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 結局、私がレベッカさんに呼び出されたあの出来事が、第三者に知られることはなかった。

 後日レベッカさんからは「こちらの勘違いだった」との謝罪があったし、私としても事を大きくしたくはなかったため、この件に関してはそれで終了。

 終始真っ青な顔で私に頭を下げるレベッカさんを見て、彼女の運命に少し同情はしたけれども、彼女が私に手を上げた事実がある以上は仕方がない。

 『ヘルト』における彼女はこれが理由で退学に追い込まれていたから、それを考えると彼女にとっても良い幕引きになったのだとは思う。


 私としても、この件がひっそりと解決できたことには安堵している。

 入学式してまだ間もないと言えるこの段階で、学校中から「支離滅裂な奇声を発していた人物だ」と認識されることなく済んだのだから。

 おかげでこれまで通り、ひっそりと目立たず、平穏なスクールライフを送ることができるはずだ。

 ……と考えていたにもかかわらず、私の予想はすぐに裏切られることとなる。


「フィオナ! 何してるんだ?」

 そんな声のする方向へと振り向くと、そこにはこちらに向かってぶんぶんと大きく手を振るオスカーが立っていた。

 そんな彼の様子を目にして、思わず溜め息が出るのは許してほしい。

 あの日から毎日、こうして私に声を掛けてくるようになったオスカーのせいで、それまでの私の平穏な日常が遠ざかりつつあるのだから。


「別に、何もしてないわ。強いて言うなら、教室に向かって歩いていただけ。もうすぐ始業時間だから」

 始業時刻まで残り五分に迫っていることを示すと、オスカーは元気いっぱいに「じゃあ急ごう!」と言って、私の横にぴたりと並んだ。


「……いつも言っているけれど、送ってくれなくても大丈夫よ? オスカーの教室、反対方向でしょ?」

「少しの間でも、フィオナと話がしたいんだよ」

 私の言葉に対して、オスカーはいつも通りにたりと笑って、茶化したような口調でそんなことを言ってくる。

 予想していた通りのその返答に、私はもう一度小さく溜め息を吐く。


 今思えば、初動を間違えてしまったんだと思う。

 あの騒動の翌日、オスカーは朝一番に「怪我は大丈夫?」と声を掛けてきた。

 まさか彼から話し掛けられると思っていなかった私は、内心とても驚いたのだけれど、オスカーがあまりにも心配そうな顔をしているものだから、ついつい警戒心を解いてしまったのだ。


「大丈夫ですよ。腫れも治りましたし、触らなければ痛くもありませんから」

「ならよかった。けれど、先生には報告した方がいいんじゃないか? 呼び出されて、叩かれた訳だろ?」

「まあ……はい。ですが、別に彼女達に罰を受けてほしい訳ではありません。私も反撃しましたしね」

 おそらくその言葉が、私の本心であることが伝わったのだろう。

 オスカーはその件に関して、それ以上何かを言ってくることはなかった。


 けれども、まさか彼がその日から毎日私の前へと姿を現し、親しげに話しかけてくるようになるとは思ってもみなかった。

 その中であれよあれよと敬語を禁止され、遂にはお互いを名前で呼び合うようになっているのだから、驚いてしまう。さすがのコミュニケーション能力だ。


 そしてそのまま、そんな状態が一カ月以上も続いている。

 きっと彼は、あんなふうに支離滅裂な言葉を大声で叫んでいた私の精神状態を心配し、さりげなく見守ってくれているのだろう。

 そうでなければ、儚くもか弱くもない、したがってオスカーの心に〝初めて抱く感情〟を芽生えさせることもなかった私のことを、彼がここまで構うとは考えられない。

 本当に、彼の面倒見の良さには頭が下がる。


 人気者であるオスカーと共に過ごす時間が増えたことによって、私まで目立ち始めていることには辟易するけれども、善意からくる彼の行動を無下にする訳にもいかず、私は今日までずるずると彼との関係を続けている。


 けれどもまあ、別にこのままでいいのかなとも思っている。

 私の目的は〝オスカーの妻となりいずれ捨てられる未来〟を回避すること。彼との出会いの場をあんな形でぶち壊したのだから、おそらくその目的は果たせたはず。

 ならば私には、彼を遠ざける理由もない。

 目立ってしまうことさえ許容できれば、彼と過ごす時間はわりと心地良いものなのだから。


 今日もオスカーに教室の前まで見送られ、「お昼になったらまた迎えに来るな」とランチを共にする約束をし、席に着くと同時に隣から「今日もあいつは絶好調だな」と声を掛けられる。

