第13話
懐かしき小さな崖。
そう、そこはかつてユイトが落ちたあの崖だ。
その崖の上に立ち、ユイトが悩む。
「さてと、まずは何処をめざすかな」
結局どこに何があるかは分からぬまま。
グレンドラにも聞いてはみたが、その記憶は5000年前のもの。
長い年月が経過した今では、まったくあてにはならないだろう。
「うーん…そうだな……あれでもやってみるか」
ユイトはおもむろに歩き出すと、近くに落ちていた枝を1本拾い上げる。
なにせ気ままな旅だ。時間もたっぷりある。
ユイトは運試しも兼ね、枝の指す方向へ向かうことにした。
「さて、何が出るかな」
くじではないので、何も出ない。
ユイトは地面に枝を立てると、枝から静かに手を放す。
カラン
「…よし、こっちだな」
枝が指し示したのは南東方向。
たまたま拾った枝に導かれ、ユイトの異世界1人旅が始まった。
のんびりと森の中を進んでいくユイト。
その表情は穏やかだ。
(……あの頃は、ここを通るのも命懸けだったよな)
少し、昔を懐かしむ。
その後もいたって順調。
勘のいい魔獣はユイトを避けて身を隠す。
無謀にも襲い掛かってくる魔獣は、もれなく異空間収納の糧となった。
……そして、洞窟を出発して数日後。
突然、小さな白い獣の姿が、ユイトの視界に飛び込んできた。
「……ひょっとしてあれ……フェンリルか?」
この森で3年の時を過ごしたユイト。
そんなユイトでも、フェンリルを見たのはこの時が初めてだった。
ではなぜ、それがフェンリルであると分かったか。
もちろんそれは、グレンドラ先生の講義の賜物だ。
「けど……」
ユイトの目に映ったのはそれだけではなかった。
小さなフェンリルの向こうには傷つき横たわった大きなフェンリル。
そしてその周りには、おびただしい数の魔獣の死骸。
おそらく、子フェンリルを守るため、親フェンリルが魔獣の群れと戦い力尽きたのだろう。
ゆっくりと子フェンリルに近づいていくユイト。
そんなユイトに気がついたのか、子フェンリルはすぐに尾を逆立たせ唸り声をあげ始める。
傷つき倒れた母フェンリルを守ろうと、その小さな体で必死にユイトを威嚇する。
「……大丈夫。俺は敵じゃない。……大丈夫だ」
しゃがみ込んで、子フェンリルに何度も何度も優しく声をかける。
そんなユイトの言葉に、子フェンリルは徐々に落ち着きを取り戻していく。
そして、しばらくしてユイトが敵ではないと判断したのか、子フェンリルはゆっくりと逆立てた尾を下ろした。
(……分かってくれたのかな)
その後、子フェンリルはくるりと体の向きを変え、母フェンリルにすり寄った。
声も上げずに母にすり寄る子フェンリル。
ユイトの目には、その姿がなんとも寂しく映る。
思わず子フェンリルの横まで移動していくユイト。
「よくがんばったな。もう大丈夫だからな」
悲しげな表情を浮かべる子フェンリルの頭を撫でながら、ユイトが語りかける。
先ほど子フェンリルが見せたユイトに対する威嚇は、母フェンリルを守るため。
この子フェンリルは、おそらく愛情を知っている。
(……明らかに他の魔獣と違う。フェンリルは魔獣じゃないのか?)
だが、いくら考えても答えは出ない。
ひとまず、フェンリルとはそういうものだと割り切ることにした。
その後も悲しげな表情で母にすり寄り続ける子フェンリル。
ユイトはそんな子フェンリルに静かに寄り添い、小さな頭を撫で続けた。
(………。やっぱ、そうだよな……)
子を守るため、傷つき倒れた母フェンリルの亡骸をこのまま放置するのは忍びない。
そして母を失ったこの子フェンリルのために、何かできることをしてあげたい。
そう思ったユイトは静かに立ち上がると、少し離れた場所に母フェンリルの墓を作り始めた。
子フェンリルはそんなユイトの様子を静かに見つめる。
「こんな感じで大丈夫かな……」
ユイトは墓が出来上がると母フェンリルの亡骸をそこに埋葬。
涙を浮かべる子フェンリルとともに母フェンリルを弔った。
その後も、一向に墓から離れない子フェンリル。
「………。今日は、ここで休むか…」
そう言うとユイトは食事の準備に取りかかった。
だが食事といっても、狩った魔物を炙るだけの簡単なもの。
そんなに時間はかからない。
すぐに食事の準備を終えたユイトが子フェンリルに声をかける。
「…お前も食うか?」
ユイトの言葉が分かるのか、ゆっくりとユイトの方へと寄ってくる子フェンリル。
「よし、じゃあ一緒に食べよう」
子フェンリルとともにとる軽めの夕食。
それは本当に静かな夕食だった。
この日は、いつもよりもかなり早めに眠りについたユイト。
それもあってか、夜中にふと目が覚める。
そんなユイトの目に映ったのは、母フェンリルの墓に寄り添い眠る子フェンリルの姿。
「………」
そして翌朝。
出発の準備をするユイトを少し離れた場所から眺める子フェンリル。
このまま子フェンリルをこの場所に置いていったら、再び魔獣どもに襲われ命を落とすだろう。
自らの命と引き換えに子フェンリルを守った母フェンリル。
その想いを考えると、ユイトはこう声をかけずにはいられなかった。
「……なぁ、お前も一緒に来るか?」
ユイトのその言葉に少し悩んだ様子を見せる子フェンリル。
ユイトはそんな子フェンリルを静かに待った。
そしてしばらくすると、子フェンリルがゆっくりとユイトの方に寄ってきた。
ユイトはすぐにしゃがみ込み、子フェンリルに笑顔を向ける。
そして子フェンリルの頭を軽くポンポンと2回。
「よし。じゃあ、行くか」
新たに加わった小さな仲間。
その小さな仲間とともにユイトが再び歩き出す。
直後、子フェンリルは1度だけ、母フェンリルの墓の方を振り向いた。
まるで、”行ってきます”と言うかのように。