第二編 サッカー部顧問の長谷部先生からの依頼。ルール違反だけど邪な誘惑に負けて受諾してしまった件~克樹の独り語り~
クッソ暑い一学期の終業の日、ホームルームが終わった後、俺はサッカー部顧問の長谷部先生を訪ねた。数日前に呼び出しを受けていたのだ。通知表の数字も計算通りで(これはセンセイのおかげなんだけど)、受験勉強が待ち受けるクラスメートを尻目に、夏休みが始まる開放感にも浸り、ルンルン気分で俺の足取りは軽かった。ただ、何故普段接点の無い長谷部先生なのか、そこは疑問に思っていたけれど。
「おう、すまんな、呼び出したりして」
ジャージ姿の日焼けした体格のいい、現場の棟梁も似合いそうなオッサンが野太い良く通る声で迎えてくれた。これで体育では無く物理の先生なのだから、外見で人を判断することはできない。体格だけなら柔道の百キロ超級レベルだよ。しかも、板書が懇切綺麗で内容も分かりやすいと生徒からの評判も悪くないのだから恐れ入る。ただ、中間期末テストは毎年同じ問題が出題されるらしく、その辺はテキトーみたいだ。俺が部屋に入っていくと、長谷部先生は席を立ち、ちょっといいか、と言って、隣の物理講義室へと案内した。
「キミは勉強は大丈夫なんだっけな」
と言いながら、教壇前最前列の席に座るよう促し、自らも僕と椅子を一つあけて腰を下ろした。俺が今の言葉の意味を図りかねていると、頭を掻きながら苦虫を噛み潰した様な表情で、単刀直入に要件を切り出してきた。
「ウチの部員がどうもヘンなのに取り憑かれているようでな、助けてやって欲しいんだ」
「へ?」
何でそれを、と俺が言う前に先生は言葉を重ねた。
「イヤ、俺もビックリしたんだよ、ウチの学校の生徒に霊能力がある子がいるなんて知った時にはな」
「……」
「まぁ、君が驚くのも無理はない。俺も色々なツテを当たった挙句、君に辿り着いたからな。その辺は後で話すよ」
そこから長谷部先生の説明が始まったのだが、脱線しまくりでクドクドと話が長いので簡単に説明すると、ある二年生部員がこの一か月ほど練習を休んでいるらしい。前兆も無く突然発病し、病院に行っても原因が分からないとのこと。表情は暗く、無気力、倦怠感を訴え、一日中、部屋に引きこもり何やら良く分からないことを呟いているのだという。サッカーの話題に触れると突然狂ったように暴れ出し、
「言うなあああ、俺にまとわりつくんじゃない」
などと叫ぶのだという。特定の事象に対する過敏な反応、確かに取り憑かれている可能性はある。一度、看た方がいいかもしれない。となると俺たちの出番ということになる。ただし、今回は一つ問題がある。依頼者が長谷部先生ということだ。SC協会の規則に『会員は霊能協会以外に、自らが所属するあらゆる団体・組織からの依頼を受けてはならない』というのがある。要は能力を私的に利用して、出世の足掛かりにすることや、名声を得たりするのは駄目だということ。俺たちの能力は使い方次第で幾らでも悪用できるし、下手をすれば社会の混乱を招きかねない。だから、その使い方については色々と制限があるのだ。当たり前と言えば当たり前だ。
なので、この場合、自分は断って別の人間を紹介することになる。色々と骨を折ったのに申し訳ないけど、正直夏休みで仕事なんかしたくないし、今日は暑いからもう帰りたいし。長谷部先生は早くも額に汗を浮かべている。理由を説明して断ろうと、口を開きかけた瞬間、誤算が起きた。
「頼みたいのは芽石って奴だ。有望な奴でな、来年は間違いなくウチのエースになる。コイツに抜けられると痛いんだ」
何と、芽石ですかあ?!俺でも知ってるウチの有名人ではないですか!まさか、休んでいたとは……。
ここで少し話が脱線するけれど、サッカー部について説明したい。俺の通っている隈鷹高校は公立の進学校ながらサッカー部だけは全国的にも強いのだ。歴史も古く、県下にあまり高校などが無かった時代は無双していたみたいだし、今でも推薦で優秀な生徒を引き込んでおり、強豪校としての立場は健在だ。名将として知られる顧問の長谷部先生はウチのサッカー部のOBでもある。公立高校の教員は普通、定期的に異動があるが、この人の場合は例外みたいで、ずっとウチのサッカー部を率いているらしい。県の教育委員会にもウチのOBが少なからずいるみたいだし、地元からの強い期待、要望もある。所謂、大人の事情と言うやつだろう。長谷部先生には他の私学からオファーが来たこともあったようだけど、母校に思い入れがあるということで、全て断ったらしい。
今年も例年通り強く、いや、近年でも稀な戦力が揃っている。三年生の不動のエース、栗菜は強力なキャプテンシーでチームを引っ張るストライカー、ゴールキーパーの濃井屋は反射神経に優れている上、守備範囲が広い、サイドバックの丸瀬は運動量が豊富で攻撃力も高い。中盤にもゲームメーカーの黒須、出戻といった上手い選手がいるし、六場辺という中学日本一になった奴も今年入ったと聞いた。そして、件の芽石は小柄だが、ドリブルとパスが上手いフォワードで、昨年、長谷部先生の元で才能が一気に開花し、冬の選手権県予選で得点王にもなった。才能は隈鷹高校史上最高とも言われていて、Jリーグのチームも食指を伸ばして来ている。芽石が順調に成長していけば、今年の冬の選手権にでも全国制覇が狙えるという専らの評判なのだ。まさか、その芽石がそんなことになっていたとは。
「このことはウチの連中にも軽く箝口令を出しているから、喋るな、ってことだが、あまり知られていない。周りが五月蠅いんでな。流石に一か月となると、そうも言っていられなくなってね。何より本人の事が心配でもある。キミも霊能の事は内緒にしているみたいだな。だからこのタイミングで呼び出させてもらった訳だが」
流石名将と言われるだけのことはある。こちらの都合まで考えてくれていたとは。そこまで配慮してもらったら断る訳にはいかないでしょう。まして、相手は芽石。ひょっとしたら将来、日本代表にも選ばれるかもしれない逸材だ。ここで芽石と個人的な関係を作っておくのも悪くない、邪な考えが頭をよぎった、ええ、規則違反なのはわかっていますとも。ただね、ここは日本サッカーの未来のため、同じ高校生として一肌脱ぐしかないでしょう!
