洞窟の吸血鬼
「ねえ、おねえちゃんはなんでこんなところにいるの?」
「……え?」
町はずれにある森の中、木々に紛れるようにしてひっそりと佇む小さな洞窟。そこで私は暮らしていた。いや暮らしていたというよりは居たと表現する方が正しいのかもしれない。
洞窟の中はそこまで広くはなく、目の前に一面に鉄格子が広がっているだけだった。私はいつものように、格子の隙間から僅かに見える外の光をただ呆然と眺めていた。
その少年がやってきたのは、そんな時だった。
「だから、おねえちゃんはなんでこんなどうくつのなかにいるの?」
「……別に深い理由はないわ、ただ、ここにいたいからいるだけよ」
その少年は至って平凡な少年だった。茶色がかった髪は少しぼさぼさで、くりっとした茶色の瞳は真っ直ぐとこちらのことを見つめている。
身につけている衣服は泥で少し汚れていた。恐らく近くの森で遊んでいる時にこの洞窟の傍にたどり着いたしまったというところだろう。
「ふーん、へんなの。でもおねえちゃん、ろうやのなかにいるじゃん。ぼくしってるよ、ろうやって、わるいことをしたひとがいれられるんでしょ?」
「……そうね、じゃあ私はきっと悪いことをしたんでしょうね」
素直な少年だと思った。悪事を働いた者が牢屋の中にいるということを理解しているのに、その中の人物に声をかけるとは。両親からこの洞窟の存在を伝えられていないのだろうか。いや、そもそも長い月日の中で私のことを伝承する者もいなくなったのかもしれない。
「わるいことしたんだ。でもおねえちゃん、いいひとにみえるよ?」
「え?」
「だって、おねえちゃんのしろいかみとあかいめ、すごくきれーだもん」
「……フフ、アハハハハ、綺麗だからいい人か……、フフッ」
思わず声を上げて笑う。笑ったのはいつぶりだろうか。鉄格子の前で少年が、突如笑い出した私のことを見て不思議そうに首を傾げる。
恐らくこの少年は、まだ何も知らないのだろう。今まで私の姿を見て呑気にも綺麗だと抜かす人間にあったことは一度もなかった。それもそのはずだ、人間にとっては、私のような吸血鬼の存在など恐怖の対象でしかないのだから。
「なんでそんなにわらってるの?おなかでもいたいの?」
「ああ、そうね、痛いのかもね」
「やっぱりいたいの?じゃあ、はやくおいしゃさんにいったほうがいいよ」
「フフ、そうね、でもお姉ちゃんここから出ちゃダメなの、悪いことしたから」
悪いこと、果たして私がしてきた悪いこととは何だっただろうか。少年との会話の中でふとそんな考えが頭をよぎる。長い洞窟での生活の中、私が一人の時にするのは思考するということだった。折角とても貴重な話し相手の存在が目の前にいるというのに、長い年月によって身についた癖が気づかぬ内に出てしまう。
「そっかー、じゃあ、ぼくがかわりにおくすりもらってくる!」
「……え?」
気がつくと少年は既に洞窟から飛び出してしまっていた。薬をもらいに行くと言っていただろうか。ということはきっとまたここに戻って来るということなのだろうか。
思いがけずやってきた非日常な出来事に、私はここしばらく感じたことのなかった奇妙な感情を覚えているのだった。。
****
「おねえちゃんいるー?」
次の日、またいつものように洞窟の入り口から差し込む日の光を眺めていると、その少年はやってきた。昨日とは違い、手には小さな紙袋を持っている。
「ええ、いるわ、どうしたの?」
「おくすりもってきたよ!」
私の姿に気づいた少年は満面の笑みを浮かべてそう言い、手に持った紙袋を私へ差し出す。どうやら昨日言っていた腹痛に効く薬を本当に持ってきたらしい。
「このおくすりすごいんだよ!どんなにおなかがいたくても、すぐによくなるんだ!」
「へえ……、そんな凄いものもらっちゃっていいのかしら」
「うん!そのためにおとうさんにたのんで、つくってもらったんだ」
「……お父さんは悪い人に薬を作ることに反対しなかったの?」
