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六話

(胃が痛い……)


 間違いなくストレス性のものだ――。

 キリキリとした痛みを訴える腹を抑えながら、鉄郎は歩を進める。


「いやー、さっきはすごい悪者っぷりだったねえ」

「やめろ……いや、やめてください」


 言ってやった、と言う小物臭い高揚感が無くなると、後には無限に押し寄せてくる罪悪感が残った。

 一種の賢者タイムである。


(俺はどうして、あんないい子にあんな事を……?)


「メンタルよっわー」

「やめろください」


 鉄郎は思う。


「番條みたいに、世界の人間を自分のために虐殺しても何も思わないぐらいの真っ黒なメンタルが欲しい……」

「ええー?ご主人はその小物臭い方が似合ってると思うな」

「誰が小物だ」

「それに、番條って半分悪魔だったらしいし、あんま参考になんないんじゃない?」

「そうかもな」


 ため息。


「それでご主人。この後はどこ行くの?」

「ん?そうだな。とりあえずこの近くのショッピングモールに行こうと思う。こういう崩壊世界じゃ定番だ」

「ゾンビ映画とかで登場人物の過去語りが始まるやつだ」


 詳しいな、と鉄郎。


「とりあえずそこで色々揃えたら、一回家に帰ろうと思う」

「でもご主人、そんな定番の場所に物なんて残ってるかなあ?」

「大丈夫だろ。人がたくさん集まっただろうってことは、悪魔もそこに群がったってことだ」

「そっか、悪魔は物には興味ないもんね」

「例外はあるけどな。死体もたくさん出来たはずだし、食屍鬼あたりは湧いてるはずだ。それこそゾンビだっているかも」

「そこはわたしにやらせて!まだ暴れたりないんだ!」

「言われなくてもお前にやらすつもりだったよ」


 人がたくさん死んだだろう場所へ足を運ぶと言うのに、二人に忌避感が湧く様子は無い。世界が壊れて一ヵ月。それは長いとも短いとも言えない。しかし彼らはすっかり馴染んでいると言えるだろう。


 鉄郎は辺りを見回す。

 放置された車がいくつかあるだけで、やはり視界を動くものは無い。


(静かなもんだ)


 と、そこで燕が耳をそばだてる仕草を見せる。


「ご主人。聞こえる?」

「何が?何も聞こえないぞ」

「水の音がする」


 燕はスッ、と傍にあるビルを指さした。

 そこはどうやら元ホテルであるらしい。

 その壁の一角が何か爆発でもあったかのように抉れて無くなっている。


「ホテル……?行ってみるか。喉も乾いたし」


 二人は殆ど着の身着のままで拠点を離れたため、手持ちの水食糧共に余裕が無いのだ。目的地で恐らく手に入るだろうが、今飲んでおけるならそれに越したことはない。

 階段を上り、扉を開く。

 そして二人を迎えたのは、奇妙な光景だった。

 まず扉を開いて気付くのが、床に薄く溜まった水だ。次に、外から見えた壁に空いた大穴。そこから日の光が差して、床の水を輝かせている。

 次にバスタブだ。海外ドラマで見るようなエキゾチックなデザインで、ふちまで一杯に水が張っている。

 最後にベッド。こちらも天蓋付きで、日本ではあまり見かけない様なデザインだ。コンクリート製と思われるむき出しの壁に似合わず、浮いて見えた。


「わぁ、きれー」

「なんだこれ、悪魔がやったのか?」

「こんな芸術的な悪魔いるかなぁ?」


 そう、芸術的。

 燕の言いように鉄郎は同意する。

 この奇妙なホテルの一室は妙に情動的な光景なのだ。

 その時、ぴちょん、と音がする。


「ああ、水の音ってこれか」


 どうやらバスタブの上にある排水管が割れているようだった。そこから一定のリズムで水滴が滴っている。床に溜まった水も、バスタブから溢れたもののようだ。

 ぴしゃん、と水の跳ねる音。

 燕が部屋に踏み込んだのだ。


「水もまあ、綺麗だな。飲めそう」

「ご主人、なんでこんな風になってるの?水道なんてとっくに止まってるでしょ?」

「そうだな……このホテルずいぶん古いみたいだし、給水塔に雨水が溜まって、それが漏れてるとかか」


 鉄郎は頭を振る。


「このホテルも放置されて長いみたいだし、もしかしたら悪魔が湧く前からずっとこうだったのかもな」

「そこにたまたま、悪魔が穴を開けた?」

「そういう事もあるかもな」


 鉄郎はそう結論付ける。


「しかしそうするとこいつらは雨水ってことになるな。燕。バスタブの中の水を沸かしてくれ」

「あいさー」


 調子よく返事をした燕はバスタブの横に立つ。そして人差し指を垂らすようにすると、なにやら黒い、墨汁の様な黒い水が指から滴り始めた。


「墨火石」

 