「ありがとう、引き受けてくれるか。頼んだよ。勿論このことは誰にも内緒にしておくよ」
人差し指を口に当て、ウインクしてみせた先生には不気味なカワイさがあった。先生のゴツイ日焼けした太い腕で僕は力強く肩を揺すられた。この力でガチにやられたら俺の体など簡単に粉砕されてしまうかもしれない。肉厚の掌から熱い体温が伝わって来た。何で物理の先生なんかやっているんだ、この人?
というわけで、即決で引き受けることにしたのだ。別にお金目的でも名声のためでもないし、先生も内緒にしてくれるからいいよね……。
先生の運転するステップワゴンで芽石の家まで向かった。車載の室外温度計は三十九度を示していた。強烈な日差しを一杯に受ける真っ黒なアスファルトの路面越しの景色は心なしが揺らいで見える。
二十分程で芽石の家に辿り着いた。似た様な家が密集して立ち並んでいる中の一軒が彼の家だった。こういうのって分譲住宅っていうんだっけ。小さい庭にはそれに見合うサイズの小さなゴールネットがあり、同心円が幾つも描かれた的が下がっていた。ここでキックの練習をしているのだろうか?いや、これは親父さんのゴルフ練習ネットだな、きっと。
先生が呼び鈴を押すと、母親が姿を現し、中へと通してくれた。俺の事は一瞥しただけで尋ねるようなこともしなかった。一緒に見舞いに来たサッカー部の部員とでも思ったのだろう。
「どうですか、具合は?」
汗をかいたグラスの麦茶を啜りながら長谷部先生が尋ねた。
「相変わらずです。良くもなっていないですし、悪くもなっていない。この暑いのにクーラーもつけずに部屋に籠りっきり。食欲もああまり無いみたいで、部屋に食事を運んでも殆ど手を付けないんです。見た目にもハッキリ痩せこけているのが分かって、もう身体が心配で・・。好きだったサッカーの話をすると突然叫び出すし。ほんの一か月前までは何にもなかったのに。もうどうしたらいいのか」
芽石のお母さんは今にも泣きだしそうだ。大分やつれて見える。これでは先に本人がまいってしまうだろう。俺と長谷部先生は顔を見合わせた。状況は変わっていないみたいだ。早速本人に会ってみることにした。
芽石は部屋の奥のベッドに腰を下ろしていた。Tシャツにハーフパンツという完全部屋着の格好だ。髪はボサボサで、無精髭で口周りがうっすら黒くなっている。俺と長谷部先生の姿を見ると警戒したような表情を浮かべ、こちらを睨みつけてきた。顔は血色が無く、眼の下には深い隈が刻まれている。頬はこけて、唇が荒れているのがこの位置からでも分かる。近くで芽石を見るのはこれが初めてだった。関東大会や全国大会出場を決めた部に対して行われる壮行会で遠くから見たことがあるだけだったが、身長はあまり無いけど、結構ガッチリした体格だったし、少なくともここまで痩せてはいなかった。控え目で大人しそうな感じだった。
――こりゃクロだな。
一目見て俺は確信した。
「よう、芽石。何だその顔は、頬がこけてるじゃないか。ちゃんとメシ食ってんのか?ってくだらん親父ギャグは受けないよな?食べなきゃ元気でないぞ?夏なのに部屋に引きこもってないで、顔だけでも見せてくれよ。皆お前の事、待っているんだからな。また、皆で一緒にサッカーしようぜ。なぁ?」
長谷部先生が努めて明るい口調で芽石に話しかける。でも先生、サッカーの話はNGじゃなかったっけ?
