第15話
子フェンリルと別れてから1週間ほどが経過した。
もう魔獣の森は完全に抜け、普通の森に入ったようだ。
適度に樹も間引かれ、光が差し込んでくる。
薄暗い魔獣の森とは雲泥の差、とても穏やかな森だ。
「あと少しでここも抜けれそうだな。
……でもその後、どこに向かえばいいんだ?」
森林浴を楽しみつつ、そんなことを考え進んでいく。
そして、それからしばらく行った先で、ユイトが複数の獣を感知する。
「こいつは……」
すぐに、獣を感知した方へ向かったユイト。
程なくして前方に、息をひそめる数頭の狼が見えてきた。
そしてその狼たちの視線の先には、採集に勤しむ1人の少女。
「まずいっ」
少女は採集に集中しているのか、背後から迫る狼に全く気が付いていない。
音も立てず、ゆっくりと近づいていく狼たち。
少女との距離がどんどん詰まっていく。
そして少女が狼たちの射程に入った次の瞬間、ついに狼たちが少女めがけて一斉に飛びかかった。
何も知らない少女に迫りくる狼たち。
その鋭い牙と爪が、少女に届かんとするまさにその時、ユイトが手にする剣が閃いた。
スパンッ、スパンッ
どさっ、どさっ、どさっ
「…えっ?」
音に気づいて急いで後ろを振り向く少女。
すると、そこには見知らぬ少年が自分に背を向けて立っていた。
そしてその少年の周りには、斬り伏せられた多数の狼たち。
少女はすぐに状況を理解した。
狼に襲われそうになった自分を、この少年が助けてくれたのだと。
と同時に、一歩間違えば命を落としていたであろうその状況に心底恐怖した。
「さてと…」
ゆっくりと少女の方を振り向くユイト。
ユイトにとって、この世界で初めて会う人間。
そして、この世界の人間との初めての会話。
嬉しさと緊張が複雑に混ざり合う。
ごくり…
「……大丈夫だったか?怪我はないか?」
わずかな沈黙の後、意を決したユイトが震える少女に声をかける。
「は、はい。
危ないところを助けていただき、どうもありがとうございました」
ユイトに頭を下げ、そうお礼を言うのは11~12歳ぐらいの美少女だ。
ただ美少女と言っても、美しいというより、かわいいといった方が断然適切だ。
(……良かった……言葉は通じるみたいだな)
”理外の者”の称号のおかげか、ユイトはひとまずひと安心。
そして何より、この世界での初めての人との会話にユイトは激しく感動した。
自然とユイトの顔から笑顔がこぼれる。
「とにかく怪我がなくて良かったよ。
…それより何でこんな森の中にいるんだ?採集でもしてたのか?」
少女の後ろに見えるかごがユイトの目に映る。
「はい。いつもこの森で木の実やきのこを採ってます。
だけど……狼に襲われたのなんて初めてで……」
狼に襲われた恐怖からか、まだ、かすかに震える少女。
話を聞いてみると、どうやらこの辺りの森は安全とされていて、昔から採集の場となっているらしい。
だがここ数年、まれにではあるが獣が出現するようになったという。
その話を聞いて、ユイトには思うところが1つあった。
あくまで、"数ある可能性の内の1つ"ということだけは先に言っておく。
この森で獣が出るようになったというここ数年。
ユイトは何をしていたかというと、修行のため魔獣の森で魔獣と戦っていた。
そんな中、見る見る力をつけていったユイト。
そしていつしか、そんなユイトを魔獣たちが避け始めた。
ユイトは魔獣の森の中心にいたわけで、ユイトを避けるということは、森の外側に魔獣たちが移動するということだ。
当然、元々そこにいた魔獣は新たにやってきた強い魔獣を避け、より外側へと移動する。
それが繰り返されると何が起こるか。
(……考えたくない)
「…そっか。怖かったろ?
