第141話
場所は再び、クレスティニア王国 王都フィーン。
ブレサリーツ兵が撤退してから3日目。
その日もブレサリーツからの新たな攻撃はなかった。
しかしその翌日、1本の伝令が束の間の休息に終わりを告げた。
「ブレサリーツの大軍を確認。こちらに向かってきます」
「来たか…。総員、配置につけっ!ブレサリーツを迎え撃つ!!」
慌ただしい動きを見せるクレスティニア陣営。
各国の王が集まるその場所にて、戦場となる地を見つめるイーファ。
そんなイーファにゼルマ王が歩み寄る。
「イーファ殿。
これから我らが戦う相手は、イーファ殿にとっては守るべき民であり、
そして同時にイーファ殿から家族を奪った仇でもある。
どんな結果になろうとイーファ殿には辛かろう。
奥に下がっていてもらって構わぬ」
その言葉にイーファは首を横に振った。
「いいえ。私はここにいます。
私はブレサリーツ王国の王女。私が逃げ出すわけにはいきません。
どんなに辛い結末が待っていようとも私は目を背けません。
私にはその責任があり、義務があります。
私はこの場にて、この戦いの結末を見届けます」
イーファの顔は、覚悟を決めた人間のそれだった。
「…そうであるか」
それから半刻後、王都フィーン近郊に姿を現したブレサリーツの大群。
そして間をあけることなく、すぐに激しい戦いが始まった。
ブレサリーツの大群を迎え撃つクレスティニア、メイリール、レンチェスト、冒険者の連合軍。
先日の戦いとは違い、ブレサリーツとの間に大きな戦力差はない。
さらにクレスティニア陣営は、この3日間で緻密な作戦も練り上げた。
その甲斐あって戦いは拮抗、もしくはクレスティニア側がやや有利に進んでいった。
このまま行けばクレスティニアの勝利。
クレスティニア陣営の誰しもがそう思った。
だがその矢先、ブレサリーツ側からクレスティニア側に向け、おびただしい数の魔法が放たれた。
「な、なんだあれはっ!?」
クレスティニア陣営に向け一斉に放たれた数多の魔法。
それは精霊魔法だった。戦場へと到着したブレサリーツ精霊魔導士部隊が放った精霊魔法だった。
束の間の休息と思われたこの3日間。
それは休息などではなかった。
ブレサリーツが精霊魔導士部隊の到着を待つための時間だった。
……精霊魔導士。
それは、精霊の糧である魔力を与える代わりに、精霊の力を貸し受ける契約を結んだ魔導士のこと。
下位精霊との契約者ですら一般魔導士をはるかに凌ぎ、上位精霊との契約者ともなれば、その力は兵士100人の戦力にも匹敵する。
この精霊魔導士の出現により、クレスティニア優位で進んでいた戦況が一気に変化する。
数百の精霊魔導士から一斉に放たれる精霊魔法。
あまりに突然、あまりに広範囲に及ぶ精霊魔法を前に、ティナの防御魔法も間に合わない。
クレスティニア側の陣形は、被弾した箇所から大きく、そして恐ろしい速さで崩れていく。
そしてその精霊魔法の攻撃は、ゼルマ王たちがいる本陣にまで届いた。
「ぐぬっ」
着弾した余波が、ゼルマ王たちを襲う。
その後も精霊魔導士たちは、クレスティニア陣営に休む暇を与えない。
間髪入れずに、数十人の精霊魔導士が合成精霊魔法の準備に入る。
そこで創り出されしは極大の精霊魔法。
直後、その精霊魔法がクレスティニア本陣に向け、凄まじい勢いで放たれた。
「陛下っ!早くご避難をっ!!」
「命を懸け戦う兵たちを置いて、私だけ逃げることなどできんっ!!」
ゼルマ王は避難を拒否。
ロットベル王、イーファも同じく、その場を動こうとしなかった。
「ステラ様ぁっ!!早くっ、早くお逃げくださいっ!!」
ファーガスが叫ぶ。
「……私はクレスティニアを守ると誓った。守り抜くと誓ったんだっ!!
