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第三編 会長から同い年のSC達と切磋琢磨しろと言われた件

 幸いにして麻由の怪我の程度は軽く、直ぐに退院できることになった。耕三は車で麻由を迎えに出ていった。茶の間では克樹が当初の予定通り紗由の宿題を見ているが、時間の経過と共に紗由の落ち着きが失われていく。

「紗由、集中。今日の分はまだ半分も終わっていないぞ」

 克樹は紗由をたしなめる。

「お兄ちゃん、今日はこの辺で良くない?休みも始まったばかりだよ?それに今日は協会に行くんでしょ。反省文の準備をした方がいいんじゃない?」

 残念ジョージの件で早速、報告のため協会へ行くことになっている。克樹と同じ高校に通学する芽石の除念の依頼を受けた、規則違反の顛末報告である。能力の私的濫用を防ぐため、SCは自身が所属する団体・組織の関係者からの依頼を受けることを禁止されている。克樹は高校の有名人である芽石とお近づきになりたいがために、規則違反と知りつつ顧問の長谷部先生の依頼を二つ返事で受けてしまったのだから、問答無用でアウトだ。

 支部長は耕三であり、上司とも言える。耕三の知る所となったため、耕三も立場上、協会に報告せざるを得ない。耕三は麻由を家に送り届けた後、今度は克樹を本部に連れていくことになっている。本来なら三宝原理教会案件に専心したいのだが、支部のメンバーが不祥事を起こした上、しかもそれが自分の息子なのだから、自ら動くより他ない。克樹は渡辺や紗由の面倒でSCの活動時間を十分に確保できないと一人ボヤいていたが、最大の被害者は耕三と言えるかもしれない。

「大丈夫だよ、紗由が心配する事じゃ無い。今更ジタバタした所でどうにかなるものでもないし。ありのままに話すよ。悪いのは俺なんだから」

「流石お兄ちゃん。落ち着いてるね」

「まあね」

 済ました表情で克樹は答える。

しかしこれは嘘である。

内心、どんな処分を受けることになるのか朝から気になって仕方がない。何か作業をすることで意識を他に向けないと、心配でおかしくなりそうだ。だからこそ今朝は自ら申し出て、紗由の宿題をみているのだ。麻由が戻り次第、今度は克樹が耕三と本部に出かける。それまでの時間が死刑執行時間のカウントダウンであるかのようだ。

 また紗由も自らの暴走が原因で被害を拡大させたことに対して、口には出さないまでも負い目を感じている。あの場面でセンセイの忠告に素直に従っていれば、麻由が入院する事はおそらく無かったはずなのだ。その麻由が戻ってくる。タダでさえ苦手意識のある麻由に助けられ、借りを余計に作ってしまった。見舞いの時は寧ろ感謝されたくらいだが、麻由が今後どう出るかは分からない。紗由は小学生ながらに言葉の向こう側に思案を巡らせるようになっていた。ただし麻由に限る。そしてそれは大抵ズレている。本人が見当違いに気付くのは、まだ先の話である。根本的に嫌いな上に心配事を抱えていては宿題など、はかどる筈がない。

「紗由、聞いてるのか?」

 克樹の説明も上の空である。

「あ、ゴメンお兄ちゃん、もう一回」

 克樹は溜息をつく。

「今日はもう止めにしようか。そろそろ父さん達が帰ってくる頃だ」

 紗由は時計を見た。針は十一時を指している。


「ただいま」

 玄関から麻由の声が届く。

「「キタ―――」」

 意味合いは異なるが、二人にその時が来たのである。

「宿題?感心感心。克っちゃんはもう外出でしょう。私が代わりに見るよ」

 数日振りに茶の間に姿を見せた麻由は挨拶もそこそこに卓袱台の上に開かれたドリルを見ると、紗由の宿題の手伝いを申し出る。

「あ、いや、大丈夫。今日の分はもう終わったから。ね、お兄ちゃん」

 紗由は突然の麻由の言葉に焦りながらも克樹の顔を見つめて同意を得ようとする。やっと解放されたと思ったところで追加の勉強など堪ったものではない。しかも麻由。克樹のように気楽に取り組める訳がない。

「まぁ、今日のところはね」

 紗由をからかっても仕方が無いので、克樹は同調する。折角のやる気をそがれた格好になった麻由は持っていた荷物を床に下ろし、空いた手で卓袱台のドリルを手に取ると、眼を通した。麻由の動きが止まる。

「……克っちゃん、外でお父さんが待っている。早く準備して」

「あ、ああ、分かった。退院したばかりなんだから無理するなよ」

 立上がった克樹は言葉とは裏腹に、紗由を心配そうに一瞥して茶の間を出る。麻由は克樹の背中を見届けた後、獲物を見定めた肉食獣のような視線を紗由に向ける。そして心のこもっていない笑顔を浮かべて言い放った。

「紗由、もう三十分頑張ろうか」

「……ヒぃッ」

 青ざめた表情の紗由は引き攣った声で悲鳴を上げた。



 克樹が耕三と共に本部を訪れるのは、SC登録のため初訪問した時以来である。二回目の機会がこのような形になろうとは皆目想像していなかった。会長室のソファに三人が腰掛け、テーブルの向かい側に座っている老人に耕三が残念ジョージの件について説明している。テーブルには上原が出してくれたアイスコーヒーが置かれている。グラスには結露した水滴がビッシリと付着している。三人とも全く手をつけていない。

 会長は手にした顛末書を横目に眺めつつ、耕三の説明に黙って耳を傾けている。ピンで留められたレジメンタルタイが静かに上下するのを克樹はジッと見つめていた。耕三が話し終えると、会長は顛末書をテーブルに放った。

「あい分かった。他愛ない理由とは言え、規則違反であることに変わりは無い。まだまだ自覚が足りないようだな。我々の能力は使い方次第で何だってできる。それがどれほど危険なことか、過去の事件を忘れた訳ではないだろう?導入研修で必ず行う講義だ。」

「すいませんでした」

 克樹は謝罪を口にしたが、耕三が直ぐに注意する。

「すいませんじゃない、申し訳ございません、だ」

 耕三は立ち上がって自ら頭を下げ、克樹に視線でそれを促す。会長は手で二人を制した。

「まぁ、いい。実際キミ等にはよくやってもらっている。邪念の件も含めてね。今回の件も実質的な被害は身内だけに収まってはいる。残念に意識を奪われても、息子さんの体調は何も影響が無かったのだろう。大したものだ」

 良く分からないが、褒められた克樹は表情を緩める。

「だが、違反は違反だ。野放しにはできん。」

 すぐに表情を締める。

「克樹君、だったな。キミは活動報告書の提出数が大分少ないな。報告書の提出数が力量評価表にも影響することは知っているだろう。今回の更新では殆ど変っていないな。キミくらいの年齢ならば、もっと伸びて良い筈なのだがね。学校が忙しいのか?だが、高校生SCは他にもいるし、彼らは皆、頑張っているようだが」

 手元の資料に目を通しながら、会長は以前、光紀が話した内容を口にする。この場で渡辺や紗由の相手をしていて、などと言い訳を出来る訳がない。

「そこで、だ。その同い年のSC同士、もっと互いに切磋琢磨してもらおう。キミ含めて同世代は全国に三人いる。同じS県に一人、ちょっと離れているが、A県にも一人。こっちは女の子だ」

 S県は言うまでも無く新井のことだろう。もう一人については、克樹は知らない。

「近々三人揃って本部に来てもらう。残りの二人については既に連絡済で了承を得ている。夏休み中だし、丁度いいだろう。そこで改めて任務を与える。研修でもあり、奉仕活動みたいなものだな。これが今回の処分だ」


 同い年の高校生SCと共同で任務に当たる。新井と一緒に仕事をするということである。正直、イヤではあるが、仕方が無い。気になるのは、もう一人の女子高生SC。どういった子なのだろうか。可愛かったらいいな、とは男子高校生なら誰しも思う事だろう。

 想定外ではあるが、想像よりは大分軽い処分のため、克樹は拍子抜けしたという気持ちもある。そのことを帰路、克樹は耕三に話してみた。

「まぁ、こんなモノだろう。本当に大問題だったら広域代表者以上全員が出席する幹部会で処分が協議される。幹部会が招集される話は聞いていなかったからね。今、人手不足ということもある。この程度じゃ謹慎や資格停止にまでならないのは分かりきっていた話だ」

 そして本来なら、この程度の案件で会長自ら出てくることも無い。せいぜい事務方のトップの徳田までだろう。名和田家が関係しているからである。

「ただ、今後規約が改正される可能性はあるな。実際の所、ルール違反は珍しいことじゃない。情けないことだけどな。俺達の世界は閉鎖的だからチェック機能が働きにくいんだ。身内同士甘い。会長を始め、年配連中はそのことを問題視している」

 克樹は上原の顔を思い浮かべた。前回本部を訪れた時、彼女は関係ない人間の力量評価表を漁っていた。力量評価表は基本的に非公開なのだ。もちろん常習ではないだろうが、本人は大分軽い気持ちで行っていたように見えた。比較的若手の上原がこの状態では、他も推して知るべしなのだろう。最も、それを糾弾する資格は今の克樹には無いけれど。

「とにかく、会長自らセッティングしてくれたんだ。任務の件、上手くやってくれよ。俺も自分の仕事に専念したい」

「そういえば邪念の話って今、どうなってるの?」

 顛末報告のため耕三は一時帰宅しているが、本来ならそれどころではない。

「……そろそろカタを着けるよ。準備も整いつつある」

「いよいよか、終わったら仕事の話を聞かせてよ。スゲー気になっているからさ」

「そうだな。いずれ克樹にはもっと頑張ってもらわないといけなくなるからな」



「相変わらず名和田君のトバッチリを受け続けるんだな、ウチは。いいね、君は。ルール違反しても、ペナルティを受けるどころか、こうして任務とは名ばかりの研修を受けさせてもらえるんだから」

顔を合わせるなり早速、新井から嫌味を言われた。しかし、こうなった原因は克樹にあるのだから何も言えない。

――お前と共同で任務に就くことが十分なペナルティだよ

 克樹は内心言い返す。

「止めてよ、新井君、そんなこと言うの。これから私達、共同で任務に就くんだからね。分かっているの?」

 椅子に座っている制服姿の女子高生が新井をたしなめる。彼女がもう一人の対象者のようである。既に克樹の違反は二人の知る所になっている。

「リンダ、俺は間違ったことは言ってないよ」

 新井が言い返す。二人は初対面ではないようだ。

「名和田君、気にしないでね。私はむしろ有難いと思っている位だから」

 リンダと呼ばれた女子高生が気さくに話しかけてきた。細身のスラリとした体形で身長も女子にしてはある方だ。黒髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。その尻尾は縦に巻いているけれど。校則は大丈夫なのだろうか。

「初めまして、だよね。私、A県名尾野支部の林田綺乃っていいます。よろしく」

 林田は律儀にお辞儀をする。縦ロールが頭に被さった。

「名和田克樹です。よろしく」

「有名だよね、名和田家って。同い年のSCが居るって聞いていたから、ずっとどんな人か気になっていたんだ。新井君とは何回か会ったことがあるから知っていたけど、名和田君は初めてだね。一緒にがんばろうね」

「ああ、がんばろう」

 二重瞼の大きな瞳で直視され、克樹は照れてしまった。フツーに可愛い。

「制服で来るなんてリンダは相変わらずカタいね」

 新井が割り込んでくる。

「本部に来るのだから当然でしょう。二人ともTPOって言葉、知ってる?新井君、甚平って何よ。ナメてんの?SCなんだから少しは社会人としての自覚を持ちなさいよ」

 実は新井は甚平を着ているのだ。しかし、祭りや花火大会に行くわけではない。

「いいじゃん、夏なんだし。リンダの縦ロールこそ校則違反じゃないの?」

 新井も同じことを思っていたらしい。

「これはいいの。今、学校にいるわけじゃないし」

「ふうん、高校生としての自覚は無いんだ」

 林田は典型的な優等生タイプに見えるが、完全に枠に嵌まるでもないらしい。新井の皮肉・嫌味は克樹以外にも繰り出されるようで、これは性格によるものか。

「そんな恰好の新井君に言われたくにゃあ。似合っとらん」

 林田も負けずに言い返す。


「皆そろった?」

 一人の女性が入室してきた。克樹はその姿に見覚えがあった。

「あ、支部長、お疲れ様です」

 新井が、らしくも無くお辞儀をする。常呂河支部の小郷だった。小郷は新井を一瞥し、三人に対して正面の席に腰を下ろした。それに倣い克樹達も席に着く。新井は姿勢を正した。