「その話はヤメロって言ってんだろーがあぁあ!!」
先生の言葉が引き金になり、芽石が爆発した。芽石のお母さんの話を聞いていなかったのかよ。迂闊すぎるよ、先生。頭を掻きむしり、壁を殴り、床に頭を打付ける。
「玲央、やめて、折角先生が来てくださったのよ」
芽石のお母さんが床に頭を打ち続ける息子を抱きかかえて静止させようとする。長谷部先生も抑えに入る。
「てめっ、このヤロっ……、何しやがる、離せオラァッ」
大人二人(長谷部先生で殆ど二人分だけど)に抑え込まれると、小柄な体格の芽石はどうにもならず、苦しそうに呻くほかなくなる。
「芽石、落着け、どうしたんだ、なんでサッカーがそんなに嫌いになったんだ」
「ルセッ、ぐおっ、○×△※★……」
長谷部先生に完全に決められ、芽石も流石に苦しそうだ。何を言っているのか良く分からない。っていうか、このまま落ちちゃうんじゃないか?次第に芽石の動きも弱くなってきた。
「先生、ちょっと、玲央が……」
「ん、あっ?マズい、おい、大丈夫か、芽石しっかりしろっ。苦しかったら苦しいって言わなきゃ駄目だろうが」
この人は何をしに来たんだろう?NGの筈のサッカーの話をいきなり振るし、見舞う生徒を失神一歩手前の状態に追い込むし……
長谷部先生から解放された芽石は苦しそうに身体を起し、苛立たしく舌打ちをした。ヨロヨロと力無く、僕らがこの部屋に入って来た時同様に再びベッドに腰を下ろした。これから敵になるとは言え、ちょっと心配になってきた。
「何だソイツは?」
まだ苦しそうに肩で息をしているが、俺の存在に気付いたようだ。俺が何者なのか、何をしに此処に来たのかを。俺達が残念が取り憑いているかどうか分かるのと同様に、彼らも普通の人間と能力者を見分けることが出来る。センセイに言わせると、「取り憑いた人間では無く、念そのものを直視されているような感覚を覚える」のだ。視線を僕に向ける。だけど、その眼は僕を見ていない。焦点が合っていない。残念が取り憑いた人間の目を通してでは無く、直接僕を見ている証拠だ。残念は自分の身(?)に危険を感じると、取り憑いた人間の感覚器から、より鋭敏な自身の認知機能の使用に切り替える。ただし、消耗が早くなる。本気モードになるってことだ。俺の頭の中でゴングが鳴る。試合開始だ。
「どこの馬の骨か知らねえが、妙な青ッチョロろいガキなんか連れてきやがって。・・おいお前、視えて、いるのか?」
「……」
俺はその問いに答えずに沈黙を続けた。焦らしてやる。もう戦いは始まっているのだ。
「見えているのかと聞いているのだーッ」
痺れを切らした芽石が声を荒げる。取り憑いた残念はかなり気が短い奴みたいだ。まだ事情を呑み込めていない芽石のお母さんは、怪訝な表情で俺を見ている。普通は俺の事を見舞いに来た同じサッカー部員と思うよね。
「さあな、何のことだ、分からないな」
さらに呆けてみる。
「テメェ!……ふん、まぁいい。ケツの青い除念師気取りの小僧の挑発に乗っても仕方が無い。センセイよ、どこでそいつ等のことを知ったのか分からんが、人選ミスだな。そいつは未だ半人前の力しかない。前途ある若者の除念を成功させて有名になってやろうという野心がミエミエだな。自らの力量も弁えずに、小僧がでしゃばるとどうなるか、身をもって教えてやるよ」
「ちょっと玲央、何を言っているの?先生あの子は何なんです?」
芽石のお母さんが困惑に耐えきれず、先生に問いかける。
「信じられないかもしれませんが、芽石君は霊に取り憑かれてしまったようです。彼は除霊するために私が連れて来た除霊師なのです」
「えっ、除霊師?霊が取り憑くって、そんなこと本当にあるの?映画の中の話じゃないの?」
やっぱり余計に混乱するよね、普通。
「ヤダー。どーりで病院にいっても何も分からないわけよねー。すごーい、悪霊ってホントに居るんだ。なんかワクワクしてきちゃった。ちょっと何処の誰だか知らないけど、アンタ、人様の息子に何勝手に取りついてんのよ!?許されると思ってんの?早く出ていきなさいよ。訴えるわよ」
――アッサリ受け入れてしまった。逆に残念に対して恫喝までしている。今までの気が滅入ったような態度は何だったんだろう。
「……うるさいババアだ……」
「コラ、親に対して何がババアよ、口のきき方気をつけ・・・キャッ!」
芽石が近づいたお母さんに平手打ちを喰らわせた。見事に顎に入り、彼女は崩れるように床に突っ伏した。
「邪魔だ、つまみ出せ。その方がお前もやりやすいだろう……」
俺は長谷部先生にお願いし、先生は彼女を抱きかかえ部屋から出て行った。
「敵に塩を送ったつもりか。余裕だな」
残念との闘いは全て念力の削り合いになる。観念の世界だ。当事者同士は互いの念力で激しい威圧を受けるが、能力者でない人間には全く伝わらない。周りの物品が揺れたり、壊れたりすれば少しは伝わるのだろうが、それも無い。
「半人前かどうか、これを受けてから言うんだな」
「てめーみたいなションベン臭いガキになにがわかるってんだよ、と言う」
「てめーみたいなションベン臭いガキに何が分かるんだ・・ハッっ!」
「スキありぃぃーー!!オラァ!」
俺は必殺のハリセンアッパーを食らわせてやった。ハリセンは顎にクリーンヒットし、軽快な破裂音が室内に響いた。
「ホゲェェ――ッ!」
芽石、もとい残念ジョージは過剰なリアクションで後ろに大きく仰け反り、ブリッジのような体勢になり、そのまま硬直した。一丁上がり。割と簡単だったな。もう少し焦らしてもよかったかな。これじゃ先生もあまり有難味を感じてくれないかもしれない。まあ、素直に自分のレベルアップした証拠と思うことにしよう。さて、後ろで見ている先生にどういう台詞でキメてやろうか、高校生らしく素直にドヤ顔しちゃおうかな、何てことないって感じでクールにいくのも捨て難いし・・。
俺は下らないことを考えながら、ブリッジしたまま硬直が解けずにいる芽石を見た。ピクリとも動かない。いつも思うが、もし自分の身に起きたらこの体勢での硬直は正直恥ずかしい。男ならまだしも、女、しかもスカートだったら・・などと高校生らしい想像を膨らませてみる。ふと気づいたけど、俺の仕事は 男相手ばかりだな。たまたまか?