「おとうさんには、ぼくのおなかがいたいっていったんだ」
「そう……、じゃあ、ありがたく貰っておくわね」
少年から紙袋が檻越しに渡される。少年によれば、これは父親に作ってもらったものらしい。父親は薬剤に詳しいのだろうか。丁度いい、今の人間の医療の発展も少し気になっているところだった。後で調べてみるとしよう。
そんなことを考えていると、少年がこちらのことを無言でじっと見つめているのに気づく。どうやら何かを言いたげである様子だった。
「どうしたの?」
「うん……、あのね、きのうもおもったんだけど、おねえちゃんはずっとここにいるの?」
「ええ、そうよ」
「……さみしくないの?」
「さみしい……か、どうなのかしらね」
寂しい、そのようなことなど言われるまで考えたことがなかった。外で生活していた時も私は常に一人だった。そもそも吸血鬼という種族において群れるといような文化は存在しておらず、寂しさというものはおよそ体感したことのない感情であるようにも思えた。
いつものように考え込む。すると、私が黙っているのを見て何か感じることがあったのか、少年が口を開いた。
「じゃあ、ぼくがおねえちゃんとおはなししてあげる!」
「……え?」
「まいにちはこれないけど、これるときにきておはなししてあげる!そうしたらおねえちゃんもさみしくないでしょ?」
「……そ、そうね?」
「うん!ぼくもおはなしができてたのしいし、おねえちゃんもさみしくない。うぃんうぃんってやつだね!」
少年が目を輝かせながら話を進めていく。何やら展開がおかしい。思わずどうしたものかと考える。そしてうぃんうぃんとやらは何なのだろうか。
「ぼくのなまえはレイっていうんだ、おねえちゃんのなまえは?」
「……シ、シエラだけど」
「いいなまえだね!じゃあ、またね、シエラ!」
少年――レイは、そういって笑みを浮かべ洞窟から出ていく。思わぬ状況になってしまった。そう思いつつも私は不思議と悪いようには感じていない事に気づくのだった。。
****
「――でさ、おとうさんそのネズミにビックリしてたおれちゃったんだ。おかしくてわらっちゃった」
そこから私とレイとの奇妙な日々が始まった。宣言通り、彼は三日に一回ほどのペースで洞窟を訪れた。そして、一時間ほど話すと満足して帰っていく。そんな日がしばらく続いた。
レイから聞く話は彼の日常で起こった出来事についてが主だったが、そんな会話の中でも、現在の外の世界における文化や人間の日常などを感じることができ、聞いていて退屈することはなかった。
逆にレイから私について尋ねられることも多かった。最初のうちは牢屋の中にいる時に何をしているかなどの質問であったが、徐々にそれは私が牢屋に閉じ込められる前のことについてや、挙句には私の好きなものや好きなことなどといったことも尋ねられるようになっていた。
「へー、じゃあ、シエラはようせいのもりにいったことあるんだ!」
「ええ、精霊やエルフなんかもいたわ」
「いいなあ~、ぼくもいってみたいな~」
レイは様々なことを質問してきたが、私がどんな悪いことをしてここにいるのかやなぜ人間とは違う髪色や目の色をしているかなど、そういったことを聞いてくることはなかった。単純に興味がなかっただけかもしれないが、私にとっては変に理解され恐れられるのも面倒だったのでむしろありがたいくらいだった。
そんな日々が一年ほど続いた。レイからはこんな話も聞かされていた。。
「きのうね、メロといっしょにそとに行ったんだー」
レイは母親と父親、そして3つほど歳の離れた妹の四人家族らしい。メロという名前はその妹のものだ。彼の話す日常の出来事には基本的にこの家族が関係しているので、彼らについては割と詳しくなっていた。
「メロってば、ぼくにずっとついて来るんだよ。かわいいよね~」
レイはどうやら若干妹への愛情が強いらしく、妹の自慢話も多かったが、それを聞いて私は少し微笑ましいとさえ感じていた。