「名和田君と林田さんね。S県常呂河支部の支部長を務めています、小郷です。二人共会うのは初めてかな?今回の会長からの特別任務を私が看ることになりました。エリア的に東葛俣支部の案件になるのですが、そこに居る新井君がウチの支部に所属しているからね」

 小郷は三人の顔を順番に見回しながら簡単な自己紹介を行った。物静かで落ち着いた雰囲気と明瞭で歯切れの良いエネルギッシュな話し方が違和感なく同居している。克樹は一度、その姿を遠巻きに見ただけだが、間近に見ても、初見のイメージに違わず整った顔立ちをしている。

「もう分かっていると思うけど、同い年の三人、共同で任務に当たる事でお互いにいい刺激としてもらうのが目的です。しかし任務は任務です。依頼者が居ます。練習ではありません。真剣に取り組んでください」


「……」

 小郷から今回の案件について説明を受けた後、三人とも絶句した。

「支部長、これは荷が重いのではないでしょうか。新米三人が当たった所で、今までの轍を踏むだけですよ」

 漸く新井が口を開き、抗議する。

「確かに皆には早いかもしれません。でも決して不可能ではないはずよ。だからこそ会長はわざわざ三人を呼んだの」

 与えられた任務は残念の除念である。しかし、簡単な相手ではない。現時点で三回SCの除念を退けている。また、時間が経つほど、残念の力も強くなる。三宝原理教会に対処するため人員が足りず、新米SC三人に御鉢が回ってきたとしか思えないレベルだ。

 

「私もしっかりフォローするから安心しなさい。新井君は代表して経過を私に報告する事。私の連絡先も皆に教えておいてね。今回の依頼者にも三人が当たることは連絡済です。早速任務に取り掛かってください。それじゃ頑張って」

 小郷はアッサリ部屋を出て行った。


「ああは言ったけど、小郷支部長は放置プレイ激しいからな。まぁ、根本的に忙しいっていうのもあるけど。今回の任務の管理者もウチに回ってくるし、ウチの支部はホントにキミの所からトバッチリを受けるよな。」

 新井が苛立ち紛れに克樹に毒を吐く。克樹も我慢できなくなり反論する。

「しつこいぞ。俺も調べてみたけどな、常呂河の人員不足はウチには関係ないぞ。ウチだけ優遇されている訳でもない。カバー人口に対する人員比率は全国平均と変わらない。むしろそっちに問題がありそうじゃないか。常呂河だけが異常に人数が少ないんだよ」

「知ってるよ、そんなこと。どこで調べたのか知らないけど、物事を表面的にしか見ないんだね、君は。支部長と君の家の関係に問題があるんだよ」

「何だよ、それ。ウチは小郷さんとは特に関係ないぞ」

 新井は溜息をつき、首を振る。露骨にヒトを馬鹿にしている。

「まぁ、知らなきゃそれでいいよ。いちいち僕が教えなければいけない理由も無い」

「フン、そもそも誰だよ?研修って言ったのは。最高の研修じゃあないか。通常の任務だってこんなの相手にすることは滅多にないぜ。むしろ俺に感謝したらどうなんだ?林田さんみたいに素直にな」

「どうだか……今はリンダも迷惑してるよ」

「おっ、ビビってんの?」

「……何だと」

 克樹の挑発に乗った新井が席を立つ。

「ちょっとやめなさい、二人共。私たちはチームなんだよ。こんなことじゃ上手く行くものもダメになるよ」

 見かねた林田が二人の間に割って入る。

「大丈夫だよ、任務は任務だ。脚を引っ張るつもりは全く無い」

 新井は言い捨てて部屋を出て行った。

「ちょっと、新井君……言行不一致もいいところだよ、まったく」

 林田は呆れた。



 本部近くの喫茶店に三人が集まった。作戦会議である。三人(正確には二人だが)のまとまりの悪さを危惧した林田が提案したのだ。

「……お菓子は無いんだ。まぁいいけど」

 林田はテーブルに運ばれてきたアイスティーを一瞥した後、何かを探すような仕草をした。克樹は思わず吹き出しそうになったが堪えた。

――笑っちゃダメだ!

 しかし、そんな克樹の努力も関係なく、

「そんなの無いよ。リンダ、どこかの店と勘違いしてないか?」

と新井はおかしそうに指摘する。ツッコまずにはいられない性格なのである。

「わ、わかってるよ、冗談ですぅ。言ってみただけ」

 林田はストローに口をつける。間違いを指摘されても無駄に強がるところが可愛い。

「とにかく!三人の力を合わせないと上手く行きません!これから作戦会議を始めますが、二人共本部から渡された報告書は読んだよね?とくに相手の残念の特性のあたり。かなり厄介だよね。私、こんな話を聞くのは初めて」

 からかわれた林田が話の流れを断ち切るように本題に振る。

「「まだ読んでませーん」」

「……ナメてんの?」

 いきなり出鼻を挫かれた林田は手にした報告書を落として頭を抱えた。しかし直ぐに気を取り直し、報告書の内容について二人に簡単に説明を始める。


 被念者の名前は井上陽・十六歳。M市在住。本部から電車で小一時間程の距離である。両親と三人暮らし。大学生の兄が一人いるが、関西の学校のため、現在は家を出て一人暮らしをしている。

話振りから取り憑いている残念は三十~五十代程度の精神年齢と推測。性別は男性。井上に変化が認められたのは六月中旬頃。井上の父が協会関係者に最初にコンタクトをとったのが七月二日。最初の除念が三日、次が五日、最後が十二日。いずれも失敗に終わる。

継続時間は長くは無いようだが、両親の意識も操ることができる。なお、両親以外の人間に対してそれが有効かは未確認。井上の父は元ラグビーの実業団選手であり、陽自身もラグビー部に所属。二人の身体能力は脅威であり注意を要する。

 陽本人の意識を混在させることも出来、それが除念をより困難なものにしている。

難易度C(七月十三日現在、Bに更新)


 強力な残念は取り憑いた人間以外も操ることができる。催眠術の類を駆使する者もいる。

邪念に至っては数十人レベルで操ると言われているので、まだかわいいものである。しかし、三人共SCとしての実績も経験も浅い。三人には荷が重いことには変わらない。

 任務の難易度はSを最高にEまで六段階にランク分けされる。Sは邪念案件レベルで滅多に無い。現在、三宝原理教会案件がS認定されているだけで、通常は最高でもAである。Bはその次だ。新米SCにはD、Eランクの案件が割り当てられる。因みに、鈴木のように浮遊状態の新念を残念化する前に自宅に送り届けるといった案件は最も初歩的なもので、Eランクに分類される。

 過去にはS以上の案件が発生したこともあるらしいが、その内容は協会内でも公開されていない。


「今更だけど、こんな相手を二年目SCに振るか?フツー」

「まぁ死ぬことはないからいいんじゃない?って支部長が言ってたけど、下手をすればそれも有り得るな。死ぬことは無い、なんて学校の先生が言ったら叩かれそうだな。生徒の安全管理はどうなっている、とか言われて」

「まぁ、協会はユルいし、根性論がまかり通っている所もあるからね。世間の眼から隠れていることをいいことにしてさ」

「二人共いい加減にしたら?愚痴を言っても状況は変わらないよ。名和田君って実は打たれ弱かったりするの?新井君はいつも通りだけど」

「「……」」

 林田にたしなめられた二人は口をつぐむ。林田は既に気持ちを切り替えている。総じて女性SCは気の強い性格の持ち主が多い。常人には見えない世界に立ち入る能力の性質上、能力のある者は皆、繊細な一面を持っている。繊細さと闘争心、この二つを併せ持たないと、残念相手には戦えないのだ。

「そうだね、愚痴はもうやめよう。いつも通り愚痴る新井君に引きずられてしまったみたいだ」

「フン、人に簡単に引きずられるなんて影響されやすいんだな、キミは」

 尚も反目しあう二人に林田は溜息をつく。

「名和田君、このタイプの念を相手にしたことはないの?名和田家の人間なら色々知ってそうな感じもするけど」

「複数の人間を操る念はまだ無いな」

――似た様な状況は直近で経験済みだけど。

 芽石の時を思い出す。ただし、ジョージよりタチの悪そうな残念が取り憑いているようだ。嫌な記憶がフラッシュバックする。

「ふうん、名和田家も大したことないんだ……ゴフゥ」

 新井の喉に林田の手刀が鋭く一閃する。

「新井君、いい加減にしなさい。これからは実力行使で行くから、そのつもりで」

 林田が新井の隣に座った理由はここにあったのだ。

「……ゴほッ、これは……キツイ……」

 涙目の新井は苦しそうだ。林田は怒ると先に手が出るタイプなのかもしれない。

「複数の人間を操るとしても、本体は一人の人間に留まっているから本当に注意すべきは一人だ。こっちは三人いるし、相手が三人以上を同時に操らない限り、それほど厄介では無い筈だ」

「そうだよね。向こうは今の所、本人と両親二人だけの三人だから人数的には問題ないね」

「除念の時は両親には外に出ていてもらおう。確実な数的優位を作った方がいい。相手を一人に出来さえすれば、能力の事は気にしなくて済む」

 克樹の案に林田が確かに、と頷く。芽石の時もそうだったが、自分の子供の除念となれば、当然その親は心配して現場に同席する。だが、今回はその親が残念に操られて敵になりかねない。申し訳ないが、退席してもらう他ないだろう。

「とにかく最大の問題は残念が表に出るタイミングを確実に捉えられるか、だ」

 呼吸を取り戻した新井が話に加わる。

「残念が表に出ていなければ祓うことはできない。でも、相手は本体の意識と混在させることができる。混在している時に祓ったらどうなってしまうんだ?」

「最悪、井上陽本人を祓ってしまうってこと?」

 林田があってはならないことを口にする。

「……生きている人間を祓う事なんてできるのか?そんなことしたらクビだ。いやそれだけでは済まないな」

 克樹が呟く。

「でも、井上本人を祓ってしまうとハッキリしたわけじゃない。今までのSCが失敗したのはそれが理由だろう?慎重になりすぎたんだ。リンダ、残念が表に出ているタイミングの見極め方とか、手掛かりになりそうなことは報告書に何か書いてないのか?」

「……無いよ。混在させることが出来るって書いてあるだけ」

 新井は口を閉ざす。

「それが分かるまで三回を要したってことか。とにかく、それ以上の情報が無いんじゃ、あとはやってみるしかないな。相手を井上一人に出来さえすれば、それほど危険は無い筈だ」

「そうだね、こっちは三人だし。きっと何とかなるよ」

 林田は克樹の作戦に改めて同意した。


――翌日


 二人は既に待ち合わせ場所に到着していた。林田はジャージにポロシャツという出で立ち。背中にザックを背負っている。これから部活にでも行くのかよと言いたくなる。動きやすいと言えばそうなのだろうけど。しかし良く見ると靴はローファー。

――コイツ、制服でコッチまで来たのはいいけど、替えの靴を忘れたのか?

