第1話 大落下
うわぁあああぁあぁぁぁぁあ!
―― 拝啓 母さん、父さん
僕は今、なぜか天高く空の果てから落っこちているみたいです。
なぜ疑問形なのかは、これから順を追って説明していきたいと思います。
まずお二人は既にご存知かと思いますが、僕はとても不幸な星の下に生まれてしまいました。
あ、でも母さんと父さんに責任があるわけではありません。あくまでも運が悪かった、それに尽きると思います。
どうしてって?
決まってるじゃありませんか。
僕がどれだけこの世界から類まれなる仕打ちを受け続けてきたか。お二人だってご存知でしょう?
道を歩けば、側溝に落ちる。
階段を登れば、滑り落ちる。
電気をつければ、ヒューズが落ち、
始まりはいつだって、雨。
僕の人生の歴史は、ありとあらゆる『落ち』との戦いの歴史でした。
ありとあらゆる『落ち』を経験してきた僕にとって、この世界はあまりにも理不尽で、不平等で、容赦がないものです。
けれど、僕は諦めませんでした。
どれだけこの世が理不尽でも、努力を積み重ね、世界から滑り落とされまいと、必死に、これでもかと両足を踏ん張り生きてきました。世間が牙を剥き、逆風が吹き荒れても、決して歩みは止めませんでした。
そしてついに、今日。
僕は生まれて初めての、『勝利』を掴み取ったのです!
やった ―― !
受験番号 4444
大楽 歌。
第一志望である難関大学に見事合格!
苦節18年。
幼稚舎は両親の不手際にて不合格。
小学校は父親の大失態により入学が叶わず。
中学校は急な発熱により受験失敗で本命校を諦め、高校は願書が志望校に届いておらずに不戦敗といった始末。
挫折に次ぐ挫折を重ね、ついに迎えた大学受験。思い起こせば、ここに至るまでも血の滲むような苦労がありました。
まずは三日前に現地入り。
一年前から事前予約した、受験校から最も近いホテルに宿泊し、万全の準備を整えたうえ最後の追い込みを実施。
受験前夜は、受験校側から許可をいただき、校内の一角を間借りし宿泊。その間も体調を崩さぬよう、温度管理から湿度のコントロールまで入念な対応を心がけた。
こうしてありとあらゆるイレギュラーを想定し、初めて準備万端の状態で試験に挑むことができた僕は、コツコツ培ってきた学力を存分に発揮。そして、そしてついに、その努力が報われ、本日の発表と相成ったわけです!
ホームページに表示された番号を前に、受験票を握りしめた僕は、興奮のあまり走り出していました。
人生で初の『合格』。
資格試験も、検定試験も、入塾試験ですらイレギュラーに落ち続けてきた僕にとって、これが生まれて初めての成功体験。どうして走らずにいられますか!?
「やった、ついにやったよ!」
目尻に涙を溜めながら駆け抜けた僕は、近所の一級河川にかかる橋の真ん中で、この世界のみんなに届けと、声の限り叫びました。
側道を走り去っていくエンジン音に掻き消された僕の声は、いわば自分だけに聞こえた特権。だけど本当は、世界中の人々に宣言したかった。
僕はここにいる、僕はやったぞ、って……
しかし妙なことに、その誰にも聞こえなかったはずの声に、誰かが返事をしたのです。
―― マズい、ミスった って。
「誰?」と聞き返した直後、後方でドゴンッと大きな音がしました。
振り返った僕が見たものは、自分に向かって突っ込んでくる自動車の「顔」でした。
しかし安心してください。
僕はいつだってこの程度の事態は想定しています。そして常に冷静沈着のつもりです。
これくらいのことは、これまで何度も経験しています。気を抜くことなく、どんなことにも対処してみせる、そんな心持ちで生きてきたんですから。
瞬時に反応した僕の身体は、直撃を避けるべく、サッと身を捩り、車体を回避。目と鼻の先の欄干を突き破って空中に体を投げ出す車を横目に、どんなもんだいと勝確した僕は、バランスを崩しながらガードレールに手をかけました。
……はい、ここでストップ。
両親であり、かつ賢明なお二人ならば、もう気付いたかもしれません。
ええ、そうです。
僕はこの時、大事な大事な、人生初の勝利の証である『受験票』を握りしめていました。
そして避けることに全神経を注いだ結果、僕の指先から、スルリと受験票がこぼれ落ちていったのです――
風に乗り、流されていく受験票。
思い切り伸ばした爪の先が、受験票の端をさらに弾きます。離れていく紙を追うように、さらに伸びた僕の右腕は、知らぬ間に壊れた欄干の隙間を抜けて、川の真上へとせり出していました。
「あ、あっ、ああああッ!?」
何かを掴んだ感触とともに橋の上から落下した僕は、そのまま川へ落水。バシャンという音と、前日の大雨によって増水した濁流に吸い込まれ、僕はガボガボと激しく鳴らす水流の畝りに飲まれ、天地もわからず流されてしまいます。
(い、息ができな……い!)
しかし妙なことに、洗濯機のシャツのように回転していた僕は、薄れゆく意識の中で、確かにまた誰かのおかしな声を聞いたのです。
スキル『大落下』を習得しました
でもそれどころじゃない僕は、ゴボゴボ水を飲み込みながら藻掻きました。しかし水を吸って重くなった衣服が沈み、僕は成す術もないまま意識を失ってしまったのです。
―― そう。
僕は確かに意識を失いました。
でも僕は、またそのあとに聞こえた誰かの声を、今も鮮明に覚えているんです。
『私のミスで迷惑をかけてしまった。だから一つだけサービスをしてあげよう。どうか新たな世界で好きに生きてほしい』って――