出会ってから三年が経過した。レイは未だにこの洞窟に通っていた。
出会った頃に比べ背丈も大きくなっており、聞くところによると今年には人間の年齢における十歳になるそうだった。学校と呼ばれる学び舎に通っているらしく、そこで文字や剣術、魔法などの基礎を学んでいるらしい。今となっては彼から聞く話は家族の話より、学校で起きたことの話が主になっていた。
「でさー、まほうがうまく出せないんだ、まわりの友だちはみんな上手なのに……」
「へえ、ちなみにどんな魔法なの?」
「ウォーターっていう水を手から出すまほうなんだ」
学校という場所では、同じ歳の人間が集まっており、その中では優劣関係なども生まれるらしい。レイからはそんな学校で生まれる悩みなども相談されるようになっていた。
「……それ、私にも見せてくれない?」
「え?別にいいけど……、うまくできないよ?」
「いいわ、やってみて」
「うん……、ウォーター」
壁に向けた手のひらからチョロチョロと水が流れ出る。なるほど、どうやらレイは魔力操作が苦手らしい。やはり上手くいかなかったのだろう。レイはうなだれて俯いてしまう。
「やっぱりできないなぁ……」
「……魔力操作のコツはイメージよ。もう一回私のアドバイスを聞きながらやってみなさい」
「え?……うん、分かった……」
「いい?まずは目をつぶって思い描きなさい。魔力の源は心臓、胸の部分なの。そこから魔力が手のひらまで流れていくイメージをするの」
「うん……」
「そして自分が魔法を出している姿を想像して。鮮明に思い描けば描くほど、そのイメージ通りに魔法は発動するわ、……さ、この二つを意識してやってみなさい」
「うん……!ウォーター!」
壁に向けてレイの手のひらから水が溢れ出る。その勢いは先程とは違い非常に力強いものだった。レイはこちらを見て驚きの表情を浮かべる。そして驚きの表情はすぐに喜びの表情へと変わった。
「できた……、できたよシエラ!」
「ええ、良かったわね」
「すごいよ、シエラは魔法にも詳しいんだね!」
「少し出来る程度よ」
「それでもすごい!ありがどうシエラ!」
「……はいはい、どういたしまして」
というようなこともあり、レイは私のことを信頼してくれているようで、色々なことについて相談されることも多くなったのである。だがそれを煩わしいと思うことは一切なく、むしろレイが悩み成長していく様子を見るのは興味深くも感じているのだった。
さらに三年が経過した。それでもレイは洞窟に訪れ続けていた。
その日は気温が非常に低く、外では雪が降っている。風の音や気温から察するにかなりの大雪の様だった。
流石に人間にこの大雪は厳しいだろう。そう考えていた矢先だったので、レイが頭に雪を積もらせ洞窟を訪れたときは少し驚いた。
「シエラこんな洞窟にいて寒いでしょ?はい、これ。あったかそうなやつ買ってきたんだ」
レイが私に持ってきたのは毛布のようであった。格子の間からその毛布が挿入されてくる。触ってみると毛布はもこもこでそれなりに厚く、人間にとっては非常に温かさを感じれるものであろうと推測できた。
「ありがとう、……うれしいわ」
「気にしなくていいよ、僕がやりたくてやったことだから……」
レイは照れているのを隠すかのように壁の方を向いて頭をかく。だが感謝されたのが嬉しかったのだろうか、にやけた口元がその横顔から確認できた。
本当のことを言えば、吸血鬼は体温を調節できるため、毛布などは必要なかったのだが、そんなことよりも私はレイが私のことを考えて毛布を買ってきたことが嬉しいと感じていた。
レイ自身、私が飲み食いをしてない時点で私が人間とは違うことを感じているだろう。吸血鬼は大気の魔力からエネルギーを蓄えもするのだ。かと言って人間にとっては寒い洞窟にいる私のことを放ってはおけなかったのだろう。この行動に彼の人柄が表れているようにも思えた。