 らしからぬ忘れ物だが、克樹は指摘するのを止めた。

そして新井はお決まりの甚平。しかも手ぶら。花火大会や夏祭りにでも行くワケじゃないんだぞ。その恰好で動けるのか?傍目には自分達は何の集団に映るのだろう?克樹はどうでもいいことが気になったが、これが二人のスタイルなのだと考えることにした。

「今日は制服じゃないんだね」

「これから仕事だからね。いつもいつも制服なんて着てられないよ。制服じゃ激しい動きもできないし……あ、ひょっとして名和田君、変なこと考えてない?」

「真面目そうな振りして……キミはムッツリなんだな」

 新井は軽蔑するように言い捨てる。

「おい、お前ら勝手に他人の性格を決めつけるな。普通に聞いただけだろうが」

「いいよいいよ、そういうことにしておいてあげるよ。必死な言い訳はみっともないよ」

 新井は憐れみの表情を浮かべる。

「ハイハイ、二人共そこまで、新井君いちいち名和田君に絡まない」

「そもそも最初に絡んだのはリンダでしょ……ぐほっ」

 冷静に指摘した新井に林田の喉チョップが炸裂する。

「……って、バカ……これはマジでシャレにならないんだって……」

「忘れたの?これからは実力行使で行くって言ったでしょ」

 林田はチョップした右手を振りつつ、済ました顔で警告する。


 待ち合わせたJRの駅から私鉄を乗り継いで一駅、坂をグイグイ登った所の最寄駅から徒歩十分程、混みいった住宅街の中に井上の家はあった。

「ああ、協会のヒトね、ちょっと待って」

 インターホンを鳴らすと男性の低い声が帰ってきた。井上の父親だろうか。直ぐに玄関のドアが開き、体格の良い中年男性が姿を現す。三人を認めると、小さな子供をあやすような優しい笑顔を作った。日焼けした顔に皺が寄る。

「そうか、今日は三人だったね。さぁ、どうぞ中へ」

 

「今、こちらには何人いらっしゃいますか?」

新井が井上の父親・秀和に尋ねた。人数確認のためだ。最大でも陽含めて三人の筈である。

「今は俺と陽の二人。嫁は今、実家の方に戻っている。ちょっと体調を崩してしまってね。早く陽が元に戻ればいいんだが」

 井上の母親・美由紀の里帰りの情報は初耳だった。体調を崩したのは気の毒だが、除念に当たってはむしろ好都合である。当日、状況が変わっていることは決して珍しくは無い。

「除念の時は、この家には私達と陽さん以外の人は居ないようにして欲しいんです」

 林田が秀和に外出を促す。

「ああ、分かっているよ。俺達が陽に操られて邪魔をするんだってな。全く記憶にないんだけどね。色々な医者に診せてもダメ、四方に当たって漸く辿り着いたのが君達だ。他に頼れそうな所も見つかりそうにないしなぁ……まぁ、任せるよ。どのみち、俺じゃ何もできそうにない」

 秀和は何処か達観したような口ぶりだ。

 階段を上り、三つあるドアの内、一つの前に止まる。この部屋が井上陽の部屋なのだろう。

「ここが陽の部屋だ。陽は部屋の中に居る。俺はもう外に出た方がいいよね。じゃ、よろしくね。終わったら連絡をくれないか?近くにはいるから」

 そう言い残して、秀和は階段を下りて行った。


「随分アッサリしているね。何か私達、あまり期待されてないっぽい」

 林田が声を潜めて新井に話す。

「僕らで四回目になるからね。仕方無いよ。おまけに高校生SCときたら余計なんじゃないかな。それにしても親父さん、妙に淡々としているな。もう少し困っているというか、悲壮感があってもよさそうな気がするけど。この状況に慣れてしまったのか?」

 新井は疑問を口にする。

「じゃあ、いくぞ」

 克樹が二人に目で合図を送り、ドアを開ける。

突然、眼前に冷蔵庫のような巨体の男が立ちふさがった

「おいっす!」

「「「うわああああぁ!」」」

 驚いた三人は腰を抜かして思わず悲鳴をあげる。

「あははははは、驚いた?」

 悪戯が成功した井上は楽しそうに笑っている。

「ドアの前が騒がしいからビックリさせてやろうと思ってね。もう四回目だからこっちも慣れたよ。あー楽しかった」

 残念に取り憑かれている割には楽観的な奴である。ドス黒いオーラを発散させながら、蒸し暑い部屋のベッドにジッと座っていた芽石とは随分な違いだ。

「まぁ、入ってよ。俺に憑りついた悪霊を祓いに来てくれたんでしょ?」

 三人は警戒しながらゆっくりと井上の部屋に入った。八畳ほどの大きさだが妙に広く感じる。何かが無い。

「この部屋、机が無いのね」

 林田がそれに気づいた。

「うん、最初から置いてない。勉強は一階のリビングでやってるから要らないんだ。あまり勉強しないっていうのもあるけど。この部屋では殆ど寝るだけかな」

 ベッドにマンガ本が納まった書棚があるだけの殺風景な部屋である。

「悪霊に取り憑かれている、とは聞いているけど、オレ的には全然分からないんだ。でも、気付いたら、全然知らない所に居たり、周りからは全く身に覚えのない話を聞かされて……それで取り憑かれていることを認識するくらい」

 井上は大して困った様子を見せず、楽しそうに話す。

「……別に本人は困っていなさそうだし、放っておいていいんじゃないか?」

「いいワケないでしょ、何言ってんのよ」

 いつものように皮肉る新井を林田がたしなめる。

「俺はあまり困ってないけど、周りが迷惑するみたいだから、やっぱり何とかして欲しいんだけど。もう四回目だしなぁ、いい加減終わらせてくれよ?」

「キミは井上陽君本人でいいの?」

 克樹が井上に確認する。

「ああ、そうだよ。何時悪霊が出て来るかは俺には分からない。勿論、それをコントロールすることも出来ない。丸一日悪霊が出てこない時もある。でも今日は霊能力者が来てるから出てこないってことはないだろうなぁ」

 他人事のように呑気な言い方である。

「うーん……だったら、ちょっと強引だけど……」

 林田は井上に近づく。

「おい、リンダ、無茶するな」

 新井が林田を気に掛ける。林田は井上に直接接触して残念を引き出すことを試みる。

「キミも霊能力者なの?かわいいね、だれか付き合っている人っているの?」

 井上は林田に触れようと手を伸ばす。

――いきなりナンパかよ。状況を理解してんのか、コイツ?

 林田は井上の手を払う。

「この様子じゃ本当に自覚してないみたいね」

 林田につれなく拒否され、井上は残念そうな表情を見せる。

「でも、この顔色の悪さは取りつかれている証拠。確実に体力も精神も消耗しているはず。やはり早めに祓う必要があるよ」

 井上の言動には能天気なまでの明るさがあるが、顔を良く見ると、残念に取りつかれた人間特有の血色の悪さがある。目の下には隈もかかっている。この辺りは芽石の時と同じだ。

「じゃあ、決まりだね」

 克樹はロープを手にして井上に近づく。

「井上君、悪いけど拘束させてもらうよ。今から除念を開始するけど、残念が暴れると厄介だからね。終わったらすぐに解くから」

「えぇ、マジで?お前そんな趣味があるのかよ?」

 井上は尚も下らない冗談を飛ばす。コイツ、いちいちメンドクサイ。

「そうだよ、初対面なのによくわかっているじゃないか」

 新井もこの期におよんで井上に乗っかる。

「新井君まで何言ってんの……ププッ」

 林田は笑いをかみ殺している。

――コイツら、これからヒトが本気で仕事しようって時に……

 克樹はイラついた。

「名和田君、亀甲縛りを見せてくれよ、得意なんだろ?」

「えぇっ!俺、そんな激しく縛られちゃうの?初めての経験ッ!」

「ちょっ……皆、止めなよ……プププッ」

――残念の前にコイツらから先に祓ってやろうか(怒)

 完全に克樹の頭に血が上った。新井から殴ると決めてその方向を向いた途端、無い筈の光景が目に飛び込んできた。

「えっ?なんで?」

 気付くと、新井の背後で一人の女がビール瓶を片手に振りかざしている。

「新井!後ろ!」

「えっ?うわっ!」

 間一髪で新井は攻撃をかわした。無理な体勢で避けた新井は床に転がる。

――この人、確か……

 克樹は新井を襲った女に見覚えがあった。依頼書の写真で見た、井上の母親だった。

――体調崩して里帰りしていたんじゃなかったのか?

「チクショーおしいなぁ、もう少しだったのに」

 井上が悔しがる。しかし楽しそうな表情だ。

「ひょっとして最初から操られていたのか?」

 克樹は井上陽本人の性格すら殆ど把握していないことに漸く気付く。これではそもそも誰と話しているのか分かったものではない。自身の迂闊さに舌打ちする。

「楽しいなぁ。人を騙すのは。カンタンに引っかかってくれちゃって。純粋なんだね、高校生って。いや、マヌケなだけかな?ねぇ友里恵さん」

 友里恵さん、と呼ばれた井上母は何も答えない。無表情だが眼だけは殺気が宿っている。女子にしては上背のある林田と同じくらいの背丈だ。両親共に背が高い。井上の体格も頷ける。

――でもビール瓶ってやりすぎだろ……本気で殺す気かよ

 井上母は躊躇無く新井にそれを振り下ろした。新井がまともに食らっていたらと思うと、克樹はゾッとした。

――でも新井ならいいか、いや良くないな、良くない

 克樹は頭に過った邪な考えを振り払う。

「名和田君、どうした?ビビったのかい?」

「いや、何でもない、お前の方こそ大丈夫か(新井、スマン)」

 克樹は心の中で新井に謝る。

「まさか最初から残念が表に出ていたとはね……迂闊だったな」

 両手を床についていた新井が漸く立ち上がる。

「大丈夫、まだ三対二。こっちの方が数では上だよ。この人は私に任せて。名和田君と新井君は井上陽本人をお願い」

 林田が井上母の対処を買って出る。

「リンダ、だから無茶をするなって」

「新井、ここは林田さんに任せよう。残念が表に出ている今がチャンスなんだ。お前は井上を押えてくれ」

 克樹はなおも林田を気に掛ける新井にサポートを要求し、二人がかりで井上に組み付こうとする。その瞬間、井上が驚いたような悲鳴を上げた。

「うわっ、何だお前ら?何すんだオラァ!」

 克樹を新井に組み付かれたことに本気で怒っている。声が少し上ずってもいる。恐怖も混ざっている、そんな声の荒げ方だ。

「新井、ちょっとまて、様子がおかしい」

 克樹は一旦井上から離れた。

 改めて問いかける。

「ひょっとして……君が井上君?」

我に返った井上は茫然とした表情を浮かべた。

「……またか……また俺は操られていたのか?」

 

「えっ……ひょっとして、また……?……キャッ、何コレ?」

 井上母も正気に戻り、ビール瓶を片手に握っていることに気付くと慌てて放った。

 どうやら身の危険を感じた残念が井上陽の中に隠れてしまったらしい。緊迫した状況から一転、五人の間に弛緩した空気が流れる。

――ただ、これで一つ分かったぞ

「コイツは人を操る時は必ず表に出る必要がある。逆に考えれば、井上陽本人が表れている時は比較的安全ってことだ」

「でも、結局祓うには危険なタイミングを狙うしかないってことじゃないか」

 新井が冷静に指摘する。

――その通り。それでもやり方は、ある。敵の手口さえ分かれば対処方法は絶対に見つけられる

 しかし、克樹はその手段を使うことに躊躇いを感じていた。

「あなたが本当の井上君ね?残念に操られるタイミングとか予兆は分からないの?」

 林田が井上に問いかける。

「あ……ああ、分からない。いつも気付いたら操られていたって感じだし。ホントに俺も困っているんだ。いつもコワくて仕方ない……ところで君も霊能力者なの?かわいいね。彼氏とかいるの?」

