輝きの報せ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あ、イタタタ、ストップストップ!
ふう、きつかった。柔軟なんてもう何年、いや何十年ぶりにやっただろう。すっかり身体が固くなっちゃったな。昔は立った状態での前屈なんか、楽勝でぴったりと床に手がついたのに、歳って取りたくないものね。
君はどう? 前屈は得意? 聞いた話によると、前屈で結果が芳しくないのって、身体の色々な箇所に原因があるらしいわよ。
腰だったり、足首だったり、膝の裏だったり……。身体が、様々な部分の連動によって成り立っていることが分かる、良い例だと思うわ。
「みんなが力を合わせれば」。このフレーズ、もはや陳腐だと考える人もいるけど、力を合わせていなかったら、私たちの肉体ひとつ、保つことができていないかもね。その分、動員の仕方次第では、この小さな身体でも、想像以上の力を発揮できることもある。
柔軟と力の発揮に関して、ひとつ興味深い話を聞いたのだけど、耳に入れておかない?
今でこそ携帯電話を初めとする、電波を使った通信によって、私たちは遠隔地に対しても容易にコンタクトを取ることができるわ。でも、それらが整っていない環境下で、離れた場所へ連絡を取るには、どうしたらいいか。
昔から考えられていたのが、狼煙。火を焚き、その煙を以て情報とするわけだけど、とある国の神経質な殿様は、それでも遅いと感じていたそうね。
「火をすぐに焚いたとしても、その間も敵勢は動き続けている。一度焚いてしまったら、途中で変更をするのも難しい。もっと早く、もっと容易に変更が効く方法はないものか」
以前、狼煙の誤報によって、慌ただしく軍備を整えてしまった経験のある殿様。訂正された時には、もはやいざ進発の一歩手前だったらしいわ。
金も手間も余計にかかったばかりか、召集された部下たちに、影で不平不満を垂らされる始末。狼煙役を厳しく叱責したものの、今のままではまた同じことが起こりかねない。
どうにか狼煙を上回る通信手段がないものかと考え続けた殿様は、お忍びでの領内視察中に、人だかりができているのに気がついたの。
その中心にいるのは、軽業師の男性だったわ。彼はぐっと膝を曲げた立位の状態から、その場で二回、宙返りをした後、三度目で前二回よりも高く空へ飛んだ。
空中で大きく四回半、きりもみ回転しながらも、足からきれいに着地して膝をつき、観客へ一礼する。ひと呼吸遅れて拍手が巻き起こった。
――なんと身軽な。日頃、訓練している我が兵たちにも、同じ芸当ができる者がどれだけいようか。
殿様は足を止め、人だかりの後ろからそっと、大道芸人の姿を見つめたの。立ち上がった男が次に告げたのは、「水晶の輝き」という演目の名前だった。
彼は、礼をした時の平伏した姿勢から、そのまま足を上げて倒立に移行。本来の頭と足の位置が完全に入れ替わっても、足は傾きをやめない。そのまま下半身が前方へと反っていき、とうとう足が地面についてしまう。人力による小さな橋が出来上がった。
後は起き上がるのか、と殿様を含めた観客たちは思ったけれど、彼は一向にその動きを見せない。代わりに、空を向いているへその部分を、どんどん高く持ち上げていく。
ついに地面へ着いているのが、両手両足の指の先ばかりとなった時。「びきり」と、硬いものがひび割れる音がしたかと思うと、彼の身体が急に淡い緑色に点滅し始めたの。
光って止み、光って止み、繰り返すこと15回。数を重ねるたびに、緑はその濃さを、観客はその驚きに満ちた声の大きさを増していく。やがて輝きが収まると、ようやく彼はぱっとその場で跳ね起き、喝采を浴びたのよ。
この光、使えるかもしれない。そう思った殿様は観客たちが去った後、身じまいをして、その場を去ろうとした芸人へ声をかける。殿様は身分を明かし、ひとしきり芸の達者さを褒めた後、件の「水晶の輝き」について、城の者に披露してみないかと提案したの。
突然の勧誘に、目をぱちくりとさせる軽業師。一度は「下賤の芸でありまするがゆえ」と断ったそうだけど、それを推して頼み込まれると断りきることができなかった。彼は城へと招かれて、翌日、実際に家臣たちの前で、「水晶の輝き」を披露することになったの。
「出し惜しみは一切無用」という、殿様の予めの指示により、彼は早速、人力の橋の姿勢に入った。けれども、それはあくまでひとつの種類に過ぎず、彼が曲芸じみた態勢を取るたびに、やはり甲高い音が響いた直後、彼の身体は点滅をした。
色もまた多彩。緑以外にも赤かったり、青かったり。その色ははっきり区別がつくものだけでも、当時、認識されていた虹の色と同じ、5種類を下らなかったの。微妙な濃淡を交えたならば、それこそ輝きの種類は無数に及ぶ。
