おばあちゃんの押し花
「あら、この本、押し花がはさんであるわ」
友里は首をかしげました。図書館で借りてきた、『天空の列車』という本に、押し花をはりつけたしおりがはさんであったのです。押し花はかわいらしいパンジーです。けれども、セロハンがはがれかかっていて、紙がうす汚れていました。
「誰かの忘れ物かしら。でも、なんだか色あせて、何年も前のものみたい……」
『天空の列車』は、ずいぶんと昔に図書館に寄贈された本のようです。しおりだけではなく、そのページや表紙ですら、色あせて見えます。友里は押し花のしおりを手に取り、じっくりと観察します。
「でも、すごいきれいな押し花だわ。あら、名前かしら? 琳子……これ、もしかしてわたしのおばあちゃんの?」
友里は驚いてしまいました。琳子というのは、友里のおばあちゃんの名前だったのです。しかし、もしかしたら同じ名前の、全然知らない人のしおりかもしれません。
「うーん……。おばあちゃんに聞いてみようかしら」
『天空の列車』にしおりをはさみこむと、友里は一人でうなずきました。
「あぁ、美月ちゃんかい?」
「おばあちゃん、わたしよ、友里よ」
友里は、おばあちゃんが入居している老人ホーム、『ひまわり園』によく来るのです。そのため他のおじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての、ちょっとしたアイドルのような存在になっていました。
「おばあちゃん、美月はわたしのお母さんの名前よ。わたしは友里よ」
「友里ちゃんかい? 美月ちゃんの娘かい? やせて小さな子だったのに、大きくなったねぇ」
「もう、それって何年も前の話でしょ。もうわたし、19歳よ」
友里にいわれて、おばあちゃんはニコニコ顔でうなずきました。大学に通うために、おばあちゃんの地元の田舎へと帰ってきた友里でしたが、そのころにはすでに、おばあちゃんの認知症はずいぶん進んでいたのです。今では友里のことも、母親である美月と記憶が混同しているのでしょう。会うといつもお母さんと間違われるのでした。
「それよりおばあちゃん、今日はおみやげがあるのよ。ほら、このしおり。きれいでしょ、わたしが借りた本にはさまっていたの。前に借りた人がはさんでいたのかもしれないけど、名前に琳子って書かれてたから、おばあちゃんのじゃないかって思って……おばあちゃん?」
しおりを渡されたおばあちゃんは、完全に固まってしまっていました。ただただ、そのしおりをじっと、しわくちゃなまぶたをこれでもかと開き、穴が開くほどに見つめていたのです。
「どうしたの、おばあちゃん? もしかして、気分が悪くなったの?」
気づかうように小声で聞く友里でしたが、おばあちゃんは反応しません。しおりをつかんでいる手が、ぷるぷるとふるえはじめています。友里は少し悩んでいましたが、やがてそっとおばあちゃんの肩に手をふれました。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「……友里ちゃん、ええ、大丈夫よ」
おばあちゃんの目を見つめるうちに、友里の意識がふっと遠のきました。そして、次に目を開けた瞬間、友里は一人の少女の目の前にいたのです。
――ここは――
おどろきあたりを見わたしますが、どうやらそこは学校の教室のようでした。窓から赤い夕陽が差しこんでいます。女の子は、どうやら押し花でしおりを作っているようでした。
――もしかしてこれは、おばあちゃんの昔の記憶……? じゃあ、やっぱりあのしおりは、おばあちゃんの――
友里はおばあちゃんに声をかけようとしましたが、からだを動かすことができません。どうやら動かすことができるのは、目だけのようでした。
――おばあちゃん――
おばあちゃんらしきその女の子は、押し花をしおりとなる紙にはりつけて、その上から透明なセロハンをはりつけようとしました。ですが、ふと手を止めて、パンジーの押し花のうしろに、小さな紙をはさんだのです。それからセロハンをはりつけ、押し花のしおりを作ったところで、女の子のすがたがゆがみ、それから元の琳子おばあちゃんのすがたに変わったのです。
「……おばあちゃん、このしおり、おばあちゃんの」
「……このしおりは、わたしがもっと若かったころ、そうね、友里ちゃんよりもっと若かったころかしら? そのときに作ったものなのよ」
いつもは口をもごもごさせて、ぼんやりとしゃべるおばあちゃんでしたが、今日は違いました。はっきりした口調で続けたのです。
「この押し花はね、そのときに好きだった男の子にプレゼントしようと思って、しおりにしたの。男の子が好きだった本にはさんで、わたしの名前を書いて、そしてメッセージも……。でも、男の子はその本を借りなかった。わたしがからだを壊してしまって、引っ越すことになってしまったのよ。……そのときにその本もどこかに行ってしまったわ」
「おばあちゃん、その本って、もしかして『天空の列車』って本じゃなかった?」
友里の言葉に、おばあちゃんは「あら」と小さく声をあげました。
「そうだったわ、あぁ、そうだった、思い出した……。ずっと昔のことだったから、ぼやがかかって、思い出せなかったけど、思い出せたわ。友里ちゃん、ありがとう」
「おばあちゃん、いったいどんなメッセージを残したの?」
「うふふ、秘密よ」
おばあちゃんがいたずらっぽく笑い、つられて友里も笑いました。
結局おばあちゃんがはきはきした様子でしゃべったのは、その日だけでした。またいつものように、口をもごもごさせて、ぼんやりとしゃべるおばあちゃんに戻ってしまいましたが、それでも一つだけ前と違うことがありました。
「こんにちは、おばあちゃん」
「あぁ、友里ちゃんかい? よく来たね」
もうおばあちゃんは、友里をお母さんと間違えることはありませんでした。そして、部屋のすみにはあの押し花のしおりが、大事に飾られているのでした。