おかしいな、残念から解放されたんだから、そろそろ正気を取り戻してもいいんだけど。ハリセンアッパーが強すぎたのかな?俺は様子を見るため、芽石に近づこうとした。
突然、芽石が全身を小刻みに震わせ始めた。泣き声とも呻き声ともつかない奇声を発している。芽石のお母さんが恐怖で悲鳴を上げ、力なくその場にペタリと座り込んだ。
「ざーーんねーんでしたぁー」
ブリッジ硬直を解いた芽石はベッドに背中をつけると直ぐに跳ね起きた。俺は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。これは現実か?夢じゃないのか?身動きが取れずにいる僕を先ほど何一つ変わらない土気色の顔で芽石がニヤニヤと楽しそうに眺めている。奴を視線が重なったことで、漸く一時停止した僕の脳ミソが再び回転を始める。芽石は俺がやろうとしたドヤ顔をしている。この野郎。
「お前がやろうとしていることなんて百も承知だよ、このマヌケがぁー。俺が話すことを先読みして油断を誘うなんて、とっくの昔に対策済みだよ。ガキをからかってお前のペースに乗っかってやっただけだボケ。これがホントの残念ってやつだなぁ。俺がいうと親父ギャグにしかならないなぁ?」
芽石、というより残念のジョージは俺を嘲笑した。思いきり自信を打ち砕かれた俺はつい、右手に持っていたハリセンを落としてしまった。それを見たジョージはさらに声を大にして笑う。こんなことは初めてだ。・・コイツ、手強い。
「小僧、何をやっても無駄だ。最初に言っただろう。お前の力では俺をコイツから祓うことはできん」
悔しいが、認めるしかない。でも敵前逃亡はできない。軍隊なら銃殺刑じゃないか。それに芽石のお母さんは残念が取り憑いていることを知ってしまっている。このまま放って一旦出直すというわけにもいかない。何よりジョージが何をし出すか分からない。ここは俺が何とかするしかない。逃げちゃダメだ。……未だ策はある。大分リスクを伴うが、少なくとも芽石からジョージを確実に切り離すことはできる。
「まだ何か考えているな。諦めの悪い奴だ」
おうよ、俺は名和田克樹、諦めの悪い男、なんて某バスケットボール漫画のキャラクターの台詞を使ってみても仕方が無い。芽石に憑りついた残念を俺にとり憑かせる、いまの俺にはその手しかない。念が生身の人間に憑りつく場合はその人間の念的なエネルギーを消費する。だから取り憑かれた人間は芽石のように顔色が悪くなる。通常の人間に比べて、俺達能力者の方が持っているエネルギー量は大きい。既に芽石のエネルギーは底を尽きかけているはずだ。放っておいてもいずれ残念は出ていくだろう。ならば、まだ十分なエネルギーが残っている俺の方が奴はとり憑きやすいはずだ。俺自身のエネルギーを餌にする、言ってみれば捨て身のやり方だ。残念が憑けば俺の念的なエネルギーの消費は大きくなるし、体力的な消耗も激しい。余り疲労が激しくなると、下手をすれば意識を乗っ取られる可能性もある。それでもこのまま撤退するよりはマシだ。大丈夫、家に戻って直ぐ残念を空いた位牌に封じ込めてやればいい。俺はガードを解いた。
「本気か?小僧。いい度胸だ。乗ってやる」
残念は芽石から離れ、俺に乗り移ってきた。
三姉弟の災難な一日~夏休み初日の名和田家~
朝からエアコンがフル稼働しているお茶の間では紗由が卓袱台に頬杖をつき、Eテレを退屈そうに眺めている。CGアニメの動物達が液晶画面の中で躍動している。Tシャツにホットパンツというラフな格好。耕三は三宝原理教の仕事でここ数日の間、家を空けている。
紗由は午前中、克樹に宿題をみてもらうことになっていた。八月末まで溜め込んだ去年は痛い目にあっている。麻由にキツく言われ、今年は先に終わらせることにしたのだ。紗由は壁の時計を一瞥する。
「お兄ちゃん遅いな……。まだ寝てるのか、もう十時だよ。私が起こしに行ってもいいんだけど、宿題はやりたくないし……」
まだ克樹が起きてこないので、暇を持て余していた。このまま克樹が朝寝を続けている限り、少なくとも今日はやらなくて済む。その責任を克樹に押しつけられる。言い訳を考えながら漫然とテレビの前に座っている。
「何か、お腹減っちゃったな、頭を使う前に栄養補給をしておかないとね……確か冷蔵庫にアイスが……おっ、これこれ、じゃじゃーん、ジャンチョコモナカー」
日本人なら知らぬ者は居ないであろう例の猫型ロボットの口真似をして、冷凍庫から取り出したアイスに噛り付く。紗由は甘いものに目が無く、最近はこのアイスにハマっている。モナカとバニラアイスの中に入った薄い板チョコのパリパリした食感とバニラとチョコの組み合わせが絶妙なのだ。
「うーん、おいしー。これ考えた人って天才だよね。お兄ちゃん、パティシエの念でも連れてきてくれないかな。食べきれない位のチョコモナカを作ってもらうんだーいや、もっと美味しいアイスを教えてもらおう。ウチはみんな甘いもの好きだから喜ぶぞー、お兄ちゃんもお父さんも、それから……麻由も」
最初に克樹の異変に気付いたのはセンセイだった。直ぐに茶の間の紗由に呼びかける。
