2話「人事局にて」
第六次ジェノヴァ奪還作戦が実行に移された約2週間後の5月10日。旧東京を、というよりも旧関東圏一体を軍事都市化した形で運用されているガーディアンズ本部の中央部に所在する総合本部棟前に1人の少年が立っていた。
彼の名はガブリエーレ・パッドリノ。2年飛び級して入学したガーディアンズ士官高等学校を首席で卒業した、紛う事なき秀才である。
にも関わらず彼の所属は士官高等学校卒業後1月近く宙に浮き続けた。
士官高等学校卒業に伴い一応少尉の階級は与えられていたが、彼に下りる命令は待機命令のみ。同期たちは「余りにも優秀だから海軍部と陸軍部が取り合いをしているんだ」と言って励ましたがそれでも彼の心は晴れず、同期たちが次々と配属先に旅立っていくのをアパート型官舎の一室から悶々とした気持ちで見つめていた。
そして卒業から1月以上たった5月9日、彼の元に突如として人事局への出頭命令が届いた。一抹の不安も有りながら彼は喜び勇んでこの命令に従い、出頭時刻として指定されていた10日14時に総合本部棟前にやってきたのだ。
と言っても彼が用が有るのは総合本部棟ではなくその横にある総合人事局庁舎だ。
ガーディアンズは全世界規模の巨大な軍事組織だ、たかが人事局と言えど取り扱う個人情報やデータは膨大な数になる。その為人事局は単独で地上8階建てのビルを占拠している(もっともこれでも小さい方なのだが)。
エントランスで姓名と階級を告げ、しばらくたつと女性士官に連れられて8階、すなわち最上階へと案内された。
「あの、、、」
戸惑いと共に案内役の女性士官へと目を向ける。
彼の目の前にあるドアのプレートには「人事局長執務室」と書いてあった。女性士官はなにもいわずただ立っていた、恐らく「早く入れ」と言っているのだろう。
少し深呼吸をし、意を決してドアを開く。
「パッドリノ少尉、入ります」
入り口で敬礼をして中に入る、その視線の先に居る者の姿を認め、彼は少し体の力を抜いた。
「久しぶりね、パッドリノ少尉」
「富永少将もお元気そうで」
「今は中将になったのよ」
「失礼しました!存じ上げなかったもので、、、」
「そんなに急いで謝る必要は無いわよ、さぁとりあえず座りなさいな」
進められた椅子に腰掛ける。
ガブリエーレの目の前に座っている女こそ、ガーディアンズ人事局長・富永加代子中将だ。
歳は今年で67歳。映画女優・富永千代子を娘に持ち、若い頃は彼女自身もまた女優にスカウトされたことがあると言うのはガーディアンズ内でまことしやかに囁かれる噂であるが、ガブリエーレは恐らくそれは事実であろうと考えていた。
「結局あなたは士官高等学校を首席で卒業、その上大学へは進まず軍部に入ると」
「はい、研究ではなく実務面でガーディアンズに関わりたかった物ですから」
富永加代子とガブリエーレ・パッドリノの関係はそれなりに古い。
士官中等学校を2年飛び級し、士官高等学校へと入学すると決まったのは彼が中等学校1年の11月。さすがにその後士官高等学校の入学式が行われる4月までの5カ月余り身分証の所属欄を空白にしておくわけには行かず、結局彼は部隊実習扱いで人事局預かりとなっていたのだ。
その時彼に付き人事局業務や事務作業を叩き込んだのが、当時人事局次官であった富永加代子少将だった。
「少し残念だわ、大学に進んで研究者になるって言うなら孫娘の結婚相手にどうかと思ったんだけど」
「7歳も歳が違いますよ?」
「だから何だっていうのよ?私は9歳年下の男と恋をして結婚をして子どもを作って、そして先立たれたのよ?それに比べれば7歳差なんて些細な事だと思わない?」
富永中将がずいっと身を乗り出してくる。その勢いにたじたじとしながら彼は辛うじて「そうですね」と呟く事ができた。
「とりあえず、俺は今のところ結婚願望は有りませんし、お孫さんもきっとご自身で相手を見つけられると思いますよ?」
「どこの馬の骨とも知らぬ男より、あなたの方が良いと思うのだけどね」そんな加代子の言葉に相槌を打ちつつ、彼は本題を訊ねた。
「それで、俺はなぜここに呼ばれたんでしょうか?」
「ああそうだそうだ、その為にあなたをここに呼んだんだった」
「年をとると無駄話が長くなって困るのよ」そう言いながら加代子は引き出しから資料を取り出した。
「あなたの配属先がようやく決まりましたよ、パッドリノ中尉」
「、、、中将閣下、俺はまだ少尉です」
「昨日まではね、今日からあなたは中尉に昇進」
「何もしてませんよ?」
「まぁ話を聞きなさいよ」
ガブリエーレを手で制しながら富永中将は話しを続ける。
「あなたが配属される先に行くに当たって、あなたがただの少尉って訳にも行かなかったの」
「そのために実力によらない昇進が行われたと?」
「いいえ?私たちがあなたの能力を高く評価しているからよ」
(どうも釈然としないな、、、)
釈然としない思いを胸にどこに配属されるのかを訊ねると、富永中将はニヤリと笑った。
「あなたの勤務先は総合本部棟最上階よ」
驚きの余り声が出なくなる。いくら士官高等学校を出たてのひよっことは言え、それが何を意味するのかはすぐに理解できた。
「俺にはとても務まりません」
「絶対に務まります、私が事務作業を教え込んだのだから間違いない」
「ですが、、、」
「パッドリノ中尉、これは命令です」
言葉が詰まる。ガーディアンズという軍事組織に入った以上、上官の命令に従う義務が有る、これは中等学校時代から口うるさく教えられてきたことだ。
「、、、わかりました、しかし、転属願いは出来るだけ早く受理して頂けるようお願いします」
「絶対にそんなことは無いと予言しとく」
「何事もイレギュラーは有ります」
「覚えておきましょう」
しばらく互いに無言で見つめ合ったが、やがてガブリエーレが大きなため息をつき、「では、スカーフを頂けますか?」と訊ねた。
ガーディアンズの構成員は首元に巻くスカーフの色と柄で自らの所属を表す、大体は辞令交付時に渡されるが、彼は未だ渡されていなかった。加代子は少し考えた後、いたずらっぽく笑って言った、「せっかくだから直接の上司に渡して貰いなさいな」と。