いたく感心した殿様と家臣たちは、ますます実用化への期待を膨らませ、彼に重ねて頼みごとをし、城からどれだけ離れた場所から視認できるかも試行してみることに。結果として、五里(約20キロメートル)の距離がある山の中からでも、すぐさま光が城まで届いたみたいなの。同じ伝達手段の狼煙が上がるより、何倍も速い成果だった。
殿様は本格的に、この輝きを使った連絡手段の採用へ向けて動き出す。これが実現すれば、たとえ雨の日などの悪天候でも、瞬時に異変を察知することが可能になるというのも大きかった。
急転する身の上に困惑する彼へ、殿様は現在の連絡係全員へ「水晶の輝き」を仕込むことを依頼する。それに対し、ややためらってから切り出す、元大道芸人の彼。
自分が「水晶の輝き」を得ることになったのは、幼少期に水晶を浮かべた湯船に浸かり続けてから、とのこと。
彼が幼い頃に住んでいた山間では水晶がよく採取でき、それが浮かんだ温泉がいくつかあった。色とりどりの水晶が浮かぶ温泉は、今、自分が放つような種々の輝きを帯び、夜だといっそう、その輝きを増した。
そこへ頻繁に浸かった上で、柔らかくなった身体を根気強く鍛えることによって、初めてこの芸当が可能になったのだと。
「しかし、時代は移りました。色付きの水晶はもはや貴重な品となり、高値で取引されるのが常となっております。それを大人数が浸かる湯に浮かべるというのは、どうにも。大変申し訳ないのですが、この件は少々……」
口ごもる元大道芸人に、殿様は少々、腹が立ったみたい。
費用がかかるからよした方がいい。つまり、殿様の財力が大したものではないと、侮辱を受けていると感じてしまったらしいの。
「余を愚弄する気か。よし、そこまで言うならば、貴様の要望に応えてやろうではないか。少し、時間をもらおう。その間に、これまでの狼煙役の身体を、しっかり仕上げておけ。あの軽業をこなせるくらいにな」
かくして殿様は、水晶のための費用を捻出するのに苦慮し始めたわ。そうなると、かの元大道芸人も、今やわずかながらも禄を食む身。命令を受けて果たさないわけにはいかなかったの。
日々、城の一角にある道場を借りて行われる、曲芸の練習。それはこれまで軽業に縁のなかった者にとっては、半ば拷問じみた、苦しみの時間だったと聞くわ。
殿がいつ水晶を用意できるか分からない以上、いざ、準備ができた際に、「仕上がっていませんでした」などと報告するわけにもいかない。指導役である彼の技芸に従う者は、ほとんどが苦悶の声を上げ、戸を閉めたとしても音を防ぎきれない、阿鼻叫喚の図だったそうよ。
しかし、その厳しい指導の甲斐あってか。数ヵ月後、色付き水晶を浮かべた風呂が用意できる頃には、従来の狼煙役の半数が、彼に引けを取らない柔軟さを身に着けていたみたいね。
日によって浮かべる水晶を取り換えた、五色の水晶風呂。そしてたゆまぬ鍛錬の結果、及第の柔らかさを持つようになった半数の狼煙役は、輝きの役目へと移ることになったわ。
光の色に意味を持たせ、従来の狼煙と併用して領内の要所に配置することで、平時、緊急を問わず、情報の速さと精度を増した殿様の領内。夜間でもしばしば見られる、その光による伝達は、ちょっとした名物として、外から人を呼び込む効果も見せ始めていたとか。
けれども、順調に成果をあげ続け、後継者の育成も思案されていた計画は、数年後、唐突に頓挫してしまうの。
ある日の早朝。輝きによる定時連絡がなかったことから、殿様は城に待機していた兵たちを待機所へ向かわせたの。すると、どの地点にも輝き役、狼煙役のいずれの者もおらず、代わりに人間の体とほぼ同じ大きさの、無色透明な水晶が転がっていたとか。
兵たちはしばらくその場で待ってみたけれど、誰も帰ってくる気配を見せない。現場監督者として、全体を仕切っていた、かの元大道芸人の彼でさえも。
日暮れ近くまで待ち続けた彼らは、とうとう待つことを断念。その場にあった大型の水晶を抱えて城へ帰還し、ことの次第を報告したとか。
そして夜が更け、天上に星が輝き出した頃。占いのために、毎晩、空を見つめていた学者数人が、見慣れない星団が現れたことを告げてきたわ。
北の空の一角に固まるその星々は、いずれも濃い紫色に光っている。それは、かつて輝き役を配する時に決めた、「至急、救援を乞う」という意味合いのものだったとか。
それから何日も捜索が続いたけれど、輝き役、狼煙役の皆はとうとう見つかることはなかった。そして夜空で輝き続けていた紫色の星団も、日を追うごとに、少しずつその数を減らし、とうとう完全に姿を消してしまう。
殿様は、兵たちによって持ち帰られた水晶を金へと換え、それらのほとんどを、輝き役と狼煙役の家族に、見舞金として渡したとのことよ。