「紗由、聞こえるか?ワシだ」
能力の無い麻由ではセンセイと直接話すことができない。今、この状況で話すことができるのは紗由だけだ。
「何?センセイどうしたの?」
紗由は仏壇の前に立ち、センセイが取り憑いている位牌を手に取る。
「克樹がおかしい、様子が変だ。昨日連れて来た者に乗っ取られているかもしれん」
「え、うそ、お兄ちゃんが?」
「このままでは危険だ。麻由と一緒に一旦家から離れろ」
「え、麻由は今、出かけてるよ。でも、それじゃお兄ちゃんはどうなるの……」
「耕三に連絡をとって、協会の人間をよこしてもらえ。それが一番確実だ。耕三も今は直ぐには動けない」
センセイは冷静な判断を下す。
「……だめだよ。そんなの。待ってられない。協会はいつも動きが遅いってお父さんが言ってたよ。その間に残念がお兄ちゃんに何かしたらどうするの?」
「大丈夫だ、残念が取り憑いた人間に自ら危害を加えることは無い。」
「他の人に何かしたらどうするの。……やっぱり私がお兄ちゃんを助けるしかないよ!センセイも手伝って!」
紗由は位牌を片手に二階の克樹の部屋へ向かう。
「あ、バカ。どうしてそうなる?お前じゃ無理だ。危険すぎる。無理するな。コラ、言うことを聞け。止まらんか」
階段を上がった廊下の一番手前が紗由の部屋、二つ目が克樹だ。
「大丈夫だよ、私だってSCの卵なんだから。任せて」
「任せても何も、お前は何の訓練も積んでいないだろうが……」
「シッ、静かに」
紗由は克樹の部屋の引き戸を僅かに開け、中の様子を伺った。ムッとした熱気が漏れてきた。この気温の中、エアコンを動かしていない。しかし、机の上はキレイに片づけられ、書棚には整然と本が並び、床の畳も見えている。乱れた様子は無い。いつもの克樹の部屋である。
「おにい……ちゃん?」
紗由はベッドに横たわっている克樹に声を掛ける。壁側を向いているため、表情は分からない。熱気の籠った部屋に入ると直ぐに身体中から細かい汗がにじみ出てくる。不安による緊張の影響もある。センセイの警告の事など気にも留めず、紗由は位牌を机の上に置き、ベッドに近づくと、紗由は克樹の身体を揺すった。既に頭の中から残念の事など雲散霧消してしまっている。
「お兄ちゃん、暑くないの?ねぇってばぁ」
反応の無さに不安と苛立ちを覚えながら、揺すり続けると、克樹は紗由の腕を払い、身体を起した。
「あ、やっと起きた。お兄ちゃん、おはよう。……え、ヤダ、どうしたのその顔?」
無言のまま、紗由に向けられた克樹の土気色の顔からは生気が一切感じられなかった。うつろな目の下には濃い隈がかかっている。だらしなく、半開きの唇だけが異様に赤い。紗由は残念のことを漸く思い出す。
「いや、少し、頭が痛くて……。あぁ、そういえば宿題を見るんだったね」
「とぼけないで。あんた誰?早くお兄ちゃんから出て行ってよ」
紗由は克樹を睨みつける。途端に克樹は真顔になり、紗由を視点の定まらない空虚な目で見据えた。紗由は思わず後ずさる。残念と直接対峙するのはこれが初めてのことだ。
「……わかっているのか。流石だな、名和田家の人間は。そんな怖い目でにらむなよ。別に何をしようとも思っちゃいないよ。俺は被害者だぜ。このニーちゃんに無理やり取り憑かされたんだ。俺が好きで取り憑いている訳じゃない」
「バカ言わないでよ。お兄ちゃんがそんなことするはずがない」
「だが、事実として俺が取り憑いているのはどういう事だ?お前なら少しは分かるだろう?俺の力を借りたいってことだよ」
「それは……」
紗由は残念を取り憑かせる祓い方をまだ知らない。
――紗由、騙されるなよ。そいつは根っからの悪党だ。
「かなり強そうな爺さんだな。コワいコワい」
克樹は机の上の位牌に視線を向ける。
「そうよ、お兄ちゃんがあんたなんかの力を借りたがるわけないでしょ。いい加減にして」
「随分とコイツのことが好きみたいだな。ブラコンかお前?トシは幾つだ?もう生理は始まったのか?生理って知ってるか?まだでしょうな~こんなお子ちゃまじゃあなぁ。ぺったんこだもんなぁ。いつまでたってもお兄ちゃんお兄ちゃん。でもその大好きなお兄ちゃんはオレだ。オレに乗っ取られてんだよ、かわいそうに。一生このままかもなぁ。でも大丈夫だ。俺がたっぷりと可愛がってやるよ。ほらどうした、こっちこいよ、紗由ちゃんの大好きなお兄ちゃんですよぉ、お祓いに失敗して逆に乗っ憑られてしまった哀れなお兄ちゃんですよぉ」
克樹は下卑た笑いを浮かべ、両腕を広げる。
「グッ……」
紗由はその場に立ち尽くした。目頭が熱くなり、自然と涙がこぼれてくる。たった今受けた侮辱への羞恥、兄の変わり果てた姿に対する驚きと恐怖と喪失感、それを目の当たりにして何もできない悔しさと怒り、様々な感情の同時爆発に見舞われ、自分自身どうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
――紗由、泣くな、大丈夫だ心配ない。直ぐに協会から助けが来る。挑発を間に受けては駄目だ。それが彼奴のやり方なのだ。後でワシがキッチリ仕置きしてやるから。貴様、覚悟しておけよ。