 井上は林田に触れようと手を伸ばす。

「「「!」」」

 瞬時に三人が井上から距離を取り、身構える。

「えっ、ちょっ、何だよ、急に。そんな警戒しなくてもいいじゃんかよ」

 井上は三人の統一した動きに驚く。先ほど林田に声を掛けたことは覚えていないらしい。

「誰が本当の井上陽なのか分かったものじゃないな」

 克樹は溜息をつく。事情を呑み込めない井上は困惑した表情を浮かべている。

「どっちでも一緒だよ。まずはこっちから祓っちゃおうか?」

 林田は苛立ち紛れに井上を睨みつける。

「おいおい、だから待ってくれよ。俺がさっき何をしたのか知らないけど、全然覚えてないんだって」

「冗談よ、冗談。でも、どうする?これじゃもう残念は当分出てこないんじゃないの」

 林田は文字通り、お手上げした。


「みなさんゴメンナサイね、折角来て頂いたのに……」

 井上母がお茶を運んできた。残念が井上陽本人の中に隠れてしまったので、三人のやることが無くなってしまった。井上陽本人に直接接触して残念を引きずり出すことも手段として存在する。しかし、残念の力が強いと、SC本人が乗取られる虞があるためリスクを伴う。これで克樹は失敗したのだ。林田は再びそれを試みようとしたが、新井が強固に反対した。

「体調を崩して実家に帰ったと聞いたのですが……」

 林田が疑問を口にする

「え?私が?そんな事ないわよ。陽がこんな状態なのに、放って実家に帰れるわけないじゃない?誰がそんなことを?」

 やはり最初から皆、操られていたのである。新井がメガネのブリッジを右手人差し指で持ち上げる。

「厄介だな。残念が表に出ているタイミングが掴めない。ちょっと話したくらいじゃ区別がつかないぞ」

――前任のSC達はこの辺りで苦戦したんだろうな

 克樹は既に三回失敗している理由が分かったような気がした。

――でもこの辺りの情報も報告書に書いて欲しいよ。一番大事な所じゃないか

 除念に限らす、念に関する一連の行為は才能ある人間達が感覚で行うものだから、SC達は言葉で知見を記録する意識が根本的に低いのである。

「合言葉でも作る?」

 林田が提案した。

「ノーだ。この会話を残念が聞いていたら意味が無い」

 新井が否定し、別案を出す。

「井上のお母さんに判断してもらうか?」

「ノーよ。そもそも操られていたら意味が無い」

 林田が否定する。

「やっぱり誰かが残念を引きずり出すしか無いじゃない。私に任せて」

「ノーだ、絶対に。危険すぎる」

 今度は克樹が林田の申し出を却下する。

「「……」」

 経験者の言葉に新井も林田も口を閉ざす。

――何かクセを見極めることができればいいんだけど……

 普段の井上を知らない克樹には無理な話である。既に残念に憑りつかれてしまっている今、目の前にいる井上ですら本当に井上陽本人なのか判別する事ができないのだから、クセを盗むことは極めて困難になっている。

「おいおい、みんな暗くならないでよ。何事も楽しまなきゃ。ダメダメ言ってばかりじゃ出来ることも出来なくなっちゃうからさ。何とかなるって。もっと気楽にいこうぜ」

 井上が無邪気な笑顔で三人を励ます。

「「「原因お前だから」」」

「……ヒッ」

 克樹達三人の苛立ちを一身に受けた井上は恐れ戦く。

「みなさん、ホントにゴメンナサイね。陽のために苦労させてしまって。折角の夏休みなのに」

 井上母が再度謝る。

「あ……いや、大丈夫です、私達仕事で来てるし。別に怒っている訳じゃないんです」

 林田が弁解するように顔の前で手を振る。

「そうです、むしろ四回目なのに上手く行かなくて申し訳ない位です」

 克樹もフォローする。

「三人共優しいのね。ありがとね」

 井上母は安心したように微笑んだ。

「ウチの陽はスポーツマンだし、背も高いし、イケメンで明るい性格だから結構モテるのよ」

 井上母はさも自慢げに陽のことを持ち上げる。克樹の見た限り、イケメンと言える程かは正直微妙なところだが、親バカ補正が入っているのだろうと理解した。

「ちょっと、恥ずかしいから止めてくれよ……まぁその通りではあるけどさ、ハハハッ」

 母子揃って声を上げて笑う。

――コイツらバカなの?

 克樹は呆れる。

「ウチのお父さんはラグビーやっていたし、私も大学までハンドボール一筋だったし、みんなスポーツが好きなのよ、ウチは。陽も阪南梅戸高ラグビー部でレギュラーだし、今年は花園狙っているのよね」

 克樹もその高校の名前くらいは知っている。冬の全国高校ラグビーの常連校である。

――芽石といい、なんだって俺の相手はこんな連中ばかりなんだ?まぁ、芽石は俺から首を突っ込んだっていうのもあるけど

「でもお母さん、さっきこの子に声かけたけどアッサリ断られちゃったよ。俺もまだまだだね、アハハッ」

 井上陽は明るく笑い飛ばす。残念に操られていなくても楽観的な性格のようだ。

「まぁ、仕方ないわね。どんなアイドルでも全員から好かれている人なんていないし。でも残念ねぇ、ウチの陽はホントにモテるのよ。ウフフ」

 井上母も笑い飛ばす。だが、林田を横目にした眼は笑っていない。そこが息子と異なる。

――この人、絶対親バカだ

 克樹は確信する。

「ごめんなさい、軽そうなヒトはタイプじゃなくて……ウフフ」

 林田は笑顔で応じる。しかし余計な言葉が盛り込まれている。

「あら、随分カタいのね。明るい性格の方がいいじゃない。笑っているほうが楽しいよ。除霊師さんは違うのかな?」

 友里恵は林田に言い返す。別の戦いが始まってしまったか?新井の表情が僅かに曇る。井上陽の表情も笑顔のままフリーズしている。

「軽い性格と明るい性格って似て非なるもののような……」

「陽は軽くないよ。ラグビーに一生懸命に取り組んでいるし。むしろ真面目なくらい」

「真面目……初対面の女子にいきなり触れようとする人が、ですか。それも気安く」

「それもコミュニケーションじゃない。あなた、慣れてないの?」

「ゴリッとした人って暑苦しいというか、生理的に受け付けないというか……」

――林田、言う事に棘がありすぎだろ

「確かにあなた、ちょっと痩せてるものね。貧相というか、ちょっとかわいそうなくらい」

「まぁまぁ、それより除念をどうするか、の方が大事でしょう。新井、どうする?」

 見かねた克樹が割って入る。

「そうだね、今日はもう一旦出直してもいいかもね。やはり残念はもう出てきそうにないし。ここで策を練った所で、残念に聞かれているのではナンセンスだ」

 新井も克樹と同じ気持ちのようである。林田と友里恵のケンカは克樹と新井の割り込みによって休戦となった。

――フン、このおぼこな小娘が……

――子離れできない親バカBBAが……

 林田……この女、好き嫌いがハッキリしすぎている。気も強い。SCというハンデ以前の問題として、これじゃ友達作るの大変だろうなと克樹は思った。


――でも、まだ肝心なことを忘れているような……

 克樹は天井を見上げてそれが何なのか思い出そうとする。

秀和がいつの間にか林田の後ろに立っていた。

――そうだよ、コレだよ

 秀和も最初から操られていたのだ。実際は外出などしておらず、家の中で待機していたのだろう。

「林田!後ろ!」

「ハァッ!」

 克樹の声に素早く反応した林田の掌底が秀和の顎にクリーンヒットする。新井の身に降りかかったことを見ていたから一瞬で察したようだ。

――容赦無ぇな、この女……

 想像を超えた林田のリアクションに克樹は唖然とした。むしろ掌底をまともに喰らった秀和の方が心配になる。克樹は秀和の様子を伺う。しかし秀和に変化は見られない。ビクともしていない。

「え……効いて……ない?この体格差じゃ無理なの?」

 林田は信じられないと言った表情で秀和を見上げる。

「いや、これは操られているからだろう。あれだけキレイに入れば脳震盪を起こすはずだ」

 新井が冷静に分析する。

「でも、脳に対して物理的なダメージがあれば、どこか身体に影響は出る筈。操られていても関係ないよ」

 林田は新井に反論する。

「そもそもリンダ、もし相手がお母さんの方だったらどうするんだい?相手がコレだからよかたものの」

 新井は二人を見つめてジッと立ち尽くしている秀和の大きな身体を指さす。

「知らない、そんなの。いちいち気にしてられないよ。ビール瓶で襲ってくるんだよ?」

「しかし、除念の際の第三者の安全確保はSCに最優先事項として義務つけられている。それが今回の案件が厄介な理由の一つでもある」

「でも、この場合は第三者と言えるの?操られて完全に襲われたんだよ、私達?」

「やかましい!お前らそんなこと議論してる場合か!」

 克樹が二人の言い争いを止める。

――完全な作戦失敗だな……

 数的優位を確保した状態で除念に取り掛かるはずだったが、こうも容易く破られるとは。敵も克樹達の作戦などお見通しだったようだ。

――また残念が表に出ているんだろうけど……

 井上陽本人の前は既に護衛の二人で固められている。しかも本人含めて全員、体育会出身と来ている。不意打ちの掌底も全く効かない。井上本人に近づくことすら困難な状況だ。となれば……

「ダメだこりゃ!おい、とっとと逃げるぞ!」

 克樹の呼びかけに新井は瞬時に反応する。

「リンダ!早く!なにやってんだ!」

 林田は新井の呼びかけにも反応が鈍い。敵を目の前にして退くことに抵抗を感じている。

「え、でもこれじゃ敵前逃亡じゃないの!」

「早くしろ、このバカ!逃げるんじゃない、ただの撤退だ!」

 新井は必死の形相で林田を小脇に抱えて克樹の後を追う。

 四回目の除念も失敗に終わった。



「リンダ、大丈夫か?ドン臭いにも程があるぞ」

 林田を抱えたまま相当な距離を走った新井は苦しそうに肩で息をしている。決して体格に恵まれている訳でもない新井にあれほどの馬力があったことに克樹は内心舌を巻く。これが火事場の馬鹿力と言うやつだろうか。

「うん、大丈夫。ありがとう新井君。急に逃げるなんて、私混乱しちゃって……」

 林田は半分涙目になっている。

――まさか、あれほど強力な奴だったとは……しかも好戦的で狡猾な性格。ジョージの比じゃないぞ。あのジジイ、何が奉仕活動だ。

 二人の消耗した姿を目にした克樹は一つの決断を下した。このまま二人を危険な目に合わせ続ける訳にはいかない。自分が蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。

「お前ら二人共、帰れ。これは無理だ。危険すぎる」

「「は?」」

 突然の克樹の言葉に二人は呆気に取られる。

「帰れって、じゃあ君はどうするんだい?」

 新井が尋ねる。

「俺が一人でやるよ。元々は俺のルール違反が原因だ。二人を危険な目に合わせる理由はない。大丈夫だ、策はある。」

「ふざけるな。これはキミ一人の任務じゃない」

「そうだよ。ここまで来て最後は自分一人でやるって、私達のことナメてんの?」

 二人は怒りを顕にする。

「分かってるよ、でもそれはそれだ。じゃあ聞くがお前ら何か手立てはあるのか?」

「それは……」

 林田が言葉に詰まり、俯く。自分の実力の無さを思い知らされ、何もできない歯がゆさに表情が強張る。克樹も残酷なことを言っていると自覚しているが、ここで情に流されると後々取り返しのつかない後悔を抱えることになりかねない。

「俺もこんなことを言うのは正直辛いんだ……分かって欲しい」

 克樹は言葉を絞り出す。三人の間に沈黙が流れる。

「わからんよ!」

 突然、声を荒げた林田は克樹を睨みつける。

「私はここで退くのは絶対イヤ!アンタんとこが名門だろうが、そんなの関係ありゃーせん!私は名和田君の言いなりになんかならないから」

 林田は克樹の胸倉に掴みかかりそうな勢いだ。

「どうしても、というのなら!今!ここで!私を退かして見せなさい!絶対何があっても名和田君の前から動かないからね!」

 克樹は玩具のヘビを林田の顔に向かって放り投げた。

「いやああああああああああああ!」

 林田はこれまで見られなかった力強い走りで逃亡した。

「……絶対動かないんじゃなかったのか?」

 やはり新井はツッコまずにはいられない。


 一分後、息を弾ませながら林田が戻ってきた。目には涙を浮かべている。

「とにかく、私は名和田君が何と言ってもこの任務から降りるつもりはないから。それと、次あんなことやったらコロすから」

 林田はなおも両膝に手をつき、肩で呼吸をしている。縦ロールが小さい頭に被さり、顕になったうなじにはうっすらと汗をにじませている。一体どれだけ全力疾走したのだろうか?