クレスティニアは私が絶対に守ってみせるっ!!!」
その時だった。
『”護りし者”の力が開放されました』
ステラの頭の中に声が流れる。
それと同時に膨大な何かがステラの中に一気に流れ込んでくる。
その直後、ステラを中心として半径100mほどの巨大な結界が出現。
ブレサリーツ精霊魔導士が放った極大の精霊魔法を瞬時にかき消した。
「…な、何が起こったのだっ!?」
あまりに突然の出来事に状況を飲み込めないゼルマ王たち。
しかしそのすぐ横には、両腕を真っすぐ前に突き出したステラの姿。
「…まさか…これはステラ殿が」
クレスティニア本陣全てをその内に収めても、なお余りあるほどの巨大な結界。
しかも極大の精霊魔法を瞬時にかき消すほどの凄まじき力。
己の理解と人の力をはるかに超えたその力を前に、1つの言葉が頭をよぎる。
「…ま、まさかステラ殿は………」
クレスティニア陣営に大きな衝撃が走る。
「皆さんっ、聞いてくださいっ。
こちらの兵はこの結界を自由に行き来しています。
おそらくこの結界は、害意を持つものだけを拒絶するものだと思います。
負傷した兵たちを急ぎ、この結界内に運び込み治療を開始してくださいっ」
ステラの指示を伝えるべく、兵士たちがすぐに走り出す。
結界内に傷を負った兵士たちが次々と運び込まれ、後方支援部隊、治癒魔法師らによってすぐに治療が開始された。
一方、結界の外側では、精霊魔法による容赦ない攻撃が絶え間なく続いていた。
さらに最前線では、陣形が崩れたところを突かれ、一気にブレサリーツ兵がなだれ込んでくる。
次から次へと押し寄せるブレサリーツ兵。
ティナの目の前で、味方がどんどん傷つき倒れていく。
クレスティニア兵も、援護に駆け付けてくれた冒険者も、メイリ―ル兵も、レンチェスト兵も。
残酷な現実が…望まないその現実がティナの心を激しく揺さぶる。
そして…
「嫌…こんなの嫌…、やめて…お願い…、もうやめてぇーーーーーーーっ!!!」
心の、魂の声全てを乗せたティナの悲痛な叫び声が戦場に響き渡った。
『”精霊を統べし者”の力が開放されました』
精霊は決して人前で姿を見せない。
それはたとえ契約者…精霊魔導士に対してであっても例外ではない。
ブレサリーツの精霊魔導士も、精霊を見たこともなければ、自身の近くに精霊がいることすら分からない。
そんなブレサリーツの精霊魔導士たちから次々と光の玉が現れ、一斉にティナの元へと飛んでいく。
夕暮れ迫る戦場。
それは幻想的な光景だった。
ティナの元へと集まった数百にも及ぶ光の玉。
その直後、ティナの周りに数多の精霊が顕現。下位精霊と思われるものから上位精霊と思われるものまで、皆等しくティナに跪いた。
ティナはそんな精霊たちを涙が浮かぶ目で静かに見つめた。
そして…
「……お願い。こんな悲しい争い…もう…止めさせて……」
震える声で語られたティナの願い。
精霊たちはその願いを叶えるべくすぐに四散。
戦場へと消えていった。
周りの者たちは皆、目の前で起きた奇跡の光景に言葉を失った。
そしてその光景は、王都に到着したばかりのユイトの目にも映っていた。
「ティナ…」
精霊魔法を失い、激しく狼狽えるブレサリーツ兵。
対して、数百にも及ぶ精霊、更にはユイトも加わったクレスティニア陣営。
形勢はその後すぐ逆転。
クレスティニア陣営が次々とブレサリーツ兵を撃破し、その身を拘束していく。
そしてこのわずか数十分後、ついに終わりの時が訪れた。
クレスティニアの圧倒的不利で始まったこの戦い。
この悲しき戦いは、対ザッテラ連合国に続き、クレスティニア王国の勝利で幕を閉じた。
勝敗が決し、剣戟が止んだ戦場。
そこでは命懸けで戦った兵士たちが、抱き合いながら涙を流す。
そして、誰もが目を疑う”精霊の奇跡”を見せたティナ。
その周りにはユイトやステラ、そして多くの冒険者たちが集まり喜びを分かち合っていた。
ゼルマ王はその様子を静かに眺めた。
「…見ているか、オリビア。ウェイン。
お前たちの子はこんなにも立派に育ったぞ。
ティナの歩んできた素晴らしい人生が、こんなにも多くの絆を作り、
その絆が我が国を救ってくれた。
お前たちの子がクレスティニアを救ってくれたのだ」
戦争の終結、そしてクレスティニアの奇跡ともいうべき勝利。
このことはその日のうちに王都中の民たちへと伝えられた。