センセイが紗由に声を掛ける。紗由は涙を手で拭いながら堪えるように頷く。克樹は舌打ちする。
「おー怖いですなぁ、流石は名門の名和田さんご一家。頼もしい用心棒を雇ったものですなぁ……あッ、……テメェ何しやがる」
克樹は突然胸を抱えて苦しみ始めた。
「やめろ、コラ、出てくんじゃねぇ、大人しく寝てろ、なに怒ってやがるんだ、オラァ、グオゥ○×△※◆……」
尚もベッドの上でもがいている。克樹の意識が中で残念と戦っているのだろうか?しばらく身体を捩らせ、うめき声を洩らし続けた後、動きを止め、静かになった。
「……お兄ちゃん、大丈夫?アイツをやっつけてくれたの?」
紗由はゆっくりとベッドの上でうつ伏せに横たわる克樹に近づいた。肩に手を当て身体を揺すってみる。
その瞬間、克樹は飛び起き紗由に襲い掛かった。驚いた紗由は脚がもつれ、その場に倒れそうになる。
「キャッ!」
克樹の強烈な平手打ちが紗由の顎にクリーンヒットした。紗由は力なくそのまま床に崩れ落ちた。
「百発百中だな。我ながら見事な平手打ちだ。俺の猿芝居に完全に引っかかりやがった。アホなガキで助かったぜ」
克樹は叩いた手をブラブラさせながら机の上に置かれた位牌に視線を向けた。
「それにしてもこのガキ、この健気な妹と言い、姉と言い、随分カワイイ姉妹がいるじゃあねぇか。おまけにSCの名門の生まれと来てやがる。気に入らねぇ。折角ご招待してくれたんだ。芽石の代わりにコイツの家族をブッ壊してやる」
克樹を完全に支配した残念は薄ら笑いを浮かべながら紗由に猿轡を噛ませた。服を脱がそうとTシャツに手をかける。
「ただいま」
麻由が帰宅した。
「紗由……またテレビを点け放しにして。まったく。何処に行った?」
「チッ。このタイミングで戻ってきやがるとは。……まぁ、いい。まとめて処分してやる」
克樹は気を失って倒れている紗由の位置と半開きになっている部屋の戸を交互に見た。気配を殺しつつ、自らは戸の直ぐ裏に身を寄せた。戸を少し開き、大人一人分に間口を広げた。
「……克っちゃんの部屋?」
戸の動く音を聞いた麻由が階段を上がってくる。克樹はこみ上げる笑いを噛み潰し、タイミングを待つ。麻由は克樹の部屋の前に来ると、奥で倒れている紗由に気付いた。直ぐに駆け寄る。
「えっ?紗由、何が?……アッ!」
突然、麻由の視界に星が飛んだ。克樹が背後から後頭部を強かに殴ったのだ。
「またまたやってしまいましたーん♪」
克樹は軽快な声を上げ、一回転にジャンプする。殴ったアラーム時計を手放すとプラスチックの筐体は床に落ち、大きな破片が飛び散った。
「…克っちゃん?…いや違う、誰?」
麻由は殴られた頭を抱え、霞む視界の向こうに弟の姿を認める。いつもの克樹では無い。醜悪な表情を浮かべた狂人がそこに居た。
「取り……憑かれている?」
「察しのいい女だ。ご名答♪ご褒美にいいものを上げよう」
書棚からマンガ本を取り出し、その角でこめかみを殴った。麻由は力なくその場に倒れた。克樹は倒れている二人を交互に眺めた後、紗由に狙いを定め、抱き起した。
「アホなガキだが、つくづくカワイイ顔をしてやがる。大好きなお兄ちゃんにイタズラされた挙句、殺されてしまったとなったら、どうなるんだろうな?残念にでもなっちまうのかな?世間を賑わすいいニュースになるぜ。協会にもダメージを与えられて一石二鳥よ。ん、この女、まだ……」
床を這いずりながらも麻由が克樹のシャツの裾を掴んでいる。
「紗由……克っちゃん、ダメ、眼を覚まして」
「見た目の割に頑丈な女だ、いいだろう、お望みならお前から始末してやる」
克樹はシャツの裾を掴んでいる手を振りほどき、仰向けにした麻由に跨り、首を絞めつける。呼吸と脳への血流がストップした麻由は意識が薄れ始める。苦しさと抵抗のため腕を必死に振り回すと、漫画本を探り当てた。そのまま摑みとり、先程やられたように本の角で克樹の頭を殴り返す。克樹は首を絞める手を解き、床に倒れた。
「この女、どこからこんな力が……?」
麻由は机の上の位牌に気付く。後は身体が勝手に動いた。センセイがいることに全てを賭け、位牌を掴み、克樹に抱きついた。数秒は位牌を直接接触させないとセンセイは克樹に入って行けない。ジョージもそれを知っているので、麻由を振りほどこうと、腕を掴む。解けない。麻由の身体を壁に打ち付ける。麻由は壁と克樹の身体に押しつぶされ、呼吸が止まる。ミシミシと身体の中から悲鳴が上がる。
――センセイ早く、もうダメ、これ以上はもたない……
「このアマッ、離しやがれッ!」
克樹はさらに頭を殴りつける。麻由は意識が遠のきながらも必死に食らいつく。
「何だテメェ、ゲッ」
尚も頭を殴られ、麻由が気を失いかけた時、克樹の動きが止まった。センセイが残念を抑えたようだ。安堵する間もなく、力が抜けた麻由はそのまま気を失ってしまった。
「びっくりしたよ、私が気付いたらお兄ちゃんも麻由も二人共倒れているんだもん。センセイに言われて、直ぐに救急車呼んだよ。初めてだから、ホントにコワかった」
克樹と麻由が次に目覚めた時、病院のベッドの上だった。克樹はそのまま退院できたが、麻由は頭を強く何度も殴られたこともあり、念のため検査入院となった。