「リンダの言う通りだ。僕も降りるつもりは全くない。そもそも君にそんな権限はない。決めるのは小郷支部長だ」

 新井も林田に同調する。

「それとリンダ、どれだけヘビが嫌いなんだよ?」

 放って置いて欲しい所にいちいち塩をすり込むように触れてくる新井を林田は睨みつける。そしてクスッと笑った。

「新井君も……したいの?二人して……私のことを苛めるの?」

 林田は媚びるような上目使いで新井に迫る。見たことのない林田の姿態に新井は後ずさる。そして林田は新井の胸倉を突然摑み、言い放った。

「死にたいならやりなさい」

 殺意漲る林田の眼には一点の曇りも無い。

「……そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

 珍しく新井が動揺を見せた。

「……わかったよ。俺一人でやるのは無しだ。最後まで三人でやろう」

 克樹は覚悟を決めた。自分同様に二人とも覚悟を以て任務に就いている。だったら仲間を信用することもまた、必要なことなのかもしれない。



「……で、キミの言う策って何なんだい?僕らにあんなことを言う位なんだから、さぞかしすごいものなのだろうね?」

 新井は克樹に尋ねた。作戦会議再び、である。撤退した三人は井上家近所の運動公園に移動していた。克樹は公園内のランニングコース沿いのベンチに腰を下ろした。その克樹の正面には林田と新井の二人が囲むように立っている。

「ああ、策は、ある。とっておきの奴がね」

 林田と新井の背後をトレーニング中の中年ランナーが走り過ぎるのを待ってから、克樹は話し始めた。

「ただし、俺がアイツに直接接触できる距離にまで近づく必要がある」

「まさか、また同じ失敗を繰り返すつもりか?」

 新井は不審そうな表情を浮かべる。芽石事件のことを言っているのだ。

「違うって、あれはもうやらないよ。詳細はまだ話せないが、ウチに代々伝わる必殺技があるのよ。これがハマればアイツなんか瞬殺よ」

「何か凄そうだね。名和田家秘伝の必殺技って聞くと期待しちゃう」

 暗い表情をしていた林田に光が戻る。新井はその表情を見て克樹に同意する。

「オーケー。まあ、なんとなく察しはつくけどね。ただ、悔しいが僕は他に何も手を持ち合わせて居ないし、思いつきもしない。その作戦で行こう。でも大丈夫なんだろうね。そんなすごい必殺技をホントにマスターしているのかい?」

「新井、お前の悪い所は人を信じることができないって所だ」

 克樹はマジ顔で新井を諭す。

「……ッ」

 新井は恥ずかしさに顔を赤らめる。

「じゃあ、井上の両親は私と新井君で何とかする」

「ああ。僕達の情けない有様を見てアイツも油断するはずだ。名和田君が近づくのは決して難しくは無いだろう。ただし、チャンスは一回だけと思った方がいい」

「大丈夫だ。一回でいいんだ。十秒くらい確実に接触できさえすれば、勝てる」


 もはや説明するまでもない。克樹の策とはセンセイを使うことである。ジョージを一瞬で抑えたセンセイの念力を持ってすれば、井上を乗っ取っている残念も祓うことができる。他力依存で恰好いいとはとても言えない策だが、このまま負けを認め、残念を調子にのせるよりは大分マシだ。

――ナンバーワンが無理ならナンバーツーそれもダメならソイツ等に媚びる、これが俺の人生哲学だ!……モンクあっか?

 鈴木の受け売りであるが、この言葉のおかけで、センセイの力を借りる決断を下すことができた。目的を果たすためには時として意地やプライドといったものが邪魔になる。克樹は今がその時と判断したのだ。


「とにかく厄介なのは残念と井上陽本人の意識が混在しているってところだ。あの様子だと、残念は井上本人と素早く入れ替わることができる。タイミングを捉えるのは相当難しいよ」

「それは問題ない。表に残念が出ていても井上陽本人であっても関係ない。直接接触できさえすればいいんだ」

 そこまで聞くと新井も林田も克樹の策を完全に察したようで、

「やはりそういうことね、どれだけ凄い策かと思えば……君自身の能力というわけじゃあないのな。友情・努力・勝利は何処にいった?」

「でもやっぱり流石だね。それだけ強力な念を抱えているのだから。ウチの念達にはそんなこと頼めないよ」

 嫉妬と羨望の混ざった反応が返ってくる。これがあるから一人でやりたかったのだ。

「まぁ、いい。それなら話は極めて単純だ。井上に会うなりそのまま名和田君の位牌を接触させてしまえば終わりじゃないか」

「でも残念に私達以外の気配を気付かれないかな」

 林田はSCなら誰でも気になる危惧をする。

「ステルス機能付きだから大丈夫。大抵の残念は気付かないよ」

「……まったく、何でもアリなんだな、君のトコロは。ずるいというか、羨ましいというか……」

新井は呆れる。

「でも相手が気付かないとも限らない。それに今日みたいに作戦を見抜かれる可能性だってある。相手が俺達を簡単に近づけさせてくれるとは考えない方がいい」

 尚も克樹は慎重を期する。

「ただ今日の井上を見た限り、一つ確実な方法がある。残念でも井上本人でもどちらが表に出ていても関係ない。おそらく最初の一回目なら比較的安全だと思う」

「リンダだろ?」

「……そうだ」

 克樹は新井の反対を予想はしたが、案として出してみることにした。現実的な選択肢として使えるのなら試さない手は無い。

「僕は反対だ」

 予想通りの新井の反応。そして林田の方は克樹の予想通りなら……

「いいよ、私、囮になります」

――お前は北見志穂かよ

 しかし、想定の範囲内とは言え、林田が躊躇を全く見せずに受け入れたことに驚きもした。この女、直接接触を申し出たことと言い、任務達成のためなら危険を顧みないガッツがある。意思が強い。同じ能力を持つものとして紗由と比べた場合、ここが大きな違いだろう。

「リンダ、やめておけ。無理するな」

「大丈夫だよ。危ないと思ったら直ぐに離れるし。新井君も見ていたでしょ。アイツら私の事ナメてるから、灸を据えてやる」

「ナメてるというよりは、ね……まぁ、いい。分かったよ」

「林田さんなら大丈夫だよ。新井、心配しすぎだ。危なくなったら俺が直ぐに助けるから」

 克樹が新井を諭す。

「それは僕がやるよ。名和田君は除念だけに集中してくれればいい。井上の両親を完全に遠ざけることができれば大分ラクになるんだけどな……」

「最悪、井上の家族はハリセンで気絶させよう」

 勿論、ただハリセンで叩くだけで気絶などさせることはできない。SC自身の念エネルギーで相手の念を直接叩くことでそれが可能になるのだ。能力の無い人間相手なら耐性が無いので、ほぼ確実に決まる。必ずしもハリセンで叩く必要はないのだが、叩かれる人間に対する物理的なダメージを最小限にとどめること、多少なりともリーチが伸びること、作成が容易で現場でも簡単に調達できるなどの利点があるため、ハリセンを用いるSCは多い。ただし、一般人を念的に叩くことは当然ながら禁止事項である。

「……名和田君、またルール違反かい?」

 新井が呆気にとられる。

「あくまで最悪の場合だよ。またビール瓶で襲ってくるようなら仕方がないだろ?ほんの少し時間を稼げればいいんだ」

 林田の掌底をマトモに受けてもビクともしなかった相手である。

「私もハリセンを使うよ。定番だし…………あとビンタ」

「「えっ……」」

 林田が恥ずかしそうにボソッと付け加えたワードに克樹と新井が反応する。

「……キミ、かわいい顔してやる時はやるのな」

 新井はメガネのブリッジを右手中指で持ち上げながら林田を見つめる。

「ビンタってあまりにストレートすぎないか?」

 克樹は思ったことをそのまま口にしてしまう。

「いっ、いいでしょ!別に!手っ取り早いし、ハリセンより強力なんだから!」

 二人の引いたリアクションに林田は声を荒げて抗弁する。しかし顔が赤くなっている。

「まぁ、たしかにね。しかし、ビンタとは……ププッ、林田綺乃、容赦せん!」

 新井がニヤけながら林田をからかう。

「なにそれ?絶対私の事バカにしてるでしょ?」

「別に。リンダは仕事に対して厳しい態度で臨んているってことだよ。流石だね」

 新井は惚ける。納得できる回答が得られずに林田はイラついた表情を克樹に向ける。

「ビンタはすごいわー容赦せん!……ププッ」

 克樹も同調する。ネタ元を明かして林田サイドに着くのも一手なのだが、怒りながらも照れている林田が可愛かったので、ワル乗りしてみたくなったのだ。

「くっ……二人して私の事をバカにして。やっぱり言わなきゃ良かった」

 林田はソッポを向く。だが、これで次の作戦は決まった。克樹の準備のため今日は帰宅し、明日、再び出直すことにして三人は分かれた。



「……ヒト、増えてない?」

 翌日、井上家に再訪した三人を待ち受けていたのは、井上一家の親類らしき人達だった。五、六人は居るだろうか。

「除霊の現場を生で見てみたいって」

 井上母、友里恵が弁解するように説明する。この行動、既に操られているのか?しかし、新井が襲われた時のような殺気立った雰囲気は感じられない。

「いや、だからってホントに呼んじゃダメでしょう」

――遊びじゃないんだからよ……

 またしても残念に先手を取られた。だが、裏を返せば敵も必死ということである。確実に追い詰めている。

「誰が操られていて、誰が自分の意識を保っているんだろう?」

 井上に取り憑いている残念が何人まで操る事ができるのか克樹達には分からない。この場に居る全員ということも有り得る。

「ふーん、この子たちが除霊師か。ホントに高校生なんだ」

 克樹達を興味深そうに眺めた中年男性。井上の叔父だろうか。父・秀和同様に体格が良い。

「甚平なんてオシャレね。あなたがリーダーなの?」

 新井に問いかけたのは、四十半ばほどの女性。井上の叔母だろうか。甚平を着用している新井を見て勘違いしたらしい。

「まぁ、そんなトコです」

「「ちがいますから」」

 克樹と林田は即座に否定する。

――井上は部屋にいるのか?

