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プロローグ

 時刻はもうすぐ午後八時。

 冷たい風が吹きつける中、私は早足で自宅までの道のりを歩く。


 当然ながら辺りは真っ暗な上、先程からは雪までちらつき始めた。そういえば「今日は今季一番の寒さになるらしい」と、職場で誰かが言っていた。

 そんな中、目指すべき我が家に灯りがともっているのを見て、思わず安堵してしまった自分を、私は心の中で否定する。いけない、いけない。


「ただいま」

 そう言いながら玄関の扉を開けると、家の中はまだひんやりとした空気に包まれていた。

 おそらく、彼も少し前に帰宅したばかりなのだろう。私の声を聞いて部屋からひょこりと顔を出したオスカーの鼻先は赤らんでおり、冷たいままであることが見て取れる。


「おかえり、フィオナ。俺も今帰ったばかりなんだ」

「オスカーも、お疲れさま。すぐに夕飯の準備をするわね」

 私はそう言って、帰りにレストランでテイクアウトしてきた食事をテーブルの上に置く。

 ここ最近、我が家の夕食のテーブルに頻繁に並ぶようになったこのレストランの料理を、オスカーは変わらず「いつ食べても美味しいな」と言って口にする。


「仕事で疲れているだろうに、わざわざ買って来てくれてありがとう」

「ううん。最近テイクアウトばかりでごめんね」

「何言ってるんだよ。俺としては、フィオナと食事ができるのならそれでいい」

 そう言って目元を和らげるオスカーは、おそらく本当にそう思っているのだろう。


 そんな彼の姿を見て、私は思わず視線を逸らす。

 そのままリビング内を見回すと、昨日取り込んだ洗濯物がそのままになっているのが目に入った。

 今朝は洗濯ができていないから、おそらく脱衣所には汚れた服やタオルなんかが山積みになっていることだろう。


「今月末、〝騎士団の妻の集い〟があるのよね?」

「知ってたのか?」

「うん。……今回も、参加はできないのだけれど」

 自分で話題にしておきながら、気まずい思いが込み上げてきてた私は、「ごめんね」と小声で付け加える。


「気にする必要なんてないよ。強制的なものでもないんだから」

 オスカーはそう言ってくれるけれど、結婚以来数回しか顔を出さない私に対して、〝集い〟のメンバーの一部が良くない印象を抱いていることは知っている。

 それが原因でオスカーが騎士団内で嫌な思いをしたことだって、あるかもしれない。あったところで、彼は私には絶対知らせないだろうけど。


 荒れ果てた部屋に、仕事を優先する妻。

 この世界の基準でいけば、私達の生活は〝理想的な結婚生活〟からは程遠い。特に、男性目線だと。

 少なくとも、人々の憧れの的である反面、激務な〝騎士〟という職業に就く男性にとって、快適な生活だとは言い難い状況であることは、誰の目からも明らかだ。


 だからオスカーは、おそらく私に離縁を言い出しても非難されないだろう。「仕方がない」と思われるだけの条件は揃っているはずだ。彼の妻として相応しい人間など、掃いて捨てるほどにいるだろうから。

 ……それなのに。


「フィオナ。今日も君がいるから、俺は頑張れる」

 オスカーは食事中にもかかわらず、そんなことを言ったかと思うと、フォークとナイフをテーブルに置いて、私の手にそっと自身の手を添わせた。

 その手が少しかさついているのは、このところ毎日彼が洗い物をしてくれているから。


「……手が少し荒れてしまっているわね、ごめんなさい。国民を守るための、大切な手なのに」

「どうして謝る? フィオナの手の代わりに俺の手が荒れているんだから、むしろ誇らしいよ」

「洗濯物も、溜まってしまっているわ。足りないものはない?」

「それに関してはフィオナも気を配ってくれているじゃないか。それに、必要なものがあれば自分でも洗えるよ」

 そんな会話を交わしながら、最後にオスカーは言うのだ。「フィオナ、愛している」と。出会ったばかりの頃と同じように、蕩けるような笑みを浮かべながら。


 「そろそろ物語の強制力が働くだろう」と思い始めて、早三ヶ月。

 半年後には、大きな遠征が控えていると聞いている。少年漫画『ヘルト』において、主人公オスカーが大活躍する遠征だ。

 彼が〝英雄(ヘルト)〟の称号を授かるのも、そこでの活躍が大きく関わっているはず。そしてその活躍の裏には、公私にわたって彼を支える()()の存在があるはずなのに。


 正直に言うと、私はかなり焦っている。本来なら、とっくに()()()()()()()から姿を消しているべき私が、いまだにこの場にいることに。

 私は本来、彼が物語通りの人生を歩むために退場していないといけないはずなのに。それなのに。


「私の〝主人公の妻〟としての生活って、いつまで続くの……?」

 口の中で呟いたその言葉は、誰の耳にも届くことなく、すっかり暖まった空間の中に消えていくのだった。

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