 そう燕が唱えると、黒い水は意思を持つかのようにうごめき、そして石の形になった。

 それは確かな熱を持ち、水面に落とすと、ドジュウ、と水が焼ける音が響いた。


「これでちょっとすれば沸くよ」

「ありがとう」


 最低限沸かすという行程を踏めば、生水を飲んで腹を壊す心配はぐっと減る。

 鉄郎はベッドにごろりと寝転がった。

 一人で寝るには大きく余裕のあるサイズで、シーツは埃を被ってはいたが、今更気にはならなかった。


「ねぇご主人。それじゃこのベッドとバスタブはどうして?こんなデザイン見たことない」


 そう言ってぴょん、と燕もベッドに乗っかる。


「それは多分、ここが元、ラブが付くホテルだったからじゃないか」

「ああ!ラブホ!」

「多分な、多分。俺だってラブホにお世話になったことなんて無いんだ」

「ご主人モテないもんね」

「ほっとけ」

「それじゃあさ……」


 妙にわさわさとした手つきで鉄郎に触れる燕。


「ご主人。こーんな可愛い娘と元ラブホで一緒のベッドに入って……何にもしないわけ?」

「……なんだよ、もう腹減ったのか?」


 燕はぷうと頬を膨らませた。


「ちょっとご主人!人の愛の求めを食欲と同じにしないでもらえる!」

「事実だろ……それにお前は人じゃねえし」

「揚げ足も取らない!」

「いで」


 べし、と燕が手のひらで鉄郎をはたく。


「そんなだからモテないんだよご主人」

「やかましい。けどまあ、今日はいろいろ頑張って貰ったからな。いいぞ。腕でいいか?」

「やだ。首がいい」

「ええ?たく、特別だぞ……」

「やたっ!あ、そうだ!お風呂も入っちゃおうよ。せっかくだし!」


 鉄郎はそれを聞いて、スン、と自分の匂いを嗅いだ。


「……やっぱ臭い?」

「……ちょっと?」


 今や風呂など贅沢であるとはいえ、その心遣いが鉄郎には痛かった。


「いいよな、お前は新陳代謝何て無いから臭くもならない。分かった、入るよ」


 鉄郎は服に手を掛ける。


「このシャワーカーテン、うっすらとどころじゃないな。殆ど透けて見えるぞ」

「やん、えっち」

「入るのは俺だろうが……」


 恐らくビニール製のシャワーカーテンは、多少輪郭をぼやかすぐらいの透明度だ。これでは体のシルエットも色も隠せないだろう。

 なるほど、と鉄郎は思った。

 こんな空間でベッドに座る男は、シャワーを浴びる女を見てたいそう興奮したに違いない。


「ふーぅ」


 服をカーテンレールに引っ掛けて、早速湯船に浸かる。


「お湯加減はどう?」

「あー、ぴったりだよ」


 鉄郎は湯に沈んだ火石を手に取った。それが持っていた熱は、今は湯全体に拡散し、今はほんのりと温かい。


「ほんと、便利な能力だよな……」


 燕の能力。

 それは、彼女の指先から出る墨で描いたものを実体化させるというものだ。火を描けば熱いし、氷を描けば冷たい。鋭利な刃物を描けばそれは鉄だって斬る。犬を描けば吠えるし墨それ自体を飛ばして戦える。

