 相手は確認していないけれど、先程は「オスカー様、ボタンください!」という声も聞こえていた。

 それ以外にもたくさん声を掛けられただろうオスカーの制服から、ボタンが一つも消えていないことに驚いた私は、思わず目を見開いてしまう。


 そんな私の様子を見て、オスカーがにかっと笑った。

「当たり前だろ。たとえボタン一つであっても、俺のものをフィオナ以外に渡す訳ないだろ」

 彼はそう言うと、私の首元にかかっているネクタイを解いて、手の中に持っていた自分のネクタイと取り替えた。

「思い出が詰まったネクタイだからな。フィオナに持っててほしいんだ」

 オスカーはそう告げた後、私の首元へと手を伸ばす。

 少しくたびれてはいるものの、丁寧に手入れして使われてきたことがわかるそのネクタイを、オスカーが神妙な面持ちで結んでいるのを見て、なぜだか鼻の奥がツンと痛んだ。


 私達の道は、いずれ分かれることになる。

 けれどもこの三年間で、彼からもらった愛情は本物だったし、私も彼を精一杯大切にしてきたつもりだ。

 オスカーと共に過ごす中で築き上げてきた関係は、物語の強制力によって作り出されたものじゃない。

 

 ……この先私がどうなろうとも、オスカーから貰った思い出は大切にとっておこう。

 オスカーに結んでもらったネクタイに手を置き、私はそっとそう心に決めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