 肝心の井上陽が見当たらない。林田も同じことを考えていたようで、友里恵に確認した。

「井上君は部屋ですか?」

「ええ、そうよ、でも、今朝から体調がよくないみたい。昨日の疲れが残っているのかしら?」

 克樹達三人は顔を見合わせる。仮病としか思えない。

「あの子も昨日色々と言われたのが効いているのかな……」

 井上母の挑発としか思えない言葉に林田の眼の色が変わった。井上母は不敵な笑みを浮かべている。

――お前らいい加減しろよ……

「僕ら三人は会わせて貰ってもいいですよね?今度こそ今日で終わらせますから」

 井上母に噛みつこうとする林田を押しのけ、克樹は井上との面会を申し出る。

「繰り返しになりますけど、僕達三人以外は立ち入り禁止でお願いします」

 尚も食らいつこうとする林田を羽交い絞めにして、新井は確実な数的有利を作り出すことを試みる。

「それじゃ除霊の現場を見ることができないじゃない」

 井上叔母(らしき人)がクレームをつける。

「ごめんなさい。……そもそも見世物じゃ……」

「そんなことは分かっている。陽君が心配だからこの目で見ないと気が済まないんだ。こっちだって忙しい中、来たって言うのに」

 井上叔父(らしき人)も同調する。

――良く言うよ。井上をダシにして。自分達が見たいだけだろ

 克樹は喉まで出かかった言葉を呑み込む。そんなことをウッカリ口にしようものならこの場が炎上する。

「危険が伴うんです。それに部外者が居ては僕らもやり難いんです」

「部外者ではない。こっちは関係者だ」

 井上叔父(らしき人)は部外者と言う言葉に敏感に反応する。


「名和田君、無駄だよ。この人達は僕ら高校生のいう事なんか聞いてくれないよ。既に操られている可能性だってある」

 新井が克樹を引き寄せ耳打ちする。

「ああ、分かっている。でもこの状態じゃ除念に取り掛かったところで昨日の轍を踏むだけだ」

 新井は口を閉ざす。

「邪魔が多すぎる。仕方無いな」

 林田は両手の指を交差させ、手首を回し始める。新井は不穏な空気を感じ取る。

「リンダ、何をするつもりだ?」

「叩くしかないでしょう」

「は?……やめろバカ!完全にアウトだ。この人数じゃごまかしは効かない。生き恥をさらすのは名和田君だけで十分だ」

――この野郎、サラッと傷つくことを言いやがる

 新井の何気ない一言が克樹の胸に突き刺さる。

「大丈夫だよ。ほんの少しだけ眠ってもらうだけだから」

 ヤル気満々の林田を克樹も止めに入ろうとする。

――ん、ちょっと待て、このまま林田に乗っかるのも悪くないな

 ここで克樹の頭に一つのアイデアが浮かんだ。邪なアイデアが。

「新井、俺もやるそ、このままじゃ埒が開かない。嫌ならやらなくていい。俺と林田さんに任せて、隅っこで大人しくペコちゃんキャンデイでも舐めて見ているんだな、この石橋を叩くだけ叩いて結局渡らない野郎」

「……何だって?……」

 判断としては新井が正しい。しかし克樹は新井を煽った。勿論、新井も巻き込むためである。今後も芽石事件のことをネチネチと突かれる位なら、此処で新井をルール違反させておくのも一手だと考えたのだ。新井もルール違反を犯せば、芽石事件のことを触れにくくなるのは間違いない。林田の発案に克樹が乗る、となれば新井もやらざるを得ないだろう。何より二人より三人で動いた方が楽だということもある。克樹は内心、林田に感謝した。


 ビシイッ!と乾いた破裂音が部屋に響く。先陣を切って林田が行動を起こした。井上叔父に強烈な一撃を喰らわせたのだ。

――うわぁ、ホントにやっちゃったよ……

 林田は容赦なく素手で叩いた。ビンタである。強烈な張り手を不意に喰らった哀れな中年男性は白目を剥き、緩んだ口角から一筋の粘液を垂らして力無くその場に突っ伏す。天井に向けて突き出された尻が小刻みに痙攣している。ハッキリ言ってこの上なくカッコ悪い。

――間違ってもあんな恰好で死にたくねえな

 克樹は背筋に冷たいものを感じた。念的に叩かれたから気を失ったのか、単に物理的な衝撃によるものか分かったものではない。この男性も何等かのコミュニティに所属し、その中で信頼も積み上げ、周囲からの尊敬も獲得していただろう。しかし、この姿を仲間の前に晒そうものなら、それら築き上げて来たものが一瞬で瓦解しかねない。ハッキリしているのは林田の無慈悲な一撃が、この男性を羞恥の底に沈めたという事実だけだ。

「ええぇ、ヤダァ」

 井上母は床に沈んだ親類の姿に意識を完全に奪われる。汚いものでも見るかのような視線が痛々しい。途方もない残酷さでもある。

 その隙をついて、克樹はハリセンで井上母を叩いた。呆気なく膝から崩れ落ちる彼女を支える。

林田が軽く舌打ちしたのを克樹は聞き逃さなかった。

――この女、絶対自分でヤル気だったな

林田のヘビのような執念に克樹はドン引く。それと同時に背後で立て続けに二発のハリセンの音が響く。

「はぁ……これで僕も始末書か……」

克樹が振り返ると嘆息し、肩を落とした新井が居た。二人に遅れを取った格好になった新井も漸く意を決したようだ。新井の足元には彼をリーダーと勘違いした井上叔母ともう一人、男が倒れている。

「なんだ、新井もやればできるじゃないか」

 計算通りの新井の行動に克樹は笑顔を浮かべて新井の肩を叩く。

「……随分嬉しそうだね」

「別に」

 意図に気付かれる前に克樹は視線を逸らす。


 三人の手際良い動きで、瞬く間に残りは一人となった。最後の一人となった二十代半ば位の女性は口に手を当て、何が起きたのか分からないといった表情を浮かべている。井上の従姉だろうか。最後の仕上げとばかりに林田は淡々とした態度で近づく。井上従姉は頭を小刻みに振り始める。明らかに怖がっている。

「ごめんなさい、すぐに終わるから」

 林田の右腕が始動する。

「ストップ!」

 克樹の声に林田は振り始めた右腕をにわかに停止させ、驚いたような表情を浮かべて克樹を見た。井上従姉は力が抜けたようにその場にヘナヘナと崩れ落ちる。

「林田さん、これ以上罪を重ねちゃダメだよ」

「何よ?罪って。ヒトを悪人みたいに」

 克樹の言葉に林田は抗議する。

「この人にもビンタするつもりだったのかい?……ごめんなさい、別に危害を加えているわけじゃないんです……何の説得力も無いでしょうけど」

 新井が尻もちをついて涙を浮かべ、不安そうな眼差しを向ける井上従姉に謝罪する。

「もちろん手加減はするよ。新井君まで私を危険人物扱いして、何よ」

――でも、やるんだ……

 克樹は井上従姉の身を案じ、ハリセンで彼女の頭を軽く叩く。井上従姉はガクリと頭を垂れた。野次馬はこれでいなくなった。あとは井上陽との直接対決だけである。


 階段を上り、三人は井上の部屋の前に立つ。昨日はここで突然、井上にドアを開けられ驚かされたが、流石に今日は無いだろう。克樹が一気にドアを開ける。

「え、居ない……?」

 部屋の中には誰もいなかった。しかし、窓が開け放たれている。三人揃って窓に駆け寄る。

「まさか、ここから逃げたの?」

 林田は窓から身体を乗り出して辺りの様子を伺う。しかし、窓の下の路地には井上らしき人影は見当たらない。背後でパタン、とドアが閉まる音が聞こえた。

――あ、やっちゃった

 克樹は嵌められたことに気付く。

「やあ、懲りずにまた来たんだね。随分と派手に暴れてくれて」

 三人が振り向くと、部屋のドアの前に井上と父の秀和が立っていた。

「キミら三人、ホントに素直というか、マヌケと言うべきか……プププ。こうも容易く僕の策に嵌ってくれるとはね。面白くて仕方が無い。もう逃げられないよ」

 昨日同様、井上は鷹揚な態度を示している。自身の罠が成功し余裕シャクシャクである。三人は逃げ道をふさがれてしまった。

――確かにまた嵌められたけど……

「強がっても無駄よ。もう動けるのは二人でしょ。こっちは三人。私たちの方が有利であることには変わらない」

 林田も克樹と同じことを考えていたらしい。

「二人?何の事?」

 井上は嬉しそうな表情を崩さないまま、秀和に何かの指示をした。秀和がドアを開けると、体格のいい高校生三人が姿を現す。

「え……そんな……まだ……」

逃げ道を絶たれた上、さらに三人追加され、新井は気持ちが折れそうになる。

「策とは二重三重に張り巡らせるものだよ。僕が一階の連中程度で追い返せるとでも思っていたとでも?ハハッ、ホントにめでたいんだな、君たちは」

新井の表情を読み取った井上は得意気に笑う。

「大丈夫だ、新井。窮鼠猫を噛むという言葉がある」

「名和田君……それは追い詰めた側の人間が自らの油断を戒めるために使う言葉だ」

「!……」

 克樹は新井を励ますつもりが、逆に間違いを指摘され顔を赤らめる。

――笑っちゃダメ!

 林田は噴き出しそうになるが必死にこらえる。


「僕はこれでも優しいんだ。このまま五人がかりでキミらを相手にしてもいいんだけど、流石にそれじゃ可愛そうだからね。一対一にしてあげるよ。大サービスだろ?折角、君らを嵌めたアドバンテージを自分から削っているんだから」

――コイツ、調子に乗ってやがる。それなら未だ付け入るチャンスはあるはずだ。まだいける。

克樹は冷静にチャンスを伺う。

「いいよ、アナタの話に乗ってあげる。だれから来るの?私が相手よ」

 林田が名乗りをあげた。この女、やはり気が強い。

「君からか、コワいねぇ、流石に僕のことを冷たくフッただけのことはある」

「リンダ、だから無茶するなって」

 新井が静止に入る。この掛け合い、何度見たことだろう?

「大丈夫、叩いて直ぐに終わらせるから。体格はあまり関係ないよ。それに新井君、名和田君を温存しなきゃいけないこと、分かってる?」

「……じゃあ、ぼくがやるよ」

 新井が逆に申し出るが林田がそれを止める。

「いいよ。新井君、こういうの苦手でしょ。得意な所で力を貸して」

 新井の得意分野?初めて聞くワードに克樹は疑問を覚えたが、それを問いただす場面ではない。林田が前に出た。相手は秀和。いきなり手強いのが来た。


――ラスボス前の中ボスってところか。ちょっと数が多いな

 克樹は井上の表情を伺う。相変わらず楽しそうな笑顔を絶やさない。一方、操られている四人は全くの無表情。高校生の三人に至っては動きすらほとんどない。相手の能力の限界を探ろうとするが……

――コイツは一度に何人まで操ることができるんだ?この状況から四人は確実なんだろうけど……

「昨日の続きだね。はじめようか。秀和さん、相手は女の子だから手加減してあげてよ」

 縦にも横にもサイズのある秀和を前にすると、女性にしては上背のある林田も、随分小さく、細く見えてしまう。普通に考えて、この状況は非常に危険ですらある。

「フッ!」

 林田は素早い動きでお得意の掌底を打ち込んだ後、間髪おかず、鳩尾に正拳突きを左右コンビで喰らわせる。

――林田……やっぱりそれはやり過ぎだろ

 林田の容赦ない打撃に克樹は前回同様、秀和の方が心配になる。流石に左右の正拳突きが効いた様で、秀和の身体が初めてグラついた。

「「「おおっ!?」」」

 克樹、新井、そして井上の三人が同時に声を上げる。

 その隙を逃さず、林田は右手を振り上げる。

「とどめッ!」

 林田の右手が秀和の左頬に当たろうとした瞬間、ピタリとその動きが止まった。林田の細腕を秀和の肉厚の掌がガッチリと掴んでいる。

「……コラっ、離しなさい……くっ」

 林田は必死に手を振りほどこうとするが、林田の腕は万力で絞められたように全く動かない。見かねた新井が助太刀に入ろうとすると、秀和は素早く林田の首筋に手刀を入れた。

「かはっ」

 鋭い一撃を食らった林田は両膝から崩れ落ちた。

「リンダッ!」

 新井が林田の名を叫ぶ。

「大丈夫だよ、気を失っただけだから。まぁ、最初からこうなることは分かりきっていたけどね。この子もバカだな。最初の一撃で叩けばよかったのに、一体何を考えているのやら」

 井上はにこやかに話す。気を失った林田を抱きかかえ、秀和は井上の横にもどった。


「これで五対二だね。この子を操れば六対二だ。改めて近くで見ると、かわいいね。逃げ道もないし、どうする?その窓から飛び降りてみるかい?この子を置いて。ハハッ」

 井上は得意気に秀和に抱えられた林田の頬をなでる。

「……名和田君、どうする?」

 新井が緊張した面持ちで克樹に問いかける。自分では何も思いつかず、聞かずにはいられない、そんな状態だろう。

「うん?大丈夫。まだ策はある」

「へ?」

 予想外の回答に新井は拍子抜けした表情を浮かべる。

「策とは二重三重に張り巡らせるものだ」

「この状況で一体何を言っているんだい?ふざけているのか?」

 新井の苛立ちを余所に、克樹は位牌を取り出した。

――これじゃ紗由にエラそうなこと言えなくなるかもな

「いや、本気だよ。ガチでマジって奴だ」

 克樹の策とは、不良中学生三人を撃退した紗由同様、センセイを取り憑かせることである。一般人を叩いた上に、ユルい妹と同じ手段を用いる。仕事のためとはいえ、なんでここまでしなくてはならないのか、克樹は自らの境遇を呪いつつ、意識をセンセイに渡した。


「そう案ずるな、克樹。直ぐに終わらせてやる」

「え、誰?」

 新井は気配の違いを直ぐに感じ取った。

「君はそこに控えておれ。それと、お主、あまり無理しても仕方ないぞ。操るのもせいぜい二人が限度であろう。後ろの三人はボサッと突っ立っているだけだろうが。可愛そうに。早く解放してやれ」

「「え?何故それを?」」

 新井と井上の声が重なる。克樹は一瞥しただけで相手の能力を見抜いた。

「くだらん浅知恵はまわるようだが、念力自体は大したことは無いようだな。お主程度が何人かかってこようが、相手にならんわ。ほれ、遠慮はいらんぞ。面倒だからまとめてかかってこい」

 克樹はおなじみのブルース・リーばりの手招きをする。クセらしい。

――名和田君は一体どんな念を取り憑かせているんだ?