レイが来てからというもの様々なことを知ることが出来る。この嬉しいという感情もそうだ。一人で牢屋にいた時には決して得ることが出来かった感情が胸の奥から湧いてくるのを、私は感じているのだった。
さらに三年が経過した。レイはなお、この洞窟に足を運んでいた。
ところがレイは少し元気がないようだった。ここ最近はいつもこうだ。時間が解決してくれるものであれば良かったのだが、どうやら変化はないらしい。仕方がないのでこちらの方から尋ねてみることにする。
「レイ、何かあったの?最近のあなた少し辛そうに見えるわ」
「……分かるの?」
「……まあ付き合いもそれなりに長いしね、悩みがあるなら聞くわよ?」
レイは少し顔を俯かせ黙り込む。私も自分から聞くことはせず彼が話し出すのを気長に待つことにした。少し経っただろうか、レイが少しずつ話し始める。
「僕に妹がいることは何回も話したよね?」
「ええ、メロだったかしら」
「うん……、実はメロさ、魔法の才能があるらしくてさ。王国にある魔法学園に行くことになって、将来も推薦で宮廷魔法師になれるかもしれないんだ」
「へえ、すごいじゃない」
「うん、それ自体はすごいんだけど……」
「……」
「……先生や友達から言われるんだ、『妹はあんな凄いのに、それに比べてお前は』って」
「……」
「別にそれでメロのことが嫌いとかじゃないんだ。仲はいい方だと思うし、むしろこんな僕のことでさえメロは慕ってくれている。それでも……」
「……その慕ってくれることですら辛く感じる?」
「……うん。……それに加えて周りからの失望の目があるのが、……辛いんだ」
大体の事情を理解することが出来た。だが私はすでに掛ける言葉を決めていた。
「別にいいじゃない」
「……えっ?」
「妹は妹、レイはレイよ。比べる意味がそもそもないんだから、気にする必要なんてないわ」
「で、でも僕はダメなんだ。メロに比べて頭もよくないし、魔法なんてもってのほかだ。何なら剣術だって……」
どうやら相当悩んでいたようだ。今までレイがあまり漏らすことのないような弱音が次々と彼の口から溢れ出る。私はそれを遮るように声を大きくする。
「レイ」
「……ッ」
「私はあなたのことをずっと見てきた。あなたが小さい頃に一人だった私に話しかけてくれた時、あなたが学校で周りの人に負けないように努力していた時、私のことを思って色んな物を持って来てどんなに天候が悪くても尋ねてきてくれた時」
「……」
「レイの価値は勉強や魔法、剣術なんて物差しで測れるような安っぽいものじゃない。それともあなたは私から魔法や知識なんかを学ぶためだけに私のとこに来てたの?」
「違う!……あ」
「それが答えよ、知識や実力がその人を決定づけるわけじゃない。レイには優しさもあれば努力が出来る力なんかもある。……私はそれを知ってるわ」
「……」
「きっと妹さんがレイを慕ってくれるのも、あなたのそういった一面を知っているからじゃないかしら。その他にもあなたのことをわかってくれている人はきっといるはずよ」
レイが体を震わし、涙を流す。自分が泣いていることに気づいたのか、ハッとしたかと思うと自らのひざに顔をうずめる。
その姿を見て思わず苦笑してしまう。だがしばらくたっても泣き止む様子がなかったため、私は仕方なく彼に近づき、鉄格子の隙間から自らの手を伸ばしてレイの頭の上にのせる。レイに触れたのはこれが初めてだった。レイは驚いたようにこちらを見上げる
「あ……」
「今回だけよ?私がこうして慰めてあげるのは。次に同じようなことで悩んでたらその時は普通に無視するわよ」
「……シエラは優しいね」
泣き笑いという感じでレイが呟く。私はレイが泣き止むまでしばらく彼の頭をなで続けるのだった。
そして月日は経ち、レイと出会ってからもう十年以上となっていた。
以前レイが大泣きするという出来事があってからというもの、気恥ずかしさでもあったのだろうか、レイはしばらく少しよそよそしい態度で洞窟を訪れていたのだが、しばらくするとそれも収まり、いつも通りの元気なレイへと戻っていた。