 鉄郎自身がデザインした、燕だけの能力だ。

 ただし食料を描いても意味はない。それらはあくまで墨であるからだ。食べても不味いし栄養にならない。


「呼んだ?」

「呼んでない」


 燕がシャワーカーテンから顔を出す。


「褒めた?」

「褒めたよ」


 鉄郎は燕に向かってばしゃりとお湯を掛けた。

 すると燕は、お湯が掛かった端から溶けるようにドロドロと黒く崩れてしまう。


「おい……」


 鉄郎はくるりと後ろを向いた。


「無駄遣いしてんじゃねぇ」

「てへっ」


 そこには、今しがた溶けてしまったはずの燕が居た。

 燕がその能力で自身の分身を作っていたのだ。


「今から補給するんだからいいじゃん!お邪魔しまーす」


 燕が湯船に飛び込む。

 水嵩が上がり、溢れたお湯が床に流れた。

 鉄郎は服を着たまま湯に入ったことに文句を言おうとしたが、すぐにそれも黒く溶けだしてしまう。

 見ると、燕の着物も鉄郎の服と同じようにカーテンレールに引っ掛けられている。

 そして、湯船に広がった黒色は、うまい具合に燕の肌を隠していた。

 風呂に闖入してくるのに肌を見せるのは恥ずかしいのか。いや、もったいぶっているのだろう、と鉄郎は思う。


「あー、見ろ燕。空が見える」


 鉄郎は壁に空いた大穴を指さした。

 燕は鉄郎と向かい合うように位置取る。


「ほんとだ。今のご時勢、露天風呂なんて贅沢だねぇ」

「ちょっと思ったんだが、温泉ってのは人がいなくなっても湧いてるものなのかな」

「なあに?なんの話?」

「目的地の話だよ。もしそうなら全国各地の温泉を目指して歩くのも、いいかなって思って」

「温泉巡りかあ……レンタカーが欲しいね」

「仮免の運転でよければ」

「やめとこっか」


 そこで燕は髪をかき上げて、小さく唸った。それが鉄郎には何か言いたいことを我慢したように見えたので、


「なんだよ、言っていいぞ」

「ん……ニオがいたら、車なんていらないなって思って」

「あ~……」


 鉄郎はばしゃりと顔に湯を掛ける。

 気を遣われた。燕に。その事実は意外と鉄郎にとってショックだった。


「あのな……別に俺は思い出話が嫌いってわけじゃないぞ。ただ他人に踏み込まれるのが嫌ってだけでな」


 しかし、実際その手の話をここの所避けていたのも事実で。

 鉄郎は頭を掻いた。まだ自分でも整理が付いていないのだ。


「うん……そうだな、ニオがいたら車何て必要ないだろうな。それにあいつは風呂が好きだったし。この話もきっと喜んだに違いないよ」

「うん。四人でドライブして、温泉に入って、卓球して、夜遅くまで話して……」


 もしもを語る燕の声は、段々と潤んで行き、最後には目を伏せてしまった。


「……」


 鉄郎は燕の様子を見て、罪悪感に似た感覚を持っていた。


(そりゃそうだよな。燕だって悲しくないわけない。なのに俺はずっと気を遣わせるばかりで)


「燕」


 そう言って、鉄郎を首を傾けて、燕に首筋を晒した。

 燕はこくりと頷くと、鉄郎に体重を預け、その首筋に牙を立てた。


「……っ」


 薄く皮膚が破られる感触がした後、その場所を燕が一心不乱に舐める。時折吸い付く。

 血が止まるまでそれは続いた。

 鉄郎はそして、自分の血以外にも何かが肩を流れるのを感じ、燕の頭をゆっくりと撫でた。


「ね……聞いていい?」

「なんだ?」

「新しい子は、作らないの?」


 そう問われて、鉄郎は自分が無意識にその問いを避けていたことに気付く。

 いなくなった途端新しい代わりを求めるなんて、と言う無意識の感覚が、避けさせていた。


「実際問題、わたしだけじゃ……」


 燕は最後まで口にしなかった。自分だけでは鉄郎を守れない。それを認めるのは、彼の使い魔としてどうしても憚られた。それでなくとも、守れると言って鉄郎を連れ出したのは燕でもあるのだ。

 鉄郎はその葛藤を酌んで、安心させるように言った。


「そうだな……確かに新しい使い魔は必要だな。けど、核になる魂も肉体になる素材も無い。今すぐはどちらにしろ無理だ。それにここら辺の悪魔に燕がやられることはないよ。強い奴は軒並み主人公ちゃんが倒してくれたから」


 鉄郎は髪を撫でていない方の手で燕の背中に触れた。


「全部上手くいくさ。このぶっ壊れた世界をてきとうに歩いて、てきとうに楽しんで、どっかで野垂れ死ぬ。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。最高だろ?」

「……うん。わたしはそれまで、ご主人と一緒にいるだけだよ」


 少しづつ湯が冷めてきていた。そろそろ上がろうとする鉄郎だが、


「ところで燕さん?さっきから何をしているんですか?」

「え?なにって……ご主人といちゃいちゃ?」

「そうじゃなくて、手だよ!手!なんでさっきから俺の腹を揉んでんだ!!」


 それは燕が血を舐め終わったあたりからのことである。

 何気なく、さり気なく、何でもないことのように、燕の手は鉄郎の腹の肉を弄んでいた。


「なんでって、そこにおなかがあるから……?」

「そんなおっさんがセクハラするときの言い訳みたいな……!」

「だって柔らかいし、安心する?っていうか」

「いいから揉むのをやめろ!」

「ええー!!さっきはあんなに慰めてくれたのに!いいじゃんこれくらい」

「肉を揉みたいんなら自分の胸にぶら下がってるのにしろ!!」

「わたしのおっぱいは張りに重きがあるから~。柔らかさはご主人のお腹のぜい肉の方が上かな。それにこういうのは相手の反応が無いとね」

「ぜいっ……こいつ悪びれもせず!」


 鉄郎は燕を引き剥がそうとするが、燕の方がずっと力が強いので、もみ合う内に背後に回られて抱きすくめられ、抵抗できない体勢を作られてしまう。


「そんなにぜい肉を揉みたきゃそこらへんでオークでも狩ってこい!いくらでも揉めるぞ!」

「ご主人分かってないな~。お腹のお肉ってのはあんなぶくぶくに太った奴のだと逆に硬いだけ。ご主人みたいな一見痩せ型の人のお腹についてるぜい肉が一番柔らかいの!」

「知るか!!!」

「へっへっへ。往生しいや~」

「いい加減にしろ~~!!!」


 ビルを出た時、鉄郎は「こんなのおかしい」と愚痴をこぼした。

 水を飲みに入ったはずであるのに、どうしてこんなに疲れているのか?

 燕が妙につやつやしているのにも、その疲労感に拍車をかけている。


「燕。MP(魔力)は十分か?」

「ばっちりにゃ~」


 鉄郎は空を見上げた。

 太陽は、やっとてっぺんまで昇ったようだった。

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