 新井は克樹の激変ぶりに驚く。分かるのは克樹が件の「名和田家秘伝の必殺技」を使っているということだけである。

「大分手強そうだね。でも、ただの高校生に取り憑いた位じゃこの体格差はカバーできないよ」

 井上は秀和から林田を引き取り、連戦を促す。

「面白い。紗由の時は大分加減してやったが、克樹なら大丈夫だろう。久しぶりに暴れてみるとしようか」


 克樹は一瞬で秀和との間合いを詰めると、林田同様に鳩尾に正拳突きを打ち込んだ。秀和は前のめりに姿勢を崩す。口から胃液らしき吐しゃ物がこぼれ出る。威力は林田とは比較にならないようだ。

「そのまま肺の中の空気も絞り出せ!一勺も残さずにな……これでやりやすくなった」

 克樹は前傾した秀和の頭を両手で摑み、秀和の顔を正面から見据えた。秀和の全身が一瞬、痙攣したように震えた後、動きが止まった。

「え……もう倒してしまったのか?」

 新井はあまりの呆気なさに驚愕した。相手は一番身体が大きく厄介なはずの秀和だが、十秒も要していない。

「あの体格差をものともしないなんて……名和田君……何か格闘技の心得でもあるのか?」

 新井も松尾やほのかと同じことを考える。しかし、克樹も紗由も格闘技の経験は無い。純粋にセンセイの戦闘能力によるものである。

「操られているだけだからな。傷つけてはマズい」

 克樹は秀和を静かに床に寝かせた。

「あれだけガッツリ殴っておいて、無傷なワケないだろ……」

 こんな時でも新井は冷静にツッコミを入れる。


「一人でもこの程度か。お主、やはり大した事ないな。三人まとめてでもいいぞ。まぁ、二人が限度のようだから二回に分けても構わんが」

「……なにが起きた……?」

 井上は目の前で起きた出来事をまだ受け入れられていない。

「……何て奴だ……どうする?この女を使うか?イヤ駄目だ。秀和以上に簡単に解かれて終わりだ」

 井上は抱きかかえている林田を一瞥する。

「何をブツブツ言っているのだ?もう降参か?それでも構わんぞ。何をしても無駄だ。お前はもう詰んでおる。逃げられんよ」

「詰んでいるか……どうかはコイツらを倒してから言うんだな!」

 高校生二人が一斉に克樹に襲い掛かる。

「やはり操るのは二人が限度のようだな」

 

「今の内に!」

 井上は二人に襲わせている内に部屋から逃げるためドアノブに手を掛けた。

「くそっ……鍵が」

 直ぐに開錠しようとした所、腕を掴まれる。

「えっ?」

 残りの高校生一人が井上の腕をガッチリと掴んでいる。

「お主がそいつを使わんから、ワシが代わりに使わせてもらった」

 井上が振り向くと、克樹を襲わせた高校生は二人共、床に倒れていた。

「もう少し頑張れんのか、お主?」


「……くっ、そこまでだ。それ以上動いたらこの女の顔に傷をつける」

 追い詰められた井上はどこから持ち出したのか、抱きかかえた林田の顔にカッターナイフを突きつけた。

「……なんてわかりやすいゲス野郎なんだ」

 あまりにも典型的すぎる井上の行動に新井は感動すら覚える。

「って感心している場合じゃないな、ヤバいぞ。おい、リンダを離せ!」

「うるせーばぁーか!離せと言われて素直に人質を離す奴がどこにいる!」

 この状況に三流アクション映画のような掛け合いしかできない自分に新井は歯がゆさを覚えた。もっと自分に力があれば……

「いいだろう、ワシはここから一歩も動かん!お主の好きにしたらいい」

 克樹は腕を組み、その場に立ち尽くす。

「……名和田君……」

 新井は消え入りそうな声を漏らす。

「……ふーん、意外と素直なんだな」

 予想外の克樹の反応に、井上は戸惑いつつも安堵の表情を見せる。

「代わりにその子に動いてもらうがね」

「えっ?なっ……コイツ……」

 突然動き出した林田がカッターナイフを持つ井上の腕を捻じり上げた。女子高生、しかもどちらかといえば線の細い林田が体格の良い男子ラグビー部の井上の腕を決めている。眼を疑う様な光景だ。

「まさか……名和田君がリンダを操っているのか?いや、念の方か」

「くっ、離せ!……何だこの力は?ほべッ」

 林田お得意の掌底が井上の顔面にクリーンヒットする。井上は堪らず、顔をもう片方の手で覆い、カッターナイフを床に落とした。林田は摑んだ井上の手を離し、新井の下に転がりこんだ。新井はホッとしたように林田を抱きかかえる。

「リンダ、大丈夫か……うわ、凄い汗、あれ?また気を失っている?」

 林田の身体は熱く、全身から噴き出したように発汗している。

「ちょっと念力を使わせてもらった反動だ。何の心配もない。君、シッカリ看ていてくれよ。少し冷やしてやるといい」

「念力を使ったって?リンダのをか??名和田君は何を言っているんだ?」

 自身の理解を超えた克樹の言動に新井の頭は混乱する。


「自分が特別だと思うなよ、お主程度の念など数えきれぬほど相手にしてきておるわ」

 残念は生身の人間を操ることが出来る。増大した怒りや憎しみといった負の感情が爆発的に彼らの念力を高め、それを使うことで生身の人間の意識を奪い取るのである。センセイは残念ではないが、八百年もの間、瞑想を続けることで念力を磨き続けた。膨大な時間の積み重ねで高められた念力は一介の残念程度のそれでは比較にすらならないのである。

「い……痛い」

 林田の掌底を受けて倒れた井上はまだ起き上がることが出来ずに床に這いつくばっている。

――もういいだろう

 センセイは位牌に戻った。


「イテテ……センセイやり過ぎだよ、反動が……キツイ。四倍界王拳かよ、これ」

 まだ加減しているとは言え、センセイの力の受け皿となった克樹の体は悲鳴を上げる。

――何の、まだそれだけ動ければ大したものだ。克樹、最後の仕上げが残っているぞ

 秀和、そして切り札のはずだった部活仲間も一瞬のうちに叩きのめされた挙句、人質の林田までアッサリ失った井上は茫然自失としている。

「……お前、一体何者だ?」

 腰を抜かした井上は主人公に追い詰められた時代劇の悪役のように後ずさる。もはや不敵な笑顔は微塵もみられない。

「もうお得意の策は尽きたのか?紗由のマネをさせるわ、その反動で身体中痛いわ、ルール違反をさせるわ、エリア外のこんな遠くまで二度も来させるわ、新井に芽石の事でネチられるわ、散々人の手を煩わせやがってこの野郎。俺は怒ったぞ、井上ぇ。覚悟はできているんだろうな?」

「ヒッ、な、何を仰っているのかよく分からないのですが……」

 井上は目に涙を浮かべ、困惑する。実際、克樹の言いがかりだが、本人は怒っているのでそんな思考が出来る筈も無い。

「名和田君、根に持つ性格だったのか……」

 新井は今まで克樹に吐き続けた毒言の数々を思い出し、にわかに不安を覚える。

「これは林田さんの分!」

 ばちこーん!

「ブ※らッ★」

 克樹の強烈な張り手を食らった井上は文字表記できない悲鳴をあげて床に突っ伏した。尚も克樹は井上を摑みあげ、折檻を続ける。敗北感に占拠された井上の心は完全に砕かれ、今にも泣きだしそうだ。

「これは新井の分」

 井上の頭を軽く、撫でるようにハリセンで叩いた。

「??」

 両者の違いに井上は何をされたのか分からないと言った表情を浮かべる。

「名和田君、やっぱり僕の事が嫌いだったんだな……」

 新井は自分の扱いの軽さに傷ついた。


と同時に懐に抱きかかえた林田がピクリと動いた。

「リンダ!大丈夫か?」

「うん……大丈夫」

 目を覚ました林田は静かに身を起す。

「新井君ありがとう。力を分けてくれて。私、名和田君に操られたのね。ビックリしたよ。自分の中からあれ程の力が湧き出てくるような感覚も初めてだったし、その後一気に襲ってきた疲労感も。力を殆ど使ってしまったから直ぐに気を失っちゃった。それより新井君の方は大丈夫?」

「ああ、問題ない」

 と言いつつも林田に自らの念力を分け与えた新井は疲労で軽い眩暈を覚えた。

「……もう勝負はついているみたいね」

 林田は井上と向かい合っている克樹に視線を向ける。

「ああ、呆気なかったよ。例の必殺技って奴を使ってからはね。井上の親父さん含めて、あの四人は全く相手にならなかった」

「名和田君に取り憑いた念はどんな人だったんだろう?私を操った時も凄い力だった。あんな力を使いこなせるなんて……すごい」

「……実際そうでもないみたいだけどね」

 新井は反動で苦しんだ克樹の姿を見ている。

「結局、Bランクの残念相手に最後まで戦えたのは名和田君だけか。私なんて直ぐに負けちゃったし。同い年なのに……ちょっと悔しいな」

 悔しいと口にしたものの、林田の表情は穏やかで、むしろ嬉しそうですらある。

――リンダのこの反応、ひょっとして……

 新井は表情が緩みかけたが、林田に気付かれないよう直ぐに引き締めた。


 井上の折檻に疲れた克樹は怒りが大分おさまってきた。

「これで終わりだ」

 克樹は井上陽に位牌を接触させる。井上はピクリと一瞬、痙攣したような仕草を見せた後、力無くその場に崩れ落ちた。

――克樹、もういいぞ

 センセイの声が聞こえる。アッサリ残念を押さえつけたらしい。

「流石、早いね」

 克樹は感心する。センセイの力で除念したのは初めてだったが、想像以上に簡単に終わってしまい、拍子抜けした気持ちにもなる。

――他愛ないの、此奴。まだお前に取り憑いた奴の方が骨があったわ

 芽石から克樹に取り憑いた残念に触れる。

「「……もう終わり?」」

 林田も新井も克樹の(正確にはセンセイの)早業に驚いたようだ。五回目にして漸く井上陽の除念が完了した。


 七月三十日午前十一時十五分 C県梅戸市 井上秀和氏依頼分 井上陽 除念完了/担当SC新井稔・名和田克樹・林田綺乃



 翌日、三人は再び本部を訪れていた。除念完了、すなわち課題終了の報告をするためである。エアコンの効いた小会議室のテーブル席に三人並んで、向い合せに座っている小郷に新井が一連の経緯を説明した。

「ご苦労様でした。大分苦戦したようだけど、除念出来たのはお見事としか言い様がありません。しかもこれほど早く。正直に言うと、三人にはまだ荷が重いかなと思っていました」

「「「えっ?」」」

 小郷の意外な発言に三人とも拍子抜けした声を上げる。

「会長から今回の件の指示を受けたのはいいけど、三人に任せられそうな、丁度いい案件が無かったのよね。移動の事を考えたら場所も限定されるし。でも、優しいよりはハードな方がいいでしょう?最悪、私も同行するつもりで井上陽の除念をお願いしました」

「支部長……」

 新井が恨めしそうな声を上げた。

「私もその方がよかったです。色々といい経験になりました」

 林田が明るい声で返事をする。

「林田さん、チームをまとめてくれてありがとう。メンバーがこの二人じゃ大変だったでしょう?」

「何てことをいうんですか!支部長」

 新井が小郷に抗議する。

「ハハ……まぁ、その……でも楽しかったです」

 林田は回答を濁した。

「小郷支部長、一つ聞いてもいいですか?」

 克樹は小郷に問いかける。任務達成のために犠牲にした例の件である。小郷は軽く頷いて先を促す。

「除念のためとは言え、僕ら一般の人を叩いてしまいましたけど、これはルール違反になるんですよね?やっぱり」

「いえ、ついこのあいだ、改正したから大丈夫よ」

「「「えっ?」」」

小郷の意外な発言に三人とも再び拍子抜けした声を上げる。

「今までも、その件については度々問題視されてきました。現場サイドからすると現実的ではないから。今回、みんなは身を以て理解したと思うけれど。それに、何と言っても三宝原理教会の件もあるし。そのルールを守っていては邪念案件に対処できないということで、条件付で叩くことが認められました」

――何時の間に……ってことは新井を違反組に巻き込む策は失敗したのか?