昔の小さい頃とは異なり、今では彼も立派な青年となっていた。だが今でも洞窟通いをやめることはなく、いつもと同じように会話をする日々が続いていた。
そんなある日のこと、レイがいつもと異なり。妙にそわそわした様子で洞窟を訪れた。
彼の様子がおかしかったことは別に今回が初めてというわけでもなかったので特に気にすることもなく、いつも通り会話をする。
するとその最中、レイが意を決したように表情を硬くして口を開いた。
「あの、さ、ちょっと受け取ってほしいものがあるんだけど」
「ん?」
「これ!」
レイが差し出してきたのは指輪だった。銀色をしたその指輪には緋色の石で作られた装飾が施されている。それを呆然と眺めていると、レイがそれを見てか急な早口でまくしたてる。
「最近こういったことに興味があって作ってみたんだ、だから別にそんな深い意味があるとかそういうわけじゃなくてただ最初に作ったものはシエラにあげたいなとか思っただけであって――」
「レイ」
「ひゃい!」
「嬉しい、とても嬉しいわ」
その言葉に偽りは一切なかった。他人から手作りのものを貰うなど初めてだった。だからだろうか、胸の奥が温かくなる。以前毛布を貰った時よりもその温かさは大きなものであった。
「もしかしてこの前、私の指を調べてたのって……」
「あ、うん、この指輪を作るためだったんだ」
なるほど、そういうことか。急に手を触らせてほしいと言われた時は、一体何をしているのかと不可解に思っていたが、今となってはその行動の理由も理解できた。
「ありがとう、大事にするわ」
「それはその、どういたしまして……」
恐らく恥ずかしいのだろう。もにょもにょと尻すぼみになるレイの声を聞きながら、私は微笑む。
胸の奥が温かい。この気持ちはなんだろう。そう、やはり手作りのものを初めて貰ったから嬉しいというだけだ。別にそれ以外の感情はないはずだ。
自分の中に芽生えつつある不思議な感情のことを考えながら、彼の顔を見つめる。彼は照れ臭そうにしながらもこちらを見て笑っているのだった。
だが、洞窟で彼に会うのはこの日が最後であった。
三日、五日、一週間経っても彼は来なかった。さらに経った。一か月が経過した。それでも彼が来ることはなかった。
最初のうちは何かしらの用事で忙しく、ここへ来ることが出来ないだけだろうとしか考えていなかった。しかし、一か月も経つ頃には私も既に冷静ではなくなっていた。
何かレイにあったのだろうか、もしかしたら事件にでも巻き込まれたのかもしれない、人攫いにあった可能性もある。一度考え出すとキリがなく、思考は悪い方向へと進んでいく。一日が終わるたびに不安が募っていた。だから私は決心した。
ここから出て、レイを探しに行こうと。
洞窟の鉄格子は既に朽ちかけていた。私はそれを力任せに破壊する。元々閉じ込められた時でさえ、全盛期の力を持っていた当時の私からすれば、それらを壊すことは容易なことだった。だが私はそうしなかった。外で生きる意味を見つけられなかったのだ。
外にいた頃は戦いに明け暮れる日々だった。異種間での戦争はもちろん、同族内での争いも絶えなかった。そんな日々に飽き飽きしていた私にとって、この牢屋生活は苦ではなく、むしろ心が休まるものであったのだ。
もし再び外に出たら、また戦いばかりの生活に戻ってしまうかもしれない。だが、今の私にとってそんなことはどうでもよかった。レイに会いたい。その思いだけが私の体を動かした。
外は既に日が落ちて夜になろうとしていた。洞窟から一歩を踏み出す。辺りを見渡すと、周囲の木々につく葉は赤や黄色に色づいているようだった。久しぶりに踏む土の感触は懐かしいとさえ感じる。だが今は感傷に耽っている場合ではない。私は町があるであろう方向の目星を付け、そちらへ向けて駆け出した。
