雫先輩とのハプニング
授業中にメールが届いた。
それだけなら驚くに値しない。
毎日の事だし、実を言うと一限毎にひかり様から二、三通のメールが届く。
鬱陶しいと思ったのは、ずいぶんと昔のことだ。
今では、授業中という事を意識させてくれる役割りの様なものになって来た。
だが、返事を怠ると……やはり鬱陶しい。
次の授業はテストだからメールをしない様にと前もって伝えても送って来やがるし、当然テスト中に返事が出来る訳が無い。
そんな状況なので、やはり英語のテスト中に返事をしなかったのは、僕としては当然なのだが、次の休み時間になると僕の教室に抗議しにやって来るとの予想が恐怖を駆り立てる。
だから、英語のテストが終わり、休み時間のチャイムが鳴り始めると同時に教室から逃亡した。
そこで、予期せぬ事件が起こったのだ。
この学園のNo.3と言われる三年の雫ちゃん先輩と廊下を曲がる時に偶然にもぶつかった。
そこまではよくある話なのだが、僕の勢いが勝っていた為に押し倒す様な感じとなっている。
横から見れば、廊下で僕が無理矢理に雫ちゃん先輩を押し倒した形にしか見えないだろう。
ちなみに、雫先輩でもいいが、『ちゃん』を付けたい程に可愛いらしい先輩なのだ。
「わ、うわぁー!
す、すいません。すいません。ごめんなさい」
当然の如く、僕の顔はゆでダコみたいに真っ赤になっている筈だ。
サッと身体を離して退いてしまおうと思ったのだが、既に遅し。いつの間にか新聞部と報道部に現場を押さえられていた。
あとで妬みや嫉妬で殺られる事を覚悟しておかねばならない。
ついでに、ひかりからの理不尽な嫌がらせもだ。
「うふふっ。あなたは大丈夫ですか? 怪我は無いの?」
鈴を転がす様な可愛い声は、僕を怒るでもなく優しい言葉を紡いでくれる。
確かに、雫ちゃん先輩は優しいとの噂を聞いた事が有るのだが、真偽は定かでは無い。
だいたい僕が女子と話をする機会が少ない事が、そもそもの原因なのだ。
女子の情報が余りにも少なすぎる。
これは、ひかりのせいなのであり、そのひかりが唯一マトモに話しても邪魔しない相手は、つばささんとクラスメイトだけだったから、突然のこんなサプライズなんて驚き以外の何物でも無い。
「はっ、はい。僕は大丈夫です。雫先輩は怪我は無いですか?」
素早く身体を雫ちゃん先輩の上から退かして、横に転がると、真横に雫ちゃん先輩の顔がアップで見える。
……すっげー可愛いのだが、あんな事をしでかして恥ずかし過ぎて、まともに顔を見れないよ。
「ええ、私はどこも怪我はしてないみたいだから大丈夫よ。だけど……」と、はにかみながらの微笑みと共に言いながら、僕の顔から目を逸らす。
「だけど?」の後が気になるんだけど!
何か、ヤバイことして無いかな?
時間に間に合わないとか、何かを壊したとか、何かが無くなったとか?
不意に雫ちゃん先輩が、いきなり近づくと僕の耳元に手を当てて話してくれた。
しかもあの、憧れの恋人達がコソコソ話をする仕草だよ。
「だけど、ドキドキしちゃった!
エヘッ、ひかる君の顔がすぐ目の前にあるんだもん。
私、ホントに心臓がまだドキドキしているのよ」
小首を傾げながら上目遣いの雫ちゃん先輩は、めちゃ可愛い。身長が152センチという数少ない情報のストックは本当みたいだ。
多少、誘惑による目眩がするが、そそくさと立ち上がり、先輩に手を差し伸べると、おずおずと温かく柔らかい小さな手を僕の手に預けてくれた。
……うっ、ひかるんサイコーっす!
心の中で涙がだだ漏れ!
かなり気を付けて、優しく手を引いて立たせてあげたのだが、それは当然のことなのにお礼を言われた。
「えっと、ありがとう。
すごく気を遣ってくれて、嬉しかったわ。ひかる君」
……スゲェ、雫ちゃん先輩が僕のことを知ってるよ。
「いえ、それよりもこれからが心配です。
新聞部に報道部が、僕達の事を撮ってましたよね。
雫先輩にご迷惑をお掛けするかもしれないのが、心配なんですよ」
ひかりの邪魔は卑劣を極めている。
ひかりの後輩の彼氏や学内のファンクラブのメンバーに僕が女子と話をしているなら、即刻連行するようにという命令が下っているらしい。
今では拉致られたのは今年だけで三桁に達する。
……て、頭が混乱しているよ。
一刻も早く、ここから立ち退かないと、先輩にまで迷惑が掛かってしまう。
「フフっ、ひかりの事は大丈夫だよ。
私には、何もしないし、出来ないから心配無用だからね。それに、新聞部と報道部も安心していいわ。
私は大丈夫だから……。じゃあね」
と言いながら、歩き出した瞬間に先輩は再び廊下に屈んだ。
……やはり、どこか怪我してるんだ。
僕のせいで、迷惑を掛けてしまった。
新聞部や報道部に写真部とが加わり、写真やビデオを撮りまくっていたが、今はそんなことぐらい構わない。
「雫ちゃん先輩、どうぞ」
僕は黙って屈んで、背中を雫ちゃん先輩に向けた。
そう、おんぶが出来る格好となっている。
「あ、ありがとう」
躊躇いが混ざる返事の後には、ふわりと柑橘系の香水の匂いと共に、甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐる。
栗色の長いウェーブが掛かった髪の毛が僕の頬に垂れてきて、緊張しきり。
しかも役得の丸い膨らみが背中に感じられるのは、至福と言うべきだろう。
ああっ、生きてて良かった!!
どうにか、ドキドキする心を自制しながらも雫ちゃん先輩を背中に乗せて、保健室に辿り着くと、生憎なのか、図ったのか、幸運なのか知らないが、誰も居なかった。
保健室の先生や保健委員の誰も居ない。
仕方無く、空いているベットに先輩を下ろして、痛む場所を聞いた。
その返事が、これまた魅力的なお言葉で、雫ちゃん先輩のファンとなる事に一瞬で決めてしまった。
「どこも痛くは無いのよ。ひかる君と話せたから、力が抜けただけ」そう言って、僕の手を握る。
『これは、もしや……』
そう考えている途中で、保健室のドアが勢いよく開いて、ひかりが登場する事となった。
この時、僕の手は雫ちゃん先輩にしっかりと握られていた。