 はじめのうちは「なぜ?」と思っていたこの流れさえも、今では日常となりつつある。


「あいつは毎日楽しそうだけどさ、フィオナちゃんは迷惑してない?」

「迷惑ではないわ。目立ってしまっているな、とは思うけれど」

「そっか、ならよかった」

 毎朝そんな会話を交わす仲となった彼、エドウィンは、オスカーの幼馴染らしい。


 オスカーから紹介されるまでは気づかなかったけれど、エドウィンも『ヘルト』では主要キャラクターと呼んでも差し支えない人物だった。

 オスカーが私に、「エドウィンは俺と一緒で騎士を目指しているんだ」と紹介した通り、エドウィンもまた将来的には騎士になり、気の置けない仲間としてオスカーと共に活躍することになるはずだ。

 そんな彼は、オスカーと私の距離が急激に縮まったことを、とても心配してくれている。


「オスカーのこと、嫌だったらちゃんと言うんだよ?」

「ありがとう。でも、大丈夫よ」

 エドウィンといつも通りの会話をし、真面目に授業を受け、お昼になればオスカーが迎えに来るのを待つ。そしてその後は、中庭や空き教室に行って二人でごはんを食べる。

 いつも通り、今日もいつもと同じように過ごすはずだった。


 けれども、そんな私にとっての〝いつも通り〟が崩れたのは、四時間目の授業が終わって、自席でオスカーの到着を待っている時だった。

「少しだけ、いいかしら?」

 声のする方に顔を向けると、そこには三人の女子生徒が立っていた。

 クラスでも目立つその三人組が、「聞いてみてよ」「いや、あなたが聞いてよ」なんてことを囁き合いながら、こちらの様子を窺っているものだから、身体に緊張が走るのを感じる。


 一体、なんの用なんだろう?

 まさかまた、「私の彼と仲が良すぎない?」なんてことを、言われてしまうんだろうか。

 けれども、私が仲良くしているクラスメイトは、依然としてエドウィンくらいなものだし、彼にお付き合いしている相手がいないことは確認済みである。

 ちなみに、隣席に座るエドウィンにちらりと視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべてはいたものの、口を挟もうとする素振りはない。つまり、彼は無関係ということだ。


 だったらどうして、彼女達はこんなに緊張した面持ちで、私の前に立っているのだろう?

 そして、私達の動向を見守るように、クラス全体が静まり返っているのはどうしてなのだろう?


 そんなことをぐるぐると考えつつ、私はなんとか「なんでしょうか?」と声を絞り出す。

 すると目の前に立つ三人のうちの一人が、好奇心を隠しきれないといった様子で口を開いた。

「フィオナさんは、オスカーとお付き合いをしているの?」


 ……はい?


 思いがけない質問に「何を馬鹿なことを」と思った。

 けれども、そう思ったのは私だけだったようで、教室にいる全員が私の返答を待っているのが、ひしひしと伝わってくる。付け加えておくと、エドウィンは相変わらず隣席で苦笑している。


 そんなクラスの異様な雰囲気に包まれて、私はようやく気がついたのだ。

「ひょっとして、やらかしてる?」と。


 誤解のないように言っておくが、私は原作『ヘルト』の内容を根底から覆そうとは思っていない。

 オスカーには『ヘルト』のストーリー通り、幼い頃からの憧れである騎士という地位に就き、ゆくゆくは〝英雄(ヘルト)〟の称号を手に入れてほしいと思っている。

 そしてその思いは、実際にオスカーと関わるようになって、ますます強くなっている。それくらいに、彼は魅力的な人間だ。


 そんなオスカーに魅力を感じるのは、当然ながら私だけではない。

 彼は少年漫画の主人公らしく、実際に女子生徒からモテにモテている。彼の隣を狙う女の子はたくさんいるし、その中には儚くか弱い子だっているはずだ。

 だから、私は楽観視していたのだ。「私が原作を無視した行動をとろうとも、儚くか弱い〝将来の妻〟候補となる女子生徒は、きっとすぐに現れるだろう」と。「私が多少イレギュラーな動きを見せたところで、物語にはなんの影響も与えないだろう」と。

 けれども今、その認識は甘かったのだと理解した。


 私は、オスカーが〝か弱く儚い女性〟と恋に落ちることを知っている。けれども、周囲の人間はそうではない。

 レベッカさんとの一件を知っていれば、「人気者のオスカーがあんなふうに支離滅裂な奇声を上げる人間を好きになるはずない」とも思ってもらえるだろうけど、あの一件すら公になっていない現状、オスカーが私に構う理由すら、彼らは知らない。

 そんな状況で、私が急にオスカーと距離を縮めたものだから、周囲の人々が誤解するのも無理はないだろう。


 つまり私は、自身に課された〝主人公の妻〟という役割を放棄したにとどまらず、オスカーが次の〝主人公の妻〟候補と仲を深める邪魔をしてしまっているのだ。

 これは、大変由々しき事態である。早急に対処しなくては。


 もちろん、今後オスカーの〝主人公の妻〟候補となる女の子が現れた際、私とオスカーの関係が誤解されることがあれば、私はレベッカさんとの出来事を詳らかにする覚悟もある。それが、物語の筋書き通りの行動をとらなかった私の、せめてもの償いだ。