「麻由、ごめん」
克樹は麻由を見舞い、謝った。麻由はベッドで半身に身体を起している。頭に巻かれた包帯が痛々しい。ただ、意識はハッキリしており大事無さそうではある。
「大丈夫。この位なんでも無い。克っちゃんも大丈夫そうで安心したよ」
姉は気丈に応える。しかし、克樹自身が身体中に鈍い痛みを感じている上、特に拳の腫れが揉みあいの激しさを物語っている。口で言うほど無事というわけでもないだろう。
「今回の件はホント反省してる。ルール破っただけじゃなくて、みんなにもスゴイ迷惑をかけちゃった。俺……」
「SCを辞めた方がいいのかも、と言う」
「こんなことならSCを辞めた方がいいのかも……はッ?!」
「こんなの失敗とは言わない。克ちゃんはSCしている時が一番似合っているよ」
「……」
――なりたくてもなれない人間だっているんだし
麻由は視線を下に落として小声で呟く。
「えっ?」
「何でもない。とにかく、辞めるのは私が許さない。直ぐにでも次の仕事に取り掛かること、ってまずは始末書の提出か」
麻由は克樹をからかう。
「……うん、分かった。そうする。また明日も来るよ。必要なものがあったら何でも言ってくれ。持って来るから。早く良くなれよ」
「だから大丈夫だって、検査するだけ。もう身体の方も何ともないよ」
「お兄ちゃん、麻由が大丈夫って言ってるんだから大丈夫だよ。それに私だってぶたれたんだからね。此処、此処」
紗由が自分の左頬を指さす。克樹が麻由の事ばかり心配していることに嫉妬したようだ。
「紗由も頑張ったね。元々センセイを部屋に連れてきてくれたのも紗由だし、紗由が居なかったらどうなっていたか分からないよ」
麻由は紗由に微笑みかける。
「……まぁ、大したことじゃないよ」
紗由は照れ隠しにそっぽを向いた。そもそも、此処まで被害が拡大したのは、自分がセンセイの忠告を無視して部屋に乗り込んだことがキッカケなのだが、それは口が裂けても言えない。病室の入口て看護師が面会時間の終わりを告げる。
「じゃ、そろそろ行くぞ、他に必要なものはないか」
耕三が克樹と紗由に退出を促す。
「……麻由、ありがと」
紗由は恥ずかしそうに言い捨て、ドアを閉めた。
「今更だけど何でセンセイはずっとウチにいてくれるの?」
耕三がハンドルを握る帰りの車中で克樹はセンセイに問いかけた。幾度なく気になっていたことだが聞いたことは無かったのだ。日頃の紗由の面倒や今回の件と言い、センセイが居なかったらと思うとゾッとする。
「お前らのひいじいさんに頼まれたからだ。相三が亡くなる時、アンタは残ってこれからもウチのモンの面倒を見てやってくれ、と言われたのだ。本当はもういい加減、相三と共に逝くつもりだったんだがな」
車内には他に耕三と紗由だからセンセイの言葉は全員に直接届く。
「でもそれだけ?それだけで何十年も同じ家にいられるの?」
克樹は尚も疑問をぶつける。相三とセンセイとの間に何があったのか分からないが、それだけでは納得がいかない。
「……いいだろう、耕三にもまだ話したことは無かったが、少し詳しく話してやろう。いい機会だ。何故ワシがここに居るのかをな」
そう言ってセンセイは静かに話し出した。
「ワシは元々武士としてこの地を治めていた。何百年も昔の話だがね。郎党も少なからず居た。この国を揺るがすような大きな戦さにも何度か参戦しているし、仕えていた主からもそれなりに信頼されていたと思っている。だが、結局最後は戦で敵に打ち取られてしまっての、そのまま往生するつもりだったのだが、つい出来心から残ってしまった。昔仕えていた殿のお子の行く末が気になってな。訳あって幼少の頃お世話させて頂いたことがあったからな。因みにワシが打ち取られた戦の敵方の大将が成長したそのお子だ」
「うわ、すごいなそれ。マンガみたいな筋書きだ。……ってことはセンセイ、主君を裏切ったの?忠臣は二君に仕えず、じゃなかったのかよ」
「そりゃ外国の言葉だ。別にワシが裏切ったわけじゃない。仕えていた主が合戦で負けて滅んでしまったのだ。後に残されたワシは敵方の大将にそのまま召し抱えられたのだ。郎党共の面倒だって看なければならないからな、背に腹は代えられん。その後、その子が成長なされて、戦を仕掛けたから、今度は敵味方に分かれてしまったのだ」
「じゃあ、敵の大将になったその子は結局どうなったの、センセイに勝ったんでしょ」
克樹が尋ねる。
「その戦では勝利したが、身内同士で主導権争いをした挙句、滅んでしまった」
「じゃあ、その子に勝った人が一家の主になったんだ」
「一応はな。だが、それ以降も身内同士で潰しあい、最後は家臣に乗っ取られて滅んでしまった」
「身内同士で潰しあってばっかりじゃん。武士ってそんな人達ばかりなの?」
「世の中が荒れていたからな、ワシらの出番は何時だってそんな時だ。最後には結局一人しか残らん。だが今にして思うと、決して処世がお上手とは言えない方々だったのかもしれないな。とにかく、ワシは世の無常を感じてな、生前、本領に創った聖喜天に戻ることにした。お前ら地元の人間なら名前くらいは聞いたことがあるだろう。あれじゃよ」