 克樹はホッとした反面、これからも新井に芽石の件をネタにされるかと思うと、気が重くなった。

「井上陽の件も、そのルールが一因で先任のSC達は苦戦していました。現場でルール違反と認識していながら、その判断を実行に移してしまうところは流石、ルール破りの名和田君ね。本来なら大問題なんだけどね。とりあえず今回は大丈夫です。でもルール違反はやっちゃダメよ、本当に。これは三人に言えることです!」

「……変な名前を付けないでください」

 克樹は溜息をつく。

「ププッ、ルール破りの名和田君だって!」

 新井は嬉しそうに噴き出した。一方、林田は表情を隠すように俯いて笑いを堪えている。

――最初に叩いたのは私だけど!

――新井の奴、ルール破りの名和田君って絶対に言うだろうな……

――新しいネタが出来たのはいいけど、名和田君は根に持つタイプだから気を付けた方がいいな……

 三者三様のリアクションを眺めながら、小郷は話を続ける。

「三人が除念した残念はBランクではあるけれど、ギリギリBで実際はCランクと言っても良い位でした。名和田君のやり方はこちらとしては想定外でしたが、名和田相三氏所縁の念の力を使っても、それだけ元気なのだから大したものです。名和田君だけでなく、林田さんもね。貴方達位のレベルなら今日は疲労で動けなくてもおかしくありません。それが確認できただけでも十分です。この先が楽しみね」

――実は僕の念力をリンダに分けたんですけどね

 新井は喉から出かかった言葉を呑み込む。

「会長にはこの後、私の方から報告しておきます。あ、それと研修手当が支給されるから、忘れずに申請しておいてね。分からなかったら上原さんに聞いておくように。それじゃ、三人から特に何も無ければこれで解散です。気を付けて帰ってください。ご苦労様でした」

「「「ありがとうございました!」」」

 小郷を残し、三人は小会議室を出た。



「小郷ちゃん、すまなかったね。忙しい所、巻き込んでしまって」

 三人が退出した後、小会議室の机の配置を直していた小郷に一人の老人が声を掛けてきた。アヒル柄のネクタイを締めている。

「会長……この後、報告に伺おうかと」

 小郷は畏まる。

「うん、大体聞いているよ。私にはお喋りな取り巻き連中が大勢居るからね」

「名和田相三氏所縁の念の力を使うのは私の想定外でした。まさかこれほど早く除念してしまうとは……」

 申し訳なさそうに話す小郷に対して会長は至って快活な様子を見せる。

「いや、君は十分やってくれたよ。むしろよくぞあの念の力を使わせてくれた。まだあれだけの余力がある。とりあえず安心したよ。新井君にもいい刺激になっただろう。勿論、綺乃にもね」

「差を見せつけられて、新井君が変に気負わなければいいのですが……」

 小郷は懸念を口にする。

「うん、まぁ、それは大丈夫だろう。ところで小郷ちゃん、昔の師匠と一緒に仕事する気ない?キツいのであれば臨時の支部長あてがうからさ」

 突然の会長の言葉に小郷は一瞬、身体を硬直させる。

「……邪念案件を手伝えと?」

「流石に察しがいいね。教会の事前調査はほぼ完了している。知っての通り、規則を改正して段取りも整いつつある。だが、どうしても人手が足りない。全国から掻き集めているが、それでも足りないのだ。人手が欲しい。何よりも君の能力が丁度適している所があってね。君なら耕三君との連携も問題ないだろう?久しぶりに彼と一緒に仕事してくれよ。頼むわ」

「……承知しました」

 小郷の回答に満足した会長は笑顔を返してから部屋を出て行った。組織に所属している以上、本人の思惑とは無関係に、新しい任務は突然降ってくるものだ。小郷にはそれを拒む理由も意思も無い。自ら希望して入った世界。そして今回はそのキッカケを作った人間との共同任務である。

――またあの人と仕事ができる!今度は見習い補助じゃ無い。パートナーとして横に立つんだ!

だが、内容は二十年ぶりの邪念案件。小郷にとっても初めての経験だ。簡単にはいかないだろう。困難が予想される。直ぐにでも準備にとりかかる必要がある。やはり本部に呼び出されるとロクなことは無いと思いつつ、小郷の心は沸き立っていた。



 平日の昼間であっても、駅構内は人の往来が途切れることは無い。夏休み中ということもあってか、キャスターバッグを引きずっている若者の姿が目立つ。新幹線の改札前に高校生の男女三人組が集まっている。林田の見送りのため、克樹と新井が駆け付けたのだ。

「このチームもこれで解散かぁ、何かあっという間だったね」

 林田は名残惜しそうである。

「もう少しコッチにいればいいじゃないか。まだ夏休み中だろう。親戚の家に泊っていたんでしょ?」

 新井も名残惜しそうである。

「うん、本当は皆と話したいことも色々あるのだけれど、向こうでもやることがあるから。昨日、支部長から連絡が来て……」

「そうか、どこも忙しいんだな」

 新井は仕方無い、といった表情を浮かべる。かなり残念そうである。克樹は今更ながらであるが、新井は確実に林田に対して気があると見ている。

「今回の事は沢山勉強になったけど、結局、持ってる人には敵わないな、って思っちゃった。あれほど強力な念が名和田家にいるなんてね。私達だけじゃ今回の任務は絶対にクリアできなかったよ」

 林田は最後、センセイの力を使って残念を祓ったことに触れる。やはりインパクトが大きかったようだ。

「実は迷ったんだ。裏ワザみたいなものだから」

「でも、そのおかげで無事完了できたし。やっぱり流石だね、名和田家は。私も色々学ばなないと。あの位牌、欲しいわー」

「普段、親父は勿論、俺も使ってないけどね。変に頼るクセがついてしまってもよくないし」

 実は毎日ユルイ妹のお守りをしているとは恥ずかしくて言えない。いつも野球盤ゲームで遊んでいるだけでは腕も鈍くなる。たまにはガチの試合をしてもらった方が本人にもいいだろう。克樹はそう考えることにした。

「フン、もうついてしまっているんじゃな……ぐほっ」

 林田の喉チョップが新井に炸裂する。

「……だからこれはヤメロって……」

 涙目の新井は苦しそうに噎せ返っている。

「学習しない人ね」

 林田は冷淡に新井を見下す。

「でも、皆が居なかったらあの作戦ですら上手く行かなかったと思う。俺一人じゃ井上陽本人に接触するのもかなりキツかっただろうな。二人のおかげだよ」

「その通りだよ。君ひとりの手柄じゃない。ついでに言えば、君が名和田家の人間で、その恩恵に預かったから勝つことができた様なモノだろう?厳密には僕達の実力じゃないよ。支部長は、ああは言ってくれたけど、おそらく周りもそう認識しているだろう」

 呼吸を取り戻した新井が冷静に指摘する。心なしか林田から距離を置いているように見えるのは気のせいだろうか。

「わかっているよ、そんなこと。もっとチカラをつけなくちゃな……」

 克樹の言葉に二人も同意する。

「それはそれとして、流石の新井も今日は甚平じゃないのな」

 克樹が新井を冷かした。今日の新井は制服を着用している。

「リンダの見送りだからね、当然だよ。名和田君はTPOって言葉を知っているのかい?」

「何処かで聞いたような台詞ね」

 林田が笑った。

「でも、私も今日は制服だし。別にその必要も無かったんだけどね。やっぱり今日のお別れを意識しちゃったかも。それに名和田君……制服好きみたいだから」

「は?」

「ううん、何でもない。じゃあまたね、みんな次はもっと成長して会おうね。色々と大変だったけど楽しかったよ」

 手を振りながら林田は新幹線の改札に消えて行った。結局最後まで制服ネタを引きずられてしまったが、克樹は悪い気はしなかった。


「じゃ、僕らもここで一旦お別れだね」

 新井はメガネのブリッジを右手中指で上げる。

「おう、またな」

 克樹は右手の握り拳を新井に突きだす。新井は苦笑しながら握り拳でそれを突き返した。

「あまり調子に乗らない方がいいよ」

「お前もな」

 二人共振り返ることなく、その場を立ち去った。



 後日談~結局、名和田克樹は周りに振り回されている~



 SC協会本部。休日のため人の居ない、静まり返ったオフィスのミーティングスペースで上原と若い娘がテーブルを向い合せに座っている。

「何とか、だけど会長ミッションをクリアしたようね」

「ありがとうございます。無理言ってすみませんでした」

 相手の娘は上原に深々と頭を下げる。

「ううん、この位全然大丈夫。会長も気にかけているから、あの三人のこと。二つ返事で了承してくれたし、すごく乗り気だったんだよ。まぁ、当初の想定以上の難しい案件になってしまったけれど」

「むしろ、そのくらいで丁度いいです。普段は周りに振り回されてサボリ気味だから。久しぶりに真剣に任務に取り組む姿を見た様な気がします」

 相手の娘は笑顔を浮かべて話す。

「うん、今回のことは三人にとってもスゴくいい刺激になったと思う。今まで本部として、こういった若手の育成みたいなことはして来なかったからね。基本的に支部任せだったし。ナイスアイデアよ。でも、健気と言うか、愛情深いと言うべきか、身内の技量向上の停滞を気にして特別任務を要望する人なんて滅多にいないよ」

「はい、上原さんが相談に乗って下さったので嬉しかったです」

「……いや、まぁそんな大したことはしていないんだけど……」

 上原は顔を赤くして俯く。同じ女性同士であっても、容姿の優れた人に面と向かって感謝されると照れるものらしい。

「ごめんなさい、ひょっとしたらまたご相談させて頂くかもしれません」

 彼女は申し訳なさそうにお願いする。

「え、あ……ああ、いいよ、何でも言って。あの二人の協会登録を受け付けたのは実は私だから。これも何かの縁だし」

「はい、頼りにしてます」

 容姿端麗な年下の娘から、慕うような、喜びに溢れた笑顔を向けられて上原は骨抜きにされる。

「あ、それと、私の事はナイショにしておいてくださいね」

「う、うん、大丈夫。話すつもりはないから。任せて」

 一度口を滑らせ、ヒヤリとしたことがあるとは言えない。普段の仕事に対する姿勢は不真面目だが、この姉弟にだけは頼られる存在であり続けたい。その位は恰好つけていたい。彼女の最低限のプライドと言えるかもしれない。上原はこの姉弟との付き合いが長くなることを念願した。

「今年の評価表があまり変わってないって心配していたけれど、この調子なら……来年が楽しみね」

「はい、引き続きよろしくお願いしますね。それでは私はこれで失礼します」

 彼女は上原にお辞儀をして協会事務所を後にした。


――もうダメだと言ったのに、さらに人のモノを盗んで……気付いていないとでも思っているの?少し大変な研修になってしまったようだけれど、これでおあいこだからね、克っちゃん。



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