風が全身にぶつかってくる。思うように体が動かない。百年以上、洞窟に籠っていたのだ、全盛期の動きなど再現できるわけもなかった。
思うように動かない体に若干の苛立ちを覚えつつも、足を止めずに走り続ける。既に森は抜けており、視界には明かりの灯る町が姿を見せていた。
足を止め、思わず目を見開く。久しぶりに見る人間の町の姿は以前見たものとは異なり、発展が進んでいた。町からは舗装された道が伸びており、家々は木や藁ではなく、石材が使われている。町に灯る明かりも松明のものではなく、魔力を用いた何かがその役割を果たしている様だった。
きっとあの町がレイの住む町だ。話に聞いた町の姿とも一致する。もしかしたらレイはあそこにいるかもしれない。
はやる気持ちを抑えつつ、町の中に入ろうとしたその時だった。
「ひ、ひいぃぃ!」
悲鳴が聞こえる。その声の方向を見ると町の入り口にある門の前に立っていた初老の門番がこちらを怯えた表情で見つめ、尻餅をついていた。
「白い髪に赤い瞳……、きゅ、吸血鬼じゃああ!!」
思わず足を止める。初老の門番は何度も転びながら、大声を上げて町の中へと逃げていく。正になりふりなど構わないという様子だった
その姿を見ていた私は体から熱がスッと引いていき、頭がさえていくのを感じていた。
ああ、そうだ。昔もこうだった。レイと交流するうちにすっかり忘れてしまっていた。私は今の光景を見て少し懐かしいとさえ感じてしまっていた。
吸血鬼は生物の頂点に存在する種族の一つである。そして、それに淘汰される人間はいつも私たちを畏怖に満ちた目で見つめるのだった。
だが、それは見慣れた景色だ。ためらうことなどないはずだ。私は再び町の中へ入ろうとした
だが、私が町に入ることはなかった。
前に進むことが出来ない。私は町の中に足を踏み入れることが出来なくなっていることに気付いた。そして自分の中に今まで考えないようにしてきた思いが溢れてきているのも感じていた。
レイが洞窟へと来なくなった理由、それは私のことが怖くなったためだったのではないか。
そんなはずはない。そう言い聞かせるが、先程の光景が頭から離れない。考えはさらに悪い方向へと進む。
怖くなったから、そう考えれば洞窟に来なかったのだって説明がつく。もしかするとレイ自身、成長したことで私が吸血鬼だということに気づき、その恐ろしさを考えてしまったのかもしれない。
もしそうでなかったとしても、仮に今、私が洞窟の外で彼に会ったとすれば、彼は怯えてしまうのではないか、今までは鉄格子という保証があったからレイも安心して私と話せていたのではないか。
先程まで熱が籠っていた体はとっくに冷え切っていた。レイに会いたい、そう思って洞窟から出たというのに、今はレイに会うのが怖かった。――拒絶されてしまうことが怖かった。
体を来た道の方へ戻し、逃げるようにして町から離れた。町のほうでは門番が伝え回ったのだろうか、騒ぎの声が大きくなっていた。
森の中に入り、速度を緩める。帰る場所は決まっていた。
洞窟に戻ろう。あそこなら誰にも迷惑がかかることはない。もちろんレイにだって――。
そう思うと胸が苦しくなった。目の奥も熱くなる。どうしてこんな気持ちになるのだろう。この気持ちは何なのだろう。――いや、既に答えは分かっている。
寂しいのだ、再び一人となって洞窟で過ごすのが、レイと二度と会えなくなることが。
一度自覚するともう抑えることはできなかった。たどり着いた洞窟の前で膝をつき、胸を抑える。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。レイに会いたい、会って沢山のことを話していたい。彼が悩んでいるたら声を掛けて励ましてあげたい。彼のこれからの成長をもっと見ていたい――
頬を雫が伝っていく。涙を流すなどいつぶりだろうか。だが溢れる涙やこの想いを止めることなどできなかった。
「レイ、レイ……」