じゃあ今度、俺がこの辺りの獣を駆除しとくよ。
そしたら安心して採集できるだろ?」
自分が元凶かもしれないという後ろめたさから、咄嗟にそう言うユイト。
「えっ、本当ですか!!」
先ほどの出来事が相当怖かったのか、ユイトの言葉に少女の顔がぱぁっと明るくなる。
と、その時。
ぐ~~
ユイトとの会話で安心したのか、少女のお腹がかわいく鳴る。
その恥ずかしさから、少女の顔は真っ赤になった。
(はは、かわいいな)
「そういや俺も腹減ったな。何か食べるかな」
助け舟になるかは分からないが、ユイトは気を遣ってそう言ってみる。
「あっ、そうだ!」
何かに気づいたように、小さな肩掛けかばんのふたを開ける少女。
そしてその中から、小さなパンを取り出した。
きっと少女の昼ご飯なのだろう。
すると少女はそのパンを半分に割り、それをユイトに差し出した。
「どうぞ、お兄さん」
少女が身に着けているものは、その小さな肩掛けかばん1つのみ。
おそらく持っているのは、その小さなパン1つだけだろう。
全部食べてもお腹が満たされないであろう小さなパン。
にもかかわらず、そのパンの半分を、笑顔でユイトにと差し出してくれている。
その少女の優しさが、見知らぬ世界に放り出され、未だ不安の残るユイトの心に沁み渡る。
(……なんかうまく言えないけど、少し救われたような気がする…)
そんな少女の厚意を無下にするわけにもいかない。
「貰っちゃっていいのか?」
「うん!」
少女は笑顔でそう答える。
少女の緊張もほぐれてきたのか、年齢にふさわしい口調になってきた。
「ありがとな。じゃあいただくよ」
近くの岩に腰を掛け、少女と2人でパンをいただく。
あっという間になくなるパン。当然、2人のお腹は満たされない。
そこでユイトは、パンのお礼もかねて、あの果実をあげることにした。
そう、魔獣の森にて子フェンリルと見つけた、あの激うま果実だ。
「パン、ありがとな。
じゃあ、代わりにこれあげるよ」
そう言いながらユイトは、おもむろに異空間収納から果実を取り出した。
「…なっ、なっ、なっ、何それーーーっ!?」
何もない空間から突如として現れた果実。
その見たこともない不思議な光景に、少女はびっくり仰天。
「ごめんごめん。驚かせちゃったな。
今のは荷物を収納する俺の魔法なんだ」
「魔法!?お兄さん、魔法が使えるの!?」
「ま、まぁな」
(この反応…ひょっとして魔法を使える人間って珍しいのか?)
(……それにしても、お兄さんとは……)
ユイトには弟も妹もいない。いるのは兄1人のみ。
これまで”お兄さん”なんて呼ばれたことのないユイトは、その言葉がなんだかむずがゆい。
「そういや、まだ名乗ってなかったな。
俺はユイトっていうんだ。よければ、ユイトって呼んでくれないか」
「"ユイト"さん…。うん、分かった!
私はティナです。私のことはティナって呼んでください」
「”ティナ”か。いい名前だな」
「うん。お父さんとお母さんがつけてくれたの。
すごく気に入ってる大切な名前」
胸の前で手を組み、目を閉じて穏やかな表情を浮かべるティナ。
(……きっとティナは、両親の愛情に包まれて育ってきたんだろうな)
「それじゃあティナ、食べようか」
ユイトは先ほど取り出した果実の皮をむき、それをティナへと差し出した。
果実を受け取ったティナは、手にした果実をまじまじと眺める。
初めて見る果実に少しだけ躊躇するも、ティナはすぐにそれを口へと持って行った。
「いい匂い…」
ユイトは、この後のティナの反応を想像して笑みを浮かべる。
そしてティナが一口。
その瞬間、これまで経験したことがない程のそのおいしさに、ティナは驚きの表情を浮かべた。