「聖喜天ってセンセイが創ったの?……冗談だろ、いつの時代の人だよ」
聖喜天は地元の人間に親しまれている仏教寺院で、地域の観光名所の一つになっている。数年前に国宝にも指定された古刹た。
「聖喜天にこもって家族と土地の平和を祈りながら、一心に経を唱えておった。幾瀬幾年過ぎたのか分からなくなってしまった位にな。その時じゃよ、相三に会ったのは。外のモンに邪魔をされないよう、ワシは気配を絶っていたのだが、アイツだけは気付いたみたいでな。閉ざされた暗い御堂に数百年ぶりに光が差し込んだ瞬間は忘れんよ。いつも笑顔でノンビリと喋る奴だったが、初めてアイツの顔を見た時からそうだった。今にして思えば、奴の立場には分不相応に程があると言えるくらい粗末な身なりをしておったな。」
再び外に出ることに正直躊躇いを感じたが、あの人懐っこい笑顔を見て、凝り固まっていた心と体が一瞬で解きほぐされた……と言うことは無く、
――貴方が○※さんですね。お迎えに上がりました。
――帰れ小僧。
実際はにべも無く一言で追い返したのだが。
――ハハ、冷たいなぁ。じゃあ今日は出直します。また明日伺いますね。
アッサリ引き下がったのには拍子抜けしたが、ワシの中の止まっていた時間を再び動かしてくれたのもアイツだ。何百年も無心に経を唱えていたにも関わらず、その時ばかりは一日という時間が妙に長く感じられたものだ。だが、次にワシのところに来たのは三日後だった。長く感じたのも当たり前だな。
――いやぁ、すみません、遅くなっちゃって。すっかり忘れてました。
その場で斬り捨ててやろうかと思ったが、他愛の無い約束破りに怒るくらいにはアイツに興味を持ってしまった自分に気付いてな。数百年ぶりの世を見てみたい好奇心も湧いてきた。再び娑婆に出ることにした。
「耕三と倫子さんの馴れ初めも当然知っているぞ。当事者としてな」
「そうだよね、センセイならリアルタイムで見てるよね。お母さんから聞いたよ。お母さんに憑りついた念をお父さんが祓ったことがキッカケで好きになっちゃったんでしょ?」
「なっちゃったって何だよ、なっちゃったって」
耕三が抗議する。
「そうだ。厳密には少し異なるのだがな」
「ちょっと、センセイ止めてくれよ。子供達の前では言わない約束でしょ」
「え、何それ?センセイ教えて」
紗由が目を輝かせてセンセイに食らいつく。センセイは一呼吸置く。
「……フム、まぁ、そうだな、耕三の名誉のためにもこの話は止めておこう。そんな大したことでもないからな」
「えー、気になるじゃん、教えてよ」
紗由が不満を漏らして、頬を膨らませる。
「あ、ひょっとして実はお父さんが祓ったんじゃなかったとか?」
「「……」」
「ゲッ、当たっちゃった?」
流石の紗由も気まずそうな顔をする。自分のルーツに関わる話であるだけに、本当だったら受け入れたくはないことに気付く。
「紗由、五月蠅い」
克樹が紗由をたしなめる。
「紗由も中々面白いことを言う。だがそれは違うぞ。耕三も若い頃から腕は良かった。ニヤリ」
「自分の口で擬態語を言わないでよセンセイ。というかお前ら、他人の事をバカにし過ぎだ。親を一体何だと思ってるんだ、全く」
「お前ら、というより、一人だけでしょ」
克樹が冷静にツッコむ。
「あ、お兄ちゃんズルいよ。そうやって私だけを悪者にするなんて」
一人、非難の矛先になることを回避するため、紗由は抜け目なく(?)克樹を巻き込もうとする。
「紗由、家に帰ったら宿題やろうな。どうせまだやってないでしょ。このままズルズル過ごすと去年の二の舞になるぞ。また麻由に叱られたくないだろ。今年は半泣きでは済まされないかもな」
克樹はネチッと紗由の弱みを突く。
「そうだぞ、紗由もそろそろ真面目に勉強し始めてもいい頃だ。立派な大人になれないぞ」
耕三も同調する。
「もう、楽しくお話してたのに何でお兄ちゃんはそんなことを言うの?」
紗由は頬を膨らませて克樹を睨む。
「一人でやってもいいんだよ、どうする?」
「えっ、それは困る……すみませんでした。教えてください。お願いしますぅ」
紗由は渋々とではあるが、手を合わせて懇願する。頑固に意地を張らずに素直に甘えられるのが他愛無くもあり、かわいい所でもある。
「とにかく、紗由はもっとセンセイのいう事も聞かないとダメだぞ。いつもセンセイに助けてもらっているんだから」
耕三が紗由をたしなめる。
「うん、わかっているよ。センセイ、いつもありがとう」
紗由は位牌を抱きしめる。
「で、やっぱりというか、相三じいちゃんが連れて来てくれたのはわかったけど、センセイはずっとこの先も居てくれるワケ?」
克樹は話を本題に戻す。
「……そうか!面倒見ろとは言われたものの、アイツ、いつまでとは言わずに逝きよった。今気づいたわ」
「えー、センセイ逝っちゃダメ。今度は二人でクレーンゲームやるって約束したでしょ」
紗由は寂しそうな顔で引き止めようとする。
「大丈夫だ。往生するとは一言もいっておらん。相三との約束だからな」
「うん、ずっと一緒だよ!」