レイの名前を口に出す度、胸が締め付けられるように痛んだ。指先が震える。きっと今の私はひどい顔をしているだろう。吸血鬼と恐れられた化け物がなんて様だ。
ひとしきり涙を流し、大きく息を吐き出した。そうすることでなんとか気持ちを落ち着かせる。もう何も考えたくなかった。洞窟の中へ戻ろう、そう再び決心し、立ち上がったその時だった。
「シエラ」
足が止まる。もはや聞きなれた声だった。息をすることすら忘れ、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこで見たのは、片足に包帯を巻き杖をつくレイの姿と、見知らぬ黒髪の少女の姿であった。
「シエラ、牢の外に出れたんだね」
「……ッ」
思わずレイから目を背ける。彼が無事だったことへの安堵や彼に会えた喜び、それらより早く私に訪れたのは恐怖だった。思わず後ろへと後ずさる。指先はまだ震えていた。
先ほど考えていたことが本当になってしまいそうで怖かった。恐怖とは彼に否定される可能性から生まれるものだった。もしも彼に拒絶されてしまったら私は――
「なんで出れることを僕に言ってくれなかったんだ!」
「……へ?」
「シエラが外に出れたら、一番最初に会うのは僕って決めてたのに……」
驚いて彼を再び見る。どうやら彼は少し怒っている様だった。想定していなかった言葉に思わず頭が回らなくなる。私は混乱して思わず率直に疑問を口に出してしまう。
「で、でもレイは一か月以上、来なくって……」
「え、ああ、実は僕、馬車に跳ねられちゃってさ、足を骨折しちゃったんだ。本当は杖を突いてでもいいからここに来ようとしたんだけど、メロに止められちゃって……」
「当然です。足を折った人を、こんな足場の悪い場所に行かせるわけにはいきませんから」
レイの隣に立っている黒髪の少女が口を開く。話を聞いていると、どうやら彼女がレイの妹であるメロであるようだった。絹の様に美しい黒髪を肩で揃えており、美しい中にも可愛らしさを備えた少女であった。だが雰囲気はどことなくレイと似ている様で二人の血が繋がった兄妹であることが感じられた。
「でもメロ、さっき兄ちゃんが頼んだら飛行魔法でここまで連れて来てくれたじゃないか」
「あ、あれは兄さんが詰め寄って来て、どうしてもっていうから仕方なく連れてきただけであって……」
どうやらレイは彼の妹のメロに頼んでここまで連れてきてもらったらしい。だがそうなると一つの疑問が沸き起こる。
「なんで、今に限ってここに……」
「え、だってシエラ、町まで来てたんでしょ?門番のじいさんが騒いでたよ。白い髪と赤い目をした吸血鬼が来たーって」
「……ッ」
やはりばれていた、私が吸血鬼であることが。こうなってはレイも町の門番と同じように――
「シエラ、怪我とかしなかった?」
「……え?」
「町の人は吸血鬼の伝説を知ってるから、異様に怖がっちゃって」
レイがやれやれという風に肩を竦める。私は開いた口が塞がらなかった。思わずそのまま思ったことを口に出す。
「レイは……、レイは私が怖くないの?」
「え?」
「だ、だって私は吸血鬼よ?町の門番だってあんなに怯えてた、人間なら誰だって……」
レイはぽかんとした表情でこちらを見つめていた。かと思うと急に声を上げて笑い出す。私はレイのその様子が理解できず、少し強い口調で声を上げた。
「な、なんで笑ってるのよ!?」
「ハハハ……、いや、だってシエラがおかしなこというから」
「おかしいことなんて……」
「だってシエラが僕に言ってくれたんだよ『私はあなたのことをずっと見てきた。だからあなたがどういう人なのかも知ってる』って」
「……あ」
「それと同じだよ、僕だってシエラのことをずっと見てきた。だからシエラがどんな吸血鬼なのかも知ってる」
「……」