 そして今の私ができるのは、「オスカーと付き合っているのか」という質問を、全力で否定することだ。


「誤解です! そんな訳ないじゃないですか!!!」


 オスカーの明るい未来のためにも、なんとしてでも誤解を解かなければならないという思いが、強く出すぎてしまったのだろう。

 想像していた以上の大声が、教室中に響き渡る。


 目立つタイプでもない私が突如として叫び出したせいで、クラス全員が唖然とした表情を浮かべている。エドウィンに関しては、目どころか口まであんぐりと開いてしまっている。

 なんとも気まずい空気が教室中に漂っているものの、しかしそんなことで怯んではいられない。


「彼はトラブルに巻き込まれた私を心配してくれているだけです! それなのにそんなふうに誤解されてしまうなんて、申し訳なさすぎます!」

「彼の行動は百パーセント善意からのものなんです! 彼が私に特別な感情を抱くだなんて、これっぽっちもあるはずないです!」


 そう言い募る私は、せめてこの場にいる人の誤解を、なんとかして解こうと必死だった。

 だから、すでに昼休みが始まって数分経っていることや、オスカーがこのクラスに来ることになっていることが、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。


 クラスメイトの視線が私ではなく、私の斜め後ろあたりに注がれていることにようやく気づいたのは、耳元で鋭く冷たい声が聞こえた時だった。

「……へえ? フィオナはそんなふうに思ってたんだな」

 顔のすぐ近くで発せられたその言葉に驚いて慌てて振り返ると、そこにはどことなく不機嫌そうな表情を浮かべるオスカーが立っていた。


 彼の声はここ一ヶ月毎日聞いているはずなのに、その声はまるで知らない人のもののようで、背筋に嫌な汗が伝うのを感じる。

 しかしそれは一瞬のことで、「さすがにそんなに全力で否定されたら傷つくぞ」と続けるオスカーは、私が知るいつも通りのオスカーだった。


「……ごめんなさい。けれど、誤解されたままではいけないと思って」

「まあ、確かに付き合ってはいないもんな」

 いつもと変わらない様子でそう返事をするオスカーに、私は心の中で胸を撫で下ろす。

 けれども次の瞬間、オスカーは教室中をぐるりと見回すと、とんでもない爆弾発言を落としたのだ。


「まだ付き合ってはないけどさ、今俺が一生懸命アピールしてるところなんだ。あんまり邪魔すんなよ」


 ◇◇◇


 その後どうやってこの空き教室まで辿り着いたのか、正直なところよく覚えていない。

 オスカーからの予想外の言葉に心を乱されているのは私だけらしく、オスカーは大勢の前であんな発言をしたにもかかわらず、特に動揺しているようには見えない。

 それこそ、このまま私が触れなければ、さっきの出来事ごとなかったことになるのではないかと思うくらいに、平常運転だ。


 けれども聞いてしまった以上、無視する訳にもいかない。

「……さっきの、あれってどういう意味?」

 恐る恐る尋ねる私に、オスカーはなんでもないことのように言葉を返す。

「言葉の通りだけど? 俺は今、好きになってもらえるように、一生懸命フィオナにアピールしているところなの」

「冗談じゃ……ないのよね?」

 オスカーが人の心を弄ぶような冗談を言う人間でないことはわかっているけれど、驚きのあまりそんな言葉が出てしまった。


 しかしオスカーは私の発言に腹を立てることなく、「そんなに驚く? わりとわかりやすくアピールしてたつもりだけど?」と言って、おかしそうに笑った。

「好きでもない女の子に、わざわざ毎日声を掛けに行ったりしないって」

 そう言う彼の言葉はもっともで、思わず納得してしまいそうになる。


 けれども、初めてオスカーが私を認識したあの日、私は儚くもか弱くもなかったはずだ。

 それなのになぜ、彼は私に好意を抱くようになったのか?


「確認なんだけれど、あの日のレベッカさんと私のやりとり、どの辺りから聞いていたの?」

「『私の彼と随分と仲が良いみたいじゃない?』ってところだな」

「……ほとんど最初からね」

 オスカーがあの日、私とレベッカさんとの会話を聞いていなかった可能性もあると思って尋ねてみたけれど、どうやらそうではないらしい。

 ということは、彼が私を〝儚くか弱い〟と誤認している訳でもなさそうだ。


 一体何が起こっているのかと、私は頭を抱え込む。

 けれどもオスカーは、そんな私の様子に戸惑う素振りも見せずに、さらに言葉を続けた。

「もう一度言うけど、百パーセントの善意でしてる訳じゃない。俺の、精一杯のアピールなんだ」

 そう言いながら私を正面から覗き込む彼の視線は真っ直ぐで、今度こそ私は、それ以上彼の気持ちを疑う言葉を発することなど、できなくなってしまったのだった。

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