「実はさ、シエラは僕の支えだったんだ。楽しかったこと、嬉しかったこと、学校で悩んでいたこと、周りと比べられて辛かったこと、いつだってシエラはそれらを親身になって聞いてくれた。一緒になって喜んでくれたし、助言だってくれた。慰めてもらったこともあった」
「……」
「だから僕は知ってるんだ、シエラは皆が怖がるような吸血鬼じゃないってことをさ」
ポロポロと涙が溢れ出す。私は泣いていた。レイは私のことを嫌ってなどいなかった。むしろ私のことを信頼してくれていた。その事実がどうしようもなく嬉しかった。
泣いている私を見てか、レイが杖を突きながらこちらに近寄り、私の体を抱きしめる。今までは鉄格子を隔てて会っていたため、こんなにレイと肌を寄せ合うのは初めてだった。
彼に触れていることがただただ心地よかった。胸の奥が温かい。今ならこの感情が何なのか理解できる。そうだ、きっとこの感情は――
「はい、そこまでです。ほら兄さん、シエラさんも急に抱きしめられて困ってますよ」
「え!噓っ、ご、ごめんシエラ!」
「……あっ」
慌てたようにレイは体を離す。離れていくレイの体温が少し名残惜しいとさえ感じた。その一方でメロは若干不機嫌そうに私たちのことを見つめているようだった。
「ほら兄さん、シエラさんの無事も確認してもう満足したでしょ?さ、帰りますよ。こんな寒い日に森の中にいたら、怪我した足に響きます」
「あ、ああ、それもそうか」
どうやら彼らは町に戻ってしまうようだった。今はそれが少し寂しかった。するとそんな様子を見かねたのか、メロがこちらに向かって声を掛ける。
「……シエラさんは魔法が使えると聞きました、じゃあ変装魔法も使えますよね」
「……変装魔法?」
「見た目や髪型、目や髪の色すらも誤魔化せる魔法です」
「え、いや、私が使えるのはあなた達人間でいうところの、古代魔法くらいで……」
「……なんで最上級の古代魔法が使えて、変装魔法が使えないんですか……」
「えっと……?」
「はあ、いいですか?また明日ここに来ます。その時にその変装魔法を教えてあげるので、それを覚えてから町に来るようにして下さい、そうすれば町の人にも吸血鬼とはバレないはずです」
メロはあきれたようにいくつかのことを早々と告げる。どうやら変装魔法とやらを私に教えてくれるようだ。だがどうしてこんなに親切にしてくれるのだろう。そう思っていると、メロがそれを察したように言葉を付け加える。
「……勘違いしないで下さい。別に貴方のためじゃなくて、兄さんのためです。どうせ兄さんはまたすぐにここに来ようとします。目を盗んで家から脱走されても困りますし、かと言っていちいち私が送迎をするのも面倒なので、貴方の方から来てもらおうというだけです」
どうやらメロは兄のことを相当分かっている様で、怪我をした兄を出歩かせたくないらしい。ならいっその事、私の方から来てもらえば、兄も安静にしているだろうと考えている様だった。
「なあメロ、その魔法の勉強会、俺も一緒に行っても……」
「ダメです、家で安静にしててください。」
「頼む、一個だけ何でもいうこと聞くから!」
「何でも……、い、いえダメです!さ、もう帰りますよ!」
レイがガックリと肩を落とす。それを無視してメロは詠唱を唱え始めた。どうやら飛行魔法で町まで帰るようだった。彼らの体が宙に浮かぶ。それを眺めているとレイがふとこちらを振り返った。
「シエラ、またね!」
「……ええ、また」
レイは満面の笑みを浮かべそう告げる。次の瞬間、彼らは空高く飛び上がり、町がある方向へと消えていった。
しばらく空を見つめる。木々の隙間からは雲一つない星空と満月がその姿を見せていた。それを眺めた後、私は洞窟の中へと戻っていく。
いつものように座っていた位置に腰を下ろす。私は息をつき、左手に嵌めた指輪を見つめる。彼から貰った指輪はとても美しく輝いていた。
静かに目を閉じる。私はもう寂しいとは思っていなかった。
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